7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と歪んだ少女像

7月と歪んだ少女像 3

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 その日からわたしは、放課後になるたびあの穴の元へ行き、少しずつ地面を掘り返していった。
 毎日シャツを土まみれにして帰ってくるわたしを見て、クルトは眉をひそめたが、花壇を作っていると説明したら、不思議そうな顔をしながらも納得したようだった。

 その日の放課後も、わたしは変わらず穴を掘っていた。

 うーん、今日はよく掘ったなあ……
 立ち上がって大きく伸びをする。穴は既に背丈より深い。そろそろいい時間だ。今日はこのくらいにしておこう。
 シャベルを地面の上に放り投げると、自身も這い上がろうと穴のふちに手をかける。


「……あれ?」


 地面に両手をついてジャンプするが、地上には顔の辺りまでしか出すことが出来ず、そこから手を付いて這い上がろうとしても、どうしてもずり落ちてしまう。
 うそ。昨日までは上れたのに……調子に乗って深く考えずに掘りすぎてしまった……?
 手だけを伸ばして地面の上をまさぐるが、指がシャベルに触れる気配も無い。


「だ、だれか――誰かいませんか?」


 頭上に呼びかけてみるが、あたりはしいんとして、物音ひとつない。
 土壁に穴を掘って、そこに足を掛けて這い上がろうとするも、体重をかけると土がぼろぼろと崩れて上手くいかない。
 だんだん寒くなってきた。土を掘っている最中は暑くて仕方が無いので、上着を地上に放り出してきてしまったのだ。
 このままでは凍えてしまう。そして誰にも知られないまま息絶えて、明日になったらカチカチになった自分の遺体が捜索隊によって発見されるのだ。
 そんな妄想に支配され始めたところで頭上から声がした。


「やあ、子猫ちゃん。もしかして君、そこから出られないの? 猫って言うより、箱から出たがってる鼠みたい」


 意地悪な色を含んだ声の主はイザークだった。
 わたしの声を聞きつけてやってきたんだろうか。こんな時にこんな人に会うなんて……でも、他に頼れる人がいない今、選り好みしている状況では無い。


「あ、あの、申し訳ありませんが、助けてもらえませんか……?」


 おそるおそる切り出すと、イザークはしゃがみ込んでこちらを見下ろす。


「いいよ」

「ほんとですか!?」

「ただし、今日限りで塹壕花壇だなんてくだらないものを作るのはやめるって約束するならね」

「そ、それは……」

「それはできないって? だったら、せいぜいひとりで頑張ってよ」


 イザークが立ち去る素振りを見せたので、わたしは慌てて引き止める。


「ま、まってください! わ、わかりました……塹壕花壇は諦めます。だから、助けてください」

「へえ、意外とあっさりしてるね。君の芸術に対する心構えってそんなものなんだ」

「……背に腹は代えられません。このまま創作活動を続けたら生命の危機ですからね。わたしがここで死んでしまっては第二のミケランジェロは世に出ないままです。そっちの方が人類にとって損失ですから」

「まだそんな世迷い事を言ってるの? いい加減誇大妄想はやめて現実を見なよ。わかったら早く手を出して。引っ張ってあげるから」


 そうして差し出された手を両手で掴み、それを頼りに地上へ上ろうと、土壁に足を掛ける。


「ちょ、ちょっと待って」

「え?」


 イザークの慌てたような声に顔を上げる。と同時に、目の前の彼の身体がつんのめるように倒れてきて――


「うわっ!?」


 穴の中に彼が降ってきた。わたしはとっさに飛び退る。イザークは着地したものの、尻餅を付いてしまったようだ。


「いたた……」


 イザークは少しのあいだ座り込んでいたが、お尻の辺りをさすりながら立ち上がる。


「『待って』って言ったじゃないか! おかげで僕まで箱の中の鼠だよ! どうしてくれるのさ!」

「そ、そんな事言ったって……」


 まさか少し体重をかけただけなのに、こんな事になるなんて思いもよらないではないか。
 イザークは地面に取り付いてなんとか上ろうとするが、上りきれずにずるずると落ちてくる。
 前にもちらっと思ったけど、イザークって非力だなあ……人の事は言えないのだが。
 そんな事を考えていると、あたりに重厚な鐘の音が鳴り響く。夕食を知らせる合図だ。それを聞いたイザークが振り向いてこちらを見た。


「このままじゃ、ここは塹壕どころか僕らの墓穴になっちゃう。僕は君と心中なんてまっぴらだからね。早くそこに四つん這いになってよ」

「どうしてわたしがそんな事……」

「わからない? 君の背中を踏み台代わりにして上に登るんだよ」

「えー、それなら普通は年上のほうが踏み台役を買って出るものじゃありませんか? イザークのほうが体格だっていいのに……」

「君にそんな事言える権利があると思ってるの? 誰のせいでこうなったのか忘れてる?」

「……すみません」

「わかったら、さっさとその背中を僕に差し出して」


 大人しく屈み込もうとして、ふと少女の像を見上げる。夕日に照らされたそれは、全身から柔らかな光を放っているようにも見える。
 それを見てわたしははっとした。
 慌ててイザークの袖を引っ張り、少女の像を指差す。


「あ、あの、イザーク。ちょっと、あの像を見てもらえませんか?」

「は? なんで? 踏み台になりたくないからって、くだらない言い訳で引き伸ばしするつもり?」

「違いますよ。お願いします。一瞬で良いんです。あの像を見てもらえませんか? そうしたら、踏み台にでもなんでもなりますから」


 必死で頼み込むと、イザークはしぶしぶといった様子で顔を上げる。と、像に向けられたその表情に驚きが広がっていく。
 彼も気付いたようだ。あの像の真実に。


「イザークは、この像のバランスがおかしいって言ってましたけど、この場所からだと、像のバランスが整って見えると思いませんか?」

「なんで? どういうこと?」


 イザークは像から目を離してわたしに疑問をぶつける。


「つまり、この像は、ダビデ像と同じなんですよ」

「ダビデ像って、ミケランジェロの?」
「そう。ダビデ像って、下半身に比べると上半身の比率が大きいですけど、それって、下から見上げて鑑賞した際に、ちょうどいいバランスに見えるように計算して造られた結果だと言われていますよね。この少女の像もそれと同じなんです。下から鑑賞される事を想定して、作者はこの像を作ったんですよ」


 イザークはいまだ納得できない様子で口を開く。


「単なる偶然じゃないの? たまたま下から見たら、うまい具合にちょうど良いバランスに見えるだけっていう……」
「でも、この像の作者は、像の置かれる『位置が違う』って言ったんですよね? 一口に『位置』と言っても色々あると思いませんか? 前後、左右、そして――上下」

「……まさか」

「そのまさかですよ。本来この像はもっと高いところ――例えば高い台座の上か何かに置かれる事を想定して造られたんじゃないでしょうか。けれど、実際はこうして地面に設置されてしまった。だからそれを知った作者は『位置が違う』と言ったんです。もっと高い場所に置かれるはずだったという意味で」


 興奮気味にまくし立てると、イザークははっとしたようにわたしを見る。
 

「もしかして、君が言ってた『第二のミケランジェロ』って……」

「ええ。この像の作者の事です。ミケランジェロのダビデ像のような表現手法でこんな綺麗な像を作れるなんて、きっと他の作品も素晴らしいに違いありません。『第二のミケランジェロ』と呼ばれるに相応しいかもしれない……なんて、大袈裟でしょうか」

「なんで、この穴を掘り始めた時にそれを言わなかったの?」

「それは……あの時点ではわたしの推測が合っているか自信が無かったので……もしも穴を掘った後で実は間違ってました、なんて事になったら恥ずかしいじゃないですか。その場合はそのまま何も言わずに塹壕花壇を作ってしまおうと思っていたんです」


 イザークはしばらくの間、じっと像を見つめていたが、やがて顔を伏せてしまった。


「ああ、もう、なんでよりにもよって君が……」

「え……?」

「……なんでもない」


 イザークは小さな声で答えた。
 そんな様子を見ているうちに、ある疑いが頭をもたげてきた。
 もしかすると、この少女像を作ったのは、イザークにかなり近しい人物だったのではないか。たとえば――彼の父親とか。

 だから、普通だったら知りえないこの像の事情について詳しいのではないだろうか。どのような経緯でここに置かれるに至ったかまでは想像できないが。
 けれど、クリスマスの休暇のとき、彼は居残り組の中にいた。つまり、今の彼にはわたしと同じように帰る家が無い――すなわち、家族がいないのではないか。
 だから、彼は肉親が遺したこの少女の像を特別視していて、ここに近づいたわたしが像を傷つけたりはしないかと警戒していたのではないか。
 そう。彼にとってのこの像は、失ったものを思い起こさせると同時に、孤独な心の拠り所のような存在。方向性は違えど、わたしにとっての白いリンゴと似たようなものなのだ。
 でも、確信はないし、そんな繊細な問題を直接聞くなんて事はさすがにできない。

 全部、わたしの妄想なのだ。

 顔を上げて、イザークは再び像に視線を向ける。その真剣な様子に声をかけるのも憚られ、わたしも黙って像を見つめる。
 でも、この像の女の子、どこかで見たことあるような……気のせいかな?
 そんな事をちらりと考えたとき、冷たい風が吹きぬけ、わたしは盛大なくしゃみをしてしまった。


「あ、あの、とりあえずここから出ませんか? 約束通り、喜んで踏み台になりますから」


 おずおずと申し出ると、イザークがちらりとこちらを見た。


「いやだ」

「そんな……」


 イザークの協力が無ければここから出られない。この像と彼の関係がわたしの予想通りなら、彼がこの像をもっと見ていたいという気持ちもわかるが、このままでは本当に凍死体になってしまう。


「だから、君だけ先に行って。僕の背中を使っていいから」

「えっ……」

「何か問題でも?」

「だ、だって、それって、イザークを踏み台にするって事ですよ?」

「そうだよ。文句あるの?」

「いえ……」

「わかったら早くして。靴は脱いでよね」


 そう言ってイザークは地面に膝と手をついた。
 信じられない。この人がこんな事をするなんて。もしかして、既に自分は凍死しかけていて、これは死の間際に見ている夢なのでは。この人の背中に足をかけた途端、地上を通り越して天国に行ってしまうのでは。
 意外な申し出に戸惑いながらも、言われた通り靴を脱いで彼の背中に足をかける。そこは確かに温かく、それでいて確実な感触があった。
 一瞬イザークの苦しげなうめき声が聞こえたが、重さで潰れることもなく、わたしはなんとか地上に這い上がることが出来た。


「誰か呼んできて。君には僕を引き上げられないでしょ。また一緒に穴に落ちたら無意味だからね」

 立ち上がって靴をこちらに渡しながらイザークは告げる。その後に、小さな声で付け加えた。


「できれば、なるべくゆっくりでいいから」


 イザークはこちらの返事を待つことなく、先ほどと同じように真剣なまなざしを少女像に向ける。その姿は、どこか侵しがたい雰囲気を纏っていた。
 わたしは離れたところに放り出してあった上着を拾うと、穴の中のイザークに向かって投げ入れる。


「これ、寒かったら使ってください」


 そう言い置いて、建物のほうへとゆっくりと歩き出した。
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