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27.姉の為した労苦の香り
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姉トゥイッカは喜々として、
アーヴィド王子との暗闘の日々を、わたしに語って聞かせる。
いまや、王国の最高権力者、
陰惨な粛清の謀主、
王太后トゥイッカ陛下のお話を、わたしは遮ることができない。
「フェリックスが生まれてからというもの、幾夜も幾夜も、閨でオロフにシクシク泣き続けたのよ?」
――フェリックス……、姉の息子が、生まれてから? 生まれる前ではなくて?
「それで、ようやくオロフも信じたわ。三バカ王子が、私とフェリックスの命を狙ってるって」
「そ、そう……」
「なのにオロフのヤツ……、口では私を愛してるとか、私なしでは生きていけないなんて言うくせに、三バカ王子を殺しもせずに、辺境の太守にして追放するだけでお茶を濁したのよ?」
……追放。
要衝を守る太守の重責――、
だなんて思っていたのは、離宮でのほほんと暮らすわたしだけだったのね……。
「……それも、最後までアーヴィドが、テオドールは王太子だからって、行かせまいと邪魔してきて、余計に閨で泣いてみせないといけなかったわ」
「そう……、大変だったわね。お姉ちゃん……」
「そうなのよ! 分かってくれる? ヴェーラ」
姉は、わたしに褒めてほしいのだ。
姉の過ごした〈労苦〉の日々をわたしに褒めてもらい、喜びを分かち合いたいのだ。
復讐を成し遂げた、喜びを。
か弱い女性の身にありながら、姉トゥイッカはひとり、部族への、王国への復讐を果たしたのだ。
閨から、暴虐の王を操って。
「ステンボック公爵を宰相にするときも、アーヴィドに随分、邪魔されたわ」
部族から搾取した富を賂に、姉はステンボック公爵を籠絡した。
王国を乗っ取る、運命共同体に仕上げた。
ステンボック公爵はオロフ王の死まで、人がいいだけの宰相を演じ切った。
姉の振り付けで。
赤子を産んだ母親から乳が出ないと、ラウリが涙を滲ませる暮らしを部族に強いて、
姉トゥイッカは、オロフ王ひとりが握っていた権力を少しずつ少しずつ削りとり、政敵は謀略の罠にかけて粛清し、すべてを自分の手中へと収めていったのだ。
「ニクラスなんて可愛いものよ。枢密院を設置しようとする私に、自分に近しい者を加えることを条件に承諾してきたんだから」
「……そうなのね」
「……だけど、それもアーヴィドが邪魔してきたの。結局、フェリックスを王太子にするまで、枢密院を設置できなかったんだから。辺境にいたくせに……、余計なことばかりして」
枢密院が姉の首を刎ねるなど、とんでもなかった。それどころか枢密院28名の顧問官さえも姉の掌中の駒だったのだ。
彼らの方がむしろ、姉からの粛清に怯え、忠誠を誓い、そして、私腹を肥やしているのだ。
「……苦労したのね、お姉ちゃん……」
「そうなのよ! ……イングリッドに似てるからって、オロフもアーヴィドには甘くて、手を焼かされたわ」
イングリッド――、オロフ王の先代王妃。
アーヴィド王子の出産がもとで、お亡くなりになられた。
――そうだ……、アーヴィド王子。
唐突に、アーヴィド王子がいま、わたしたち姉妹の足のしたにおられることを思い出した。
なぜ、忘れてしまっていたのか……。
これ以上、引くことはないと思っていた血の気が、さらに引く。
――姉の話を、いますべてお聞きになられているはず……。
だけど――、
心ゆくまで話せて満足したのか、わたしが褒めるのが嬉しかったのか、
姉は、またわたしに抱きついた。
高価なドレスが擦れ合う。
一着で何万人もの赤子にミルクを買ってあげられるドレスが、雑然と絡み合う。
「だからね、殺させたの。アーヴィドが愛する兄のテオドールを、父親に殺させてやったのよ? いい気味だわ、私の邪魔ばかりしてた報いよ」
姉は、世界のすべてを怨んでいた。
わたしはいま目の前にいる姉に、抱き締めてあげることしか出来なかった。
もっと、はやくに抱き締めてあげられたなら……、なにかが違ったんだろうか?
わたしの胸のなかから、姉のウットリとした声が響く。
「だからね、ヴェーラ?」
「なあに、……お姉ちゃん」
「私にはヴェーラだけ。……私と一緒に人質になってくれた、ヴェーラだけなの」
「そっか……」
「だから、ヴェーラは本当に好きな人と結婚してね? 幸せになってね? 幸せなヴェーラをお姉ちゃんに見せてね? 絶対よ?」
「……うん、分かったよ。お姉ちゃん」
わたしの言葉に、姉トゥイッカはさらにギュウッとつよく、わたしを抱き締めた。
「ヴェーラは太陽なんだから。ずっと、お姉ちゃんを照らしていてね」
盛夏の夕暮れ時の暑さが、わたしたち姉妹の互いの汗を混ぜ合わせ、
姉から匂い立つ妖艶な香りが、わたしの鼻腔にいつまでも残る。
きっと、これは、姉の為した労苦の香り、
姉の営んだ、閨の香りだ――。
Ψ
「次に会えるのは、夏の終わりの闘技会ですね。ヴェーラに会えるのを妾は楽しみにしております」
狩り小屋をでた姉は、優美な王太后陛下の顔に戻り、わたしは門まで見送った。
瀟洒で豪勢な意匠のほどこされた馬車が走り去り、姿が見えなくなるまで頭をさげていた。
隠し部屋に降りる梯子の一本一本が冷たい。
毎日何度も昇り降りする梯子に、手を滑らせないよう慎重に降りてゆく。
アーヴィド王子は、ベッドに腰かけて、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべておられた。
「……ご存知だったのですね? 王太子殿下のコンポートに毒を盛ったのが、姉様だと……、アーヴィド殿下はご存知だったのでしょう?」
「うん……、知っていたよ」
こみ上げる想いが身体を震わせるわたしに、アーヴィド王子は穏やかに応えられた。
「どうして……」
つづきが言葉にならない。
アーヴィド王子はわたしから目を逸らすこともなく、申し訳なさそうにさえしてくださらない。
ただ穏やかに、座っておられる。
「……姉様と争っていることを、……どうして、わたしに教えてくださらなかったのですか?」
アーヴィド王子は、わたしを見たまま何も仰られない。
わたしに教えなかった理由は、わたしにも分かっている。だけど、問いたださずにはいられない。
「追放になられるとき……、宰相を置くとき……、ううん、いつでも良かったではないですか? どうして、わたしには何も言ってくださらなかったんですか?」
わたしは、姉を失った。
なのに今また、アーヴィド王子まで失おうとしている。
「ボクと……」
「なんですか?」
「……ボクとトゥイッカ殿の考えが一致しているのは、……ヴェーラを守りたいってことだけなんだよ」
そうだ、そうなのだ。
分かっている。
ふたりに、わたしは守られている。
ずっと。
わたしが置き去りにされたのは、ただの結果なのだ。ふたりともきっと、置き去りにしたかった訳ではない。
陰鬱な暗闘から、わたしを遠ざけてくれた。離宮で安穏と暮らした。
その間、ふたりは血を流しあっていた。
わたしの大切なふたりが、互いに傷つけあっていた。
わたしが許せないのは、わたしだ。
なのに、権力者になった姉にはなにも言えず、大罪人の汚名を着せられ、わたしが匿うアーヴィド王子にだけ気持ちをぶつけている。
わたしをいじめたメイドたちより最低だ。
「王様になってよ!」
「……え?」
「アーヴィド殿下が王様になって、みんなを救けてよ! ……わたしを、救けて……よ……」
ひどいことを言っている。
アーヴィド王子がいまは、なにも応えられないことを言って、黙らせようとしている。
ほしい言葉をくれないなら、黙っていてとは言えなかった。
黙って、ただ抱き締めてほしかっただけなのに。
言葉なんかなくても、ただいちばん近くにいてほしかっただけなのに。
わたしはわたしを――、許せない。
アーヴィド王子との暗闘の日々を、わたしに語って聞かせる。
いまや、王国の最高権力者、
陰惨な粛清の謀主、
王太后トゥイッカ陛下のお話を、わたしは遮ることができない。
「フェリックスが生まれてからというもの、幾夜も幾夜も、閨でオロフにシクシク泣き続けたのよ?」
――フェリックス……、姉の息子が、生まれてから? 生まれる前ではなくて?
「それで、ようやくオロフも信じたわ。三バカ王子が、私とフェリックスの命を狙ってるって」
「そ、そう……」
「なのにオロフのヤツ……、口では私を愛してるとか、私なしでは生きていけないなんて言うくせに、三バカ王子を殺しもせずに、辺境の太守にして追放するだけでお茶を濁したのよ?」
……追放。
要衝を守る太守の重責――、
だなんて思っていたのは、離宮でのほほんと暮らすわたしだけだったのね……。
「……それも、最後までアーヴィドが、テオドールは王太子だからって、行かせまいと邪魔してきて、余計に閨で泣いてみせないといけなかったわ」
「そう……、大変だったわね。お姉ちゃん……」
「そうなのよ! 分かってくれる? ヴェーラ」
姉は、わたしに褒めてほしいのだ。
姉の過ごした〈労苦〉の日々をわたしに褒めてもらい、喜びを分かち合いたいのだ。
復讐を成し遂げた、喜びを。
か弱い女性の身にありながら、姉トゥイッカはひとり、部族への、王国への復讐を果たしたのだ。
閨から、暴虐の王を操って。
「ステンボック公爵を宰相にするときも、アーヴィドに随分、邪魔されたわ」
部族から搾取した富を賂に、姉はステンボック公爵を籠絡した。
王国を乗っ取る、運命共同体に仕上げた。
ステンボック公爵はオロフ王の死まで、人がいいだけの宰相を演じ切った。
姉の振り付けで。
赤子を産んだ母親から乳が出ないと、ラウリが涙を滲ませる暮らしを部族に強いて、
姉トゥイッカは、オロフ王ひとりが握っていた権力を少しずつ少しずつ削りとり、政敵は謀略の罠にかけて粛清し、すべてを自分の手中へと収めていったのだ。
「ニクラスなんて可愛いものよ。枢密院を設置しようとする私に、自分に近しい者を加えることを条件に承諾してきたんだから」
「……そうなのね」
「……だけど、それもアーヴィドが邪魔してきたの。結局、フェリックスを王太子にするまで、枢密院を設置できなかったんだから。辺境にいたくせに……、余計なことばかりして」
枢密院が姉の首を刎ねるなど、とんでもなかった。それどころか枢密院28名の顧問官さえも姉の掌中の駒だったのだ。
彼らの方がむしろ、姉からの粛清に怯え、忠誠を誓い、そして、私腹を肥やしているのだ。
「……苦労したのね、お姉ちゃん……」
「そうなのよ! ……イングリッドに似てるからって、オロフもアーヴィドには甘くて、手を焼かされたわ」
イングリッド――、オロフ王の先代王妃。
アーヴィド王子の出産がもとで、お亡くなりになられた。
――そうだ……、アーヴィド王子。
唐突に、アーヴィド王子がいま、わたしたち姉妹の足のしたにおられることを思い出した。
なぜ、忘れてしまっていたのか……。
これ以上、引くことはないと思っていた血の気が、さらに引く。
――姉の話を、いますべてお聞きになられているはず……。
だけど――、
心ゆくまで話せて満足したのか、わたしが褒めるのが嬉しかったのか、
姉は、またわたしに抱きついた。
高価なドレスが擦れ合う。
一着で何万人もの赤子にミルクを買ってあげられるドレスが、雑然と絡み合う。
「だからね、殺させたの。アーヴィドが愛する兄のテオドールを、父親に殺させてやったのよ? いい気味だわ、私の邪魔ばかりしてた報いよ」
姉は、世界のすべてを怨んでいた。
わたしはいま目の前にいる姉に、抱き締めてあげることしか出来なかった。
もっと、はやくに抱き締めてあげられたなら……、なにかが違ったんだろうか?
わたしの胸のなかから、姉のウットリとした声が響く。
「だからね、ヴェーラ?」
「なあに、……お姉ちゃん」
「私にはヴェーラだけ。……私と一緒に人質になってくれた、ヴェーラだけなの」
「そっか……」
「だから、ヴェーラは本当に好きな人と結婚してね? 幸せになってね? 幸せなヴェーラをお姉ちゃんに見せてね? 絶対よ?」
「……うん、分かったよ。お姉ちゃん」
わたしの言葉に、姉トゥイッカはさらにギュウッとつよく、わたしを抱き締めた。
「ヴェーラは太陽なんだから。ずっと、お姉ちゃんを照らしていてね」
盛夏の夕暮れ時の暑さが、わたしたち姉妹の互いの汗を混ぜ合わせ、
姉から匂い立つ妖艶な香りが、わたしの鼻腔にいつまでも残る。
きっと、これは、姉の為した労苦の香り、
姉の営んだ、閨の香りだ――。
Ψ
「次に会えるのは、夏の終わりの闘技会ですね。ヴェーラに会えるのを妾は楽しみにしております」
狩り小屋をでた姉は、優美な王太后陛下の顔に戻り、わたしは門まで見送った。
瀟洒で豪勢な意匠のほどこされた馬車が走り去り、姿が見えなくなるまで頭をさげていた。
隠し部屋に降りる梯子の一本一本が冷たい。
毎日何度も昇り降りする梯子に、手を滑らせないよう慎重に降りてゆく。
アーヴィド王子は、ベッドに腰かけて、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべておられた。
「……ご存知だったのですね? 王太子殿下のコンポートに毒を盛ったのが、姉様だと……、アーヴィド殿下はご存知だったのでしょう?」
「うん……、知っていたよ」
こみ上げる想いが身体を震わせるわたしに、アーヴィド王子は穏やかに応えられた。
「どうして……」
つづきが言葉にならない。
アーヴィド王子はわたしから目を逸らすこともなく、申し訳なさそうにさえしてくださらない。
ただ穏やかに、座っておられる。
「……姉様と争っていることを、……どうして、わたしに教えてくださらなかったのですか?」
アーヴィド王子は、わたしを見たまま何も仰られない。
わたしに教えなかった理由は、わたしにも分かっている。だけど、問いたださずにはいられない。
「追放になられるとき……、宰相を置くとき……、ううん、いつでも良かったではないですか? どうして、わたしには何も言ってくださらなかったんですか?」
わたしは、姉を失った。
なのに今また、アーヴィド王子まで失おうとしている。
「ボクと……」
「なんですか?」
「……ボクとトゥイッカ殿の考えが一致しているのは、……ヴェーラを守りたいってことだけなんだよ」
そうだ、そうなのだ。
分かっている。
ふたりに、わたしは守られている。
ずっと。
わたしが置き去りにされたのは、ただの結果なのだ。ふたりともきっと、置き去りにしたかった訳ではない。
陰鬱な暗闘から、わたしを遠ざけてくれた。離宮で安穏と暮らした。
その間、ふたりは血を流しあっていた。
わたしの大切なふたりが、互いに傷つけあっていた。
わたしが許せないのは、わたしだ。
なのに、権力者になった姉にはなにも言えず、大罪人の汚名を着せられ、わたしが匿うアーヴィド王子にだけ気持ちをぶつけている。
わたしをいじめたメイドたちより最低だ。
「王様になってよ!」
「……え?」
「アーヴィド殿下が王様になって、みんなを救けてよ! ……わたしを、救けて……よ……」
ひどいことを言っている。
アーヴィド王子がいまは、なにも応えられないことを言って、黙らせようとしている。
ほしい言葉をくれないなら、黙っていてとは言えなかった。
黙って、ただ抱き締めてほしかっただけなのに。
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わたしはわたしを――、許せない。
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