筋肉質な人間湯たんぽを召喚した魔術師の話

陽花紫

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私利私欲にまみれた召喚

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 寒い。
 それだけが、いまの私を形づくっていた。

 季節は冬、外では凍えた風が吹き荒れていた。
 火の魔法を使い保温状態を保ってみても、体の芯までは温まらない。

 ──いや、違う。冷えているのは体ではなく、心のほうなのだ。

 私は、魔術師としてそこそこ名のある存在であった。
 王宮に仕えることもできたが、人の群れの中にいると心が削がれてしまう。郊外の森の中にひとりきりの塔を建て、そこで暮らしていた。
 魔導書と書きかけの魔法陣に囲まれて、淡々と毎日を過ごしていた。
 それだけで充分であった。少なくとも、昨年までは。

 しかし、今年の冬はどうにも堪える。
 夜になるたび、冷え切った空気が骨に刺さるように痛く感じられ、ベッドに潜りこんでも眠りにつくことができなかった。

 ──寂しい。などど、このような感情を抱くほどに私は弱くなってしまったのか。

 指先が、勝手に動く。机の上の羊皮紙に、私は知らず知らずのうちに魔法陣を描きはじめていた。
 「温もりがほしい」という願いを形にする魔術。本来なら、このようなものは冗談めいたものであった。しかし、寒さに震える夜には理性よりも欲求のほうが勝る。

 私は、呟く。
「召喚対象の条件。体温が高く……、そうだな、筋肉量が多い人間の男だ。包容力を兼ね備え、なおかつ穏やかな性格──できれば、私の好みに合う者だといい」
 魔法陣が淡く光りだす。
 床に広がった光が円を描き、空気が震えた。地鳴りのような音が室内にこだまし、視界が白に染まる。

 次の瞬間、光の中心には人影があった。
「えっ、ここどこ?」
 聞き慣れない言葉であった。
 しかし、次の瞬間にはこの世界の言語へと変わる。
 短い黒髪に褐色がかった肌、盛り上がる筋肉はほどよく引き締まっていた。肩幅は広く、腕は太く、私とは比べ物にならないほどその男は逞しい体つきをしていた。
 そして、まるで生きた暖炉であるかのように確かな熱を帯びていた。
「……君の、名前は?」
 あまりの喜びに、思わず声が上ずってしまった。
 それほどまでに、この男は私の理想そのものであったのだ。
 「俺?俺は、ゴウ。……もしかして、なんか呼ばれたかんじ?」
 男は自らを指でさし、あっけらかんと笑っていた。
 恐れる様子もなく、しかし未だ状況を把握しきれていないようでもある。それがかえって、私の胸の奥に温かいものを灯した。
「私は、魔術師のユウ。ある目的で君をここに召喚した」
「目的?」
「君の国の言葉で表すなら……。そう、湯たんぽ、のようなものだ」

 しばし沈黙が訪れるものの、私の目は真剣だった。
 ここでこの男を逃してしまえば、次はないと思ったからだ。

 ゴウはしばらく首をかしげていたものの、やがて納得したかのように笑みを浮かべた。
「……ははっ、マジか。湯たんぽ、か。面白いな!」
「笑い事ではない」
「いや、いいよ。わかった。寒いんなら、俺を抱いて寝ればいいんだろ?」
 思いのほかあっさりと、ゴウはその役目を受け入れた。
 私は反対に、困惑していた。
「ちょうど筋トレしててさ、いま体があったまってるんだ。よかったら触ってみる?」
 これは寒さで頭がおかしくなってしまった私がみせた、都合のいい夢なのだろうか。
 あろうことか、ゴウは衣服を持ち上げて複数に割れた腹筋を見せつけてきたではないか。
「いや、今はその時ではない」
 思わず目を瞑り、これは夢ではないと何度も言い聞かせた。

***

 ゴウはどうやら、こちらの世界の仕組みを理解しても驚くタイプではないようであった。
 鈍いというべきか、はたまた肝が据わっているとでもいうべきか、私が話す事柄を何も疑うことなくすんなりと受け入れていた。

「それで、湯たんぽの仕事は何をすればいいんだ?」
「私が眠る時、そばにいてくれないか」
「それ以外は?」
「私は湯たんぽ以外、何一つとして不自由なことはない」
「うーん……。それじゃあさ、俺にできることがあれば何でも手伝うよ。その時は教えて」
「……そうしよう」

 彼の体温は、近づくだけで分かるほどに高かった。
 私の手が少しでも触れると、まるで火傷しそうなほどの熱を帯びていた。

 その夜、相も変わらず気温は下がり、冷ややかな風が吹き荒れていた。
 私は、意を決して言葉を発した。
「……まずは、試しに一晩だけだ」
 試しに、と付け加えたのは保身のためでもあった。

 私の理想そのものであるゴウとの生活は、とても目の保養に、いや、私には少々目の毒であるかのように思えた。
 読み終えた分厚く重量のある本を魔法で浮かそうとすれば、軽々と持ち上げてしまう。そして暇さえあれば、見せつけるかのように曲げた腕を上下させて筋肉の動きを確かめる。トレーニングなのだと口にしていたが、それは私にとっては好ましい光景でしかなかった。

 私を含め、この世界の人間は線の細い者達ばかりであった。
 そもそも必要以上に筋力をつける必要がなかったからだ。日々の生活に魔法は不可欠であり、体を動かすことを無駄とする。生まれながらに体格が良い者もいたが、そのような人間はごく僅かでありその大半は魔力が低く日々を生きるために自然と筋力がついてしまったのであろうと考えられる。
 私は幼いころより、筋肉質の男に憧れを抱いていた。
 道端に捨てられていた書物を拾い見た際に、その存在を知ってしまったのだ。思い返せばその書物は明らかにいかがわしく、そして異世界のものであったが私はそのようなことなど気にすることなくのめり込むようにページを捲っていた。
 読み終えるとその本は消滅してしまったが、その記憶は今でも私の脳内に記憶されている。

 話が逸れてしまったが、 それほどまでに私はゴウの肉体に心惹かれていたのだ。
 すでに湯浴みを終え、寝台の中で待機していたゴウはあくびを一つこぼしていた。
「まだ?眠いんだけど」
 私は呼吸を整えて、心を無の状態にすることに集中していた。
「寒さがしのげればいい、それだけだ」
 何度も、同じ言葉を繰り返した。

 ぎしり、と寝台が音をたてる。 
 広く頑丈なものに変化させるべきかと考えを巡らせていると、ゴウは笑った。
「なに固まってるんだよ。……ほら、こっちこいよ」
 ゴウの腕が、目の前でゆっくりと広げられる。
 逞しく、まるで世界を包み込むような腕だった。私は深く息を吐いて、その胸に身を預けた。

 これは、湯たんぽだ。
 ただ温まるだけの、私のためだけに用意をした道具にしか過ぎないのだ。
 思考を落ち着けるものの、じわりとその熱が伝わる。
 彼の胸板は、柔らかくも硬く、耳を押し当てると心臓の鼓動がはっきりと聞こえた。その音は、はるか遠くから響き渡る生命の息吹であるかのように一定のリズムを刻んでいた。

 ──不思議なものだ。

 ほんの少しばかりその腕に抱かれているだけであるというのに、冷えきった心が次第に温まっていくのを感じた。

「ユウって、ちっちゃいんだな。それに冷たい。……今まで寒かったな、よしよし。これからは、俺がいるからな」
 そしてこともあろうに、ゴウはその大きな手で私の頭部を撫ではじめたではないか。思わず払いのけ、その顔を見上げる。
「私は、湯たんぽを欲したのであってだな……」
「はいはい。理屈はあとでいいから、今日はもう寝よう?」
 彼はすでに瞼を閉じており、私を置いて深い眠りへと誘われていた。
「おやすみ、ユウ」
「……おやすみ」
 昼間とは変わり、彼の声は低く落ち着いていた。
 その響きが、まるで魔法であるのように私の眠気を誘う。
 私は静かに、目を閉じた。

 ──この温かさを、春まで借りてもいいだろうか。

 そのように契約を書き換えて、私は眠りについた。


 翌朝、目覚めはとても心地の良いものであった。
 外の風の音が、遠い。代わりに、ゴウの呼吸の音がとても近くに感じられた。

 顔を上げると、彼はまだ眠りのなかにあった。
 無防備な寝顔を眺めながら、頬にかかる前髪を指で払う。そうすれば、彼の眉が少し動いたような気がした。

 ──これは、契約だ。ただの湯たんぽとして、私はゴウを呼び寄せたのだ。

 頭では理解していながらも、指は意に反して彼の頬をなぞる。
 そのぬくもりが、思考を麻痺させる。私は、心を落ち着かせるために深く呼吸をした。彼の匂いが胸の奥に流れ込み、心臓がどくりと脈打つ。
「……やめろ」
 誰に向けてその言葉は出てきたというのか、私は慌てて口を閉じた。
 されどもゴウの腕はゆるやかに動き、抱え込むかのように私の身を抱き寄せた。
「寒いなら、もっと近くにおいでよ」
 寝ぼけているのか、間抜けな声でそうこぼした。

 私はいまいちど目を閉じ、その胸に額を押しつけた。
 まるで世界の終わりが来る前に、誰かの心音を確かめたかったかのように。

***

 これは春までの契約だ。
 それが、私と湯たんぽであるゴウのすべてなのだ。
 そしてこの時の私は、まだ知る由もなかった。この出会いが、私の魔力の源を静かに蝕んでいくことを。

***

 朝の光が、窓から差し込む。
 木々の枝には白い霜がつき、世界はまるで静止しているかのように見えた。塔の中にいる私とゴウだけが、そこから切り離されたような時間の中に存在していた。

 あれから私は、塔の中の居住場所をゴウが過ごしやすいように何度も変化させていた。
 魔力を持たないゴウが、元の世界で過ごしていた時のように身の回りのことはいかなることでも自らの力で行いたいのだと、申し出たからだ。
 私も、ゴウには甘くなってしまったものだ。
 近頃では、彼の要望通りにトレーニングスペースまで増設してしまったのだから。

「ユウ、本当にこのままでいいのか?これ、焦げてないか?」
 台所で、ゴウはフライパンを手に朝食の準備をしていた。
 後方から眺める彼の姿も、また良いものであった。
 引き締まった腰元の上には盛り上がった肩が、昨晩まで私の身を包み込んでいた腕が、まるで私に向けて爽やかな朝の挨拶をするかのように動いていた。 
「……そうか?こんがりと、焼けているではないか」
 そう言葉を返せば、不服そうな表情をしたゴウが振り返る。
「いや、焦げてるって。見てみろよ、これ」
「黒は、香ばしさの象徴でもある……」
「フォローになってないって!」

 そのようなくだらない会話が、私達の朝の日課となっていた。
 たったそれだけのことで、色褪せた塔の中にわずかながら色が戻ってくるような気がしていた。共同生活は苦労をすることもあったが、ゴウは文句の一つも言わず私に向けて笑みを浮かべた。

 トレーニングのほかに、薪を割ることをゴウは得意としていた。
 その腕が動くたびに、筋肉が光を受けて滑らかに形を変える。しっかりと大地を踏みしめその身を支える脚や臀部もまた、美しい筋肉のしなりをみせていた。
「ユウ、見すぎじゃないか?」
「そうか?」
「そんなに魔力がないのって、珍しいことなのか?」
「いや、違う。……いや、そうだな。このように薪を割るという動作は初めて見た」
「へえ、そうなのか」
 当初は私の視線を気にしていたものの、慣れてしまえばゴウは気にすることもなかった。
 私は存分にその筋肉をこの目で堪能し、日々の活力としていた。

 そして夜になれば、彼は湯たんぽとなる。
 昼間に見たその腕の温もりに抱かれながら、今では邪な気持ちを抱くこともなくすんなりと眠りにつくことができていた。ゴウもまた、相も変わらずすんなりと寝息をたてていた。
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