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7月と鳥の心臓
7月と鳥の心臓 5
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ヴェルナーさんの目が冷たく細められたのを見て、わたしは慌てて胸の前で両手を振る。
「あ、あの、壊すと言っても、正確には型を取った後に、という事なんですが……」
しどろもどろになりながら説明する。
「……『ここに来なくなったら像を壊して欲しい』だなんて、まるで完成できない事が前程であるような言い方じゃありませんか? あらかじめここに来られなくなる事が予想できているのなら、なんとかして作品を完成させようとするはず。それが難しそうだと感じたら、諦めて自分で壊すと思うんです」
「……だが――」
ヴェルナーさんが口を開く。
「彼が突然ここに来られなくなった可能性だってあるだろう? 像を完成させる気はあったが、それが叶わなかった時のための保険として『壊してくれ』と言ったのでは?」
「わたしも最初はそう思ったんですけど……でも、よく考えたらそれ自体おかしくありませんか? 自分の家ならともかく、ここはヴェルナーさんのアトリエなんですよ。そこに未完成のものを残していくなんて、他人の家に荷物を置きっぱなしにするようなものだと思うんですが。たとえ処分して欲しいと言われても、家主も困ってしまいますよね。それが親しい相手なら特に。現にヴェルナーさんだって、この像を壊せずにいたわけですし。普通ならそんな迷惑を掛ける様な事は避けるはずです。それに、本当に完成させる気があったなら、自身が外出できなくても、誰かに頼んで作品を回収するなりできるはず。それなのにエミールさんはこの作品をここに残していった。もしかすると、エミールさんの真の目的は、この像を『壊してもらう』事だったんじゃないでしょうか?」
「……一体、なんのために?」
「それは、実際に壊してみないとわかりませんが……でも、ただ壊すというのも心苦しいので、せめて石膏か何かで型を取ってから、と思って……」
言いながらわたしの声は小さくなる。
もしもこの推測が間違っていたら……壊しても何もわからなかったら……そうしたらこの作りかけの粘土像は永遠に失われ、わたしはまたヴェルナーさんを傷つけてしまう事になるのでは……?
そう考えると急に怖くなった。
「……あの、でも、あくまでわたしがそう思っただけなので、間違っている可能性だってあるし……やっぱり、今の話は聞かなかった事にしてください。すみません……」
消え入りそうな声になりながら俯くわたしを、ヴェルナーさんはつかの間みつめていたようだったが、やがて塑像台に顔を向ける気配がした。
「……いや、やってみよう」
「え? でも、いいんですか?」
思わぬ答えに顔を上げると、ヴェルナーさんは頷く。
「……ああ。きみがそう言うのなら、試す価値はあると思う」
塑像台に掛けられていた布を取り去ると、粘土の塊が現れる。それは羽を休めて蹲る鳥のような形をしていた。
ヴェルナーさんが頻繁に霧を吹き、上に掛ける布も湿らせていたんだろう。粘土の表面は乾燥する事もなく、適度に柔らかい状態に保たれていた。
それを半分に分けるように、ヴェルナーさんは手際よく粘土に切金を刺してゆく。それが終わると、水に溶いた石膏を粘土の表面に筆で薄く塗る。
わたしも何かしたかったが、もしも変に手を出して切金が曲がったり、石膏に気泡が入ってしまったら……と考えると、何も出来ずにただ見守るしかなかった。
その後で、もったりした石膏を厚く盛っていく事になるが、それなら手伝えるはずだ。
二人で分担して石膏を盛り終わると、固まるまで暫く待つ。
「……エミールは、庭に時々来る鳥が好きだと言っていた。この粘土像も、それを模したものかもしれないな」
それを聞いてわたしは思い切って尋ねてみる。
「あの、エミールさんって、どんな人だったんですか?」
もしかして辛い事を思い出させてしまうのでは……とも考えたが、意外にもヴェルナーさんは気にする様子もなく、少し遠い目をして口を開く。
「……そうだな……弟のようだった、というのはこの間話したと思うが、そう感じさせるような安心感があったし、一緒に過ごしていても気を張らずにすんだ。そういえば、クラウス学園に入学する予定だとも言っていた。病気が治っていれば、きみ達と同級生になっていたかもしれないな」
という事は、生きていればクルトと同じ一六歳か。
ヴェルナーさんのために自分の肖像画を塗り潰した少年。本当の彼はどんな顔だったんだろう。機会があれば逢ってみたかった。
「……それに、どことなくきみに似ていたように思う」
「わたしに?」
意外な言葉に瞬きするわたしに対し、ヴェルナーさんは続ける。
「髪の色が近いというのもあるかもしれないが……雰囲気というか、物怖じしない性格、というのかな。俺はこの通り愛想がないし、他人からはあまりいい印象を持たれない事が多い。肖像画を描かなくなってからはなおさら。けれど、ここで絵を教えて欲しいだとか、粘土で彫刻をしたいだとか言い出して、実際に行動に移したのはきみと彼くらいだろうな」
「えっ、でも、ヴェルナーさんって、女の人にすごく人気があったって聞きましたけど」
「……そういう意味ではなくて……というか、一体誰からそんな話を聞いたんだ……」
そういう意味じゃないって、それじゃあどういう意味なんだろう……。
ヴェルナーさんは溜息をつくと、小さく首を横に振る。
「……そろそろ石膏が固まった頃だろう。粘土から外してみよう」
切金の部分にヘラを差し入れ、テコの要領で力を込めると、石膏型は難なく粘土から外れた。
ここからが問題だ。
ヴェルナーさんは一瞬躊躇う様子を見せた後、思い切ったように剥き出しになった粘土の塊をヘラで少しずつ削り取ってゆく。
その様子を見守りながら、わたしはごくりと喉を鳴らす。
お願いだから何か見つかりますように……!
祈るような気持ちでヴェルナーさんの手元を見つめる。
――それからどれくらい経っただろう。
塑像台の上に残ったのは、削られて細切れになった無数の粘土と、芯棒として使われていたらしい布の巻かれた小さな木片。
それだけだった。
「これで、全部……?」
絞り出した自分の声が、別人の発したもののように聞こえた。
いくら塑像台の上を見回しても、他には何もない。
ヴェルナーさんは言葉を発する事なく、塑像台の上にじっと目を落としている。
そんな……そんな……。
わたしはまた、この人に対して取り返しのつかない事をしてしまったんだろうか? この人の大切にしていたものを滅茶苦茶にしただけだなんて。どうして「壊してみないか」なんて言
ったんだろう。こうなってしまう可能性だって充分あったのに。
謝らなければ……と口を開きかけたその時
「……妙だな」
ヴェルナーさんが呟いた。
「あ、あの、壊すと言っても、正確には型を取った後に、という事なんですが……」
しどろもどろになりながら説明する。
「……『ここに来なくなったら像を壊して欲しい』だなんて、まるで完成できない事が前程であるような言い方じゃありませんか? あらかじめここに来られなくなる事が予想できているのなら、なんとかして作品を完成させようとするはず。それが難しそうだと感じたら、諦めて自分で壊すと思うんです」
「……だが――」
ヴェルナーさんが口を開く。
「彼が突然ここに来られなくなった可能性だってあるだろう? 像を完成させる気はあったが、それが叶わなかった時のための保険として『壊してくれ』と言ったのでは?」
「わたしも最初はそう思ったんですけど……でも、よく考えたらそれ自体おかしくありませんか? 自分の家ならともかく、ここはヴェルナーさんのアトリエなんですよ。そこに未完成のものを残していくなんて、他人の家に荷物を置きっぱなしにするようなものだと思うんですが。たとえ処分して欲しいと言われても、家主も困ってしまいますよね。それが親しい相手なら特に。現にヴェルナーさんだって、この像を壊せずにいたわけですし。普通ならそんな迷惑を掛ける様な事は避けるはずです。それに、本当に完成させる気があったなら、自身が外出できなくても、誰かに頼んで作品を回収するなりできるはず。それなのにエミールさんはこの作品をここに残していった。もしかすると、エミールさんの真の目的は、この像を『壊してもらう』事だったんじゃないでしょうか?」
「……一体、なんのために?」
「それは、実際に壊してみないとわかりませんが……でも、ただ壊すというのも心苦しいので、せめて石膏か何かで型を取ってから、と思って……」
言いながらわたしの声は小さくなる。
もしもこの推測が間違っていたら……壊しても何もわからなかったら……そうしたらこの作りかけの粘土像は永遠に失われ、わたしはまたヴェルナーさんを傷つけてしまう事になるのでは……?
そう考えると急に怖くなった。
「……あの、でも、あくまでわたしがそう思っただけなので、間違っている可能性だってあるし……やっぱり、今の話は聞かなかった事にしてください。すみません……」
消え入りそうな声になりながら俯くわたしを、ヴェルナーさんはつかの間みつめていたようだったが、やがて塑像台に顔を向ける気配がした。
「……いや、やってみよう」
「え? でも、いいんですか?」
思わぬ答えに顔を上げると、ヴェルナーさんは頷く。
「……ああ。きみがそう言うのなら、試す価値はあると思う」
塑像台に掛けられていた布を取り去ると、粘土の塊が現れる。それは羽を休めて蹲る鳥のような形をしていた。
ヴェルナーさんが頻繁に霧を吹き、上に掛ける布も湿らせていたんだろう。粘土の表面は乾燥する事もなく、適度に柔らかい状態に保たれていた。
それを半分に分けるように、ヴェルナーさんは手際よく粘土に切金を刺してゆく。それが終わると、水に溶いた石膏を粘土の表面に筆で薄く塗る。
わたしも何かしたかったが、もしも変に手を出して切金が曲がったり、石膏に気泡が入ってしまったら……と考えると、何も出来ずにただ見守るしかなかった。
その後で、もったりした石膏を厚く盛っていく事になるが、それなら手伝えるはずだ。
二人で分担して石膏を盛り終わると、固まるまで暫く待つ。
「……エミールは、庭に時々来る鳥が好きだと言っていた。この粘土像も、それを模したものかもしれないな」
それを聞いてわたしは思い切って尋ねてみる。
「あの、エミールさんって、どんな人だったんですか?」
もしかして辛い事を思い出させてしまうのでは……とも考えたが、意外にもヴェルナーさんは気にする様子もなく、少し遠い目をして口を開く。
「……そうだな……弟のようだった、というのはこの間話したと思うが、そう感じさせるような安心感があったし、一緒に過ごしていても気を張らずにすんだ。そういえば、クラウス学園に入学する予定だとも言っていた。病気が治っていれば、きみ達と同級生になっていたかもしれないな」
という事は、生きていればクルトと同じ一六歳か。
ヴェルナーさんのために自分の肖像画を塗り潰した少年。本当の彼はどんな顔だったんだろう。機会があれば逢ってみたかった。
「……それに、どことなくきみに似ていたように思う」
「わたしに?」
意外な言葉に瞬きするわたしに対し、ヴェルナーさんは続ける。
「髪の色が近いというのもあるかもしれないが……雰囲気というか、物怖じしない性格、というのかな。俺はこの通り愛想がないし、他人からはあまりいい印象を持たれない事が多い。肖像画を描かなくなってからはなおさら。けれど、ここで絵を教えて欲しいだとか、粘土で彫刻をしたいだとか言い出して、実際に行動に移したのはきみと彼くらいだろうな」
「えっ、でも、ヴェルナーさんって、女の人にすごく人気があったって聞きましたけど」
「……そういう意味ではなくて……というか、一体誰からそんな話を聞いたんだ……」
そういう意味じゃないって、それじゃあどういう意味なんだろう……。
ヴェルナーさんは溜息をつくと、小さく首を横に振る。
「……そろそろ石膏が固まった頃だろう。粘土から外してみよう」
切金の部分にヘラを差し入れ、テコの要領で力を込めると、石膏型は難なく粘土から外れた。
ここからが問題だ。
ヴェルナーさんは一瞬躊躇う様子を見せた後、思い切ったように剥き出しになった粘土の塊をヘラで少しずつ削り取ってゆく。
その様子を見守りながら、わたしはごくりと喉を鳴らす。
お願いだから何か見つかりますように……!
祈るような気持ちでヴェルナーさんの手元を見つめる。
――それからどれくらい経っただろう。
塑像台の上に残ったのは、削られて細切れになった無数の粘土と、芯棒として使われていたらしい布の巻かれた小さな木片。
それだけだった。
「これで、全部……?」
絞り出した自分の声が、別人の発したもののように聞こえた。
いくら塑像台の上を見回しても、他には何もない。
ヴェルナーさんは言葉を発する事なく、塑像台の上にじっと目を落としている。
そんな……そんな……。
わたしはまた、この人に対して取り返しのつかない事をしてしまったんだろうか? この人の大切にしていたものを滅茶苦茶にしただけだなんて。どうして「壊してみないか」なんて言
ったんだろう。こうなってしまう可能性だって充分あったのに。
謝らなければ……と口を開きかけたその時
「……妙だな」
ヴェルナーさんが呟いた。
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