真夏の氷

ねむnm

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後編

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細身の少女が一瞬のうちに恰幅の良いおじさんに変わる。
目前で、種も仕掛けも無い超常現象が立て続けに起きた。
初めこそ慌てふためいたが。
べそべそと泣く少女の姿(中年男性)を見た途端、自分でも驚くほど冷静になって……。
少女の正体は神様。
突然そんなことを言われたのに、そうなんだ。と納得したのは。
夜逃げして給料踏み倒したのにも関わらず、謝りもしない面の厚さ。
神様だから。
腑に落ちてしまっている。

「神様なのにお給料とか知らないんですね……」
唐突に消えたサイノメ店長……もといサイノメちゃんを探すために、
移動させていた椅子や机を元の位置に戻し、座る。
「神のもとで働く。それ自体が対価。という認識が基本にあるからね。
物品を施すのは気分次第というか……。
サイノメちゃんは幼い段階で祀られているから、思考は柔軟な部類。
お給料、払ってくれると思うよ」
賄い用の魚を手早く処理しながら、ギョクセツさんは普段よりも落ち着いたトーンで話す。
「働かせてやったんだから、対価をよこせ。と言い出すモノでなかったのは、不幸中の幸いだ」
「払わないどころか取るとか、サイテーですねっ」
「そうだね」
お給料の概念がないのが罷り通っている業界は、どこも闇だ。
「さっきの男性の姿。店長さんって呼んでいたけれど。
サイノメちゃんは一体、何のお店をしていたの?」
「大衆居酒屋ですよ。パチンコ屋とか雀荘のある風俗街の……。
治安が良かったとは、言い切れないんですけど。
気さくな雰囲気でみんな笑ってるようなお店でした。
てんちょ、サイノメちゃん?の喧嘩を諌める手腕は確かに神って感じでしたけど」
「……真夏くんは、神様とか。抵抗ないんだね」
「人生相談に乗ってくれた店長さんの正体が。
世間知らずの泣き虫女の子っていうほうが、神様云々よりも大ショックなんですよ……」
「そっか。サイノメちゃんも、ようやく人に慕われるようになれたんだね。……頃合いかな」
感慨深く頷き、魚の焼き具合を確かめる横顔に、ふと尋ねてみた。

「ギョクセツさんは、神様じゃないですよね」
「……唐突だね?」
「えー流れ的に聞いちゃいますよー。
だって神様だったら、またお給料踏み倒されちゃうかもじゃないですか」
俺のくだらない軽口に、ギョクセツさんは、いつも、ふふ、と微笑んでくれる。
少し浮世離れして見える、その微笑みを期待して待っていたが。
ギョクセツさんは魚がジワジワ焼ける姿を見つめたまま。
「私は……神様じゃないよ」
寂しげに呟いた。
その日を境に、ギョクセツさんは、ぼうっとすることが増えた。

相変わらず暑い日は続く。
今日は定休日。俺もそれに合わせて休みが貰えている。
給料日がきていないので、相変わらずお金はないけれど。
休日にも、やることは沢山ある。
大安に行けば、ダンボールを畳む手伝いがあって、作業が終わると麦茶をハナさんがくれた。
村を少し歩くと、荷物の移動や電球替えのお手伝いなんかが舞い込んできて、
お裾分けに新鮮な野菜が貰える。
野菜を持って山小屋に行くと、ギョクセツさんがご飯を作ってくれる。
そのまま涼しい山小屋で過ごす。
……俺はいつの間にか、村の人たちから物を貰うことを覚えてしまった。
餌をもらう野良猫を見ると、他人事には思えない。
猫は、手伝いはしないけれど。俺は手伝う。
休日。我に返りそうになるたび、そう言い聞かせて、人としての矜持をギリギリ保つ日……。

大安に行くと、ハナさんが会って早々、ポンっと手を叩く。
「そうそう!朝、お祭りのこと思い出したの」
「お祭り?」
「ほら、この前。ここまで出てるって言ってたことよ。
この時期、お氷様っていう氏神様を祀る、お祭りが」
「えっ、この村にもお祭りあるんですか?!」
思わず食い気味に聞いてしまった。
田舎でも、否、田舎だからこそ祭りというのは、やるものだ。
屋台、お神輿、盆踊り、暗闇が煌びやかに彩られ、活気に溢れる。
祭りという単語を聞くだけでも、心が躍る。
「それがねえ。だんだん、やらなくなっちゃったの。
酷い嵐がお祭りの時期に、連年直撃してね。
一見丘が風除けになって村には大きい被害はなかったんだけど……。
元々、屋台も、神輿も、踊りもない、灯篭を道に飾るだけのお祭り。
電車やバスが通るようになったら、隣町のお祭りに行く子が増えて。
徐々に、ね。まあ、私もその1人なんだけど」
「灯篭並べる以外にやることのないお祭り……確かに存続キッツイですね」
「まあっ真夏くん、いうようになったわね?」
ハナさんは、もうやることのない祭りについて、熱く語った。
村中総動員で灯篭を並べ、一見丘の中腹にある神社、お氷様に灯りを届ける。
土木作業と山登りの重労働だ。
それでも真っ暗な村に明かりが溢れる様子は、幻想的で美しかった。
少女のようにウキウキと喋る。
「うーん。どこかのお家か公民館か……灯篭、保管されていると思うのよ」
「出てきたら、並べるのお手伝いしますね」
「もちろん若い子の手も借りるわよーっ。なんせ石の灯篭なんだから」
「石……」
石の灯篭を毎年、暑い時期に村中総動員で出し入れ。
屋台を出したり踊っている暇がないのって……。
廃れた原因がまた1つ浮上してしまったが、ハナさんの瞳に映る炎は燃え上がっていた。


お裾分けの野菜を片手に、山小屋を目指す。
アルバイト先に休日も来ちゃう奴。
本来であるならば、煙たがれるのは重々承知。
休憩中の談笑での一言、「暇だったら、遊びに来てもいいよ」をあえて鵜呑みにして、
休日が来るたびに、お邪魔している。
山小屋は涼しいし、ご飯は美味しい。
ギョクセツさんといると、忙しい気持ちが落ち着いて、なんとなく和む。
「あ、れ……?」
開いているはずの勝手口が、今日はしまっていた。
まだ、寝ているのだろうか。
預けてもらった鍵で開けると、こもった熱気が外に出る。
いつもならば、ひんやりとしていて、生活音が聞こえてくる室内が。
シン、と静まり返っていた。
嫌な予感が過ぎって、奥の、畳部屋の襖を急いで開ける。
掛け布団をかけたまま、座った状態で固まっていた。
「ギョクセツさん!大丈夫ですか……!」
「……真夏くん?ああ……朝か。ご飯、用意するから。待ってて」
こちらに気付き、起きあがろうするギョクセツさんを慌てて止めた。
明らかに体調が悪いのに、気遣われてしまう。
「窓、開けますね」
込み上げてくる情けなさを他所にやる。
涼やかな風が、こもった熱を徐々に逃していく。

「お水、どうぞ」
ギョクセツさんはコップの水を少しずつ飲み、はあ、と短くため息をつく。
「ちょっと落ち着いたよ。情けない話だけれど、暑いの……昔から苦手なんだ」
弱々しい笑顔に居ても立ってもいられなくなる。
「ギョクセツさん。お腹空いてます?」
「……。うーん、少し。すいてるかな」
「キッチン、借りてもいいですか……あー……。
賄いみたいな、手の込んだものは作れないんですけど」
仕事で使う調理場を使い、いつも美味しい賄いを作ってくれるギョクセツさんに、料理を食べてもらう。
気後れはしたが、役に立ちたい思いが勝った。
「……ありがとう。冷蔵庫にあるものとか、使っていいからね」

お裾分けで貰った、きゅうり、茗荷。
木製の冷蔵庫を開けると、豆腐、鰹節、白ごま、味噌、米が収納されていた。
冷や汁の材料が大体揃っている。
手軽に作れるし、さらりと食べれるし。ちょうどいい。
まずは米を炊こうと炊飯器を探す。
調理器具の置かれた棚に炊飯器は見当たらず、茶褐色の立派な土鍋が鎮座していた。
学校の調理実習で鍋で炊いたことはあるけど……。
米を研ぎながら思い出す。
『急いでいる時は浸水なしでも大丈夫だ。ただし蒸らす作業は怠らないこと』
ミナトの豆知識……。口うるさいと思ってたけど、聞いておいてよかったなあ…。
マッチでつけるタイプのコンロに苦戦しながら、土鍋を火にかける。

冷水につけておいた野菜は、そのままでも食べれそうな程パリっとしていた。
薄く切ることに集中して、食欲をなんとか抑える。
きゅうりを塩で揉んで、茗荷を水にさらして、味噌を焼いて、豆腐をちぎって……。
誰だ、手軽って言い出したのは!
必死にすり鉢で胡麻をすっていると、ふと視線を感じた。
襖を少し開けて、ギョクセツさんが、こちらの様子を楽しげに眺めている。
悪戦苦闘なんて見ても体に障るだろうに…。
「休んでてくださいよ」
「ただ横になっているより、こっちの方が気が紛れるんだ」
ゆったりと土間に降りてくると、飴色のカウンター席に着席した。
「お客さんの席、初めて座ったけど。なかなか、良いものだね」
少しだけ血色の戻った顔で、ふふ。と久しぶりに微笑む。
嬉しいやら、恥ずかしいやらで混乱してくる。
盛り付けまで漕ぎ着けた、冷や汁。
ギョクセツさんは、背筋を伸ばして「いただきます」と恭しく両手を合わせた。
どこか儀式めいていて、緊張してしまう。
「おいしい」
味わうようにゆっくり、けれどしっかり食べてくれている。
「よかったですっ。案外、なんとかなるもんですねっ」
「ところで、真夏くんの分は?」
「……。これからつくります」

今日はキッチンに俺が立ってて、ギョクセツさんが座っている。
不思議だけれど、心地がいい。
「この村には変わった祭りが、あったんだ」
皿を洗っている途中、ギョクセツさんはポツリと呟いた。
「もしかして灯篭祭りのことですか?」
もう行われていない祭りを知っていたことに、よほど驚いたのか、目をパチパチと瞬かせた。
「よく、知っているね」
「今朝聞いたんですよ。石の灯籠を毎年村総出で並べてたって」
「お祭りのこと……覚えてる子がいたんだ。やらなくなってしまって、何十年もたったのにね」
ギョクセツさんもお祭り、参加したことあるんだ。
ギョクセツさんが俺より大人なことは確かだけれど、正確な年齢はわからない。
聞けば教えてくれるだろうけど、今更聞くのもなんとなく気が引けた。
同い年にも関わらず、たったの数ヶ月違いで人生の先輩ヅラしてくる奴もいる。
年齢の話は散々。
俺も多分聞いたら、へー意外と若いですね!とか、かあさんと同じくらいだなあとか
言っちゃうし思うだろうし。避けておくのが無難だ。
「話した人、ハナさんっていうんですけど。
なんと、どこかに、しまい込まれた石の灯籠を探し出そうとしているんです。
まあその……俺がちょっと、生意気言って煽っちゃったっていうのもあるんですけど……」
見つからなかったら、変に焚き付けてしまって申し訳ないし。
見つかっても重労働だし。
余計なことを言ってしまったと今更後悔している。
「……そっか」
ギョクセツさんは目を細め、ぼうっと、遠くを眺めていた。




朝の掃き掃除が終わった頃、
カツン、カツン、カツン、石畳に小気味の良い足音が響いた。
「あ、サイノメちゃんだ」
「真夏、偉くなったわね。神のわたしを、ちゃん付するなんて!
けれど、ちゃん。の可愛いさに免じて許すわ。寛容な私を店までエスコートなさい」
フリルたっぷりの服を、なびかせながら堂々と俺の前を歩く。
俺がエスコートされてるけど……?
朝会うにしては、胃もたれのする神様だ。
サイノメちゃんの突然の到来にも、ギョクセツさんは、ゆったりと対応する。
「おはよう。サイノメちゃん」
「ご機嫌よう。ギョクセツ。この間は見苦しいところを見せたわね。
わたし、ちょっぴり経営について学んできたの。
ジャストアイディアはアジャイルしてこそ」
覚えたての横文字を自慢げに並べる様子が、微笑ましくもあり、こそばゆい。
「今日の私のタスクは、真夏にお給料を払う、こと」
「お給料!?サイノメ様、ありがとうございます!!」
「ゾクね。キャッシュは外で待っているお世話役に持たせてあるわ。
ギョクセツ、少しの間、真夏を借りても良いかしら」
「ちゃんと払ってあげるんだよ」
「……ええ、もちろん。コンプライアンスは守らないとね。
ギョクセツ、あなたにも斡旋料を支払ってもらうから」
「うーん。よくわからないけれど。かき氷で良いかな」
「いちご味ならWin-Winよ。真夏、エスコートして!」
再び前を歩くサイノメちゃんについていく。

石段の下に、サイノメちゃんが経営していた大衆酒場の前で、
ちらほらと見かけた、怖そうな二人組。
「待たせて悪かったわね」
「お気になさらないで、サイノメ様」
「ここは涼しくて清らかですもの」
いかつい男性から、可憐で愛くるしい声。
神様の間ではいかつい男性に化けるのが流行っているのか?
「真夏さん。その節は大変ご迷惑をおかけいたしました。
店を畳む際お見かけしたのですがお声がけできず、
お電話も、ご都合の悪い時にかけてしまいました。
今日まで引き延ばしてしまい大変申し訳ございません」
深々と頭を下げるいかつい男性に、俺は困惑を隠せない。
「うふふ、じいっと見てくださるのですね。嬉しいですわ。
この姿はお店の周囲を参考に細部まで、こだわって仕立てましたの。
羅卒の方がお声がけしてくださる分、輩は寄ってこないのですよ」
「今世を歩くには、この姿が良いと判断いたしました」
察したように説明をしてくれた。
治安の悪いところを基準にしちゃってんだ……。
サイノメちゃんは不服そうに腰に手をあて、こちらを睨む。
「何引いてんのよ。あんたはこの子たちに世話になってんのよ。
チラシを作ったり、小道の整備をしたり……。
この子たちの働きを考慮したら、本当は、お給料、渡さなくたって良いくらいなんだから」
「いけませんよ、サイノメ様」
「罪滅ぼしとお給料は別ですわ」
「お世話役の方がやってくれたんであって、サイノメちゃんは何もしていないっぽいしね」
「命じたの!!ほら、受け取りなさい!ちゃんと2ヶ月分なんだからっ」
お世話役の方から差し出された封筒を、ありがたく受け取った。

「ねえ。お氷様のためにお祭りするって本当?」
「もう噂になってるんだ。それがなかなか、やばいんだよ。
石の灯籠が、ハナさんの家の倉庫から見つかっちゃったんだ。
一応神事だからって公民館の資料をひっくり返したりしてさ……。村の人たち大慌てだよ」
「……そう。お祭り、絶対。絶対やってよね。
こんなチンケな村、何にもやらなくなったら、何にもなくなっちゃう。
忘れられちゃったら、なくなっちゃうんだから」
いつになく真っ直ぐな目で、必死に訴えてくる。
「サイノメちゃん」
「な、何よ」
「大安の人たち、サイノメちゃんに会いたがってたからさ。
手伝いとか抜きにしても来てよ」
大安の人に関わらず、村の人たちは度々サイノメちゃんの様子を気遣っていた。
元気にしているだろうか?お腹空かせていないだろうか?
ちょこちょこ現れては消え、ことあるごとに神だと言い放つ破天荒な様子を話すと
相変わらずで良かった、と皆安心したように笑った。
サイノメちゃんと村の人たちが一体どれほど過ごしていたかは知らないが、温かな絆は確かに感じる。
「……そう。夜なら、ちょっとなら……覗けるよね?」
後ろに控えているお世話役の方たちに、サイノメちゃんは目配せする。
「サイノメ様の頑張り次第です」
「うう……神有月以外に出雲にいくの、やっぱりやだやだぁ。変だよぉ。恥ずかしいよぉ」
「サイノメ様ったら。駄々っ子はもう卒業したのではないのですか。
時代も巡って免許の更新はいつでも受け付けています」
「いつ出向いても、おかしなことではありませんわよ」
奇妙な駄々を甘えるようにこねるサイノメちゃんに
一見怖面のおじさんたちは優しく微笑んでいる。
目が合うと、はっと我に返ったように腕を腰に当て直す。
「とにかく!私は忙しいの!
……かき氷。また今度、絶対、食べにいくからってギョクセツに伝えて」
お世話役の方が深々とお辞儀すると、白い煙がどこからともなく立ちこめ、
不思議な3人組はその場から姿を消した。


仕事終わりに灯籠を並べる日々。
何日もかけて並べているのに、明日灯したら、その次の日には片付ける。
石の灯籠ならば、しばらく置いても良さそうなのに。
あまり灯し続けると、お氷様が茹だってしまうから、という理由で撤去する。
「お氷様が村人に美しい氷をわけてくれるお返しに、
夏の夜の灯の美しさを見てもらおうって。感謝の気持ちから始まったのよ。
けどお氷様は暑がりだから、一晩ですぐに撤去。
熱中症は神様も人も怖いもんねえ」
神様には優しいが、人には厳しい、しきたりだ……。
「…石獄祭りが……蘇っちまったな…」
石獄祭り。
不穏な単語を大家のおじさんはしんみりと口にする。
「村で一番の新参が灯をお氷様に届けに行く決まり……。
どうして巻きモンに余計なこと、書いてあるかね」
「なんかイベントって感じで俺は楽しいですよ」
「そうかい?つってもなあ時代錯誤なことさせちまって、申し訳ねえよ」
「ハナさんを焚き付けちゃったの……俺ですし、逆に申し訳ないっていうか」
「ありゃもう昔っから猪突猛進だから、仕方ねえ。
まあ、文句言いつつ、オレらもだいぶ楽しんでるよ。
みーんなちっちぇ時に、やったっきりで。
昔、祭り主催したやつは全員この世にいねえけど。
親やら爺さん婆さんとの思い出が蘇ったみたいで嬉しいんだわ」
誰もがカラカラと楽しげに笑いながら、荷台に重い灯籠をのせ運んでいる。
暑さでヤケになってるようにも見えたが、昔話に花を咲かせていた。
サイノメちゃんは、本当に手伝う気がなかったのか。
いつもよりも気合の入ったフリフリの服で来たが。
ものの数分で、おばさんたちに変な柄のTシャツに着替えさせられてしまって、
文句を言いながらも灯籠を一生懸命磨いていた。
連日の準備のおかげで筋肉痛だ。
体は痛むけれど、なんとも言えない充実感に満たされる。


「山の中程にある神社って、ここのことですよね?」
閉店後、村の人から貰った地図をギョクセツさんに見せたが、
すまし顔でスッと目線を外された。
「ここは、休憩処だよ。神社のこういうところに、食卓があるわけない」
「めっちゃ改装してますよね」
「改装は、してあるね。ここは私の家だから」
地図をぐるぐる回しながらなんとなく呟く。
「お氷様ってもしかして」
「真夏くん」
「はい?」
「かき氷、食べる?甘葛、まだ残ってるから」
「えっ。良いんですか!」
「じゃあ、座って待ってて」
お決まりの席に素直に着く。
話をこうも強引に逸らすのは、よっぽど聞かれたくない事情があるのだろう。
お氷様であろうと、なかろうと。
というか正直、どちらでも構わない。
俺の知っているギョクセツさんは、目の前でガリガリと、かき氷を作ってくれている。
そんな事より、祭りの灯…。どこに持っていけばいいのだろう……。
おばさんやおじさんに、『地図の中から探し出してみてごらん』と言われたが
クイズは正直、苦手だ。
楽しめるように工夫してくれているんだろうな、と思うと無碍にもできない。
地図を睨んでいると、ギョクセツさんはかき氷を差し出してくれた。
「灯籠、まだ火つけてないんですけど。
田んぼの前にズラーって並んでるとオモムキがある感じで。綺麗なんですよ」
「そう」
「当日はもっと綺麗だってハナさんたちも言ってました。
俺もめっちゃ並べたんで、ギョクセツさんにもみてほしいなって。
お祭り、来てくれますか?」
「……考えておくよ」
やんわり断られてしまう。
まあ暑いの苦手と言っていたし、しょうがないかな…。
強引に誘って嫌われたくない。
そのまま、無言でかき氷を食べた。


灯籠のオレンジ色の灯りでいっぱいになった村には、
普段は見かけない若い子達がたくさんいた。
どうやら世間では、夏休みが始まっているようだ。
1年前まで学生だったのに、夏休みの存在を、すっかり忘れてしまっている。
「じいちゃんのとこ、お祭りあったんだ!きれいだねっ」
大家のおじさんは、お孫さんの写真を一生懸命撮影していた。
ただ並べただけの灯籠があるおかげで、
田舎にきた子供や孫たちに、何にもねえ田舎だな!と言われないで済んでいる。
ああー。苦労してみんなで並べて、良かった……。

しばらくたってから山道の前で、おじさんから、棒の付いた提灯を手渡された。
「長い階段あるけど、そっちは登らない。
階段の手前にある、お地蔵さんが飾られた小さい社。
そこの皿に火を灯して帰ってくる。まあちょっとした肝試しだな」
「神社、ではないんですか……?」
「うーん。ずいぶん昔にね、一見丘の中腹に、立派な神社を作る計画があったのよ。
真夏くんのバイト先の山小屋あたりかな。
ただ、天災や戦に見舞われて結局頓挫しちゃったって、資料に書いてあったわ。
小さい社を神社って言うのは、その名残と、見栄、ね」
「なるほど…」
隣町には立派な神社がある。
それに対抗してかな……。
虚しい見栄だけれど、なんだか共感してしまう。
「気をつけて登ってね」
「キツかったり、足元が暗くて危ないと思ったらすぐ引き返すんだぞ」
「いってらっしゃい」
根性で行って帰って来い、と言う人は1人もおらず、終始心配してくれた。
優しい人たちだ。


正面の山道は、緩やかゆえに、じわじわと、足にくる。
日が落ちているおかげで、暑さはさほど感じない。
提灯が辺りを、ぼんやり風流に照らすのも気が紛れる。綺麗だなあ。
「あ、そうだ」
ギョクセツさんに提灯見せに行こう。
灯籠を見て欲しかったけど、雰囲気だけでも味わってもらえたら嬉しいし。
一呼吸入れてから、長い石段に挑む。
日中の楽しげな鳥の鳴き声は潜み、涼しげな虫たちの音色が響く。
初めて来た時よりも、登るのが楽しい。
登った先には、ギョクセツさんがいる。
そう思うだけで、なぜか心が躍って、足が軽い。
最後の一段踏みしめる。
ここはギョクセツさんに最初に出会った、水をかけられた場所。
この石畳は、いい音が出るけれど、ちょっと歩きにくい。
いつも竹箒で掃く所。
普段見慣れた風景は夜になると、暗闇に紛れて少し違う。

勝手口の方へ回ると、ギョクセツさんの後ろ姿が見えた。
「灯、下の社。お氷様に届けるんじゃないの」
淡々とした、突き放すような冷めた声。
駆け寄ろうとした足がすくんだ。
ギョクセツさん、何か怒ってる……?
正面を向いたままで、表情はわからない。
小道の奥の方から、チラチラと村の灯りが見えた。
「何故、ここに持ってきた」
この提灯の灯は、まっすぐ、社に持っていかなければならないモノだったのか?
「私は。お氷でもなければ、神でもない。……どうして……。
どうして、持ってきてしまったの……」
静かに、責めるように問いただされる。
「提灯……灯籠ぐらい綺麗で。お祭りの雰囲気があって」
戸惑いから、上手く言葉が見つけられず、馬鹿みたいに辿々しいものになってしまう。
「綺麗だからって……それだけで、ギョクセツさんに、見て欲しくて。
持って……きちゃいました」
微動だにしないギョクセツさんの肩がピクリと揺れた。
「ごめんなさい……下の社に、ちゃんと持っていきますね」
ふざけていたわけじゃないけれど。
俺の軽はずみは、地元の人から見れば伝統を蔑ろにするような行為だ。
これ以上、怒らせたくないし、嫌われたくない。
振り返って石段の方向へ向かう。

「待って」

いつもより早い足音が後ろから聞こえて、肩を掴まれた。
掴まれた手が離れても、俺は石段の方を向いたまま。止まるだけ。
どうすればいいのかわからない。
「真夏くんは、何も悪くない」
湿った風が吹いて、声が揺れて聞こえた。
「勝手に想像したことを君に押し付けて、その上、あたり散らした……。
謝らなきゃいけないのは、私の方だよ。
君が誰かを利用するような子じゃないって……わかっていたのに。
……脅かすような真似をしてしまって、本当にごめんね」
恐る恐る、横を振り向く。
いつもの穏やかで優しいギョクセツさんが悲しげな表情を浮かべていた。
「俺が無神経なことしたのは変わんないですよ。
思い立って、考えなしで。嫌われる理由が、自分でもわかるっていうか……」
少し間を空けてギョクセツさんは困ったように微笑む。
「嫌いになんて、ならないよ」
その言葉で緊張が少しずつ解ける。
嫌われるとか、好かれるとか、今まであまり深く考えなかった。
その人の考えは結局、その人のもので、他人の俺にはどうすることもできない。
だけど、ギョクセツさんには嫌われたくないと本当に思う。
なんでだろう。
嫌われちゃったら……。
働き先も、なくなって、美味しいごはんを食べることも、できなくなるから?
「持ってきてくれた提灯、もう少し。よく見てみたいな」
地面スレスレに垂れ下がる提灯を、ギョクセツさんは覗き込む。
これじゃあ上の方しか見えない。
「では改めて、提灯持ってきちゃいましたっ」
下げていた提灯を素早くあげると、火はジュッと音を立てて消えてしまった。
「きれい」
「フォローとか、いいです……。暗くなっちゃったら、何にも見えませんもん」
「本当に、おもうんだ」
微かな風でかき消されそうな、小さな呟き。
俺には、もう手元は暗くて、遠くに見える村の灯の方がよく見えるけれど。
ちょっとでも見てもらえたのかな。
でも、もっと見て欲しい。
「……火、もう着かないですかね……」
というか、着かないと非常に困る。
全然電波が届かないと思ってスマホ置いてきちゃったし……。
流石に真っ暗闇の中は帰れない。
「芯が溶けたロウに浸っちゃっただけだよ。燐寸でつけてみよう」
ちょいちょい、と手招きされて、いつもの勝手口から店に入る。
この山小屋はいつも涼しくて快適だ。

ギョクセツさんは飴色の戸棚からマッチを取り出す。
「真夏くん。もし、お氷……様が。
灯を貰う代わりに願いを叶えると持ちかけてきたら。君は、何をお願いする」
マッチを一本摘み上げて、唐突なことを尋ねてきた。
カウンター越しの席に座って涼んで油断し切った俺をじっと見つめる。
「お氷様っていうくらいだし、氷属性専門で氷系のことを強くしてくれるんですよね」
「ぞく、せい……?叶えられる範囲のお願いなら何でも聞くけど……。
こおりけいを強くする、は。初耳……」
間が空いて、また気まずくなったら嫌だな。
そう思って咄嗟に出した答えは、ギョクセツさんを困惑させてしまった。
「期待ハズレでごめんね……」
「そんな!俺が氷系とか意味わかんないこと、言っちゃっただけで!
……遠出して、神社とかに行った時。
一緒に行ってる幼馴染が毎回神様の効能?とか説明してくれるんですけど。
なかなか覚えられなくて……。
1箇所で色々聞いてくれるのは、すっごく助かるなって思いますっ」
「こ、効能」
ギョクセツさんはマッチを何本かズルズルとつけ損ねていた。
先端部分が欠けて、今は3本目だ。
会話の歯切れが悪くて手首のスナップがきかないとしたら……それこそ申し訳ない。
だけど、七夕の短冊とか、絵馬とか、願掛け系は昔から急に思いつかないんだよな……。
願っても叶ったことなんてないし、こういう時こそ、その場のノリでいいとわかっているけど。
チャンスがあるかも知れないと思うと、どうしても悩む。
「お店のかき氷機で、かき氷作ってみたい……とかも聞いてくれるんですかね」
今考えられる渾身の願いを言うと不思議な生物を観察するように、じっと見つめられた。
「そんなことでいいの?」
ちょっと困ったように目を細めて、静かに笑われてしまう。
これ以上アホなヤツと思われたくない…。
「そんなことじゃありませんよっ。
店主のみが知る、企業秘密のかき氷を作る許可をもらうんですから!」
「今から教えてあげようか?」
「いいんですか!ああー……けど、あんまり遅くなると村の人が心配するので……。
明日から教えてもらいたいです」
「明日。うん、いいよ」
火を灯してもらった提灯を持って、いつもの小道に出る。
「かき氷。最初のはギョクセツさんに作ってあげますね」
「上手にできるかな」
「美味しく作ってみせますよっ」
ギョクセツさんの、ふふ、という笑い声が聞こえる。
「また、明日」
「はいっ」
暗くてよく見えないけど。
相変わらず見えなくなるまで見送ってくれているんだろうな。
ギョクセツさんが今、どんな表情をしているのか想像していると
暗いのも、まあ、たまには悪くないなんて思う。

山を降りるとハナさんが山道の入り口で待っていてくれた。
……なんか、忘れているような。
「ああ……!!お地蔵様に火つけてくるの忘れた…!!」
「ダメよ?真夏くん。お地蔵様に火つけちゃ。
もう遅くなるから途中まで一緒に帰りましょ」
大安の裏の、どしりと構えた日本家屋がハナさんの家だ。
ご近所さんなのは何となくわかっていたが、
大安のオーナーといわれた時は流石にちょっと驚いた。
気さくだし、働き者のパートのおばさんだと勝手に思い込んでいたからだ。
お祭りの時に率先して、人々を巻き込んでいく姿はなかなかの迫力で
親分って感じだった。絶対に言えないけど。
激安スーパーを切り盛りする親分……もといハナさんと帰路につく。

夜の田んぼの青い香り。風で揺れる灯篭の明かり。
明日、かき氷作るのかー。楽しみだなあ。
ギョクセツさんにとっては、そんなことだけど。
俺はそんなことが堪らなく待ち遠しい。
遠足前の子供のような落ち着かない気持ちを押し込めて。
オレンジ色に照らされた道を歩く。
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