【完結】側妃のわたしが王子を地下に匿い、王位に就けます! でも、真の敵は姉でした。

三矢さくら

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19.大変ですわ

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水面に浮かぶ半月を、しずかに眺めるアーヴィド王子の艶やかな唇が動いた。


「私は……、死んでもかまいません」


つぶやくような声の響きにはすこしの淀みもなく、澄んだ音色をしていた。

うすい月明かりが照らす、葉の落ちた樹々が囲む泉のほとり。

わたしは、アーヴィド王子の言葉を、自分でも驚くほど冷静に受け止めていた。


「……はい」

「ですが……」


視線をアーヴィド王子から離し、わたしも泉に映る半月を見詰めた。


「もう、死にたいとは思いません」

「……はい」

「私はいま、ヴェーラ陛下のために生きています」

「……え?」


アーヴィド王子の顔を、見ることが出来なかった。

言葉の意味をどう受け止めたらいいのか分からず、わたしの視線が泉の水面を彷徨った。


「……王国に生きる、貴族の苦しみも、民の苦しみも……、遠い出来事になってしまいました」

「……はい」

「テオドール兄上と、あれほど熱く語りあった王国の将来の手触りが……、私の手から消えてしまいました……」


わたしは寝かせていた両膝を立て、キュッと自分の身体に抱き寄せた。

アーヴィド王子のなかにポッカリとあいてしまった大穴の深さに、胸が締めつけられてたまらなかった。


「……いまの私の願いは、私を生かしてくれたヴェーラ陛下を……、悲しませたくない。……それだけです」


わたしは抱いた自分の膝を、さらにギュウッと抱き寄せて、顔を沈めた。


「アーヴィド殿下……?」

「はい」

「……喜ばせては、くれないのですか?」

「えっ?」

「悲しませないのではなく、……わらわを、喜ばせてはくれないのですか?」


生贄の人質として王宮に入り、姉とは引き離され、寂しくて、怖くて、メイドたちからはいじめられても、

ひとり耐えて踏ん張っていたわたしの気持ちを解ってくれたのは、

アーヴィド王子だけだった。


――ボクたちが仲良くしてれば、もう戦争は起きないよ。


あの言葉に、どれほど救われたことか。

蛮族から送られた人質の娘などに手を差し伸べれば、むしろアーヴィド王子の名声に傷が入るかもしれなかった。

それなのに、やさしく微笑んでくださったアーヴィド王子の笑顔に、どれほど心惹かれたことか。

どれほど心惹かれ続けていることか。


「……わらわを、笑顔にしてくださいませ」

「ですが……、いまの私は何も持っていません……、ヴェーラ陛下を笑顔にと……」

「ヴェーラと呼んでください」

「……え?」

「初めてお会いしたとき、アーヴィド殿下は、ヴェーラと呼び捨てでお呼びくださいました」

「それは……」

「あのときでも、妾は公式愛妾……、夫人でした。けれど、ヴェーラと呼んでくださいました。……あのときのように、呼んでくださいませ」


アーヴィド王子がどんな顔をしてわたしの話を聞かれているか、とても気になる。

だけど、抱えた自分の両膝に埋めた顔を、あげることができなかった。


「……公妾でも、側妃でもなく、……ただのヴェーラに……、戻してくださいませ」

「……分かりました」

「敬語もやめてください」

「え……、ええっと?」

「あのときのように『もう戦争は起きないよ』と仰ってくださったように、……お喋りくださいませ」

「ですが、ヴェーラ……も」

「妾は歳下だから良いのですっ。4つも歳下なのですっ。まだ18歳なのですっ」

「……ははっ」

「……妾も、自分を妾と呼ぶのをやめます。だから……、わたしに……、あのときと同じように話してくださいませ……」


ふうっと、アーヴィド王子が笑われるように息を抜かれた。


「わかったよ、ヴェーラ」

「はいっ!」


パッと顔をあげ、満面の笑みを向けたわたしに、アーヴィド王子は、はにかむように笑われた。


「なんだか……、くすぐったいな」

「慣れてください」

「ふふっ……。わかったよ」

「もう一度、名前を呼んでください」

「ヴェーラ」

「はいっ! ……もう一度」

「ヴェーラ」

「はいっ! ……もう一度」

「はははっ。ヴェーラ、ヴェーラ、ヴェーラ、ヴェーラ、ヴェーラ!!」

「はいっ! はいっ! はいっ! はいっ! はいっ!」


ふたりで、腹がよじれるほど笑った。

笑い声が離宮まで届いてはいけないと、声を潜めて笑ったので、腹筋がちぎれるかと思った。

傷が痛むのに笑いが止まらないアーヴィド王子の、背中をさすって差し上げた。

そして、泉のほとりの、まだ草の生えていない土の地面に寝転がり、夜空にまたたく星をながめた。


「喜ばせていただきました」

「それは、良かった」


それから、泉の水でアーヴィド王子の足を流してさし上げる。

ほんとうはお身体を全部流してあげたいのだけど、水はまだ冷たい。今晩は足だけにして、それでもアーヴィド王子は気持ち良さそうに微笑んでくださった。

やがて、空が白んできた。


「……太陽だな」


夜明けを報せる曙を、感慨深げに眺めるアーヴィド王子。

だけど、まだ太陽そのものを見られると、目を傷めてしまわれるかもしれない。

名残惜しかったけれど、アーヴィド王子の脇に肩を入れて抱きかかえ、立ち上がっていただいた。

ピタリと密着して――、


「……大変ですわ」

「ん? どうしたの、ヴェーラ?」

「とても……、照れくさいですわ」

「はははっ。そうだね、照れくさいね」

「良かった……」

「ん? ……なにが?」

「アーヴィド殿下と、おなじ気持ちで」

「そうだね、……ボクとヴェーラは、おなじ気持ちだ」


そして、慎重に歩いて、ふたりで隠し部屋へと戻った。


   Ψ


やがて、風に春の息吹がハッキリと感じられるようになってきた。

まもなく、新国王フェリックス陛下の戴冠式が開かれる。

それに合わせて、恩赦が発表されるはずで、その対象にアーヴィド王子を加えることが出来ないか、

その政界工作について、フレイヤと相談した。

誰もいない狩り小屋で顔を寄せ合い、ヒソヒソと話し合う。

けれど、すぐに結論を出すことも出来ず、眉間のシワを伸ばしてから、アーヴィド王子に夕食をお持ちした。

すると、アーヴィド王子の口の端があがっている。


「迂闊なことは、しないほうがいいよ」

「えっと……?」

「すぐ上からの音はよく響くんだよ」

「……き、聞いてらっしゃったんですか?」


枢密院の設置など、アーヴィド王子がご存知なかった新しい状況もある。

だけど、これまで王国の貴族たちと密な関係を持ってこなかったわたしが、軽率に政界工作に手を出すのは危険だと、やんわり窘めていただいた。


「ボクのことだからね。自分で言うのは、面映ゆいところもあるけど……、いまは時を待つべきだと思うよ?」

「わかりました……。ご忠告に従います」


素直にあたまを下げたけれど、内心は、


――い、今まで狩り小屋で、アーヴィド王子に聞かれたら困るような、変な話をしてなかったかしら……?


と、浮足立っていた。

まずは、戴冠式のあとの晩餐会で、重臣たちと仲良しになれるように努めようと、心を落ち着けて隠し部屋を出た。
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