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一章

3話

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   エルが目覚めてから二十日ほど経った。

   背と太ももに負った深い傷も、ロウの熱心な治療の賜物か、随分早くに塞がりつつある。
   因みに治療と言うのも、エルが見目を気にして医者に見せるのを嫌がった為、少しばかり医療をかじった事のあると言うロウが、彼女の治療にあたったのだ。
   お陰か、今では自力での歩行は多少ぎこちなさが残るものの、大分歩けるようにもなり、元気を取り戻した。
   
   それからロウは、エルが多少動けるようになってからというもの、半ば強引に彼女を街に引っ張りだすようになっていた。
   それは人に慣れさせる為、と言うロウなりの気遣いもあったが、嫌がるエルを面白がる彼の悪戯心があった事は否めない。
   髪色は、前にロウが言っていた特別な方法である、魔法石を使って彼と同じ銀髪に変えた。       

   魔法石はその名の通り、魔法の力を宿した水晶で、極少数の魔力を持つ者が、石の中に魔法を封じ込め、使用の際に解放して使うものと、ロウがエルに教えた。
   割と出回ってはいるものの、中々に高価であるらしく、そう簡単に手は出せないと言う。

   エルは当初、ロウが惜しみなく魔法石を使っている様子を見て、お金持ちなのかと尋ねたのだ。
   勿論、予想は外れたが彼は、極少数の魔力保持者であった事が判明するきっかけとなった。

   それにロウは魔力持ちであるだけではなく、それを売り捌くベンダーでもあった。
   後は、教師に、劇団員、調香師。軍人もしていたと聞いた時はさすがに驚いた。また、ちょくちょく、彼方此方の店で助っ人として働くことも多いようか、顔が随分と広い。

   知れば知るほど、つかみ所のない謎の多い男であると、不審な節は多いものの、ロウには命を助けられたこともあり、エルはそれなりの信用を向けている。
   そんな二人は今日も今日とて、朝早くから街へ出かけていた。


   王都から少し離れた地方貴族の領主が治める地、ルーベルは、港が近いこともあり、旅客や行商人が行き交い、賑わいを見せていた。

   「いやー、朝から賑わってるね」

   「そうね…」

   「ほらエル、この前買い損ねたやつが再入荷してるよ」

   「……」

   「怒ってる?」

   「怒ってないわ…」

   「エル、まさか昨日のことまだ根に持ってるの?確かに鶏肉だって言ってカエルを食べさせた事は悪かった、俺だって反省してる…ふっ、ふふふっ、でもあの時のエルの反応ときたら…あっははは!!」

   ロウは堪え切れなくなったのか大声で笑い出した。

   「ロウ、貴方一つも反省してないわね!最低だわ!!それに怒っている理由はそれだけではなくってよ、こ、この格好だって最悪なんだからっ…いい加減下ろして、いえ、下ろしなさい!わたくし一人で歩けるわ」

   ロウは嫌がるエルを無理やりお姫様抱っこして、人が行き交う商店街を闊歩しているのだ。

   お陰で周囲から生暖い視線と、くすくすと笑い声が聞こえるし、未だかつてない注目を浴びていると、エルは羞恥で顔を赤く染めていた。

   「ダメダメ、結構混雑して来てるんだから、ぶつかって足でも踏まれたら大変だ、もう君の治療は懲り懲りだよ。でもなんでお姫様抱っこは駄目なの?」

(この男、分かってて言ってるわね!)
   
   揶揄いを含んだその瞳にカッとなる。
   エルはこの数十日で彼の性質が段々と見えてきた。どうも彼は軽口を叩くだけでなく、人を揶揄わなければ生きていけないようなのだ。
   そして、ロウは一度からかって期待した通りにいくと、満足して大人しく言う事を聞いてくれる。
   今の状況を打破するには、素直に従い、下ろしてもらう他ないのだが、それも少しばかり憚られた。しかし、そうこう言ってこの状態が続くのはもっと嫌であった。
   エルは癪に触ると言った様子で、恥を飲んだのか口を開いた。

   「は…」

   「は…?」

   やはり少し厳しい…
   エルが苦悶の表情を浮かべ口を歪めていると、ロウが何を思ったのか彼女の耳元にフッと息を吐いた。

   「は、恥さらし!何てことするのよ!もういいわ、わたくし金輪際貴方と口を利かないんだから!」

   「ははは、ごめんごめん、すぐに下ろすからそんなこと言わないでよ」

   ロウは笑いながらエルをゆっくりと下ろすと、紳士らしく腕を差し出した。
   しかしたった今、彼の態度に憤慨していたエルにとって、この腕を取ることはロウへの服従を示しているようで、どうしても不満な気持ちを隠せない。

   そうは思うがチラリと向けた視線の先に、ロウの有無を言わせぬ表情が映り込んだため、あえなくエルは差し出された腕を取って歩き出したのである。




   先程まで恥ずかしくて街の様子など気にすることができなかったエルだが、活力とエネルギーに満ちた街の活気を前に、密かに心を弾ませていた。

   (凄いわ…建物も人もキラキラしていてとても綺麗…)

   何と言っても初めて目にするものばかり。
   右も左も興味を引くものばかりであると、キョロキョロしていたところで、妙に視線を感じた。
   もしや!とエルは肩にかかる長い髪の毛を手に取って、手の中からサラサラと流れ落ちる銀髪を確認するとホッと息を吐く。

   それならどうして視線を感じたのか…
   原因はすぐに分かった、ロウだ。通りすがりの女性や男性までもが、ポーッと顔を赤らめては、彼を見て惚けていたのである。

   「きゃあ!ごめんなさい」

   煌びやかなドレスの女性がロウにぶつかった。

  「申し訳ないお嬢さん、お怪我は?」

   王子様然としたロウは女性の手を取り、下品にならないほどに白い歯をこぼすと微笑んだ。
   そのなんとも色香の漂う彼の微笑みに、ぶつかった女性は顔を、熟れたリンゴのように真っ赤に染め上げた。

   「あ、えっと、す、少し足をくじいてしまったみたい…それで、わ、わたしの家まで送って下さいませんか?」

   赤く染まった頬を片手でおさえ、首を傾げる彼女は、眉を八の字に下げて困ったという様にロウを見つめた。

   「ロウ、この方痛そうにしているわ。わたくし、ここでジッとしているから家まで送ってあげて…」

   掴んでいた腕の袖を引きながら言うと、ロウは信じられないと目を丸くして、突然エルの頬を引っ張った。

   「っ痛いじゃない!何のつもりよ!!そんなにわたくしを怒らせたいの?!」

   「エルは間抜けだな、こんな誘い文句もわからないなんて、男を誘う女のコの常套句じゃないか」

   「ま、間抜けって言ったわね!!」

   どうやら女性はロウの顔ばかりに気を取られ、彼の隣にいる小柄なエルの存在に気付いていなかったのか、エルを目に入れると途端、眉間にしわを寄せた。

   「あの…そちらの女性とはどう言う関係なのですか?」

   「ああ、彼女は俺の婚約者なんだよ。それはもう毎日ラブラブでね」

   「…っ誰が!…ムグッ!!」

   さらっと嘘を吐く彼に、抗議しようと口を開きかけるも、即座にロウの大きな手で口を覆われてしまった。

   ロウの返答に対して女性はそう、と言葉を詰まらせ悲しげに一言呟くと、エルを恨みがましく一瞥しスカートを翻しながら早足に去っていった。

   エルは彼女の去り際を見えなくなるまで見つめると、体の向きをロウに戻して、物々しい表情で詰め寄った。

   「なんて嘘をつくのよ、不誠実男!彼女わたくしを睨んでいたわ、ロウに好意を持ってたからって分からないの?って、道すがらの女性達がわたくしを睨んでたのはロウの所為じゃない」

   「本当に悲しいほど悪意には敏感だな…君を通りすがりに見つめる男達の視線には気付かないのに…」

   「また軽口?もう聞き飽きたわ。いつもいい加減にしてっていってるじゃない」

   両腕を組んでフンっと顔を背けるエルを見て、今日は怒らせてばかりだとロウは少しバツが悪くなる。

   「エルは気難しいな…女のコなら誰だって俺に心酔して従順だって言うのに、エルは俺に惚れる気配もないなんて…好きな男なんていないだろう?」

   「今となったら自信過剰が過ぎるって言えない事が恐ろしいわ。でも、そうね……わたくし好きな殿方なんて居ない筈なのに、既に心に決めた人がいる様な気がするのよ。その人以外考えられないってぐらい大切な誰かが…意味が分からないかもしれないけど、その誰かが顔さえ思い浮かばないのに頭から離れなくて、よく夢で魘されるわ…」

   「……」

   エルはどうしてかしらと、自分の世界に浸って唸った。
   しかし、口数の多かったロウが一切喋らず、場に沈黙が降りていたことに気が付くと、意識をパッとロウの方に戻して、彼の何とも言えない面もちに狼狽した。

   (また、この顔…)

   一緒に生活するようになって、何度となく目にした憂いを帯びた悲痛な表情。
   苦しい顔をするのは彼であるのに、こちらまで胸が痛むような…

  「ろ、ロウ…?」

   胸をかき乱す不安を取り払うように、痛ましげなロウに手を伸ばした時だった。

   バンッッ!!!

   ーー爆発
   刹那の空間の静寂を切り裂いて耳をつんざく破裂音が街を喧騒に陥れた。
   同時に強い煙と爆風が二人をのみこみ、大勢の街人が波のように押し合った。

   「エルっ!!!!」

   曇る視界からロウの手が伸びた。

   「ロウ!!!」

   エルもその手に応えるように必死で手を伸ばした。
   しかし二人の手は空を切り、慌てふためく人波が二人を引き離してしまった。



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