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7月の入学
7月の入学 8
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「テオ、さっきは協力してくれてありがとうございました」
寮の廊下を歩きながら、わたしはお礼を言う。
「君があの場のみんなの注意を逸らしてくれてたからなんとかなったけど、それでも噴水に手を突っ込むところを誰かに見られやしないかってひやひやしたよ」
先ほどわたしがテオにした頼み事。それは、噴水の底に沈む無数の硬貨の中から五百クラール銀貨を二枚拾ってきて欲しいというものだった。
それを例の女性が落としたものとして渡したのだ。
「でも、さすがに罪悪感を覚えるなあ。あの女の人のためとはいえ、お金を噴水からくすねるなんて」
「うーん……それなら問題ないと思うんですけどね」
「えっ? ユーリは同じ事しても平気なの?」
誤解を与える言い方をしてしまった事に気付いて、慌てて弁明する。
「いえ、そうじゃなくて……あの女の人の落とした銀貨の本当の場所についてです」
「本当の場所?」
「さっきはカラスが持ち去ったなんて言いましたけど、わたしの予想では、銀貨は二枚とも噴水の中に落ちてしまったんじゃないかと。あの場所で硬貨をばら撒けば、何枚かは地面に跳ね返って水の中に落ちても不思議はないでしょう? それがたまたま二枚の五百クラール銀貨だったとは考えられませんか? 大人数で周辺を探しても見つからなかったのは、そのせいだったんじゃないかって」
「そんな。それならさっきみんなの前でそう言って、普通に噴水の中から硬貨を拾って渡せば良かったのに」
「だって、わたしのはあくまでも推測であって事実じゃないし、確かめる方法もなかったので……それに、ああいう場所から硬貨を拾うのって抵抗あるでしょう? 現にテオだって罪悪感を覚えたわけだし」
「それはまあ、そうだけど……」
「だからあんな解決法しか思いつかなかったんです。心配ならわたしが後であの噴水に五百クラール銀貨を二枚投げ込んでおきますよ。それで元通り。問題ないでしょう?」
そんな提案をすると、テオは怪訝そうな顔をした。
「でも、そうすると君が――」
言いかけたところで自室の前に着いたので、話を中断する。
「ただいまー」
ドアを開けると、ソファにはフランツとクルトが腰掛けていた。
「クルトも帰ってきてたんですね」
「……ああ、ついさっき。夕食までに戻る決まりだからな」
フランツがにやにやしながらクルトを指差す。
「聞いてくれよ。こいつ、ベッドで寝てるオレをユーリと勘違いして『成長してる!』とか言ったんだぜ。んなわけねえだろ。おかげで眠気も吹き飛んだし」
「おい、言うなよ」
「残念。もう言っちゃいましたー」
明るい声を上げて笑うフランツは機嫌がよさそうだ。今朝いらいらしていたように見えたのは、睡眠不足のせいだったんだろうか。逆にクルトはなんだか口数が少なくて、何事かを考えこんでいるような雰囲気だ。フランツをわたしと見間違えた事をばらされたのがそんなに嫌だったのかな? 繊細だなあ。
「それよりオレ、昼飯抜いたから腹減っててさ。なんか食いもの持ってねえか?」
「それならチョコレートがありますけど……もしかして、ずっと寝てたんですか?」
「まあな。なんでもいいから早くくれよ」
わたしが差し出した紙袋をひったくるように受け取ったフランツは、乱暴に手を突っ込む。
「こりゃまた大量に買ったもんだな……うげ、これペパーミントかよ。オレ苦手なんだよな」
「他の味もありますよ。探してみてください」
「フランツも僕らと一緒に来れば良かったのに。楽しかったよ。それに、ユーリが面白い事したんだ。噴水の近くでさ――」
そうしてテオが先ほどの件を話し始めた。
「はあ? それでなんでユーリが、その噴水に他人の分の五百クラール銀貨を補填しようだなんてアホみたいな結論になるんだ?」
フランツの疑問の声にテオも同意するように頷く。
「そこが僕も不思議なんだよね。そんな事してもユーリが損するだけなのに」
「だって、困っている人を見たら助けるのは当然だし……わたしの提案が元でテオが後味悪い思いをしてるなら、それを解消させるべきかと……」
「それなら僕はもう気にしてないから。これ以上はいいよ」
テオが困ったように笑うが、わたしはテーブルをどんっと叩く。
「そういうわけにはいきません! 後々今日の出来事を後悔するかもしれませんからね。禍根を残さないためにもきっちりさせるべきです!」
「参ったなあ……」
頭をかくテオを横目に、フランツが茶化すように口を開く。
「優しい優しいユーリ君は、驚くべき慈愛の心でもって、己の身を削りながらも噴水に五百クラール銀貨を投げ込むのでした。めでたし、めでたし」
「民話調で締めないでください! むしろわたし達の戦いはこれからです! 五百クラール銀貨二枚をあの噴水に投げ入れるまで物語は終われないんですよ!」
「『わたし達の戦い』とか言ってるけど、お前だけの戦いだろ。オレらは関係ねえし」
「ええと、それが、このままだと、わたしだけではどうしようもできないというか……」
「どういう意味?」
疑問の声を上げるテオや他の二人に対し、わたしは少し気まずい思いで告げる。
「実は、今月分のお小遣いが少し心もとなくて……それで、ほんとに申し訳ないんですけど、少し援助してもらえたり……しませんか……?」
「はあ? なんでオレらがお前の尻拭いをしなけりゃならねえんだ。ていうか、そんなに金がないとか、今日一日でどんだけ無駄遣いしてんだよ。自業自得」
「そんな事言わずに、人助けだと思って……!」
「生憎とそんなご立派な奉仕精神は持ち合わせてねえから。つーかさ、お前もおせっかいが過ぎるだろ。テオだってもういいって言ってんのに。そこまで他人に尽くすなんて聖人かよ。な、クルトもそう思うだろ?」
そ、そこまでの事……? え? なに? 今まで気づかなかったけど、実はわたしって聖人並に素晴らしい人間だったの?
先ほどから黙って話を聞いていたクルトは
「ああ、うん……」
一瞬フランツに賛同する素振りを見せたものの
「――いや、素晴らしい考えだと思う。是非俺にも援助させてくれ」
なんと、わたしに協力を申し出てくれたのだ。
「ほ、ほんとですか? さすがクルト! 紳士! 貴族!」
「おかしな賛辞の仕方はやめてくれ。不思議と援助を取り消したくなってきた」
「あ、冗談です、冗談! ともかく約束ですよ! 忘れないでくださいね!」
クルトの気が変わらないよう慌てて胸の前で手を振ると念を押す。
やっぱりクルトっていい人かも。本当の紳士というものはこういう人の事なのかな。
「うへえ、聖人がもうひとり。おまえらが死んだら亡骸を聖遺物として教会に納めてやるよ……お、このナッツ入りのやつ美味いな」
チョコレートを口に放り込みながらフランツが声を上げる。
「あっ、全部食べないでくださいよ。わたしも楽しみにしてたんですから」
「わかってるって。心配すんな。おい、喉が渇いてきたから誰か飲み物持ってきてくれよ。コーヒーみたいな苦い泥水以外でさ」
「今から用意したら夕食に被っちゃいますよ。我慢してください」
「なんだよ冷てえな。やっぱさっきの聖人認定は無しで。それ以前にユーリ、お前はどっちかっていうと聖女だよな。見た目的に。ひひひ」
もちろんフランツとしては揶揄のつもりなのだろう。けれど、わたしはひとり焦ってしまい、話題を変える。
「ええと、そのチョコレート、気に入ったのなら、今度お店まで案内しますよ。一緒に行きましょう。みんなで。その時にでも噴水に硬貨を投げ入れたらいいし」
今日はうまくいかなかったが、また今度誘えばいい。日曜日は何度でも訪れるのだから。
そうだ。いつかみんなであの噴水の見えるカフェに行こう。ケーキを食べながらお茶を飲んで、いろんな事をお喋りするのだ。きっと楽しいに違いない。
そう遠くない未来、きっとその機会が訪れる。その光景を想像しながら、わたしもチョコレートに手を伸ばした。
寮の廊下を歩きながら、わたしはお礼を言う。
「君があの場のみんなの注意を逸らしてくれてたからなんとかなったけど、それでも噴水に手を突っ込むところを誰かに見られやしないかってひやひやしたよ」
先ほどわたしがテオにした頼み事。それは、噴水の底に沈む無数の硬貨の中から五百クラール銀貨を二枚拾ってきて欲しいというものだった。
それを例の女性が落としたものとして渡したのだ。
「でも、さすがに罪悪感を覚えるなあ。あの女の人のためとはいえ、お金を噴水からくすねるなんて」
「うーん……それなら問題ないと思うんですけどね」
「えっ? ユーリは同じ事しても平気なの?」
誤解を与える言い方をしてしまった事に気付いて、慌てて弁明する。
「いえ、そうじゃなくて……あの女の人の落とした銀貨の本当の場所についてです」
「本当の場所?」
「さっきはカラスが持ち去ったなんて言いましたけど、わたしの予想では、銀貨は二枚とも噴水の中に落ちてしまったんじゃないかと。あの場所で硬貨をばら撒けば、何枚かは地面に跳ね返って水の中に落ちても不思議はないでしょう? それがたまたま二枚の五百クラール銀貨だったとは考えられませんか? 大人数で周辺を探しても見つからなかったのは、そのせいだったんじゃないかって」
「そんな。それならさっきみんなの前でそう言って、普通に噴水の中から硬貨を拾って渡せば良かったのに」
「だって、わたしのはあくまでも推測であって事実じゃないし、確かめる方法もなかったので……それに、ああいう場所から硬貨を拾うのって抵抗あるでしょう? 現にテオだって罪悪感を覚えたわけだし」
「それはまあ、そうだけど……」
「だからあんな解決法しか思いつかなかったんです。心配ならわたしが後であの噴水に五百クラール銀貨を二枚投げ込んでおきますよ。それで元通り。問題ないでしょう?」
そんな提案をすると、テオは怪訝そうな顔をした。
「でも、そうすると君が――」
言いかけたところで自室の前に着いたので、話を中断する。
「ただいまー」
ドアを開けると、ソファにはフランツとクルトが腰掛けていた。
「クルトも帰ってきてたんですね」
「……ああ、ついさっき。夕食までに戻る決まりだからな」
フランツがにやにやしながらクルトを指差す。
「聞いてくれよ。こいつ、ベッドで寝てるオレをユーリと勘違いして『成長してる!』とか言ったんだぜ。んなわけねえだろ。おかげで眠気も吹き飛んだし」
「おい、言うなよ」
「残念。もう言っちゃいましたー」
明るい声を上げて笑うフランツは機嫌がよさそうだ。今朝いらいらしていたように見えたのは、睡眠不足のせいだったんだろうか。逆にクルトはなんだか口数が少なくて、何事かを考えこんでいるような雰囲気だ。フランツをわたしと見間違えた事をばらされたのがそんなに嫌だったのかな? 繊細だなあ。
「それよりオレ、昼飯抜いたから腹減っててさ。なんか食いもの持ってねえか?」
「それならチョコレートがありますけど……もしかして、ずっと寝てたんですか?」
「まあな。なんでもいいから早くくれよ」
わたしが差し出した紙袋をひったくるように受け取ったフランツは、乱暴に手を突っ込む。
「こりゃまた大量に買ったもんだな……うげ、これペパーミントかよ。オレ苦手なんだよな」
「他の味もありますよ。探してみてください」
「フランツも僕らと一緒に来れば良かったのに。楽しかったよ。それに、ユーリが面白い事したんだ。噴水の近くでさ――」
そうしてテオが先ほどの件を話し始めた。
「はあ? それでなんでユーリが、その噴水に他人の分の五百クラール銀貨を補填しようだなんてアホみたいな結論になるんだ?」
フランツの疑問の声にテオも同意するように頷く。
「そこが僕も不思議なんだよね。そんな事してもユーリが損するだけなのに」
「だって、困っている人を見たら助けるのは当然だし……わたしの提案が元でテオが後味悪い思いをしてるなら、それを解消させるべきかと……」
「それなら僕はもう気にしてないから。これ以上はいいよ」
テオが困ったように笑うが、わたしはテーブルをどんっと叩く。
「そういうわけにはいきません! 後々今日の出来事を後悔するかもしれませんからね。禍根を残さないためにもきっちりさせるべきです!」
「参ったなあ……」
頭をかくテオを横目に、フランツが茶化すように口を開く。
「優しい優しいユーリ君は、驚くべき慈愛の心でもって、己の身を削りながらも噴水に五百クラール銀貨を投げ込むのでした。めでたし、めでたし」
「民話調で締めないでください! むしろわたし達の戦いはこれからです! 五百クラール銀貨二枚をあの噴水に投げ入れるまで物語は終われないんですよ!」
「『わたし達の戦い』とか言ってるけど、お前だけの戦いだろ。オレらは関係ねえし」
「ええと、それが、このままだと、わたしだけではどうしようもできないというか……」
「どういう意味?」
疑問の声を上げるテオや他の二人に対し、わたしは少し気まずい思いで告げる。
「実は、今月分のお小遣いが少し心もとなくて……それで、ほんとに申し訳ないんですけど、少し援助してもらえたり……しませんか……?」
「はあ? なんでオレらがお前の尻拭いをしなけりゃならねえんだ。ていうか、そんなに金がないとか、今日一日でどんだけ無駄遣いしてんだよ。自業自得」
「そんな事言わずに、人助けだと思って……!」
「生憎とそんなご立派な奉仕精神は持ち合わせてねえから。つーかさ、お前もおせっかいが過ぎるだろ。テオだってもういいって言ってんのに。そこまで他人に尽くすなんて聖人かよ。な、クルトもそう思うだろ?」
そ、そこまでの事……? え? なに? 今まで気づかなかったけど、実はわたしって聖人並に素晴らしい人間だったの?
先ほどから黙って話を聞いていたクルトは
「ああ、うん……」
一瞬フランツに賛同する素振りを見せたものの
「――いや、素晴らしい考えだと思う。是非俺にも援助させてくれ」
なんと、わたしに協力を申し出てくれたのだ。
「ほ、ほんとですか? さすがクルト! 紳士! 貴族!」
「おかしな賛辞の仕方はやめてくれ。不思議と援助を取り消したくなってきた」
「あ、冗談です、冗談! ともかく約束ですよ! 忘れないでくださいね!」
クルトの気が変わらないよう慌てて胸の前で手を振ると念を押す。
やっぱりクルトっていい人かも。本当の紳士というものはこういう人の事なのかな。
「うへえ、聖人がもうひとり。おまえらが死んだら亡骸を聖遺物として教会に納めてやるよ……お、このナッツ入りのやつ美味いな」
チョコレートを口に放り込みながらフランツが声を上げる。
「あっ、全部食べないでくださいよ。わたしも楽しみにしてたんですから」
「わかってるって。心配すんな。おい、喉が渇いてきたから誰か飲み物持ってきてくれよ。コーヒーみたいな苦い泥水以外でさ」
「今から用意したら夕食に被っちゃいますよ。我慢してください」
「なんだよ冷てえな。やっぱさっきの聖人認定は無しで。それ以前にユーリ、お前はどっちかっていうと聖女だよな。見た目的に。ひひひ」
もちろんフランツとしては揶揄のつもりなのだろう。けれど、わたしはひとり焦ってしまい、話題を変える。
「ええと、そのチョコレート、気に入ったのなら、今度お店まで案内しますよ。一緒に行きましょう。みんなで。その時にでも噴水に硬貨を投げ入れたらいいし」
今日はうまくいかなかったが、また今度誘えばいい。日曜日は何度でも訪れるのだから。
そうだ。いつかみんなであの噴水の見えるカフェに行こう。ケーキを食べながらお茶を飲んで、いろんな事をお喋りするのだ。きっと楽しいに違いない。
そう遠くない未来、きっとその機会が訪れる。その光景を想像しながら、わたしもチョコレートに手を伸ばした。
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