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7月と白い林檎
7月と白い林檎 7
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あの人が時折見せる笑顔が好きだった。
あの人が絵を描く姿を、少し離れたところから眺めるのが好きだった。
彼の金色の瞳に見つめられると、なんだか落ち着かない反面、その綺麗な瞳に吸い込まれるように、たびたび見とれてしまっていた。
最初のほうこそ、兄のようにはしたくないという思いから彼に近づいたが、いつしか彼自身の人柄やその才能に惹かれていったのだ。
彼と共にした日々の思い出は甘美で、今では少しの苦味を伴い胸をちくりと刺す。
これがきっと「恋」というものなんだろう。
けれど、それを知ってしまったのに、あの人にはもう逢えない。あの人の傍で感じた、あの胸を満たすような幸福感はもう二度と味わえないのだろうか。
あのとき、わたしがディルクを引き留めたりしなければ、あの絵の真相を暴いたりしなければ、ヴェルナーさんはこの街から出て行くことなく、今も変わらず共に過ごす日々が続いていたんだろうか。
そこまで考えて、激しい後悔の念に襲われた。
わたしは、またあの人の人生を台無しにしてしまった。結果的にあの人の大切なものを滅茶苦茶にして、安寧の場所まで奪ってしまった。
すべて、わたしのせいなのだ。
わたしは叫び声を上げたい衝動に駆られた。全てを投げ出して、どこかへ消えてしまいたかった。けれど、どうする事もできずに、ただ涙を流すだけだった。
落ち着いてから、クルトにすべてを話した。ディルクの事や、彼に報復を受けたこと、そのせいでエミールさんのオブジェが失われてしまったこと――
「なんで今まで黙って――」
話を聞き終わった彼は、厳しい口調で何かを言いかけたが、うなだれるわたしの姿を見て口ごもった。
「なんで、そんな大事なことを今まで黙っていたんだ。俺が怒ると思ったのか?」
クルトは先程より幾分穏やかな口調で問い直す。
「……それも少しはありますけど……それよりも、そんなことに巻き込まれてるってわかれば、クルトに心配かけると思って……」
「たしかに心配する。当たり前だろう。けど、正直今は怒ってもいる。俺はそんなに信頼に値しないのか? おまえの行動はまるで、俺に相談しても意味がないって言ってるみたいなんだよ。なんでも自分だけで解決するつもりだったのか? ひとりじゃ学校の塀も乗り越えられないくせに」
クルトは苛立ちを表すように、髪をかき上げながらソファの肘掛けをとんとんと叩く。
「クルトのことを信じていなかったわけじゃなくて……ごめんなさい……」
クルトは不意に肘掛けを叩くのをやめ、わたしに向き直る。
「お前、このままでいいのか?」
「え?」
「そのディルクってやつに良いようにされて、泣き寝入りするのか? 悔しくないのか?」
「……悔しいにきまってます」
「それなら、この際そいつに引導を渡してやろうじゃないか。犯罪者には監獄が相応だ」
「逮捕させるってことですか? でも、あの人がどこにいるかもわからないのに、どうやって?」
「それはお前が考えるんだ。お前にその気があればの話だが。そのかわり、どんな方法だろうと俺が実現させてみせる」
どんな方法だろうと? そんな事、可能なんだろうか。
その疑問が顔に出ていたのか、クルトが腕組みしてこちらを見つめる。
「お前、知らないだろう。俺に出来る事は限られているが、俺の家に出来る事は結構ある。真冬にサクランボを探し出してくる程度には。それを有効に活用しない手はないと思わないか?」
つまり、クルトの実家であるブラウモント家の力を頼ると言うのか。
「前にも言っただろう? 俺だってヴェルナーさんの才能をこのまま埋もれさせたくないんだ。せっかく立ち直った彼が、そのディルクとかいう、しつこくて陰険な犯罪者のせいで、落ち着いて絵も描けなくなるようじゃ困るんだよ。だから、お前の知恵でなんとかしてくれ」
確かにそれが可能ならばどんなに良いか。クルトからの申し出は心強かったが、はたして自分にそんな妙案が浮かぶだろうか?
わたしは考えるときの癖で、左目の下に人差し指を当てる。
でも、自分はどうにかしてでもその方法を捻り出さなければならない。自分だけでは無い、ヴェルナーさんのためにも。
暫く考えた後、わたしは人差し指を顔から離してクルトを見上げる。
「その方法って、どんなことでも構いませんか? ある意味、サクランボを探すより難しいかもしれませんよ」
あの人が絵を描く姿を、少し離れたところから眺めるのが好きだった。
彼の金色の瞳に見つめられると、なんだか落ち着かない反面、その綺麗な瞳に吸い込まれるように、たびたび見とれてしまっていた。
最初のほうこそ、兄のようにはしたくないという思いから彼に近づいたが、いつしか彼自身の人柄やその才能に惹かれていったのだ。
彼と共にした日々の思い出は甘美で、今では少しの苦味を伴い胸をちくりと刺す。
これがきっと「恋」というものなんだろう。
けれど、それを知ってしまったのに、あの人にはもう逢えない。あの人の傍で感じた、あの胸を満たすような幸福感はもう二度と味わえないのだろうか。
あのとき、わたしがディルクを引き留めたりしなければ、あの絵の真相を暴いたりしなければ、ヴェルナーさんはこの街から出て行くことなく、今も変わらず共に過ごす日々が続いていたんだろうか。
そこまで考えて、激しい後悔の念に襲われた。
わたしは、またあの人の人生を台無しにしてしまった。結果的にあの人の大切なものを滅茶苦茶にして、安寧の場所まで奪ってしまった。
すべて、わたしのせいなのだ。
わたしは叫び声を上げたい衝動に駆られた。全てを投げ出して、どこかへ消えてしまいたかった。けれど、どうする事もできずに、ただ涙を流すだけだった。
落ち着いてから、クルトにすべてを話した。ディルクの事や、彼に報復を受けたこと、そのせいでエミールさんのオブジェが失われてしまったこと――
「なんで今まで黙って――」
話を聞き終わった彼は、厳しい口調で何かを言いかけたが、うなだれるわたしの姿を見て口ごもった。
「なんで、そんな大事なことを今まで黙っていたんだ。俺が怒ると思ったのか?」
クルトは先程より幾分穏やかな口調で問い直す。
「……それも少しはありますけど……それよりも、そんなことに巻き込まれてるってわかれば、クルトに心配かけると思って……」
「たしかに心配する。当たり前だろう。けど、正直今は怒ってもいる。俺はそんなに信頼に値しないのか? おまえの行動はまるで、俺に相談しても意味がないって言ってるみたいなんだよ。なんでも自分だけで解決するつもりだったのか? ひとりじゃ学校の塀も乗り越えられないくせに」
クルトは苛立ちを表すように、髪をかき上げながらソファの肘掛けをとんとんと叩く。
「クルトのことを信じていなかったわけじゃなくて……ごめんなさい……」
クルトは不意に肘掛けを叩くのをやめ、わたしに向き直る。
「お前、このままでいいのか?」
「え?」
「そのディルクってやつに良いようにされて、泣き寝入りするのか? 悔しくないのか?」
「……悔しいにきまってます」
「それなら、この際そいつに引導を渡してやろうじゃないか。犯罪者には監獄が相応だ」
「逮捕させるってことですか? でも、あの人がどこにいるかもわからないのに、どうやって?」
「それはお前が考えるんだ。お前にその気があればの話だが。そのかわり、どんな方法だろうと俺が実現させてみせる」
どんな方法だろうと? そんな事、可能なんだろうか。
その疑問が顔に出ていたのか、クルトが腕組みしてこちらを見つめる。
「お前、知らないだろう。俺に出来る事は限られているが、俺の家に出来る事は結構ある。真冬にサクランボを探し出してくる程度には。それを有効に活用しない手はないと思わないか?」
つまり、クルトの実家であるブラウモント家の力を頼ると言うのか。
「前にも言っただろう? 俺だってヴェルナーさんの才能をこのまま埋もれさせたくないんだ。せっかく立ち直った彼が、そのディルクとかいう、しつこくて陰険な犯罪者のせいで、落ち着いて絵も描けなくなるようじゃ困るんだよ。だから、お前の知恵でなんとかしてくれ」
確かにそれが可能ならばどんなに良いか。クルトからの申し出は心強かったが、はたして自分にそんな妙案が浮かぶだろうか?
わたしは考えるときの癖で、左目の下に人差し指を当てる。
でも、自分はどうにかしてでもその方法を捻り出さなければならない。自分だけでは無い、ヴェルナーさんのためにも。
暫く考えた後、わたしは人差し指を顔から離してクルトを見上げる。
「その方法って、どんなことでも構いませんか? ある意味、サクランボを探すより難しいかもしれませんよ」
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