7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と円舞曲

7月と円舞曲 11

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 不意に楽しげな音楽と、人々のざわめきが耳に飛び込んできて、わたし達の会話は遮られた。
 テラスに通じるドアが開いたために、広間の音が漏れ出てきたのだ。
 ドアのほうに顔を向けると、ひとりの男性がテラスへと出てくるところだった。逆光で顔はよく見えないが、丁寧に撫でつけられたミルクティー色の髪の毛は、誰かを彷彿とさせた。


「お兄様!」


 リコリスさんが嬉しそうな声を上げて立ち上がる。
 それを聞いて腑に落ちた。そうだ、この髪の色。この男性はリコリスさんに似ている。それも実の兄というのなら納得だ。


「ああ、リコリス。広間からぼんやり姿が見えたものだから、何してるのかと思って。こんなところで寒くないのか?」

「こちらのユーリさんが、気分が優れないとのことで、涼しい場所で少し休んで頂いていましたの」

「それは……お加減はもう宜しいので? 」


 気遣わしげな男性の問いに頷く。


「ええ、リコリスさんのおかげで、もうすっかり」

「わたくしたち、さっきお友達になったばかりなの。ね、ユーリさん」


 いつのまにかリコリスさんとはお互いに友達的存在だということが決定事項になっていたようだ。
 曖昧に笑みを浮かべていると、男性はわたしの前に進み出る。明かりに照らされる角度が変わって、整った顔が浮かび上がった。


「ご挨拶が遅れました。私はリコリスの兄のアレクシスです。どうぞお見知り置きを」

「ええと、その、こちらこそ……」


 わたしがぎこちなく挨拶を返すと、アレクシスさんはとび色の瞳に柔らかな光をたたえ、優しげに微笑む。


「これは美しいお嬢さんだ。よろしければ、後ほど一曲お相手して頂けませんか?」


 え? なに? この人今、わたしの事を美しいとか言った? 言ったよね?
 聞き間違いじゃないかとアレクシスさんの顔を伺うが、彼は柔らかい笑みを浮かべたまま、こちらを見つめている。

 まさか――まさか、これが噂に聞く「紳士」という生き物なのでは?
 今まで孤児院からほとんど出た事が無かったし、普段は男子として過ごしていたから接する機会がなかったけれども、これが紳士のかくあるべき姿なのでは?
 そして今、わたしが受けている扱いこそが、レディに対するそれなのでは? 
 すごい。本物の紳士。初めて見た。

 けれど、なんと答えたらいいものか。ダンスは上手く踊れる自信がないし、かといって断るのも角が立ちそう……
 言葉に詰まっていると、リコリスさんが割って入る。


「だめよお兄様。わたくしと踊ってくださる約束だったでしょう? それに、ユーリさんはクルト様のお連れ様なのよ」


 それを聞いてアレクシスさんは苦笑する。


「一曲踊るくらいは構わないだろう? お前だって、そのブラウモント家の彼と踊ればいい」

「それとこれとは別ですわ」


 唇を尖らせるリコリスさんの様子に、アレクシスさんは肩をすくめる。


「参ったな。たまにはその我侭を引っ込めてくれると助かるんだけどな……とりあえず私は燭台を持ってくるよ。広間からの明かりだけでは心もとないだろう? それに――」


 彼はこちらに向かって微笑みながら付け加えた。


「ここは冷えるでしょう。なにか温かい飲み物もお持ちしますよ。あなたのその花びらのように可憐な唇が、寒さで色を失ったとあってはおおごとですからね」


 可憐な唇! 花びらのような! そんなこと言われたの初めてだ。
 なんだなんだ。なんだか気分がいいぞ。うーん、素晴らしいな紳士。 それに、彼の言う通り、気分が落ち着くにつれ、少し寒くなってきたと感じていたところだ。さすが紳士は気遣いが違うなあ。どこかのクルなんとかさんとは大違いだ。
 その紳士的行動に感激しながら彼の背中を見送った。



「アレクシスさんて、とっても素敵な方ですね。親切だし、笑顔にも優しさが滲み出てるっていうか。わたしの想像する理想の紳士そのものです」


 本人がいない間に、やや興奮気味にリコリスさんに伝えると、彼女は顔を強張らせた。


「あなた、まさか、お兄様を狙うつもりですの? それはいけませんわよ。ルール違反です」

「え? いえ、狙うなんてそんな……わたしは素直な感想を言ったまでで……」


 ルールってなんの……? 社交界の? というか、ルールなんてあるの……? 
 たしかにアレクシスさんは素敵な男性だとは思うけれど、それを伝えただけで、まるで彼に特別な好意を持っているかのような捉え方をされてしまうなんて思ってもみなかった。
 それとも、気づかないうちに誤解されるような言い回しをしてしまったんだろうか?

 リコリスさんの予想外に厳しい反応に、なんとなくそれ以上尋ねるのも憚られて、水を飲みながら場を濁していると、ほどなくしてアレクシスさんが使用人とともに戻ってきた。

 使用人はテーブルに紅茶を並べると、テラスからすぐに出て行く。
 アレクシスさんは持っていた燭台をテーブルに置き、上着の内ポケットからマッチを取り出し蝋燭に火をつける。柔らかな光に照らされ、先ほどよりもお互いの顔がよく見える。
 わたしはちらりとアレクシスさんに目を向ける。
 こうしてよく見ると、整った顔つきからは落ち着いた雰囲気を感じさせることもあり、先ほど薄暗がりで見たよりも実際の年齢は上のようだ。
 と、彼と目があった。一瞬焦るが、当のアレクシスさんは気を悪くする素振りもなく、にこりとわたしに微笑みを返す。


「思った通り、蝋燭の幽玄な光に照らされるあなたも、幻想的で美しい。そのドレスもよくお似合いですよ。まるで一足先に春の訪れを告げて咲いた一輪の花のように可憐だ。今宵あなたのような方と巡り合えた奇跡を、運命の女神に感謝しなければなりませんね」


 ……すごい。紳士の圧倒的社交能力すごい。
 たとえ紳士的には取るに足らないお世辞だとしても、そんなふうに褒められれば流石に嬉しい。思わず口もとがにやけそうになってしまう。
 これは普通に考えたら、クルト以上に女性に人気があるんじゃないのかなあ。クルトはこんな事言わなさそうだし。
 だからこそ、リコリスさんはそんな兄の事が心配で、女性が軽々しく近づくのを警戒しているのかもしれない。

 そんな事を考えていると、ふと視線を感じた。頭を巡らすと、こちらを軽く睨んでいるリコリスさんと目があってしまった。
 さきほど強張った顔でルール違反だと言われた事を思い出し、慌てて紅茶を飲む振りをして目を反らす。
 カップを持ち上げたところで、それが白いシンプルな陶器ではない事に気付いた。紺色の地に、金や白い色で鮮やかな模様が描いてある。どこか異国の雰囲気を感じさせる品だ。
 さっきのゴブレットもだけど、これも高そう……
 ついでにテーブルの上に目を向けると、細かな彫刻を施され、磨き上げられた銀の燭台。その上に据えられた二本の蝋燭の表面には、根元から上のほうにかけての大部分に、赤い何かの模様のようなものが描かれている。
 こんな消耗品にまで、相当拘っているみたいだ。上流階級のパーティって凄いんだなあ……なんだかカップを持つ手が震えるのは、きっと寒さのせいだけじゃない。


「あれ?」


 不意にアレクシスさんが驚いた様な声を上げたので、わたしは危うくカップを取り落としそうになり、あわててテーブルへと戻す。


「どうかなさったの?」


 リコリスさんの問いに、アレクシスさんは戸惑った様に自身の胸のあたりを押さえる。


「それが、今マッチをしまおうとした拍子に、ポケットの中のものを指に引っ掛けて落としてしまったみたいなんだ」

「落としたって、一体なにを?」


 アレクシスさんは、こちらを気にするように一瞬視線を向けると、リコリスさんに耳打ちする。


「……まあ、大変」



 リコリスさんは目を瞠ると、口元に手を当てる。



「このあたりで地面に当たる音がしたような気がするんだが……すまないが、蝋燭で床を照らして貰えないか」



 アレクシスさんが足元を指し示すと、リコリスさんはテーブルの上から燭台を取り上げ、その傍へ歩み寄る。



「あの、わたしもお手伝いしましょうか?」


 わたしは控えめに声をかけるが、二人は揃って首を横に降る。



「いいえ、あなたはお客様なんですから、気になさらないでください。どうぞそのままで」


 とは言われても、何もせずにただ見ているだけというのも落ち着かない。でも、一体何を落としたと言うんだろう。二人の様子からして大切なもののようだけれども。教えてもらえないという事は、他人に知られてはまずいもの……まさか、違法なものとか……?
 念のため、自分の足元を見回してみるが、それらしきものは見当たらなかった。


「ああ、リコリス、蝋燭をもう少し左に……そう、その位置だ。暫くそのまま動かないでくれ。うっかりあれを踏んでしまったら大変だからね」


 リコリスさんが言われたとおりに灯りを差し向けると、それを頼りに、アレクシスさんは地面に膝をつき、手探りで何かを探し始めた。
 けれど、目的のものはなかなか見つからないようで、沈黙の中、ときおり蝋燭の炎だけがゆらめく。

 どれくらい経っただろうか。
 唐突にあたりが明るくなった。
 わたしには蝋燭の炎が一瞬にして大きくなったように見えた。眩しさに思わず目を閉じる。
 その直後、リコリスさんの悲鳴が上がった。炎の激しさに驚いたのかと思ったが、何故だか違和感を覚えた。
 暫くは何が起こっているのかわからなかった。けれど、少ししてから、蝋燭とともに、リコリスさんのミルクティー色の髪の毛先が赤く燃え上がり、煙を上げていることに気づいた。
 リコリスさんはとっさに炎を振り払うかのように頭を振るが、それは収まる様子はなく、恐ろしい速度で髪の表面を舐めるように頭部全体へと燃え広がっていく。


「いやっ……あ、あつい……!」


 頭を抱え、髪を振り乱すリコリスさんの手からは燭台が離れ、床に叩きつけられた拍子に炎は消え、蝋燭の破片があたりに散らばる。
 目の前の光景を信じられない思いで見つめていたわたしは、その音で我に返った。
 炎を消さなければ。そうだ、水、水は……!
 立ち上がり、咄嗟にテーブルの上のゴブレットへと手を伸ばすが、うまく掴めず倒してしまい、こぼれた水がドレスを濡らす。

 これではだめだ。もっと他の方法を……
 たまらずリコリスさんに駆け寄ろうとしたところで、腕を掴まれ、強い力で引き戻される。


「ユーリさん、危ない!」


 見れば、アレクシスさんに身体をがっしりと抱え込まれていた。


「は、離してください! リコリスさんが……!」


 動けずにいるわたしの眼の前で、勢いを増した炎はリコリスさんの髪を伝い服にまで侵食していく。
 その間も彼女は尋常ではない悲鳴をあげ、髪を振り乱し、身体を奇妙にくねらせ続ける。それがまるで不吉な舞踏のように感じられて、わたしはぞくりとした。
 このままでは、本当に彼女が……


「だ、だれか、助けて……!」


 叫んだつもりが、声が掠れてうまく出せない。ガラス一枚隔てた向こうはあんなに明るくて平和そのものだというのに、まるでこちら側は別の世界、あるいは悪い夢の中なのではないかと錯覚させられる。
 とにかくこの異常な状況から抜け出したくて、力任せに腕を振り上げる。
 その指先が、アレクシスさんの顔に当たったのか、わたしの身体を締め付けていた力が緩んだ。その隙に彼の腕を振り払うと、夢中でリコリスさんに駆け寄り手を伸ばす。


「リコリスさん、動かないで!」


 渾身の力でリコリスさんのドレスを掴み、なんとか床に引き倒す。風に煽られた炎が、こちらにまでその舌先を伸ばしてきて、熱さに一瞬顔を背ける。次の瞬間、髪の燃える嫌なにおいが鼻をついた。
 わたしは自身のドレスの裾を両手で掴むと、そのまま高く持ち上げ、 床をのたうつリコリスさんの身体に夢中で叩きつけた。炎の上から何度も、何度も。

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