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ぬくもりの記憶と伴侶となった貴族
ヤマはその日、確かに亡くなったはずであった。
しかし目を覚ますと、そこには聞き慣れない産声と自らを見つめる優しい父、母の顔があった。
――もしかして、異世界転生ってやつか?
ヤマが再び生を受けたこの場所は、王都の片隅にある小さな家であった。
季節は冬の最中であり外には雪が舞っていた、暖炉の前で父親が彼を抱き上げた瞬間のことを、ヤマはいまでもよく覚えている。
父の名は、ガロン。
日に焼けた大きな体と、山のように分厚い胸板を持っていた。
「おー、よしよし!父さんだぞ、ヤマ」
笑うと腹の底から響くような声をあげ、ヤマを抱き上げるたびにその腹は柔らかく弾んだ。
幼いヤマにとって、それは世界のすべての安心を詰めこんだ毛布のようでもあった。
何を隠そう、ヤマは前世ではふくよかな体型の男性が好みであったのだ。
――うへへ、ふかふかだあ!
そのような下心を持ちながら、その肌に触れようと手を伸ばす。
しかし満面の笑みを浮かべながら父に手を向けるその姿は、どこからどう見ても赤ん坊が甘えているようにしか見えなかった。
「あなた、そんなに高くしたらヤマが怖がってしまいますよ?」
母の名は、シェリという。
優しさと愛に溢れた、美しい女性であった。
「なーに、大丈夫だ!ヤマ、おまえは小さいなあ。たくさん食べて、父さんのような大きな男になるんだぞ?」
***
「父さん、手をかして?」
「どうしたんだ?ヤマ」
「えへへ、なでなでしてあげる」
ガロンの手はとても分厚く、手のひらにある傷のひとつひとつが働く者の誇りでもあるかのようにヤマの目には見えていた。
その手を額にあてて、父の少し高い体温を感じることが何よりも好きであった。
「ヤマは、父さんのことが大好きなのね」
「うん。母さんのことも好きだけど、父さんのほうがもーっと好き!」
「聞いたか、シェリ!嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
そのぬくもりに包まれていると、この世界に来る前の記憶がどこか遠い霞のように溶けていくような気がしていた。
やがて季節は巡り、ヤマが少年から青年へと成長するころ。
明るいはずであった家の空気は、少しずつどんよりとしたものへと変わっていく。
「父さん、今日の売り上げだよ」
「もう、そんな時間か……」
「ここのところ夜遅くまで計算しているみたいだけど、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。本当に、ヤマは優しい子だなあ」
そのように頭を撫でる父の笑みには、どこか疲労の色がにじんでいた。
父の商いがうまくいかず、帳簿をにらむ時間も長くなる。
母もまた人知れず深いため息をついては、野菜が少なくなったスープを温めていた。
次第に暖炉の火は弱くなり、家の中も冷えていく。
「ヤマ。父さんはいつも、お前には幸せになってほしいと思っている。それだけは、忘れないでくれ」
ある晩、ガロンはそう告げてヤマの髪を撫でていた。
その手はあの日と変わらず温かかったが、どこか決意のようなものを帯びていた。
ヤマは心のどこかで、理解をしていた。あたたかな何かが、終わろうとしていることを。
***
父の事業は、ついに立ち行かなくなってしまう。
借金の重みは家を押し潰し、最後には父がヤマを引き連れてとある貴族の屋敷を訪ねていた。
豪勢な屋敷に住まうその貴族の名は、ロビンといった。
年の頃は四十を少し過ぎ、茶色の巻き毛が特徴的であった。
ロビンは父とヤマをにこやかに出迎え、椅子へと促した。その灰色の瞳には、穏やかな光が宿っていた。
「どうか、ヤマを頼みます」
父は深く頭を下げ、ヤマもまたそれにならった。
「どうか、頭を上げてください。私も、こうして伴侶を迎えられることをとても嬉しく思っています」
胸が張り裂けるような思いで、ヤマは父の後姿を見送った。
これからヤマは、ロビンの伴侶としてこの屋敷に住まうことになったのだ。
言われた通り書面にサインをした後で、ヤマはロビンの姿を見上げる。
「ヤマ、これからよろしく頼むよ。私も長い間一人だったものでね、まずは話し相手として仲良くしよう」
そうロビンは、温和な笑みを浮かべていた。
その笑みはどこか、父のそれに似ているような気がするとヤマは感じていた。
***
屋敷での暮らしは、とても穏やかなものであった。
ロビンは礼儀正しく、ヤマに何一つ不自由をさせるようなことはなかった。
朝には香り高い茶を、夜には穏やかな灯りを。決して声を荒げることもなく、必要な言葉だけを丁寧に紡ぐ人であった。
屋敷の内外の誰もが、ロビンをこう評価する。“穏やかな紳士”と。
「この屋敷は、気に入ったかい?」
「はい、ありがとうございます」
「何か気になることがあれば、いつでも教えてほしい。どんなことでも、私は叶えてあげるつもりだよ?」
「お心遣い、痛み入ります」
しかし、ヤマの胸にはいつもぽっかりと穴が空いていた。
丸太のようにしがみついていた父の太い腕も、張りのある分厚い胸板も、何もかもがヤマの生活の中から消えてしまった。
「そんなにかしこまらないで……といっても、難しいかな」
ロビンは、静かにヤマの頬を撫でた。
しかしその手は、わずかに冷ややかなものであった。
「いつか君の心が、私を受け入れてくれることを祈るよ」
――父さんの体温が、恋しい。
広い私室で一人、ヤマはため息をつく。
そして頬杖をつきながら、伴侶であるロビンの姿を思い浮かべていた。
その体は引き締まり、貴族らしい堅苦しい身なりの下で無駄のない線を描いていた。それは年の割には美しく、しなやかに整っているものでもあった。
時折その腕に抱きしめられることもあったが、優しさは感じるものの父のような温もりは感じられなかった。
夜になっても、ヤマは寝台の上で薄布をかぶりながら、かすかに漂う酒と焚火の匂いを思い出していた。
父のぬくもりを思い出すかのように、そのぬくもりを求めるかのようにヤマは自らの腹部にそっと手をあてる。
そこは薄く平らなものであり、ヤマは息を吐いた。
「……父さんのおなかが、恋しい」
ふっくらと盛り上がったほどよい弾力のあるあたたかな肉を撫でるのが、彼の一番のお気に入りでもあった。
そして、静かに目を閉じる。
父の腕に力強く抱かれる自らの身を想像しながら、ヤマは夢の中で微笑んだ。
***
ある、夜のことであった。
外には、冷たい雨が降っていた。その日ヤマは一人で夕食を食べ終え、私室に向かおうとしていた。
ロビンは商談があるとのことで、夜遅くにしか帰らないと言われていたからだ。窓を叩くような強い雨の音に、ヤマはなんともいえぬ寂しさを感じていた。
肩を落としながら薄暗い回廊を歩いていると、突然、扉が大きな音をたてて開かれる。
思わず目を見張れば、そこには顔を赤くしたロビンがふらふらとヤマに向かって歩いてくるではないか。
「ロビン様?」
ヤマは慌てて駆け寄り、その身を案じた。
常であればこのような姿は決して見せることのないロビンであったが、今日は珍しく酒に酔っていたのだ。
「大丈夫ですか、ロビン様」
「ああ、ただいま……」
その足取りもおぼつかなく、ヤマの腕にロビンの身が預けられる。
「おや、私の屋敷に天使がいるようだ。君は私を、迎えにきてくれたのかい?」
そのようなうわごとを言いながら、ロビンは力なく微笑む。
ヤマは足に力をこめながら、意外と重みのあるロビンの体を支えていた。
「ひとまず、部屋に向かいましょう」
転ばぬよう慎重に、ヤマはロビンの身を支えながらゆっくりと歩く。
しかしその重さの中にどこか懐かしいものの気配を感じて、ヤマの心臓は強く脈打っていた。
やっとの思いでロビンの身を寝台へと横たえたその時、彼の白いシャツは乱れ、腹部のボタンがひとつ弾けとんでしまう。
「ロビン様、すみません!」
急いでボタンを拾い再びロビンの姿を見た瞬間に、ヤマの目は止まってしまう。
隙間からわずかに覗くのは、年相応であるかのように思われる腹部の曲線と、柔らかく微かな影を帯びた白い肌であったからだ。
――ああ、これは……!
ヤマの心の奥で、何かがあたたかく灯ったような気がした。
それは憧れにも似た、狂おしいまでに恋しい存在であったのだ。引き締まった肉体ではなく、わずかに柔らかさを含んだその肌にヤマは理性の揺らぎを感じていた。
――少しだけなら、いいよな?
ヤマは静かにその身に近づき、誰もいないというのに左右を確認してからそっと指を伸ばしていた。
ぷにり、とその肌に弾力を感じた時、ヤマの身は喜びで震えあがる。
――もっちりおなかだ!しかも、父さんのよりも柔らかい!
思わず鼻息が強くなるのを抑えて、無礼を承知で何度かつついてみる。
「た、たまらない……」
その呟きは、夜の闇へひっそりと溶けていった。
しばらくして、ロビンは目を覚ましヤマに向けて頭を下げていた。
「すまない、見苦しい姿を見せてしまったね。商談の場とはいえ、相手に乗せられて断ることができなかったんだ」
ヤマは水を差し出し、ロビンはそれを受け取りながら苦い笑みを浮かべていた。
そして、乱れた服を正そうとする。
その姿を、ヤマはその目に焼き付けるべく強く見つめていた。
ロビンはその視線に耐えかねて、自らの締まりのない肉体を見つめ直す。
「……ヤマ、幻滅してしまったかい?普段は、少しでも引き締まって見えるようにしていたんだ。貴族の体は、見栄えも仕事のうちでね。だが、歳を重ねるにつれてこの有様だ。まったく、情けないよ」
その言葉に、聞き捨てならないとヤマはゆっくりと首を振った。
「そんなこと、ありません。俺は、どんなロビン様でも好きですから!」
その声に、ロビンは驚いたように目を見開く。
「あなたのそのままの姿が、一番……。あたたかくて、俺は好きです」
一瞬、時は止まってしまう。
雨の音だけが、どこか遠くで続いていた。
ロビンは何かを言いかけて、しかしやめ、ただ息をつくだけであった。
ヤマはそっと、彼の肩に毛布をかける。
そのときふと、ロビンの腕に触れてしまう。その感触は、父のものによく似ていた。安らぎと優しさと、少しの弱さを含んだ、愛しい人の体温であった。
「昨晩は、……ありがとう。私も、ヤマのことが好きだよ。このような私を広い心で受け止めてくれて、本当にありがとう」
翌朝、ロビンはヤマの身を強く抱きしめていた。
ヤマはその腕に、確かなぬくもりを感じていた。
***
数年後、季節はまた冬を迎えていた。
屋敷の窓の外で、雪が静かに降り積もる。ロビンは暖炉のそばで本を読み、その膝の上にヤマは座っていた。
以前よりもロビンから伸びる影は大きくなり、その身に纏う服の布地も多くなっていた。丸みを帯びたロビンの肉体は、今ではすっかりヤマを包むものへと変貌をとげていたのである。
しかしその顔には満ち足りた笑みが浮かび、パンのような柔らかで厚みのある手がヤマの細い手を取っていた。
「ヤマ、寒くはないかい?」
「大丈夫ですよ。とても、あたたかいです」
ヤマは静かに目を閉じ、ロビンの胸に耳を当てる。
ロビンの胸の鼓動は強く響き、あの日、父の胸で聞いていたものと同じ音がしていた。しかし今、それは懐かしさではなく、確かな幸福の音としてヤマの心には響いていた。
ロビンもまた、自らに身を委ねるヤマの姿を見て愛おしく思う。
――幸せって、このことを言うんだな。
ヤマはうっとりとしたような顔をして、ロビンの目を見つめた。
「ロビン様」
「なんだい?」
「あなたのぬくもりが、俺の世界です」
ロビンは少し照れたように笑い、ヤマの髪を静かに撫でた。
その手のひらの厚みも、体温も、もう他の誰のものでもない。
――この世界に生まれ直して、本当によかった。
ヤマはそう思いながら、ロビンの頬に唇を寄せていた。
しかし目を覚ますと、そこには聞き慣れない産声と自らを見つめる優しい父、母の顔があった。
――もしかして、異世界転生ってやつか?
ヤマが再び生を受けたこの場所は、王都の片隅にある小さな家であった。
季節は冬の最中であり外には雪が舞っていた、暖炉の前で父親が彼を抱き上げた瞬間のことを、ヤマはいまでもよく覚えている。
父の名は、ガロン。
日に焼けた大きな体と、山のように分厚い胸板を持っていた。
「おー、よしよし!父さんだぞ、ヤマ」
笑うと腹の底から響くような声をあげ、ヤマを抱き上げるたびにその腹は柔らかく弾んだ。
幼いヤマにとって、それは世界のすべての安心を詰めこんだ毛布のようでもあった。
何を隠そう、ヤマは前世ではふくよかな体型の男性が好みであったのだ。
――うへへ、ふかふかだあ!
そのような下心を持ちながら、その肌に触れようと手を伸ばす。
しかし満面の笑みを浮かべながら父に手を向けるその姿は、どこからどう見ても赤ん坊が甘えているようにしか見えなかった。
「あなた、そんなに高くしたらヤマが怖がってしまいますよ?」
母の名は、シェリという。
優しさと愛に溢れた、美しい女性であった。
「なーに、大丈夫だ!ヤマ、おまえは小さいなあ。たくさん食べて、父さんのような大きな男になるんだぞ?」
***
「父さん、手をかして?」
「どうしたんだ?ヤマ」
「えへへ、なでなでしてあげる」
ガロンの手はとても分厚く、手のひらにある傷のひとつひとつが働く者の誇りでもあるかのようにヤマの目には見えていた。
その手を額にあてて、父の少し高い体温を感じることが何よりも好きであった。
「ヤマは、父さんのことが大好きなのね」
「うん。母さんのことも好きだけど、父さんのほうがもーっと好き!」
「聞いたか、シェリ!嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
そのぬくもりに包まれていると、この世界に来る前の記憶がどこか遠い霞のように溶けていくような気がしていた。
やがて季節は巡り、ヤマが少年から青年へと成長するころ。
明るいはずであった家の空気は、少しずつどんよりとしたものへと変わっていく。
「父さん、今日の売り上げだよ」
「もう、そんな時間か……」
「ここのところ夜遅くまで計算しているみたいだけど、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。本当に、ヤマは優しい子だなあ」
そのように頭を撫でる父の笑みには、どこか疲労の色がにじんでいた。
父の商いがうまくいかず、帳簿をにらむ時間も長くなる。
母もまた人知れず深いため息をついては、野菜が少なくなったスープを温めていた。
次第に暖炉の火は弱くなり、家の中も冷えていく。
「ヤマ。父さんはいつも、お前には幸せになってほしいと思っている。それだけは、忘れないでくれ」
ある晩、ガロンはそう告げてヤマの髪を撫でていた。
その手はあの日と変わらず温かかったが、どこか決意のようなものを帯びていた。
ヤマは心のどこかで、理解をしていた。あたたかな何かが、終わろうとしていることを。
***
父の事業は、ついに立ち行かなくなってしまう。
借金の重みは家を押し潰し、最後には父がヤマを引き連れてとある貴族の屋敷を訪ねていた。
豪勢な屋敷に住まうその貴族の名は、ロビンといった。
年の頃は四十を少し過ぎ、茶色の巻き毛が特徴的であった。
ロビンは父とヤマをにこやかに出迎え、椅子へと促した。その灰色の瞳には、穏やかな光が宿っていた。
「どうか、ヤマを頼みます」
父は深く頭を下げ、ヤマもまたそれにならった。
「どうか、頭を上げてください。私も、こうして伴侶を迎えられることをとても嬉しく思っています」
胸が張り裂けるような思いで、ヤマは父の後姿を見送った。
これからヤマは、ロビンの伴侶としてこの屋敷に住まうことになったのだ。
言われた通り書面にサインをした後で、ヤマはロビンの姿を見上げる。
「ヤマ、これからよろしく頼むよ。私も長い間一人だったものでね、まずは話し相手として仲良くしよう」
そうロビンは、温和な笑みを浮かべていた。
その笑みはどこか、父のそれに似ているような気がするとヤマは感じていた。
***
屋敷での暮らしは、とても穏やかなものであった。
ロビンは礼儀正しく、ヤマに何一つ不自由をさせるようなことはなかった。
朝には香り高い茶を、夜には穏やかな灯りを。決して声を荒げることもなく、必要な言葉だけを丁寧に紡ぐ人であった。
屋敷の内外の誰もが、ロビンをこう評価する。“穏やかな紳士”と。
「この屋敷は、気に入ったかい?」
「はい、ありがとうございます」
「何か気になることがあれば、いつでも教えてほしい。どんなことでも、私は叶えてあげるつもりだよ?」
「お心遣い、痛み入ります」
しかし、ヤマの胸にはいつもぽっかりと穴が空いていた。
丸太のようにしがみついていた父の太い腕も、張りのある分厚い胸板も、何もかもがヤマの生活の中から消えてしまった。
「そんなにかしこまらないで……といっても、難しいかな」
ロビンは、静かにヤマの頬を撫でた。
しかしその手は、わずかに冷ややかなものであった。
「いつか君の心が、私を受け入れてくれることを祈るよ」
――父さんの体温が、恋しい。
広い私室で一人、ヤマはため息をつく。
そして頬杖をつきながら、伴侶であるロビンの姿を思い浮かべていた。
その体は引き締まり、貴族らしい堅苦しい身なりの下で無駄のない線を描いていた。それは年の割には美しく、しなやかに整っているものでもあった。
時折その腕に抱きしめられることもあったが、優しさは感じるものの父のような温もりは感じられなかった。
夜になっても、ヤマは寝台の上で薄布をかぶりながら、かすかに漂う酒と焚火の匂いを思い出していた。
父のぬくもりを思い出すかのように、そのぬくもりを求めるかのようにヤマは自らの腹部にそっと手をあてる。
そこは薄く平らなものであり、ヤマは息を吐いた。
「……父さんのおなかが、恋しい」
ふっくらと盛り上がったほどよい弾力のあるあたたかな肉を撫でるのが、彼の一番のお気に入りでもあった。
そして、静かに目を閉じる。
父の腕に力強く抱かれる自らの身を想像しながら、ヤマは夢の中で微笑んだ。
***
ある、夜のことであった。
外には、冷たい雨が降っていた。その日ヤマは一人で夕食を食べ終え、私室に向かおうとしていた。
ロビンは商談があるとのことで、夜遅くにしか帰らないと言われていたからだ。窓を叩くような強い雨の音に、ヤマはなんともいえぬ寂しさを感じていた。
肩を落としながら薄暗い回廊を歩いていると、突然、扉が大きな音をたてて開かれる。
思わず目を見張れば、そこには顔を赤くしたロビンがふらふらとヤマに向かって歩いてくるではないか。
「ロビン様?」
ヤマは慌てて駆け寄り、その身を案じた。
常であればこのような姿は決して見せることのないロビンであったが、今日は珍しく酒に酔っていたのだ。
「大丈夫ですか、ロビン様」
「ああ、ただいま……」
その足取りもおぼつかなく、ヤマの腕にロビンの身が預けられる。
「おや、私の屋敷に天使がいるようだ。君は私を、迎えにきてくれたのかい?」
そのようなうわごとを言いながら、ロビンは力なく微笑む。
ヤマは足に力をこめながら、意外と重みのあるロビンの体を支えていた。
「ひとまず、部屋に向かいましょう」
転ばぬよう慎重に、ヤマはロビンの身を支えながらゆっくりと歩く。
しかしその重さの中にどこか懐かしいものの気配を感じて、ヤマの心臓は強く脈打っていた。
やっとの思いでロビンの身を寝台へと横たえたその時、彼の白いシャツは乱れ、腹部のボタンがひとつ弾けとんでしまう。
「ロビン様、すみません!」
急いでボタンを拾い再びロビンの姿を見た瞬間に、ヤマの目は止まってしまう。
隙間からわずかに覗くのは、年相応であるかのように思われる腹部の曲線と、柔らかく微かな影を帯びた白い肌であったからだ。
――ああ、これは……!
ヤマの心の奥で、何かがあたたかく灯ったような気がした。
それは憧れにも似た、狂おしいまでに恋しい存在であったのだ。引き締まった肉体ではなく、わずかに柔らかさを含んだその肌にヤマは理性の揺らぎを感じていた。
――少しだけなら、いいよな?
ヤマは静かにその身に近づき、誰もいないというのに左右を確認してからそっと指を伸ばしていた。
ぷにり、とその肌に弾力を感じた時、ヤマの身は喜びで震えあがる。
――もっちりおなかだ!しかも、父さんのよりも柔らかい!
思わず鼻息が強くなるのを抑えて、無礼を承知で何度かつついてみる。
「た、たまらない……」
その呟きは、夜の闇へひっそりと溶けていった。
しばらくして、ロビンは目を覚ましヤマに向けて頭を下げていた。
「すまない、見苦しい姿を見せてしまったね。商談の場とはいえ、相手に乗せられて断ることができなかったんだ」
ヤマは水を差し出し、ロビンはそれを受け取りながら苦い笑みを浮かべていた。
そして、乱れた服を正そうとする。
その姿を、ヤマはその目に焼き付けるべく強く見つめていた。
ロビンはその視線に耐えかねて、自らの締まりのない肉体を見つめ直す。
「……ヤマ、幻滅してしまったかい?普段は、少しでも引き締まって見えるようにしていたんだ。貴族の体は、見栄えも仕事のうちでね。だが、歳を重ねるにつれてこの有様だ。まったく、情けないよ」
その言葉に、聞き捨てならないとヤマはゆっくりと首を振った。
「そんなこと、ありません。俺は、どんなロビン様でも好きですから!」
その声に、ロビンは驚いたように目を見開く。
「あなたのそのままの姿が、一番……。あたたかくて、俺は好きです」
一瞬、時は止まってしまう。
雨の音だけが、どこか遠くで続いていた。
ロビンは何かを言いかけて、しかしやめ、ただ息をつくだけであった。
ヤマはそっと、彼の肩に毛布をかける。
そのときふと、ロビンの腕に触れてしまう。その感触は、父のものによく似ていた。安らぎと優しさと、少しの弱さを含んだ、愛しい人の体温であった。
「昨晩は、……ありがとう。私も、ヤマのことが好きだよ。このような私を広い心で受け止めてくれて、本当にありがとう」
翌朝、ロビンはヤマの身を強く抱きしめていた。
ヤマはその腕に、確かなぬくもりを感じていた。
***
数年後、季節はまた冬を迎えていた。
屋敷の窓の外で、雪が静かに降り積もる。ロビンは暖炉のそばで本を読み、その膝の上にヤマは座っていた。
以前よりもロビンから伸びる影は大きくなり、その身に纏う服の布地も多くなっていた。丸みを帯びたロビンの肉体は、今ではすっかりヤマを包むものへと変貌をとげていたのである。
しかしその顔には満ち足りた笑みが浮かび、パンのような柔らかで厚みのある手がヤマの細い手を取っていた。
「ヤマ、寒くはないかい?」
「大丈夫ですよ。とても、あたたかいです」
ヤマは静かに目を閉じ、ロビンの胸に耳を当てる。
ロビンの胸の鼓動は強く響き、あの日、父の胸で聞いていたものと同じ音がしていた。しかし今、それは懐かしさではなく、確かな幸福の音としてヤマの心には響いていた。
ロビンもまた、自らに身を委ねるヤマの姿を見て愛おしく思う。
――幸せって、このことを言うんだな。
ヤマはうっとりとしたような顔をして、ロビンの目を見つめた。
「ロビン様」
「なんだい?」
「あなたのぬくもりが、俺の世界です」
ロビンは少し照れたように笑い、ヤマの髪を静かに撫でた。
その手のひらの厚みも、体温も、もう他の誰のものでもない。
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ヤマはそう思いながら、ロビンの頬に唇を寄せていた。
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