7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と白い林檎

7月と白い林檎 5

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「戻ったか。それでヴェルナーさんの様子はどうだったんだ?」


 自室へ戻ると、待ち構えていたクルトに問われる。


「ええと、もう元気になったみたいです。梯子も貸してくれました。騒いだりしてすみません。わざわざ手紙まで書いてもらったのに、それも無駄になってしまって……」

「やっぱりな。お前、大袈裟なんだよ。だいたい、他人の心配より、自分の頼りなさを先になんとかするべきじゃないのか」


 そんなクルトの軽口にも言い返す気力は無く、わたしはただ弱々しい笑みを返した。





 日曜日、わたしはまたヴェルナーさんの家の前にいた。あれだけ来るなと念を押されたにもかかわらず。
 でも、今日はただ、この間借りたハンカチを返しにきただけ。それだけ済ませたら帰るのだ。そう弁解するように自分に言い聞かせると、思い切って家のドアをノックする。
 けれど、暫く待ってもドアが開く気配は無く、しんと静まり返っている。
 もしかして留守なんだろうか。
 わたしはニ、三歩離れて家全体を見回す。


「ねえ、あなた」


 不意に飛んできた声にびくりとしながら、そちらのほうへと顔を向ける。
 見れば、隣家に住んでいるあの赤毛の女性が少し離れた場所に立っていた。彼女はこちらに近づきながらわたしに話しかける。


「ああ、やっぱり。あなた、いつかうちに訪ねてきてくれたことがあったわよね。あなたに渡すものがあるのよ。この家の人に頼まれて。あの人、画家だったんですってねえ。知らなかったわ。どうりで――」


 家を見上げながら話す女性の言葉を遮るように、わたしは勢い込んで問う。


「あ、あの、今、頼まれたっておっしゃいましたけど、この家の人は今どこに? 留守なんですか?」


 女性は目をぱちくりさせる。


「知らなかったの? あの人なら今朝早くに引っ越したのよ」

「え……? 引っ越したって、どこに……?」

「さあ、そこまでは聞かなかったけれど……あたしはただ、あなたに渡して欲しいものがあるって言われて……ともかく、今からうちまで来てもらえる?」


 引っ越した? ヴェルナーさんが? アトリエから人の気配がしないのはそのせい? でも、本当に? 少し出掛けているのを隣家の女性が勘違いしているだけでは?

 混乱しながらも、とにかく女性に付いていく。
 家の中に通されたところで、ひとりの女の子が駆け寄ってきた。以前に毛糸のモチーフをあげた赤毛のあの子だ。上着の胸のあたりにテントウムシの刺繍がほどこしてある。
 女の子は首を傾げる。


「こんにちは。お兄ちゃんもあの絵を見にきたの?」


 そう言って指差した先には、壁に立てかけられた一枚のカンバス。わたしの視線に気付いたのか、母親である女性もそちらを見やる。


「その絵、お隣の画家さんから貰ったのよ。『未完成で申し訳ないけれど、迷惑でなければ受け取って欲しい』って。裏のお庭の風景を描いたんですって。綺麗よねえ。未完成だなんて信じられないわ。あ、まだ絵の具が乾いていないらしいから、あんまり近づかないほうがいいわよ」


 そう、それはわたしも見た事がある。ヴェルナーさんの家の裏にある庭の風景だ。
 彼は風景画を描いていると言ったが、それを見せるのを渋っていた。おそらく製作途中の絵を誰かに見られたくないという理由から、アトリエにわたしがいる間は別の部屋に置いてあったのだ。それが幸いしたのか、あの日ディルクに滅茶苦茶にされずに済んだのだろう。きっと、これがその絵なのだ。

 きれいな絵だ。素直にそう思った。
 緑あふれる庭に鮮やかな赤い花が咲いている。ゼラニウムの花だ。女性の言うとおり未完成とはとても思えない。
 そのとき、もしかしたらこの絵は最初からこの隣人に贈るために描いていたのでは、という考えが頭をかすめた。
 鏡の破片を恐れて庭に入れなくなった隣人のために、永遠に枯れることの無いゼラニウムの絵を描いて贈ったのだ。
 それならもしかして――と、わたしはカンバスを隅々まで見回す。
 おかしい。
 この絵にはテントウムシが
 この隣人が我が子の幸せのためにと執着していたゼラニウム。それを描くのならば、同じように彼女がこだわっていたテントウムシが描かれていてもおかしくはない。それが描かれていないという事は――
 女性は先ほど、この絵が【未完成】だと言った。もしかしてヴェルナーさんは、最後にこの絵のどこかにテントウムシを描き加えて完成とするつもりだったのではないだろうか。それがディルクの件により叶わなくなり、未完成のまま隣人に渡さざるを得なくなってしまったのだ。

 わたしが学校を抜け出してヴェルナーさんに逢いに行ったあの日、彼は画材を買ってきたと言っていた。もしかして、この絵を描くために……?
 だとすれば、彼はいつも通りの生活を送っていたわけでは無いのだ。絵を描く事をなによりも優先させ、危険が潜んでいるかもしれないという可能性を把握しながらも、必要な画材を求めて外へと出たのだ。
 それなら――それなら、彼があのアトリエを去ることも、先週の事件の直後から考えていたということ……? だから絵の制作を急いだ?
 でも、どうしてこんなにも急に? すぐにでもこの街から遠ざかりたかった? ディルクによる更なる報復から逃れるために?


「はい、これ。あの画家さんから、あなたにって」


 女性の声に、わたしは思考を中断した。と、同時に、布に包まれた何かを渡される。
 布を広げていって、中のものが現れたとき、隣で覗き込んでいた女の子が歓声にも似た声をあげた。


「わあ、白いリンゴね」


 そこにあったのは、石膏でできた真っ白いリンゴだった。
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