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2章
8.俺のため
しおりを挟む「っあ、アルヴェン!!」
俺は反射的にアルヴェンの体を強く押しのける。彼も俺の傷に意識を集中させていたのだろう。不意に押されて体勢を横に崩した。そして、その瞬間気付いた。
アルヴェンがいなくなったことによって──振り上げたナイフの向かう先は俺になったことに。
押しのけた際手元にあったランプは地面に叩きつけられ、割れる音が妙にはっきりと聞こえる。
ああ、これ俺がやばいな。
ラクトフェル家の人間がキメラに殺されることはない。それは制約で死ぬということもあるが、キメラがラクトフェル家の人間に殺意を持つだけで、激痛が全身を襲うことになるからだ。しかし、その殺意が別に向けられている場合は話が違ってくる。
故意ではない事故であれば、ラクトフェル家の人間であろうと殺せるのだ。キメラの女性はアルヴェンを殺そうとしただけだ。それをラクトフェル家の人間が庇うなど、誰にも予想できなかった。
勢いのついたナイフは、無情にも振り下ろされる。痛みを覚悟して、ぎゅっと目を閉じた。しかし、次の瞬間強く腕を引かれる。
「っ、サタリアッ!!」
どれだけ待っても痛みは訪れなかった。
恐る恐る目を開くと、俺の眼前にいるのはアルヴェンだった。彼の両腕に俺はしっかり抱きしめられている。一瞬何が起こったのか理解できなかったが、キメラの女性が持っていたナイフは血に染まっていた。
「あ……」
俺が切られたのかと思ったが、痛みはない。そして、俺がその血の正体を知ったのはアルヴェンを改めて見てからだった。
「な、なんで……」
アルヴェンの背は血で染まっていた。燕尾服を切り裂き、鮮血がじわりと滲んでいく。それを見ているだけで、心臓は馬鹿みたいに速くなって、喉が渇く。
きっとアルヴェンが咄嗟に俺を引き寄せて自分の背を盾にして、守ったのだとわかった。
──どうして……彼の敵であり、復讐するはずの俺を身を挺して庇った。
「い、急いで! 手当てを!」
キメラであるアルヴェンであれば致命傷には至らない傷だ。それでも深い傷であることに変わりはない。俺は混乱しながらも真っ先にアルヴェンの様子を伺う。しかし、彼の様子は一変していた。
「っ、はぁっ……はっ」
「あ……アルヴェン……?」
アルヴェンは開き切った瞳孔のまま、俺をじっと見据えているのに焦点はあっていない。金色の瞳は濁りきっており、何も映っていないように感じられる。
荒々しい息を苦しそうに吐き出しながら、その表情はどこか虚ろだ。その様子を見ているだけで、ぞくりと背筋が震える。
手負い状態の獣が何を仕出かすかわからないような、そんな恐ろしさを感じる。
その時、アルヴェンが吐き出す荒い息が段々と白く変わっていくのを見て、俺は小さく息を呑んだ。
「っ、お前たち! 逃げろ! はやく!」
俺はこれから起こることがわかったからこそ、キメラたちに向かって叫ぶ。彼らに命を狙われたとしてもラクトフェル家の犠牲になったキメラたちを見捨てることはできない。
しかし、あまりにも時間がなさすぎた。
「──あぁッ、あ゛あぁ!!」
アルヴェンの慟哭のような喉奥から振り絞る声が辺りに響いた瞬間、それに反応するように彼の足元の草が白く凍り付く。そして、ぱきぱきという氷の音が辺りに響き、それは一瞬にして周りに広がっていった。
それは吹き込む風の勢いでキメラたちに襲い掛かり、氷の膜が彼らの全身を覆いつくすように広がった。あまりにも一瞬のことで、キメラたちは声さえ上げられずに凍結する。その勢いはそれでも止まらず、周りの木々も凍り付かせていく。
これが、アルヴェンが最高傑作だと言われた理由の一つだった。本来キメラは合成元になった魔法生物の力を少ししか使えない。
しかしアルヴェンは、合成元であるホワイトドラゴンの力を最大限まで引き出せる。そして、ホワイトドラゴンの能力は凍結。
俺は創ったことはないが、吐き出す息は国一つ凍らせることができると言われている。
アルヴェンが本気で力を使えば、生きた人間を氷像にするなんて朝飯前だろう。そして、さきほどまでそれを一切使わなかったのは、彼がキメラたちに同情して手加減していたからだ。
そんな彼が、どうして今力を使ったのか。
……自分を傷つけられたから?
違う。原作での彼はどんな攻撃を受けようとも、キメラには手を出さなかった。
──俺が傷つけられそうになったから、だ。
その証拠に、周りに霜がみえるほど寒々しい光景が広がっているが俺自身は冷気を一切感じていない。
見える一帯が凍り付くと、ようやくそこで凍結は止まった。しかし、アルヴェンは縋りつくように俺を抱きしめて離れない。
俺はサタリアとして、彼に何か言わなければならないとわかっていながら言葉が出てこなかった。それほどまでにアルヴェンの顔色は悪く、まるで怯えているように見えた。
「……アルヴェン、もういい。もういいんだ」
何がもういいのか、言っている俺自身わからない。それでもどうにかして安心させたくて、必死に言葉をかけ続けた。すると、アルヴェンは目を閉じて、俺の首元に顔を埋める。
その間も、アルヴェンは決して俺を離さず、抱きしめ続けた。そうしてどれくらいの時間が過ぎただろう。アルヴェンの呼吸がゆっくりと落ち着いてくると抱きしめる腕の力が段々と緩んでいく。
「……お願いだ、サタリア様。二度とあんなことをしないでくれ。あんたは自分のことだけ大切にしてくれ。お願いだから」
アルヴェンは弱々しく、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
ここまで聞けば言い逃れもできない。原作では一度だって手をかけたことのない同胞のキメラの命を奪ったのも、こんな震えた声を出すのも──全部、俺のためなのだ。
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