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第一章 ロストサンタクロース
鈴の音が響くとき (1)
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人は死ぬと木になる。
人がその生命活動を終えると、遺木となって埋葬される。事故死でも、病死でも、殺人の果てに遺棄されようとも、やがて木になって存在すべき場所へと行き着く。それは、この地上において自明の理である。
「日が長くなってきたなー」
「もう四月だからな」
学校帰りの二人の男子高校生が、埋葬林の遊歩道を歩いていた。
遊歩道は埋葬林を囲むように一周していて、散歩やランニングのコースとして親しまれている。遊歩道と埋葬林の間には堀があり、暗緑色の水を湛えている。桜の時期になると、地元の人間はもとより、県外や海外から来る旅行者にも人気だった。
「桜、蕾んでんなー」
「蕾んでるってなんだよ」
「蕾が出てるなーってことだよ」
「えー。聞いたことねえよ。……あれ? 電波入らねえな」
坊主頭の学生が、携帯端末を取り出してぼやく。紫色の夕闇に、端末のディスプレイが煌々と存在を主張していた。
「埋葬林のせいだろ。飛行機だって避けて飛ぶし」
眼鏡を押し上げながら、前髪の長い学生が自分の携帯電話を取り出して確認する。
「ほら、俺のも駄目だ。そのうち繋がるっしょ」
「仕方ねえか。母ちゃんに帰るとき連絡よこせって言われてんだが……」
じじっと音を立てて、遊歩道の街灯に明かりが灯った。
遊歩道を挟んだ埋葬林の反対側は、広々とした水田である。そのため、薄闇の中に遊歩道だけがぼんやりと浮かび上がる。まるで、深海に敷かれた道のようだった。
「気にすんなって。母ちゃんが怖くて息子やってられるかよ」
そう言って、眼鏡の少年はにやっと笑ってみせ、
「なんだそれ」
と、坊主頭が呆れ笑いをこぼしたとき――。
帰路を行く二人の視界に、黒色のバンが飛び込んできた。
「うわ……。なあ、あれ、マズくね?」
眼鏡の少年が指し示した黒いバン。中からバットやスコップを持った連中が、三人ほど降りてくる。少なくとも、これから草野球の練習をしようなどという一団には見えない。そんな健全さは微塵も感じられなかったし、野球をするにはもう時間が遅い。そしてなにより、場所が場所である。
「やべえな。サンタさんマジギレするだろ。警察呼ぶか?」
坊主頭が顔を青くして言った。
「なにお前、サンタクロース信じてんの?」
「うるせえな。そんなこと言ってる場合じゃねえだろ」
坊主頭を笑いながらも、眼鏡の少年は遊歩道を外れて走り始めていた。水田を突っ切る車道である。幹線道路から離れているため、車通りはいつも少ない。
「とにかく、埋葬林から離れよう!」
「お、おう!」
坊主頭も眼鏡の少年の後を追い、遊歩道の明かりから外れて走り出す。深まった夕景。見通しの悪い紺碧の海に、二つの影が消えていった。
しゃらん――。
二人が背にした埋葬林から、十七時三十分を告げる鈴の音が響き始める。
◆
「おい。なんかガキ共に見られたっぽいぞ」
ジャージ姿に金属バットを持った男が、薄暗い水田を指して言った。
「平気平気。警察呼ばれても、あいつら入って来られないじゃん。車だけ逃がしとけば大丈夫だろ」
脱色した黄色い頭の男が、そう言ってリーダーらしき男を見る。
「そうそう。大丈夫だろー」
赤いライダースジャケットを着たリーダーが、へらへら笑いながらそれに答えた。そして、黒いバンの横腹を叩いて、運転手に向かって指示を出す。
「んじゃ、予定通り移動しながら連絡待ちなー」
「おっす」
運転手の厳つい男は、返事と共にバンを走らせ、遊歩道と並行する車道を走り去った。
「おっけー。それじゃ、宝探しといこうかー」
「おー」
気だるい声でリーダーの煽りに声をそろえ、男たちは埋葬林へと足を向けた。彼らの背負う大きめのリュックには、スコップやバットといった得物が生えている。
しゃらん。しゃらん――。
十七時三十分を告げる鈴の音が響き始める。
「これ聞くと、そろそろ帰る時間だなって思うよな」
「わかるわー」
ジャージが言うと、金髪が同意した。
「おいおい。わかるけど帰るなよー」
ゆるんだ笑顔の二人に、おどけた調子でリーダーが釘を刺す。
「さっさと硬実を頂いて帰ろうぜ。なんか雪降ってるしよー」
リーダーが指差し、ジャージと金髪も空を見上げた。真っ黒な雲が、カットされたチョコシフォンケーキみたいに埋葬林の上空で盛り上がっていた。
「うわ……。ホントだ。マジで天気変わるのな」
目の前の異様に、思わず足を止めてしまった金髪。
堀を越えるための小さな石橋。その先に佇む鳥居。苔をまとい、無骨な石造りをやわらかく飾った鳥居は、恐怖さえ覚える日常の中の威容だ。
これから春爛漫へと向かう気配を感じる四月の空気。それを否定し、時を戻そうとしているかのように、鳥居の向こうで雪がしんしんと降っていた。
「これ、墓守様が怒ってんじゃ……」
金髪が呟くと、全員が息を呑んだように鳥居を見上げた。
知識としては持ち合わせているし、遠目から見たこともあったろう。しかし、目の前でパッキリと天候が変わっている様子には、誰だって一度は驚く。そして、それに神威を感じ、うかつに近づこうという気にはならない。それが一般的な感覚である。しゃんしゃんと繰り返される鈴の音も、近寄るなと言っているようだった。
「ビビッてんの?」
「いや、ビビッてねえよ。ビックリしてるだけだっつーの」
ジャージに言われ、止まってしまった足を動かす金髪。
「はい、進むよー」
赤いライダースジャケットをひるがえし、うまく言葉にできない畏怖を無理やりに踏みにじり、リーダーは率先して鳥居をくぐる。
そして、鳥居を越えると、そこは途端に真冬だった。彼らが踏みしめる雪は、本物であることを主張するように、ぎゅっと硬く音を立てた。
「さみぃ! なあ、リーダー。どこまで行くつもりなん?」
「そりゃあ、最深部だろー。奥に行けば行くほど、硬実も沢山あるって聞くぜ?」
ジャージに問われ、そう答えたリーダーは古い歌を思い出した。
埋葬林は迷い森。景色は変わり、向きもない。
埋葬林は死者の森。奥ゆく生者のきびすは返る。
息ある者は寝床へ戻れ。生者が歩けば深くなる。
奥ゆく死者は実りの木。埋葬林は深くなる。
生者が歩けば深くなる。
「馬鹿馬鹿しい……」
小さく呟いて、リーダーは暗い森の中へハンドライトを向け、歩き始めた。
人がその生命活動を終えると、遺木となって埋葬される。事故死でも、病死でも、殺人の果てに遺棄されようとも、やがて木になって存在すべき場所へと行き着く。それは、この地上において自明の理である。
「日が長くなってきたなー」
「もう四月だからな」
学校帰りの二人の男子高校生が、埋葬林の遊歩道を歩いていた。
遊歩道は埋葬林を囲むように一周していて、散歩やランニングのコースとして親しまれている。遊歩道と埋葬林の間には堀があり、暗緑色の水を湛えている。桜の時期になると、地元の人間はもとより、県外や海外から来る旅行者にも人気だった。
「桜、蕾んでんなー」
「蕾んでるってなんだよ」
「蕾が出てるなーってことだよ」
「えー。聞いたことねえよ。……あれ? 電波入らねえな」
坊主頭の学生が、携帯端末を取り出してぼやく。紫色の夕闇に、端末のディスプレイが煌々と存在を主張していた。
「埋葬林のせいだろ。飛行機だって避けて飛ぶし」
眼鏡を押し上げながら、前髪の長い学生が自分の携帯電話を取り出して確認する。
「ほら、俺のも駄目だ。そのうち繋がるっしょ」
「仕方ねえか。母ちゃんに帰るとき連絡よこせって言われてんだが……」
じじっと音を立てて、遊歩道の街灯に明かりが灯った。
遊歩道を挟んだ埋葬林の反対側は、広々とした水田である。そのため、薄闇の中に遊歩道だけがぼんやりと浮かび上がる。まるで、深海に敷かれた道のようだった。
「気にすんなって。母ちゃんが怖くて息子やってられるかよ」
そう言って、眼鏡の少年はにやっと笑ってみせ、
「なんだそれ」
と、坊主頭が呆れ笑いをこぼしたとき――。
帰路を行く二人の視界に、黒色のバンが飛び込んできた。
「うわ……。なあ、あれ、マズくね?」
眼鏡の少年が指し示した黒いバン。中からバットやスコップを持った連中が、三人ほど降りてくる。少なくとも、これから草野球の練習をしようなどという一団には見えない。そんな健全さは微塵も感じられなかったし、野球をするにはもう時間が遅い。そしてなにより、場所が場所である。
「やべえな。サンタさんマジギレするだろ。警察呼ぶか?」
坊主頭が顔を青くして言った。
「なにお前、サンタクロース信じてんの?」
「うるせえな。そんなこと言ってる場合じゃねえだろ」
坊主頭を笑いながらも、眼鏡の少年は遊歩道を外れて走り始めていた。水田を突っ切る車道である。幹線道路から離れているため、車通りはいつも少ない。
「とにかく、埋葬林から離れよう!」
「お、おう!」
坊主頭も眼鏡の少年の後を追い、遊歩道の明かりから外れて走り出す。深まった夕景。見通しの悪い紺碧の海に、二つの影が消えていった。
しゃらん――。
二人が背にした埋葬林から、十七時三十分を告げる鈴の音が響き始める。
◆
「おい。なんかガキ共に見られたっぽいぞ」
ジャージ姿に金属バットを持った男が、薄暗い水田を指して言った。
「平気平気。警察呼ばれても、あいつら入って来られないじゃん。車だけ逃がしとけば大丈夫だろ」
脱色した黄色い頭の男が、そう言ってリーダーらしき男を見る。
「そうそう。大丈夫だろー」
赤いライダースジャケットを着たリーダーが、へらへら笑いながらそれに答えた。そして、黒いバンの横腹を叩いて、運転手に向かって指示を出す。
「んじゃ、予定通り移動しながら連絡待ちなー」
「おっす」
運転手の厳つい男は、返事と共にバンを走らせ、遊歩道と並行する車道を走り去った。
「おっけー。それじゃ、宝探しといこうかー」
「おー」
気だるい声でリーダーの煽りに声をそろえ、男たちは埋葬林へと足を向けた。彼らの背負う大きめのリュックには、スコップやバットといった得物が生えている。
しゃらん。しゃらん――。
十七時三十分を告げる鈴の音が響き始める。
「これ聞くと、そろそろ帰る時間だなって思うよな」
「わかるわー」
ジャージが言うと、金髪が同意した。
「おいおい。わかるけど帰るなよー」
ゆるんだ笑顔の二人に、おどけた調子でリーダーが釘を刺す。
「さっさと硬実を頂いて帰ろうぜ。なんか雪降ってるしよー」
リーダーが指差し、ジャージと金髪も空を見上げた。真っ黒な雲が、カットされたチョコシフォンケーキみたいに埋葬林の上空で盛り上がっていた。
「うわ……。ホントだ。マジで天気変わるのな」
目の前の異様に、思わず足を止めてしまった金髪。
堀を越えるための小さな石橋。その先に佇む鳥居。苔をまとい、無骨な石造りをやわらかく飾った鳥居は、恐怖さえ覚える日常の中の威容だ。
これから春爛漫へと向かう気配を感じる四月の空気。それを否定し、時を戻そうとしているかのように、鳥居の向こうで雪がしんしんと降っていた。
「これ、墓守様が怒ってんじゃ……」
金髪が呟くと、全員が息を呑んだように鳥居を見上げた。
知識としては持ち合わせているし、遠目から見たこともあったろう。しかし、目の前でパッキリと天候が変わっている様子には、誰だって一度は驚く。そして、それに神威を感じ、うかつに近づこうという気にはならない。それが一般的な感覚である。しゃんしゃんと繰り返される鈴の音も、近寄るなと言っているようだった。
「ビビッてんの?」
「いや、ビビッてねえよ。ビックリしてるだけだっつーの」
ジャージに言われ、止まってしまった足を動かす金髪。
「はい、進むよー」
赤いライダースジャケットをひるがえし、うまく言葉にできない畏怖を無理やりに踏みにじり、リーダーは率先して鳥居をくぐる。
そして、鳥居を越えると、そこは途端に真冬だった。彼らが踏みしめる雪は、本物であることを主張するように、ぎゅっと硬く音を立てた。
「さみぃ! なあ、リーダー。どこまで行くつもりなん?」
「そりゃあ、最深部だろー。奥に行けば行くほど、硬実も沢山あるって聞くぜ?」
ジャージに問われ、そう答えたリーダーは古い歌を思い出した。
埋葬林は迷い森。景色は変わり、向きもない。
埋葬林は死者の森。奥ゆく生者のきびすは返る。
息ある者は寝床へ戻れ。生者が歩けば深くなる。
奥ゆく死者は実りの木。埋葬林は深くなる。
生者が歩けば深くなる。
「馬鹿馬鹿しい……」
小さく呟いて、リーダーは暗い森の中へハンドライトを向け、歩き始めた。
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