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第四話 愚者と賢者

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 ほんのりと冷たい風で、家の中より冷える屋外。
 一瞬だけ身震いすると、ルネの肩には上着が掛けられた。

「! シェイド、君が寒いですよ」
「俺はいいんだよ」

 昔と比べると随分粗野になった口調。
 だが本質的なものは何も変わっておらず、ルネはそれが嬉しかった。

「ありがとう」

 ルネの右手は、突き出されたシェイドの肘に添えられている。
 左手には杖。柄は黒く、掴む部分はシルバーで造られたシンプルなもの。
 掛けられた上着をぎゅっと抱きしめたい衝動に駆られながらも、ルネは平静を装った。

 音は聞こえないが、時折足元に触れるふわりとしたものがもう一人の存在も示した。

(今日も賑やかだ)

 観光地化した通り。
 その一角に本屋『アステリア』はあった。

 一歩外へと踏み出せば、ルネの耳に届くのは人々の物語。

 ──安いよー!
 ──ちょっと~、遅かったじゃない!
 ──明日テストかぁ
 ──今日はどこ行く?

 店員、待ち合わせをする者、勉学に励む者、恋心を募らせる者。

 六年住んだ街ながら、その姿は一向に見えない。
 人々は皆異なる。
 耳に届く声も、明日になればまた変わる。
 同じ者だとしても、明日には違う物語になる。

 自分にはそんな瞬間があっただろうか?
 存在の証明をするためにリスクを冒して『魔法』を得る。
 その目的の元に厳しい生活を強いられた。

 人の言葉は、彼らのような生き生きとした唄には聴こえなかった。
 この世が表なのならば、自分は裏側に生きていた。
 彼らの笑い声が『本当』のことなら、自分たちは何に相当するのだろう。

 ルネはこの道を通る度に、知らない世界を歩いているような感覚に陥った。


 ──愚者め


「……」
「っ!!」

 突如聞こえた激しい音。
 それは真横を通り抜けた年老いた男の声で、言葉以上に攻撃的な音だった。

「お──」
「シェイド」

 ルネは予感していた。
 きっと優しい彼はその者を問いただす。
 だから先回りして先ほどは強く掴めなかった右手を、ぎゅっと握りしめた。

「ルネ」
「いいんだよ」

 それが人々の答えだ。
 表向きは魔物を倒す力を持つ者を、『賢者』と呼ぶ。
 魔朮師まじゅつし神術師しんじゅつしも同様に。
 だが本心は、恐ろしい魔族の力を借りた者たちを自分とは違うのだと言い聞かせたい。
 人間は自分たちが誇り高い者でいるために、ルネや彼らを罵るのだ。

 中でも一度は魔法を思い出し、そうしてまた忘れた役立たずの『愚者ぐしゃ』のことは。
 まるで人間の尊厳を貶める罪人だとでも言うように。

「……チッ」
「行こう」
『にゃ』

 シェイドもルネも、言葉は少ない。
 本来ルネのことを想えば、シェイドは通常よりも多くの言葉を使う方がいい。

 だがしない。
 ルネは自分と同じように、シェイドもまた罪悪感を抱いていると予想する。
 皮肉なことに、それが二人を繋ぐ唯一のものだとも。
 ルネは見えない代わりに、胸の痛みを感じることが大切な者を最も側に感じる瞬間であった。


 ◆


 店や賑わう通りを橋一本隔てた先。
 それほど幅のない川の対岸に目的地はあった。
 荘厳な建物。乳白色の壁は泥が一つもないほどに美しく手入れされ、側にある庭園も同様。規則的にならんだ小窓が規律の厳しさを物語っているかのようだった。

 魔朮院に到着すると、ルネの美しい顔は一層無の表情に近づいた。
 シェイドもまた、気を引き締めようと険しい顔つきになる。

「──確かに」

 事務所に相当する受付にて、ルネは自分の価値の一部を支払った。
 その総額は、見たこともない両親、あるいは別の誰かが魔朮院から受け取った金よりも多い額だ。

「愚者ルネよ。今のままでは返済が終わりを迎えるかどうか、我々は到底安心できない。ここはひとつ、その身を──」
「俺が払うっつってんだ。文句言うな」

 震えるルネの右手に応えるかのように、シェイドはハッキリと答えた。

「し、しかしっ」
「余計な混乱招きたくねぇなら黙っとけ」
『にゃ』
「!? あ、アルバス様……! ……わ、分かりました。しかし、週ごとの返済費用はぞ、増額させて頂きます」
「それでいい。さっさと手続きしてくれ」
「は、はい」

 目深く被った真っ白なローブ。
 縁に入った金の刺繍は見事なもので、それだけで金に余裕のある組織なのだと分かる。

 慌てて後ろの扉より上長の元へと走る職員。
 彼らは魔法を持たない。
 少なくとも、魔朮師は同胞に『愚者』などと言わない。

「……」
「大丈夫か?」
「……はい」

 ルネが忌まわしき記憶の残る国から、それほど遠くない隣国へと居を移したのには訳がある。
 許されていないからだ。

 魔朮師とはつまり、魔を従える者。
 危険とされる魔族を有する者に自由はない。
 その中で限りなく自由を手にすることのできる職業は冒険者だった。
 本拠地を変えるには難しい手続きが必要だが、依頼で遠出をする分には構わない。
 ただし魔朮院というのは大きな街であれば大抵存在する。
 冒険者ギルドからは必ず最寄りの魔朮院へと連絡が行き、自分に課せられたノルマを毎週納めねばならない。
 シェイドの場合は特例ということもあり、額が少なく支払いを終えている。

 初めのうちはルネも思った。

 なぜ、他人に自分の価値を証明するためにお金を払うのか。
 なぜ、親という存在は自分を売り払ったのか。
 なぜ、一応は生まれ育ったとも言える組織に愛着が湧かないのか。

 色々思った。そして、気付いた。

 『人間は最も献身的で、最も罪深い種族』

 他種族の著者が記した本の一文に、こうあった。
 学んだばかりの幼い自分にはよく分からなかったが、成長してから理解した。

 人々は力のために祈る。
 力の先にある利益のために祈る。

 ビジネスだ。

 エルフやドワーフたちのように、神と共に生きる。
 そんな純粋な心を持つ人間は恐らく少数派だろう。

 創世記に魔朮院を興した者たちは、結局のところお金が目当てだった。
 居場所のない子供を先行投資で集め、魔朮師という駒を得る。
 彼らが自立できる年齢に達すると、自分の価値値段を知らせる書を見せられる。
 そこにはもちろん、親に売られた際の値段、大人になるまでに掛かった食事代のような費用から、法外な利子のようなものまで様々なものが上乗せされる。

 そうして潤うのは、ここで育った子供たちではなく、手駒として育てた大人たちだけ。

 他種族が人間を罪深い種族と称するのも分かる気がした。
 ルネは、気付いてからは自分の価値を『値段』ではなく『魔法』と定めた。

「──愚者ルネよ、次週からは金貨五枚五万円を支払いなさい」
「……はい」

 ルネの心は沈んだ。
 もちろん自分の、他人によって決められた価値を支払い続けるという行為にもだが。
 それ以上に返済が早まると、別れの時が近づくような気がしたからだ。

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