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一章

4話

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   エルはようやく人混みをかき分け、人波が緩くなった場所へと出た。慌てて周囲をキョロキョロ見渡すが、ロウの姿はどこにも見当たらない。

   (マズイわ…これ以上巻き込まれたら、また寮室生活よ…)

   とにかくこれ以上人の波に飲まれないように、微かに扉の開く、商館に飛び込んだのがよくなかった。

   「誰だっ!!」

   「ひっ!!」

   飛び込んだ先にいたのは、粗野な身なりの男五人。そして彼らが担いでいる布袋からは溢れんばかりの宝飾類が。

   「盗賊…」

   おそらく、先ほどの爆発も彼らの仕業だ。混乱に乗じて、人けが少なくなった商館を狙ったものだろう。
   薄暗闇の中、よく目を凝らせば商館の職員らしき人達が数人床に倒れているのが目に入った。

   「なんだ、ただの女か…驚かせやがって」

   無精髭を生やした盗賊が、ひげたわらいを浮かべながら近寄ってくる。

   エルはすぐに飛び出そうと慌てて踵を返すが、既に背後には盗賊の一人がまわっており、挟められる形で逃げ場が失われた。

   「お嬢ちゃんも悪運だな、見られたからには、このまま逃すわけにはいかねぇ、殺しちまうか?」

   じりじりと詰め寄ってくる背後の盗賊がそれを止めた。

   「おいおい、それはよせ。金にならねぇ無駄なことはするつもりはない、奴隷商人にでも売ればいいだろうが。しっかし、綺麗な顔の娘だ。これは高値で売れるだろ?いや、本当にいい拾い物だ。」

   下品な笑いを浮かべて、にじり寄る盗賊に冷や汗が背を伝う。
   逃げようにも逃げられず、荒々しく伸びてくる手にエルの華奢な腕が捕まった。
   
   (いやっ!!)

   エルは思わず腕を掴む手を叩き落とすと、後ずさって距離をとった。

   「…っ触らないで頂戴!!」

   怖い、怖い。
   どうしてこんなに恐ろしいのか。

   自分はひ弱で脆弱な人間だ。体が震えるのは、彼らに危害を加えられることを恐れているからに決まっている。
   だが、どうしてか、心の奥底で燃え上がる激情が彼らを殺せと暴れている。

   「女、今の状況を考えた方がいいぞ。気が強い女は嫌いじゃねぇが、それも時と場合だ。」

   盗賊がエルを睨みつけ、さらに距離を詰める。

   「わたくしに近づかないで!ダメよ!私に近づいてはいけないの!」

   妙な焦りでまた汗が滲み出た。
   身体中の血が沸き立ち、膨大な力が流れ出すのを感じる。

   「おかしなことを言う女だ…近づくなって、爆弾でも抱えてるのか?はははは」

   エルの様子が変化した事に気付かぬ盗賊達は、ドッと笑いだす。

   「暴れたら殺すぞ、大人しくしろよ」

   「ぐっ…!」

   盗賊は乱雑にエルの両腕を捻り上げ、そのまま抵抗させまいと壁に押し付けると、近くの仲間に縄を持ってくるよう指示を出す。
   
   「そんなに身体を震わせて、俺たちが恐ろしいか?」

   「いま、すぐ、離してっ…きっと貴方達、後悔するわ」

   「まだ意味わかんねぇ事言ってんのか?」

   「早く、離しなさいよ…わたくし呪われてるのよ、穢れてるのよ…」
 
   「はは、恐怖で頭がいって……っ!」

   呆れたように片眉を上げていた盗賊はその光景に目を見開いた。
   目の前のエルの髪は、頭の天辺から段々と銀から黒に染まっているからだ。

   「な、なんだっ!」
   
   黒髪に驚いた盗賊の手が緩んだ。
   エルはその瞬間を逃すまいと盗賊を蹴り上げた。

   「くそっ!!そのアマ!!」

   逆上した海賊は懐にしまっていたナイフを振り上げる。
   逃げるには間に合わない。
   エルは訪れるであろう痛みに耐えるためグッと瞳を閉じた。

   ーその時

  「大人しく投降しろ!!ルマン王立騎士団だ!」

   雄々しい声とともに、銀灰色の甲冑を纏った男達が何十人も館になだれ込んだ。

   「騎士団だと?!!最悪だ!おめぇら逃げるぞ!!」

   「逃すかっ!!捕らえよ!!」

   エルは盗賊と騎士が繰り広げる闘争を呆然と只々眺めた。

   (た、たすかったの?)

   もちろん、たった五人の盗賊に対して騎士数十人となっては敵わない。
   必死の抵抗も虚しく、盗賊はいとも簡単に捕まってしまったようだ。

   「お嬢さん、怪我は??」

   扉の方から騎士がこちらに向かって歩いてきた。

   「え、ああ、大丈夫よ…」

   「それはよかっ…っ!!うわぁあ!!」

   甲冑の騎士がガシャンと音を立てて床に尻餅をついた。
   何をそんなに仰天しているのか。
もう盗賊など居ないというのに、目の前で尻餅をつく騎士は手を震わせ瞠目しているのだ。

   「どうした!何かあったのか!」

   年長のリーダー格然とした騎士が、頓狂声をあげた騎士の方に駆け寄った。

   「…っ!!」

   こちらも驚きを隠すことなく愕然とした様子で突っ立っている。
   しかし本当に何に対して怯えているのか…
   まるで死んだと思ったものが急に蘇ったような驚き具合ではなかろうか。

   その視線が捉えているのは…

   (なぜ?なぜ、わたくしをそんな目で見ているの)

   疲弊しきって壁に体を預けていたエルは、面前の彼らが青白い顔で自分を見つめているその様子に唾を飲み込んだ。

   ハラリと前髪が垂れる。薄暗い中でも微かに入る光が髪に反射して、その色を照々に写した。

   美しい銀の輝きではない、黒く恐ろしげなあの色。

   「せ、聖女、様……?」

   騎士が口にしたその言葉はエルの身体を打ち震えさせた。
   頭がズキズキし、視界が揺れる。エルはその不安定な感覚を抑えようと必死に首を振りながら頭を抱える。

   (いや、ちがう、わたくしは、)

   ガシャ!ガシャンっ!!

   「な、なんだ!!ぐぁっ!!」

   甲冑がぶつかり倒れ合うような高い音が部屋中に響いた。
   エルはもしやと、パッと抱え込んでいた顔を上げると、フードを目深にかぶった黒い男が次々と兵士をなぎ倒して現れたのだ。

   「ろ、う…?」

   「エルっっ!無事か!?!?」

   
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