7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と白い林檎

7月と白い林檎 3

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 まるで嵐が過ぎ去った後のように、テーブルはひっくり返り、その周りには丸椅子が無造作に転がっている。棚という棚は床に引き倒され、なだれ落ちた中身がそこら中に散らばって酷い有り様だ。
 更には描きかけだったデッサンはびりびりに破かれ、執拗に踏みつけたような靴跡がいくつも残っていた。


「ひどい……これって、まさか、泥棒……?」


 絞り出したわたしのつぶやきに、ヴェルナーさんは首を横に振る。


「……いや、おそらくだが……ディルクの仕業だ」

「え?」

「ただの物盗りなら、わざわざ部屋を滅茶苦茶にしたり、こんなふうにデッサンを、それも描きかけのものを破いたりだなんて無意味な事はしないだろう。絵に固執しているからこそ、こんな事をしたんじゃないだろうか」

「まさか、あの人が例の盗品の絵の件を逆恨みして……?」


 それで、報復のためにこんなことを? そんな、それだけのために?


「そうだ、ヤーデは?」


 ヴェルナーさんは、はっとしたように声を上げると、飼い猫の姿を探して奥の部屋へと向かう。

 残されたわたしは改めて部屋の中を見回し、そして、ある事に気付いて青ざめた。
 あの棚が倒れている。
 エミールさんの作ったオブジェの置かれていたはずの、あの棚が。

 慌てて駆け寄り、棚の端に指を引っ掛けると、力を込めて持ち上げる。ひっくり返すように夢中で棚をどけると、あの鳥の形のようなオブジェが姿を現した。
 わたしはそれを咄嗟に拾い上げようとするが、寸前で手が止まった。


「……まさか」


 オブジェには亀裂が入り、そこから細く白い断面が覗いている。そう見えた。
 ――落下の衝撃で表面の塗料が少し剥がれただけだ。きっとそうだ。そこを塗りなおせば、まったく同じとはいかないけど、きっと元どおりに――
 おそるおそる手で触れると、それは呆気ないほど簡単に崩れ落ちて、もとの形を失った。


「うそ……うそでしょ? そんな、やめて、やめてよ……」


 うわごとのように呟きながら、崩れた破片を拾って寄せ集め、かすかに震える手で包むようにぎゅっと押さえつける。

 ――早く――早く、もとに戻さなければ。あの人がこれを見つけてしまう前に

 けれど、どんなに力を込めても、オブジェはもとの形を取り戻すことはなく、手を離した途端にぼろりと形を崩し、破片が床に転がる。

 ――なんで? なんでくっついてくれないの? お願いだから、もとに戻って……!

 そのとき、背後に足音とともに人の気配を感じ、わたしの手が止まった。


「ヤーデは無事だ。今は怯えてしまってベッドの下から出てこないが……」


 ヴェルナーさんの声だ。
 振り返るのが怖い。彼の顔を見るのが怖い。
 動けずにいると、隣に人の屈み込む気配がした。


「……駄目になってしまったんだな」


 ヴェルナーさんはこぼれ落ちた石膏の欠片をひとつ拾い上げる。
 おそるおそる様子を伺うと、彼はその瞳に複雑そうな色を浮かべて、破片をじっと見つめていた。
 表面上はいつもと変わりない態度を装っているが、その心中を想像すると胸に痛みが走る。


「……ご、ごめんなさい、ごめんなさい。わたしがあの人の頼みごとを引き受けたりなんかしなければ、こんなことにはならなかったのに……」


 そう言っているうちに、涙が溢れそうになって、慌てて手の甲で拭う。
 泣いては駄目だ。一番辛いのはわたしじゃない。この人なんだ。だからわたしは泣いたりしてはいけないんだ。


「君のせいじゃない。それに、この像ならまた作ればいい。元の型は処分せずに残してあるから、何度でも作り直せる」


 そうは言うが、ヴェルナーさんは特別な想いでこれを作ったはずだ。いくら同じ見た目のものをもう一度作ったとしても、それは彼にとってまったくの別物なのではないだろうか。
 それに、なによりも傷ついているのはこの人のはずなのに。
 なのに、わたしを気遣ってそんな事を言ってくれたのだ。

 ――こんなことになったのは、わたしのせいなのに。

 とうとう堪えきれずに涙が頬を伝う。それは拭っても拭ってもおさまらず、じわじわと袖口を濡らしてゆく。
 その様子を見たヴェルナーさんは、わたしにハンカチを差し出すと、静かな声で告げる。


「君は混乱しているようだ。今日はもう帰ったほうがいい。学校まで送ろう」

「で、でも、部屋を片付けないと……わたし、手伝います」


 こんな時にわたしは何を言っているんだろう。言葉にしたいのはこんな事じゃないのに。

 ヴェルナーさんは静かに首を振る。


「そんなことは気にしなくていい。それに、ここにいるより学校のほうが安全だろう。まだ外が明るいうちに帰るんだ」


 その言葉から、彼がディルクによる更なる報復を警戒している様子が窺えた。
 そう言われても、このまま放ってはおけない。
 けれど、自分が非力だということもわかっていた。ここに居続けても、もしもの時に足手まといになるだけだろう。
 少し考えたのち、わたしはのろのろと立ち上がり、ヴェルナーさんの言葉に従った。





 見慣れた帰り道、いつもならば他愛の無いお喋りをしながら歩くのだが、今日は二人ともただ無言で足を動かす。
 無限のようにも感じる時間を歩き、やがて校門の前に着いた。
 重苦しい空気の中で、わたしはやっと口を開く。

「あの、送ってくださってありがとうございました。今日は何もできなかったですけど、次に伺う時は、片付けとか、壊れたものの修理とか手伝いますから」

「その事だが……暫くの間、アトリエに来るのは控えてもらえないか?」

「え? ど、どうして……?」


 突然の申し出に戸惑う。


「……また同じような事が起こらないとも限らないだろう? 君を危険な目にあわせるわけには行かない。ほとぼりが冷めるまでは、俺たちは接触しない方が賢明だと思う。君も、今後はできる事なら外出自体控えた方が良い。学校の中なら安全だろう」 

「で、でも、そんな……」


 嫌だ。
 とっさにそう思った。
 けれど、必死で反論の言葉を探しても見つからない。彼の言う事はもっともだ。アトリエが荒らされたとなれば、次に狙われるのはわたしかもしれないのだ。少なくとも学校内にいる限り、その身の安全は保たれるだろう。
    それに、そうしていればヴェルナーさんの足手まといになる事も避けられる。
 けれど、それを理解しているはずなのに、何故か彼の言葉に頷く事ができない。理性的に行動する事を本能が躊躇わせる。
 言葉が見つけられないでいるわたしの姿を、無言の了承と捉えたのか


「ともかく、むやみに学校から出ないように」


 そう言い置いてヴェルナーさんは背を向けて歩き出してしまった。
 その時、自分がハンカチを借りたままだったことに気付く。後で洗濯して返さなければ。ぼんやりとそんな事を考える。
 そういえば、いつからだろう。ヴェルナーさんがこうして学校まで送ってくれるようになったのは。
 なにげなく考えてどきりとした。
 そうだ。ディルクがあのアトリエに現れた日。あの日怪我をしたわたしを学校まで送ってくれて……それ以降も何かと理由をつけて送ってくれた。
 まさか、まさか彼は、今日のような事態がいつか起こり得るのではと以前から想定していて、それでわたしになんらかの危険が及ばないようにと、帰り道を共にしてくれたのでは?
 もしそうだとしても、危険なのはヴェルナーさんだって変わらないはずだ。だって彼は他人の顔が判別できないのだから。もしも目の前によからぬ考えを抱いたディルクが現れでもしたら、とっさに反応できるかわからないではないか。

 湧き上がる不安とともに、今まさに、どこかの影だまりからディルクがこちらの様子を伺っているような気がした。その不吉な思いつきが杞憂である事を祈りながら、わたしは徐々に小さくなるヴェルナーさんの背中を長いこと見つめていた。

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