7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月の入学

7月の入学 3

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 フランツが落ち着いたところで、気を取り直して四人でテーブルを囲む。
 体が沈みこむようなやわらかい布張りのソファーに驚愕しながらもカップに口をつける。するとあたたかい液体が体の中に流れ込み、いい香りが広がる。お、おいしい……。

 こんな紅茶を飲むのは生まれて初めてだ。今まで口にしていたものとは全然違う。やっぱり名門校の生徒ともなればこれくらいは普通なのかと妙に感心しながらも、あまりのおいしさにもう一口、とカップを傾ける。
 場に流れ出した寛いだ空気を感じ取ったのか、先ほどの蝶の少年は名を名乗る。


「僕はテオドール。テオでいいよ」


 微笑むその顔にはそばかすが浮いている。色素の薄い茶色い髪をして、優しそうな雰囲気を纏っているが、どこか気弱そうでもある。
 わたしとクルトもそれぞれ名乗ると、テオはなぜかわたしに遠慮がちな視線を向ける。


「随分とちいさ……その、若く見えるね」


 今、「小さい」って言いかけて誤魔化した。ばればれだ。


「だろ? 小さいだろ? これでオレらと同級生なんだぜ。信じらんねえよな」


 こちらに関しては濁す気さえないらしい。こっそりとフランツを睨みつける。が、凄い顔で睨み返されたので、慌てて目を逸らしてテーブルの上のビスケットに手を伸ばす。


「そのビスケット、僕が持ってきたんだ。紅茶だけじゃなくてコーヒーにもよく合うんだよ」

「なんだテオ、おまえコーヒーなんて飲むのかよ。あんな苦い泥水オレには無理」

「そうかな? 僕は美味しいと思うけど……」


 そんな会話を聞きながらビスケットを一口齧った途端


「ふぉっ!?」


 思わず変な声が口をついて出る。


「な、な、な、なにこれ!? なにこれ!?」


 今まで味わった事のない芳醇な風味が舌の上に広がる。夢中で噛み砕き、飲み込み、続けて二枚目を手に取る。


「表面はさくさく、中はしっとり! まったりしてそれでいてしつこくなく、まろやかな甘みが草原の風のように舌の上を吹き抜けてゆく……! こ、こんなの初めて……!」


 我を忘れて興奮気味に口走る。


「はぁ、おいしい。こんなおいしいビスケットを食べられるなんて、もうほんと、生きててよかったです……! わたし、家庭の事情が許すなら、お菓子職人になるのが夢で――」


 手を胸に置き、うっとりと宙をみつめながら溜息を漏らすわたしだったが、他の三人が唖然としたようにこちらを見ているのに気付いて我に返る。


「す、すみません、すごくおいしかったので、つい……わたしの事はお気になさらず、どうぞご歓談を続けてください」


 謝りながらも新しいビスケットを口の中に放り込む。やっぱりおいしい。ああ、しあわせ。
 暫く妙な沈黙が漂ったが、そんな空気を変えるようにフランツがテオに向き直る。


「ところでテオ、さっきのあの蝶って……」

「ああ、あれ? 勝手に飾ってごめんね。まさか君があんなに驚くなんて思わなかったから。あれは僕の趣味っていうか、蝶が好きで集めてるんだ」

「……虫集めなんてガキくせえな。くだらねえ」

「え……そ、そうかな?」


 テオが戸惑いの表情を浮かべる。わたしも食べる手を止める。フランツの言い方は随分とひどい。そんなふうに人の趣味を貶すなんて。思わず口を挟む。


「そんな事ありません。素敵じゃないですか。わたしも蝶は好きですよ。綺麗だし」

「ユーリ、そりゃお前もガキだって事だよ。見た目通りだな。みなさーん、ここにガキが二人いますよー」

「ええー、そんな……」


 虫を怖がる子どもみたいな人に言われたくない。
 クルトが加勢してくれないものかと様子を伺うも、彼はまるで興味がないといった様子で、手元のカップにじっと目を落としている。というか、話すら聞いていないようにも見える。
 なんだろうこの人。みんなと仲良くする気ないのかな……? さっきのカフェの件ではいい人だと思ったんだけれど……。


「ま、オレらももう16歳なわけだし、そろそろ昆虫採集なんてガキの趣味からは卒業しようぜ。な、テオ」


 肩を叩かれたテオは困り顔だ。それはそうだろう。フランツ自身が蝶を嫌いだからというだけでなく、無茶苦茶な理由まで加えられて、せっかくの趣味をやめさせられたのでは、たまったものではない。

 しかしフランツも冗談で言っているようにも思えない。彼の態度からはそこはかとなく苛立ちを感じる。テオに対する強引な言動からもそれが察せられる。そんなに蝶が苦手なのか。
 それにしても、蝶の好きな人間と嫌いな人間が同室になってしまうなんて、とんだ偶然もあったものだ。


「いや、でも……」


 テオが反論しかけたその時、不意に金属音が耳に飛び込んできた。
 幾重もの音階を奏でる重厚な鐘の音が、心地よい音量で鳴り渡る。


「ああ、もうこんな時間か」


 そこで初めて気づいたように、クルトがカップを置きながら窓の外に顔を向ける。


「なんですか? この音」

「夕食の合図だ。ここでは事あるごとにこうやって鐘を鳴らして知らせるんだ。起床時刻や就寝時刻。授業の開始と終了なんかも」

「お、飯か。ちょうど本格的に腹が減ってきたところだったんだよな。よし、行こうぜ」


 フランツは嬉しそうに立ち上がると、軽い足取りでドアへと向かう。


「どうしたんだよ? 早く来いよ」


 振り向いてみんなを手招きする姿は、先ほどまでの機嫌の悪さが嘘のよう。その無邪気な様子に首を傾げてしまう。
 テオも不思議そうな顔をしていたが、わたしと目が合うと肩を竦めてみせた。どうもフランツという少年は気分屋なところがあるみたいだ。
 廊下へ出ると、他の生徒達の姿も見える。みんな食堂へ向かうようだ。


「よーし、食堂まで競争しようぜ。負けた奴はデザート没収な!」

「えっ、ちょ、ずるい! 待ってくださいよお!」


 駆け出したフランツを慌てて追いかける。駆けっこはあんまり得意じゃないのに……!
 そんなわたしの背後から、呆れたような溜息がふたつ聞こえた気がした。






 夕食後、部屋に戻る前に、腹ごなしも兼ねて四人で寮の周りを散歩する事にした。外に出ると気持ちのいい風が頬を撫でる。
 クラウス学園の周りは石塀でぐるりと囲まれており、その広大な敷地内には校舎や寮、図書館に温室といった色々な施設の他に、ちょっとした丘や森のようなところまである。寮の周りも、程よく立ち並ぶ木々の間に整備された歩道が儲けられ、散策にはうってつけだ。


「うう……わたしのプディングが……」

「悪いな。でも、お前の足が遅いのがいけないんだぜ。ちなみにあのプディングめちゃくちゃうまかった」


 わたしの嘆きにも、たいしてすまなそうには思えない調子でフランツはにやりと笑う。しかもわざわざデザートに対する賞賛の言葉まで。うう、わたしもプディング食べたかった……。


「次は負けませんよ。フランツのデザートは頂きますから」

「今日みたいな調子じゃ、この先一度も食えなさそうだけどな。まあ頑張れ」

「はぁ……でも他のお料理もすごくおいしかったです。この世にあんなにおいしいものが存在するだなんて信じられない……デザートもさぞやおいしいに違いないです」

「お前、今までどんなもの食ってたんだよ」

「それは、まあ、その、色々……それよりも――」


 歩きながら後ろを振り返る。


「クルトもテオもずるい! わたしは真面目に勝負したのに、食堂に着いたら二人とも後ろにいないからびっくりしたじゃないですか! 結局プディングを食べられなかったのはわたしだけだったし……」


 そんな恨み言にもクルトは涼しい顔だ。


「勝負を受けなければ負ける事はない。デザートが食べたかったなら最初からフランツの誘いに乗らなければよかったんだ。ちなみにフランツの言う通り、なかなか美味かった」

「まあ、そういう事かな。僕もあのプディングは美味しいと思ったよ」


 隣でテオも苦笑している。


 うう……みんなしてひどい……そんなにおいしかったと連呼されては、いつまで経ってもプディングへの未練が断ち切れないじゃないか……。
 でも、その一方でなんだか拍子抜けしてしまった。最初から勝負しないだなんて考えてもみなかった。この世は常に弱肉強食。敗者は勝者に奪われるしかない。それが嫌なら死に物狂いで戦う。そういうものだと思っていたから。
 けれど、徐々に実感しはじめた。ここは昨日までいた場所とはまるで違うのだと。


「どうだ。ちょっとは慣れたか?」


 フランツが小さな声で話しかけてくる。


「お前、オレを見た時、すっげー緊張してるみたいだったし。まるでヘビに睨まれたカエルってやつ? あんな感じでびびっててさ。誰も取って食ったりなんてしないのにな。まあ今は肩の力も抜けてるみたいだし、これからもその調子で行けよ」


 目が合うとにっと笑いかけられる。もしかして気にかけてくれたのかな。意外と面倒見がいいのかも。でも、緊張してたのは、最初のフランツの態度のせいもあると思う……。
 ともあれ、わたしはなんとか彼らにルームメイトとして受け入れられたようだ。まだまだ油断はできないが、今のところはとりあえず安堵する。


「ん? なんだこれ」


 不意にフランツが声を上げ、近くの草むらから何かを拾い上げた。
 見れば、それは直系五センチメートルほどの白い球体。
 隣で覗き込んだテオは唸る。


「何かの卵かな? 鳥とか?」

「それにしちゃ、やけに丸いよな。ニワトリの卵とかとは違って」


 確かに、その物体は、いわゆる「たまご型」というよりも縦横の長さの差があまりなく、どちらかというと真円のボールに近い形をしていた。


「それはフクロウの卵ですね。わたしの家の近くで見た記憶があります。巣はたぶん、あそこですね」


 言いながら頭上を指差す。そこには木の幹にぽっかりと空いた穴があった。


「フクロウの卵はこんなふうに丸い形だから、転がるの防ぐために木のうろの中を巣にするんですよ。そこなら周りを木の壁に囲まれているので転がり落ちる心配はありませんから。でも、この卵は運が悪かったみたいですね……」

「そうなのか。じゃあ巣に戻してやらねえとかわいそうだな。それっ」


 フランツは卵を手にぴょんぴょんと飛び跳ねる。が、まったく届きそうにない。何度も飛び跳ねた後でがくりと肩を落とす。

 フランツから卵をそっと取り上げたわたしは、それをクルトに差し出す。


「なんだ?」

「この中で一番背が高いのはクルトです。どうかこの卵を巣に返してあげてください」

「いや、さすがにあの位置じゃ無理だろう。指先だって届くかどうか」

「おっ、それならさ」


 フランツが「閃いた」という顔をして。


「クルトがユーリを肩車したらいいんじゃねえの?」

「え?」

「なんで俺が……」

「クルトは一番背がでかいし、ユーリは一番軽そうだから。丁度いいだろ? な?」


 わたし達は揃ってクルトの顔を見上げる。ここでクルトが首を縦に振ってくれれば、この卵を巣に返す事ができるかもしれない。
 全員の視線を受けたクルトは眉間に皺を寄せていたが、やがてやれやれといった様子で溜息をつくと、木の根元で腰を落とす。


「仕方ない。ユーリ、乗れ」

「わあ、クルトかっこいい! 紳士! 貴族!」

「おかしな賛辞はやめてくれ」


 言いながらも、クルトは肩に跨ったわたしを軽々と持ち上げる。さすがは男の子といったところか。


「クルト、もう少し右に……って、聞いてます?」

「……あ? ああ、すまない。右だな?」


 指示を出しながら位置を調整すると、巣穴の中がぎりぎり覗けるくらいになった。
 親鳥に襲われないかと心配だったが、幸いな事に今はどこかに出掛けているようで、巣の中には他にいくつかの卵があるだけだ。

 持っていた卵をその中に紛れ込ませるようにそっと置く。地面に落ちた卵がはたして無事に孵化するかはわからないが、それでも親鳥に抱かれ、他のきょうだいと共に餌を啄ばむ雛の姿を夢想する。親に見離された子どもほど無力なものはない。この卵が悲しい運命を辿る事がありませんように。






 その夜、わたしにとって最大の難関とも言える時が訪れた。就寝前の着替えである。当然ながら寝間着に着替えるとなれば一旦裸にならざるを得ないが、絶対に同室のクルトに身体を見られるわけにはいかない。かといって「着替える間部屋から出ていてほしい」などと頼むのも不自然極まりない。
 その問題をどうしたものかとひとり悶々としていたが、わたしの心中とは裏腹に、クルトは


「歯を磨いてくる」


 と、洗面所へ向かうためにあっさりと部屋を出ていってしまったのだ。
 あまりの呆気なさに拍子抜けすると共に、この機を逃してはならないと、素早く制服を脱いでゆく。いつ彼が戻ってこないとも限らない。クローゼットから寝間着を引っ張り出して上着を羽織り、緊張で少し震える手でボタンを留めてゆく。

 そうして幸いにも、クルトが戻ってくる前に着替えを済ませる事ができた。
 この時間を利用すれば、明日からも無事に着替えを済ませられるかも……クルトの歯磨きタイムを見逃さないように注意しよう。
 そんな計画を立てながら、わたしも歯を磨くために洗面所へと向かった。
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