代筆屋カレンへようこそ~恋をしてから来てください~

柊 一葉

文字の大きさ
4 / 19
第一章 代筆屋と客じゃない客

第四片 ある研究者の憂鬱

しおりを挟む
「王都にいる妻から……あなたの手紙は報告書みたいねって言われたんだ」

夕方、仕事帰りに代筆屋にやってきたのは薬の研究をしている40代の男性だった。

このお客さんはハイルさんといい、代筆屋の隣にある商会に薬を卸しているその関係者だ。たまたま先週商会を訪れた時に代筆屋の存在を聞き、商会長のツテでここにやってきたという。

わざわざ使いの者を寄越し予約を入れてくるほど生真面目な人で、きれいに手入れされた靴はピカピカと輝いている。上質なジャケットや整えられた身なりに、さすが王都一の商会が抱える研究者だなと私は思った。

「恩師から受賞祝いが届いて、その返信を書こうとしたんだが……何を書いていいかまったくわからない。図書館に行って手紙の書き方がわかる本を探したんだが、あいにくそんなものはなかった。それらしいタイトルの本はあったが、どうも違う気がするんだ」

この世界では、紙が貴重なため、書物は中流家庭でもまず家にない。彼のような研究者でも、図書館を利用するのは一般的だ。

手紙を書こうにも書き方がわからず、図書館に行き、その結果途方に暮れて代筆屋を訪ねるというコースはわりと定番なのだ。

彼の場合は特に「失敗したくない」という思いが強すぎて、本来なら書けるものも書けなくなっているようにも見える。父親ほどの年齢だけれど、悩んで困っている表情がなんとも愛嬌のある人だった。

「ためしに書いてみたら、それを読んだ妻の視線が痛すぎてね……。それでこちらに来たんだよ」

「ふふふ、それは大変でしたね」

ハイルさんは代筆屋の椅子に腰かけ、すっかり小さくなってしまっている。よほど辛辣な意見を妻からもらったらしい。自信喪失、意気消沈である。


私はいつものように石板をテーブルに置き、ひとまずは彼の心の中にたまったうっぷんを吐き出せることにする。学生時代の話、恩師との思い出や受賞した研究について、彼の得意分野をとことんしゃべらせた。

人は基本的に、自分の話を聞いてくれる人に良い印象を抱くのでこれも客商売のうちだ。

きちんと相槌を打ってくれる聞き手がいればもっと話したくなっていくもので、心がほぐれるとその分素直に文章にしやすくもなる。


ひとしきりハイルさんにしゃべらせた後、手紙に使えそうなネタを拾い、私は笑顔で彼に伝えた。

「手紙に失敗なんてありません。手紙は本来、心のうちを文章にのせて届けるものです。今すでに書かれた手紙が報告書のようになっているのは、ここにあなたの感情が見当たらないからだと思います」

ハイルさんはまじまじと手元の紙を見つめ、ふむふむと頷く。どうやら私の言葉に、思い当たる節があったようだ。男の人は、必要なことしか書かない人が多い。

「恩師の方からお祝いをいただいて、嬉しかったんですよね?ありがとうございましたという言葉だけでなく、どう嬉しかったのか、先生と過ごした昔のことを思い出してつい物思いにふけってしまったことなども伝えましょう」

「そうか、それならば報告書にはならないね」

憑き物が落ちたようなハイルさんを見て、私は静かに頷き返した。

「ハイル様は研究者ですから、感情よりも数字や結果に目を向けてきたのでしょう?」

「ああ、そうだ。そういわれてみれば、いかに簡潔に要点を伝えるかを優先してきたと思う。感情は不確かで、変化するものだから取るに足らないと軽んじている部分があるかもしれないな」

「ふふふ。確かに感情は不確かですね。その通りだと私も思います。でも私が関わっている手紙の分野では、そのいつか消え去ってしまう不確かな感情が意外に大切なのですよ」

「そうだね」

「ええ。人は、誰しも心があって暮らしていますから」

「妻にもときおり、あなたは人の心がわかっていないってなじられるんだよ」

ハイルさんは乾いた笑いと共に、自嘲して目を細める。私も軽く首をすくめ、彼の感情に同調してみせた。奥様のことは怖がっているけれど、とても愛しているんだろうなと思った。

「夫婦といえど、互いの心はよめないものなのですね。勉強になりますわ」

「カレンさんなら大丈夫だよ。君の伴侶になる人はきっと、思慮深くて思いやりのある人だ」

「だといいんですけれど」

彼の言葉に私は思わず苦笑いを浮かべた。もう何年も前に離れてしまったある人物の顔を思い出したのだ。
幼い頃から婚約者という名ばかりの関係だったあの人。恋に恋していた私は、その姿を見るだけでうれしかったのは覚えている。

(私の伴侶になる人が思慮深くて思いやりのある人だったなら、今頃こんなところで代筆屋なんてしていないわねきっと)

すっかり心の片隅に片付けられてしまった「恋だったもの」は、一体何という名前なのだろう。

ぼんやりとしていて曖昧で、でもそこにある記憶にはまっすぐ目を向けられない。心に鍵をせずとも、それがふとした瞬間に出てこないようになるまでは、あとどれくらいの時間がかかるのか。

私は目の前の客に気づかれないように、そっと小さく息を吐き出した。

「さ、もう少しですよ!ハイル様。今日中に仕上げて、配送屋に託しましょうね!」

自分の半分ほどの年齢でしかないアドバイザーの勢いに感化されたハイルは、「うむ」と気合を入れなおして石板に向き直った。もうすぐで下書きが完成だ。書き上げた手紙は自宅で妻に見せよう、きっと驚くぞとハイルさんは喜んでいた。

しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

目覚めたら魔法の国で、令嬢の中の人でした

エス
恋愛
転生JK×イケメン公爵様の異世界スローラブ 女子高生・高野みつきは、ある日突然、異世界のお嬢様シャルロットになっていた。 過保護すぎる伯爵パパに泣かれ、無愛想なイケメン公爵レオンといきなりお見合いさせられ……あれよあれよとレオンの婚約者に。 公爵家のクセ強ファミリーに囲まれて、能天気王太子リオに振り回されながらも、みつきは少しずつ異世界での居場所を見つけていく。 けれど心の奥では、「本当にシャルロットとして生きていいのか」と悩む日々。そんな彼女の夢に現れた“本物のシャルロット”が、みつきに大切なメッセージを託す──。 これは、異世界でシャルロットとして生きることを託された1人の少女の、葛藤と成長の物語。 イケメン公爵様とのラブも……気づけばちゃんと育ってます(たぶん) ※他サイトに投稿していたものを、改稿しています。 ※他サイトにも投稿しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ

みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。 婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。 これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。 愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。 毎日20時30分に投稿

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

悪役令嬢に転生したみたいだけど、皇子様には興味ありません。お兄様一筋の私なのに、皇帝が邪魔してくるんですけど……

古里@3巻電子書籍化『王子に婚約破棄され
恋愛
お父様に助けられて公爵家の一員となって元気に暮らしていたユリアの元に、宗主国の皇帝から帝国の学園に留学するようにと使者がやってきた。お兄様はユリアを守ろうと四天王の一人の赤い悪魔に戦いを挑むが、負けてしまう。仕方なしに、ユリアは帝国に留学することに。一人で留学する事に不安を感じるユリアだが、兄姉達が一緒に留学してくれる事に!ハンブルク王国では無敵の5兄妹だが、宗主国の帝国ではどうなるのか? 銀色の髪のユリアの正体は如何に? 今全ての謎が解き明かされます。 『悪役令嬢に転生したみたいだけど、王子様には興味ありません。お兄様一筋の私なのに、ヒロインが邪魔してくるんですけど……』の続編で帝国留学編です。 無敵の5兄妹の前に現れる最凶の帝国四天王と極悪非道な皇帝。 ユリアとお兄様達の運命や如何に? 今回の敵は最凶です。 ラストは果たしてハッピーエンドかそれとも涙無しには読めない展開になるのか? 最後までお付き合い頂ければ嬉しいです

処理中です...