7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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その後のあれこれ

7月と贈り物

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 髪の毛をブラシで梳かしながら、わたしはちらりと彼のアトリエのほうへと視線を向ける。
 もう何時間もの間閉まったままのドアは、すっかり夜の更けた今になっても開く気配はない。
 彼の仕事の邪魔をするつもりはないが、それでも構ってもらえないのはやっぱり寂しい。思わず漏れる溜息に、髪を梳かす手も止まりがちになるというものだ。
 はぁ……何か楽しいことでも考えて気を紛らわそう。
 それと癒しを。と、足元に寄ってきた白猫を抱き上げて膝に乗せると柔らかな毛並みを撫でまわす。

 そういえばもうすぐクリスマスだ。すでに街は活気付き、華やかに彩られた通りを大勢の人々が毎日行き交う。想像しただけで胸が踊る。賑やかなマーケットは見るだけでも楽しい。
 せっかくだから、わたしもフェルディオに何かプレゼントを……と考えたものの、すぐにそれが難しいことを思い出した。

 実は我が家の経済状況は良好とは言いがたい。今のところはフェルディオが肖像画を描いていた頃の蓄えを少しずつ切り崩して生活しているのだが、彼一人であればそれなりに余裕があったであろう暮らしは、わたしという穀潰しが加わったことで予想外の出費を強いられているはずだ。

 この間なんて、一緒に行った画材店で、彼はとある絵の具を手に取り随分と長い時間眺めていた。にも関わらず、値札を見た後で軽く溜息をつくと、名残惜しそうに陳列棚に戻してしまったのだ。
 どうもその絵の具には独特の発色を出すために鉱石の粉末が混ぜ込まれているとかで、少々値が張るらしい。
 きっとあの絵の具が欲しかったものの、金銭的な理由で諦めたんだろう。
 できればあの人には自由に絵を描いて欲しいのだけれど……

 そのとき、ふと思った。もしもあの絵の具を贈ることができたら、あの人は喜んでくれるだろうか。
 でも、先立つものがないし……
 途方にくれながらも猫を撫でていたわたしはふと手を止める。
 お金を稼ぐ方法を思いついたのだ。うまくいけば、わたしは幾ばくかの金銭を手にする事ができるし、そうすればあの絵の具が買える。
 そうと決まればうかうかしていられない。
 先程までの寂しさに蓋をして覆い隠すように、わたしは暫く考えることに没頭した。




 翌日の夕方、ひとり帰宅したわたしの手には例の絵の具の入った箱があった。
 どうにかお金を工面する事ができたので、早速画材店で購入してきたのだ。
 クリスマスには少し早いが、あの人に早く渡したい。
 そう思いながら、ドアの前を行ったり来たりする。

 フェルディオ、早く帰ってこないかな。これを見てどんな顔するだろう。驚くかな。喜んでくれるかな。
 期待と少々の不安の入り混じった気持ちを抱えたままうろうろしていると、不意に勢いよくドアが開いて彼の姿が目に飛び込んできた。


「あ、おかえりなさ……」


 言い終わらないうちに、強い力で引き寄せられ、抱きすくめられた。


「あ、あの、フェルディオ? どうかしたの……?」


 突然のことに驚きながらもやっとそれだけ尋ねる。
 彼は寒い中ここまで走ってきたのか息が上がっている。身体も冷えているみたいだ。
 珍しい事もあるものだ。普段あまり取り乱す事のないこの人が。
 落ち着くようにと背中を撫でると、彼は高揚感を抑えられないといった様子で囁く。


「……俺の絵が売れたんだ」
 

 その言葉にわたしは息を呑んだ。


「それって、この間画廊に置いてもらったっていう、あの……?」 

「そう、あの風景画だ」

「ほんとに!?  すごい!  おめでとう!」


 彼は嬉しくて仕方がないとでもいうように、なおもわたしを抱きしめる。
 いつも近くで見ていたわたしも彼の苦労はよく知っている。明け方近くまで絵を描いていたことも珍しくない。何枚も画廊に絵を持ち込んでも買い手がつかないということもあった。そんな彼の絵がやっと認められたのだ。その嬉しさは尋常ではないだろう。こっちまで嬉しくなって、思わず泣きそうになってしまった。

 勿論絵画一枚売れたくらいでは劇的に生活が変化するということはないだろうが、それでも彼の才能が認められたことで未来に明るい希望の光が見えたような気がする。
 

「よかったね、フェルディオ」


 胸に顔を埋めたまま囁くと、彼の声が頭上から聞こえる。

「ああ、おかげで、欲しかった絵の具も買えた」

「え?」


 欲しかった絵の具?  それってまさか……

 嫌な予感を抱えるわたしを前に、彼が嬉しそうに荷物の中から取り出したのは、この間画材屋で見ていたあの絵の具。そしてわたしが今日、彼のためにと用意したのとまったく同じ絵の具だった。

 ……わたしって、なんて間が悪いんだろう。
 せっかく用意したプレゼントは残念ながら無駄になってしまったみたいだ。だって、既に持っているものを贈るなんて、あまりにも無意味で間抜けではないか。
 思いもよらないことに視線を彷徨わせていると、フェルディオが何かに気づいたようにわたしを見て目を見張った。


「ユーリ、君のその髪はどうしたんだ?」


 そう言いながらわたしの後ろ髪に触れる。
 彼が不審に思うのも無理はない。今のわたしの髪の毛はまるで男の子のように短くなっているのだ。


「ええと、これは、その、髪の毛の手入れが面倒だったので、思い切って短くしてみたんです」

「……残念だな。長いほうが好きだったんだが。せっかく綺麗な色の髪なのに……」


 彼は名残惜しそうに短くなった髪を撫でる。


「え?  そ、そうですか?  それならまた伸ばしてみようかな」

 言いながら、持っていた絵の具の箱を見られないように後ろ手に隠す。


「それよりフェルディオ、お腹空いてませんか?  すぐに夕食作りますね」 


 そのまま台所に逃げようと二、三歩後ずさりすると、何かの感触を足元に感じた。
 はっとして見れば、我が家の飼い猫ヤーデがわたしの足にまとわりつくようにその白い身体をすり寄せていた。


「うわっ!?」


 思わぬ事に焦ったわたしの足は、自分の意思とはうらはらにヤーデを蹴っ飛ばしそうになってしまい、避けようと慌てて身体を捻る。と、その途端バランスを崩して、わたしは床に尻餅をついてしまった。


「大丈夫か……!?」
 

 フェルディオが屈みこんで助け起こしてくれたが、次の瞬間、わたしの手元に目を留めて瞬きする。


「その絵の具は……どうして君が……?」


 あー……見られてしまった。わたしが例の絵の具を持っている事を知られてしまった。
 様々な言い訳が一瞬で頭の中を駆け巡るが、誤魔化すこともできずに、わたしは諦めて告白する。


「これはその……ちょっと早いですけど、クリスマスのプレゼントのつもりで用意したんです。前に画材店に行った時、フェルディオがこの絵の具のこと気にしていたみたいだったから……」


 フェルディオは呆気に取られているようだったが、ふとなにかに気づいたように顔を上げる。


「……まさか、髪を売ったのか?  それを買うために」


 その通りだった。わたしが昨日思いついたお金を得る方法。それは、自らの髪を売ることだった。
 クラウス学園を出てから四年の歳月を経て程よく伸びていたわたしの髪は、幸いにもそれなりの値段で買い取ってもらえたので、そのお金で絵の具を購入することができたのだ。

 わたしが静かに頷くと、フェルディオは微かに眉を寄せた。と、次の瞬間わたしの身体を抱き寄せる。


「俺は馬鹿だ。君がそうまでしてくれたのに、俺は絵が売れた事に浮かれて自分のことしか考えていなくて……長い髪を切るのは辛かっただろう?」


 彼が自分を責めるような事を口にしたので、わたしは慌てて首を横に振る。


「フェルディオが絵のことになると周りが見えなくなるのは今に始まったことじゃないですよ。わたしはそんなフェルディオが好きなんです。だから気にしないで。わたしの買ってきた絵の具は予備にしてください。もしかしたらたくさん使うことがあるかもしれないし。それに、髪の毛だってすぐに伸びますから」


 そう伝えると、フェルディオは一層強くわたしを抱きしめた。
 これで良かったのだ。本当はこの人の喜ぶ顔が見たかったけれど仕方がない。彼になんの断りもなしに先走って絵の具を買ってしまったわたしが浅はかだったのだ。
 暫くの間二人じっとしていたが、やがてフェルディオは不意に身体を離すと


「出掛けてくる。すぐに戻るから」


 そう言って立ち上がり、足音荒く家の外に走り出て行ってしまった。
 あっけにとられたまま閉まったドアを見つめていたわたしだったが、ふと、手に例の絵の具を持ったままだったのに気づく。
 あ……これ、渡しそびれてしまった。


 すぐに戻ると言ったものの、フェルディオはなかなか帰ってこなかった。
 もしかして何かあったのか。そもそもどこへ行ったのか。若干の不安な気持ちを抱えながら部屋の中をうろうろしていると、やがてドアがぱっと開き、出て行った時と同じくらい慌ただしくフェルディオが戻ってきた。


「どこに行ってたんですか?  なかなか戻ってこないから心配したんですよ」

「すまない。絵の具を店に返品してきたんだ」

「え?」

「それで……代わりにこれを君にと思って……」


 見れば彼は大きな化粧箱を抱えていた。そしてそれをおずおずとこちらに差し出すので、わたしは反射的に受け取る。箱には綺麗にリボンがかけられていて中身はわからない。

「あの、これって一体……?」

「開けてみてくれないか。気にいってくれると良いんだが」


 リボンを解いて箱の蓋を開けると、中に入っていたのは女性用の帽子。白い花の飾りが付いている。


「わあ、かわいい。これ、わたしが貰ってしまって良いんですか?」

「俺からのクリスマスプレゼントだ。髪が短い間は、外出する時にそれを被れば良いんじゃないかと思って。これでも俺なりに君に一番似合いそうなものを選んだつもりなんだが」


 だから戻ってくるのに時間が掛かったのかな。わたしに似合いそうなものを選んでくれていたから?  だとしたら嬉しい。


「被るのが勿体無いくらい。ありがとうございます。大切にしますね」


 お礼を言いながら、先程のフェルディオの言葉を思い出した。確か絵の具は返品してきたと。もしかして、わたしに気を遣って……?  それとも帽子を買うための足しにしたのかな……なんだか申し訳ない。
 けれど、とにかく彼は今あの絵の具を持っていない。それは事実なのだ。
 わたしは帽子の入った箱をテーブルに置くと、絵の具の箱を取り上げる。


「あの、改めてこの絵の具、受け取ってもらえますか?  フェルディオに使って欲しいんです」


 絵の具の箱を差し出すと、彼は柔らかく微笑んだ。


「勿論だ。大切に使うと約束する。ありがとう」


 その言葉に、わたしも安堵の笑みを漏らした。
 今日はなんて素敵な日なんだろう。フェルディオの絵が売れて、お互いに贈り物をしあって。少し早いクリスマスが訪れたみたいだ。  これでご馳走があれば言うことないのだけれど。でも、それがなくても十分なほど、わたしの胸は幸せな気持ちで満たされていた。




 その日の夜、それまでにない肌寒さを感じて、わたしは目を覚ました。
 ああ、そうか。髪の毛を切ったせいだ。覆うものが無くなった首元は冬の冷気に容赦なく晒され、寒くて仕方がない。
 暫くベッドの中でもぞもぞしていたが眠れそうになく、たまらず頭まで毛布に潜り込もうとしたその時、肩を覆うように何かが被さってきたのを感じた。
 フェルディオがわたしの肩に腕を回して抱きしめてくれたのだ。
 その感触に、温もりだけでなく不思議と安心感も覚える。


「……寒いのか?」

「少し……でも、こうしていれば大丈夫です」


 わたしはフェルディオに身を寄せると胸元に顔を埋める。触れ合っているところから伝わってくる彼の体温が心地良い。フェルディオって体温が高いみたいだ。
 先程まで感じていた肌寒さはすっかり収まり、打って変わったような幸せな温もりの中、再度じわじわと襲ってきた睡魔に抗えずわたしはゆっくり目を閉じる。
 眠りに落ちる直前、「おやすみ」というフェルディオの声が聞こえたような気がした。
 おやすみなさい、フェルディオ。
 心の中で呟きながら、夢の中でもこの幸せが続きますようにと願った。
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