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第一章 ロストサンタクロース

殺意の証明 (1) /外ヶ浜巽

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 時刻は二十四時をまわった。
 静まり返った公園は、自分の足音や呼吸音さえ驚くほど大きく響く。
 埋葬林の北東。その広い公園で、俺は乱れた呼吸を整えていた。家から走ってきたら、思った以上に息が上がってしまった。帰宅部の浅い底が見えた。
 大きく呼吸するたび、ウィンドブレーカーが擦れて音を立てる。寒いかも知れないと、羽織ってきたものだ。

「ミスったな……」

 公園から、かすかに見える埋葬林。街灯の明かりでぼんやりと浮かび上がる死者の園は、激しい吹雪に見舞われていた。厚手のコートを持ってくればよかったと後悔した。

「まあ、いいか」

 いまさら、家に戻る気も起きない。
 俺は左腕の時計を確認する。
 時刻を気にしたわけじゃない。祈るように、すがるように、これからの道行きの正しさと成功を、憧れの腕時計に願った。

 ――埋葬林を目指せ。中心部にあるという御神体に接触しろ――

 いいだろう。
 やってやる。そのさきに、優衣子の真実があるのなら。優衣子がいるのなら。法に裁かれようとも、俺はやってやる。

 リュックサックのサイドポケットに手をやり、そこに収めたハンドライトを確かめる。おそらく埋葬林は暗闇だ。これがないと、まともに歩けないだろう。

「ふふっ……」

 埋葬林でまともに歩こうとしている自分に気付いて、思わず鼻で笑ってしまった。
 でも、いい。すこしだけ、緊張がほぐれた。

 穴の開いたコンクリート塀のような遊具から、預けていた背中を起こす。埋葬林の北東。国道を挟んだ遊歩道の向こう側に、堀を越えるための橋が見える。ひとまず目指すのは、その橋の終わりに立つ鳥居だ。

 鳥居をくぐれば、きっとすべてが大きく変わる。なにが、どういうふうに変わるかはわからない。出たとこ勝負だ。傾いでいる俺の現実が、ついに引っくり返るかも知れない。だけど、傾いだままの現実を歩くより、いっそ引っくり返ったほうが歩きやすいかも知れない。
 俺は鋭く息を吐き出して、鳥居に向かって走り出した。

 と、いきなり出鼻を挫かれる。
 国道にさしかかったところで、車のヘッドライトが近付いてきたのが見えた。
 時刻が時刻だけに、学生の俺では補導されかねない。ヘッドライトに背中を向けるかたちで、公園沿いの歩道をゆっくりと歩き出した。この車一台、やり過ごさなければならない。

「まったく……、タイミング悪いな」

 たまらず、悪態が口からこぼれた。

 車はすぐ後ろまできている。背後から強くライトを浴びせられ、自分の影が歩道に焼き付きそうだった。そして、信じられないことに、車は俺を追い越さない。減速した。

 待て待て。もしかして、警ら中のパトカーか。いや、それにしては主張が薄い。以前、夜に出歩いて怒られたときは、もっと横まで近付いてきた。こんばんは、とでも言いそうな具合だった。そして、なにより、赤色灯が見えなかった。

「ふー……っ」
 緊張感を吐き出すように、細く長く息を吐く。

 止まった。
 俺のすぐ後ろで、車が止まった。歩きながら背後をうかがったが、ヘッドライトが眩しすぎて、なにも見えない。まるで目潰しだ。
 やがて、誰かが降車したのか、ドアが閉められる音が聞こえた。

「止まって」

 鋭い声。
 剣呑な女性の声。
 俺は無視を決め込んで、そのまま歩き続ける。

「そっかそっか。まあ、いいけどね。そのまま帰るなら」

 声。喋り方。俺はハッとして足を止める。

「ダメだよ、巽くん。埋葬林に入ろうっていうなら、わたしは君を殺す」
「……二森さん。眩しいです。ライト消してください」

 振り返り、腕で明かりを遮りながら、俺は彼女に話しかけた。
 堀を越える橋は通り過ぎてしまった。隙をついて埋葬林に駆け込むのならば、暗緑色の水に飛び込まなければならない。堀の深さは。岸までの距離は。ヘッドライトでやられた視界では、目算も立てられない。危険だ。
 なにより、「殺す」などと事もなげに言い放つ二森さんが、危険だった。

 ふっと、ヘッドライトが消える。
 まばたきを数回繰り返しているうちに、俺と埋葬林の間に入るように、二森さんが移動してきた。行かせまいと、立ちふさがる。

「どうしてですか、二森さん?」
「なにが?」
「どうして、俺が埋葬林に入ろうとしていると思うんですか。どうして、この広い埋葬林で、俺のいる場所が特定できたんですか。どうして、止めようとするんですか」
「最初の二つは勘と偶然。最後は、法律違反だから」
「最初の二つは、異様に勘が鋭いんだとしても、最後は嘘ですよ。二森さんは警察じゃないでしょう」
「国葬連だからね、わたし。埋葬林に入ろうとしているなら、いちおう止めないと」
「殺してでも?」

 二森さんの返答はない。ただニタニタと笑うだけだ。
 なんなんだ、この状況は。止めに入ってくるのなら、不魚住だと思っていた。どうして、二森さんが現れるのか。

「警察だって、いきなり殺しにかかったりしない。それなのに、国葬連がそんなことするわけない。二森さんは嘘つきだ」
「警察はいつも後手だからね」

 怖い。
 背は高いけれど、細身の二森さん。怪力には見えない。
 しかし、身じろぎすら許されない緊張感がある。下手に動いたら、素早く首を引っこ抜かれそうだ。

「いや。それにしたって、いくらなんでも、やる気まんまん過ぎますって」
「そうかな?」

 二森さんの髪型は、いつものおかっぱ頭ではなかった。サイドの髪を後ろに持っていき、後頭部で結んでいる。視界が確保できて、明らかに動きやすそうだ。
 上は、肘当ての付いた黒い長袖ニット。重そうな防弾チョッキのようなものを重ねて着ている。下は、横に大きなポケットが付いた黒いズボン。その片脚には、腰と繋がったホルスターが巻き付いている。そして、足元は黒くてごついブーツ。まるで、映画やドラマから出てきたような格好だ。

「そうですよ。なんですか、その格好」
「趣味なの」

 うそつけ!
 どう考えても、戦闘準備万端じゃないか。

「巽くんは、なかなか小賢しいね。ちょっと嫌いかも」
「前と逆のこと言ってますよね」

 二森さんは、脚にくくり付けたホルスターから拳銃を抜く。
 まさかとは思っていたけれど、本当に拳銃が収まっていた。本物だろうか。見分けがつかない。暗がりであることもそうだけれど、本物を直に見たことがない。俺では真贋がわからない。ならば、本物だと思ったほうが安全か。

「ねえ、巽くん」

 二森さんは、にこにこと微笑みながら俺に話しかける。

「いますぐ立ち去って欲しいなー。そして、もう二度と埋葬林には関わらないで欲しい」
「どうしてですか?」
「そうしてくれないと、わたしは君を殺さなくちゃいけない。できれば、そんなことしたくない」
「どうして、わざわざ殺すんですか? 通報じゃ駄目なんですか?」
「警察は後手だって言ったでしょ。埋葬林に入る前に止めなくちゃ」
「どうして……?」
「わたしの都合」
「自分の都合で、人を殺すんですか?」
「意外と、いるもんだよ。他人にとっては取るに足らないもののために、人を殺せる人間」

 ミスった。
 そう思った。吐くべき言葉を間違えた。二森さんの声が、恐ろしいほど低くなった。
 殺す気がないのなら、少なくとも隙を見て埋葬林へ走ることはできる。しかし、本当に殺してでも止めようというのなら、背中を撃たれて俺は死ぬ。
 いったい、どちらなのか。本気なのか、ただの脅しか。それを探ろうとして、本気にさせてしまったかも知れない。本気とハッタリの間にいた彼女の背中を、押してしまったかも知れない。

「消音器ってさー、殺意の証明になると思わない?」

 二森さんは、黒い円柱状のものを取り出し、拳銃の先端に装着し始めた。ゆっくりと、俺に見せつけるように。
 サプレッサーだったか、サイレンサーだったか。いずれにしろ、拳銃とほぼ同じ長さのあれは、発砲音や発射炎を抑えるものだ。

「ただ脅すだけならさ、これ、要らないもんね。威嚇射撃するときもさ、大きな音するほうが効果的だよね。わざわざ、ただの脅しに消音器は使わないよねー」
「そうですか? やっぱり、ただの脅しだと思いますけどね」
「あれ、そうですか?」
「はい。いまの台詞自体、強烈な脅しです。だから、逆にただの脅しである可能性が増しました」
「そっかそっか……。巽くんはホントに小賢しいぜ。ねえ、わたしと一緒に来ない?」
「ど、どういう意味ですか?」
「埋葬林のことも、墓守様のことも、友達のことも、家族のことも。すべてを捨てて、わたしに協力して。そうすれば、わざわざ君が探らなくても、すべてを説明するし、殺されなくて済むよ。逆に、わたしが君を全力で守ってあげる。君のために、世界だって敵にまわそう」

 思いもよらない球を投げてよこされ、俺は一瞬黙ってしまった。

「……な、なんなんですか、いきなり。プロポーズ気味の魔球、投げてこないでくださいよ」
「う、うるさいな。そんなんじゃないし。……それで、どうなの?」

 目的がわからない。
 二森さんは、なにがしたいのだろうか。
 どうして、俺なのだろうか。

「ひとつ。すべて忘れたことにして、気にならないふりをして、静かに生きる。ふたつ。なにもかもを捨てて、わたしと同じ側に立つ。みっつ。埋葬林に駆け込もうとして、撃ち殺される。全部で三つ。やったー。選択肢が一つ増えたね。さあて、どうしよっか?」

 鬱陶しいくらい可愛く微笑んだ二森さんは、両手で握った拳銃を俺に向けて、選択を迫った。
 命を捨てる以外の二つは、ほかのなにかを捨てなくてはならない。
 どうするべきか。迷う。もうすこし時間が欲しい。ならば、稼ぐしかない。
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