7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月のそれから

7月のそれから 2

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「どうして……」


 わたしの口から呆然とした呟きが漏れる。


「……やっぱり、そうなんだな」

「……どうして、わたしだってわかったんですか?」


 わたしは再びベンチに腰掛けながらヴェルナーさんに問う。まだ信じられないという気持ちが胸を支配していた。
 だって、マフラーも、貰ったあの鈴も身につけていないのに。
 ヴェルナーさんも戸惑っているようだ。ゆっくりとその答えを口にする。


「……さっきの君の言葉。俺が他人に似顔絵のモデルを引き受けてもらう時に使った方法だ。君にも話した事があるだろう? それで、もしかしたらと思って」


 そうか。どうしても似顔絵のモデルを引き受けてもらいたくて、無意識のうちに彼に教わったあの誘い文句を並べ立ててしまったのだ。
 改めてヴェルナーさんに目を向ける。久しぶりに見る彼は、少し痩せたみたいだ。また無理をして絵を描いているのかもしれない。


「……それよりも、なぜ君がこんなところにいるんだ? こうして目の前にしても信じられない気分だ」

「……約束しましたよね。いつかわたしの絵を見せるって。わたし、あの頃から描きたかった絵があって……エミールさんがそうしたように、いつか、わたしもヴェルナーさんの似顔絵を描きたいと思っていたんです」

「まさか、そのためだけに?」

「……最初はそのつもりでした。ヴェルナーさんはわたしに気付かないだろうと思ったので」

「……確かに、君は雰囲気がだいぶ変わった」

「あの頃に比べて背丈も髪も伸びました。それに、こんな格好ですからね。あの頃の服、もう身体に合わなくなってしまったんです」


 わたしはスカートの裾を摘んでみせる。


「あ、でも、これは女装しているわけじゃありませんよ? あの頃のわたしは、事情があって男の子の格好をしていたんです。ヴェルナーさんを騙すつもりはなかったんですけど、誰にも知られるわけにはいかなくて」

「……知っていた」

「え?」

「君が女性だという事を知っていた。知っていて黙っていたんだ。俺は」


 その言葉にうろたえた。


「うそ、そんな、一体いつから……?」

「……頭を打って気を失った君を、病院まで運んだときに」


 わたしははっとして口元に手をあてる。
 そうか。あの時、身体に触れられたんだ。それで……
 思えば、そういう事に関して無頓着だとクルトに叱られた事がある。にも関わらず、あの後も自分はそういう事に無頓着であり続けてしまったのだ。


「それに……」


 続けてヴェルナーさんが口を開く。


「君がウインナ・ワルツを覚えたと言って、ステップを見せてくれた事があるだろう? あの時、君は一歩目を後ろに下がった。男性ならば一歩目は前へ踏み出すはずだ。後ろに下がるのは女性のステップだ」

「もしかして、あの時一緒に踊ったのも、わたしの性別を確かめるため……?」

「……いや、あれは、そういうわけでは……」


 ヴェルナーさんはそこまで言って黙り込む。二人の間に沈黙が落ちる。どこからか鳥のさえずりが聞こえる。
 それを打ち破るかのように、わたしは一番聞きたかったことを尋ねる。


「どうして、何も言わずに行ってしまったんですか?」

「……君を巻き込みたくなかった。俺と一緒にいれば、ディルクにまた何かされるんじゃないかと思って」

「そんな……そのために?」


 クルトの言ったとおりだった。あんなふうに突然姿を眩ましたのは、この人なりにわたしの身を案じてのことだったのだ。


「でも、それでも、せめて何か一言でも残してくれていたら……」


 そこまで言いかけてはたと考える。一言でも残してくれていたら、自分はこの人を諦めることが出来ていただろうか? 考えて、すぐに無理だと思った。彼の答えがどうであれ、自分の気持ちは変わらなかっただろう。
 わたしは首を振る。


「今更そんな事を言われても困りますよね。すみません。こんな事を言うつもりじゃなかったのに。まさかヴェルナーさんに気付かれるとは思っていなかったから、こんな状況になって、なにを話すかなんて考えていなくて……」


 話したい事はたくさんあったはずなのに、いざとなると胸に何かがつかえたように何を言ったら良いのかわからない。言葉に詰まっていると、ヴェルナーさんがぽつりと口を開いた。


「聞かせてくれないか。なぜ、俺の居場所がわかったんだ?」

「あの後、事情があって学校を辞めたんです。それから働きながら、お休みのたびに、ヴェルナーさんの行きそうな場所を訪ねて回って……」

「……行きそうな場所って、まさか」


 ヴェルナーさんは何かに気付いたように、元来た道を振り返る。


「画材店を? 一軒一軒調べたのか?」


 わたしは頷く。


「ええ。絵を描き続けていれば必ず訪れる場所だろうから。そこでヴェルナーさんの特徴を伝えて『こういう人が来たら連絡して欲しい』って頼みました」

「骨が折れただろう?」

「それは、まあ……でも、ある程度規模の大きな街にいるんじゃないかって予想はしていました。もし、制作途中で絵の具が切れてもすぐに補充できるようにって。辺鄙な場所では珍しい画材は手に入りづらいだろうし、それにヤーデもいますから。あの子を置いて長い間家を空ける事は難しいですよね」

「けれど、俺はあの国を出ていて……」

「そうですね。あの国ではなかなか欲しい情報は得られなくて……その時に、ヴェルナーさんが外国に住んでいる可能性に思い当たったんです。公用語の同じドイツやオーストリアだとかに。この国で逢えなかったら別の国に行くつもりでした」


 ここで逢えて良かった。心の底からそう思う。そして再び自分の気持ちを確認した。


「ヴェルナーさん。わたし、さっき、ここに来た理由は似顔絵を描きたかったからだって言いました。でも、この三年のあいだ、ずっとあなたの事を探していた理由は、それだけじゃありません」


 わたしは一呼吸置くと、ヴェルナーさんの目を見つめる。


「わたし、ヴェルナーさんの事が好きだったんです。あの頃からずっと。それで、一目でも逢えたらと思って」 


 ここでその言葉を発するのがごく自然なことのように、胸にすとんと落ちた。不思議な高揚感と同時に、妙な落ち着きさえも感じる。
 けれど、ヴェルナーさんは言葉を失ったように、微かに目を瞠ってこちらを見ていた。
 それを見て、急に我に返った。もしかして、わたしはとんでもない事を言ってしまったのではないか。考えてみれば三年も追いかけた挙句にそんな事を言われて、彼はどう思うか……
 先ほどの告白を後悔しかけたその時、ヴェルナーさんがゆっくり口を開いた。


「……突然の事でどう言えば良いのか……」


 わたしははっとして彼の言葉に耳を傾ける。
 ヴェルナーさんは俯き加減で考えるように頬に手をあてる。


「君がそんな思いで俺を探していたなんて知らなかった。すまない。俺も、あんな形で君の前から去った事は心苦しかったが、君はまだ若いし、すぐに俺の事なんて忘れて元の生活に戻って、自分の人生を生きるものだと思っていた。それが、まさかこんなことになるなんて……」


 そこまで口にして、ヴェルナーさんは顔を上げる。


「けれど、同時に、どうしようもなく嬉しいんだ」

「え?」

「……俺も、君に惹かれていた。あの頃からずっと。君に何も言わずに去ったのは、逢えば決心が揺らいでしまいそうだったからだ」

「それって……」


 先ほどまで穏やかな海のようだった心に、急にさざなみが立ったような気がした。
 惹かれていた? わたしだけじゃなく、この人もまた、わたしのことを想ってくれていた……?


「確かに最初は、君の事をエミールと同一視していた事もある。だが、君が女性だと知ったとき、驚くと同時に、俺の心に特別な感情が芽生えた。それは、君と接するたびに大きくなっていって……君の屈託の無い態度や、素直な性格が心地よかった。君が卒業するまでで良いから近くにいられたらと思っていた。だが、エミールの作ったあの石膏像が壊れてしまったとき、懸命に元に戻そうとしている君の姿を見て、心が押し潰されそうになったと同時にひとつの考えが頭をもたげた。あのまま俺の傍にいれば、君にまた苦しい思いをさせてしまうかもしれないと。君は絵を描くことを諦めようとしていた俺に再び希望を与えてくれた、言葉では言い表せないほど尊い存在だった。そんな君を傷つけたくなかったんだ」


 そんな、まさかそんなふうに想っていてくれていたなんて……
 その言葉を聞いて胸が熱くなる。
 

「それで、隣人にあの白いリンゴを預けて……」

「ああ。だが、君はそれでも、ここまで俺を追いかけてきて……」


 ヴェルナーさんは少しの間、何事かを逡巡するように俯くが、やがて顔を上げた。


「君の前から逃げるように去った俺に、こんな事を言う資格は無いかもしれないが……」


 彼の金色の瞳がわたしを捉える。


「自分でも都合の良い考えだと思っている。でも、もし――もし君がまだ俺の事を想っていてくれるのなら……これから先、俺の傍にいてくれないか? 俺には君が必要なんだ。今、それがはっきりとわかった。だから、俺と一緒に……」


 その言葉に心が震えた。夢じゃないかと思った。この世界で一番好きな人に逢えただけでも奇跡に近いというのに、その上、必要としてもらえるだなんて。
 急に幸福感が押し寄せるように胸が苦しくなった。


「……傍にいます。傍にいて、ヴェルナーさんと、ヴェルナーさんの描く絵を、ずっと見ていたいです」


 精一杯頷くと、それまで緊張の色を浮べていたヴェルナーさんの顔が安堵したように緩んで微笑が浮かぶ。


「ありがとう」


 この笑顔だ。わたしが見たかったもの。彼のこの優しい笑顔をわたしはずっと求めていたのだ。それを見ながら、零れそうな涙を必死に堪える。
 少ししてからヴェルナーさんは躊躇いがちに口を開く。


「その……君の顔に触れても構わないだろうか? 覚えたいんだ。君の顔を」


 わたしはゆるゆると首を振る。


「……わたし今、泣きそうなんです。そんな事されたら、きっと我慢できない……」

「それなら、その涙も俺に拭わせてくれ」


 言いながら、長い指を持つ彼の手が緩やかに近づいてくる。
 わたしは頷く代わりに目を閉じてその手を受け入れた。

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