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異変

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 仕事を終え、俺と中原は「作戦会議」と銘打って駅前の居酒屋に入った。いつもの居酒屋が波動に破壊されたので、これからはここにしようかと思っている。
 ここはチェーン店で比較的大きな店。金曜ということもあって盛況だった。広い店内の中、俺たちは仕切られたテーブル席で飲み始める。
 
 この日の俺たちの会話は、内容的には作戦会議で間違いなかったが、俺と中原ではその目的が明確に異なっていた。

 俺は明日、二人の女の子から何かしら色々な誘惑を受ける立場になるのだろうから、超絶楽しいのは確約されている。が、こいつはそれをマトモに見ると、きっと衝撃を受けることになるだろう。
 つまり、俺にとっては女の子をどう落とすかより、中原をどうするか決めておくためのものだった。いつの間にか、モテモテ男子のような悩みを抱えて真剣に悩む俺。

「とは言ってもね、センパイは、愛原さんから好かれてますもんね。それに比べて、俺は……」

 乾杯した直後に生中をグイッと一口煽ってから、中原は天井を見上げる。

「お前、けっこう前からミーのこと好きだもんなあ。なんでそんなに、あいつのことがいいわけ?」
「俺なんかと楽しく喋ってくれるの、ミミさんだけだから」
「そんなのさぁ……。なら、他に楽しく話せる女の子が現れたら、そっちでもいいっての?」
「え──……。そんなこと、ないと思いますけど……。俺は、普段からのミミさんのこと、ずっと見てて、だから、いろんなところがですね……それに、可愛いし」

 人のことを偉そうに言ってるが、俺も同じじゃないだろうかと、ふと気付く。

 仮に、さやと同じくらい可愛くて、ダイナマイトボディの女の子が俺のことを好きになってくれたら、俺はそっちになびいたりするのだろうか。そんな子が、俺のことを「大好きだ」って言って、迫ってきたら……。
 
 うーん。なびかない自信……ないかも。

 つまり、表面上の単純な理由で好きになったりしても、そういうのは同条件の人が現れやすいから、すぐにそっちでもよくなっちゃうってこと? まあ、表面上であれ俺にそんな好条件の人が現れることなんて、金輪際ないだろうけど。

「つまるところ、タイミング、ってことなんじゃない?」
「はあ。どういうことっすか」

 中原は、作戦会議そっちのけで飲むペースを上げていく。
 つまり、こいつは明日の一大イベントがプレッシャーで、飲まずにいられなかっただけだった。

「うまく言えねーけども。なんつーか……出会ってしまったんだ」
「うわ。センパイの口から、そんな詩的なコトバが垂れ流されるなんて」
「お前な。もう目が座ってんぞ、今日はちゃんと一人で帰れよ」

 上半身が見るからにフラフラし始めた中原は、この前ベロベロになった時に俺がタクシーを手配したことを思い出して、また礼を言った。

「俺は、仮に二人目に出会ったヒトがミミさんだったとしても、ミミさんを好きになったと思います! それに、俺は、その後、誰が寄ってきても、絶対に、ミミさんを裏切りません!」
「それじゃあ、一人目の人が可哀想じゃない?」
「えーっと。つまり、それはですね……俺はミミさん一筋だってことで……」
「そんなの、俺も好きになったらそうなるさ」
「じゃあ、センパイも、愛原さん一筋なんですよね」

 中原の言葉は、俺の胸をえぐった。

 こんなことになるなんて、考えもしなかった。
 ミーのことなんて、恋愛対象にならないと思ってた。いや、思うことすらなかったんだ。
 
 どちらかを、選ばなければならない。

 その結果、どちらかの心を……。そう、何も悪いことなどしていない、二人のうちのどちらかの心を……俺がめった斬りにすることになっても。
 
 モテる男って、しょっちゅうこんなことで悩んでんの?
 俺、心がもたないのだが。

「センパイは、なんで愛原さんのことが、好きなんすか」

 ゲップをしながら机に突っ伏す中原は、まだ俺に言葉を突き刺す気概を持ち合わせていた。
 ちょっと言いにくいなと思ったが、正直に答えることにした。

「そりゃあ……めちゃくちゃ可愛くて、乳がデカくて、腰がキュッと細くて、カタチのいい大きいお尻と肉付きのいい太ももが……」
「うわぁ……最低っすね」
「お前なあ。ノア・ルナみたいなこと言うんじゃねえよ」

 俺の頭の中にいるノアとルナが、くくっ、と笑いを押し殺す様子が見えた。
 なんとなく、俺は納得がいかなくて、自分自身に問いかける。

 それじゃ悪いのか?

 心を鷲掴みにされるような、どうしようもない身体的魅力。理性なんかじゃ到底逆らえない、圧倒的な力なんだ。彼女のためなら、なんだってしようと思わせる。

 でも……確かに、俺はさやのことを、何もわかっちゃいない。
 いや、実はミーのことすら、わかっちゃいなかったんだ。

 知りたい。もっと、二人のこと……。


「本当なんだ! 狼男が、暴れ回ってたんだよ!」


 俺の頭の中に、知らない男の声が突然流れた。

 狼男。
 そのパワーワードは俺の意識を大きく揺さぶり、酔いでフワフワしていた気分を天から地へと叩き落とす。頭の中にある子供部屋へ意識を向けると、さっきまでクスクス笑っていた二人はとっくに笑みを消していた。

「ノア! ルナ! 今の、なんだよ?」
「ああ。あまりいい話ではないな。これは、この場で交わされている会話だ」
「この場?」

 つまり……この居酒屋、……ってこと?

「あからさまにキョロキョロすんな。相手の印象に残るぞ」
「どういうことだよ。なんでいきなり聞こえた?」
「僕たちが、奴らのスマホで声を拾ったんだ。この場の会話の中で特筆すべきものがあったから、お前に聞こえるようにしてやったのさ。この居酒屋の防犯カメラ映像も送ってやるよ」
 
 スーツを着た、二人組の男。モニターには俺と中原も映っていたので、位置関係からして……と、俺は映像にも集中する。
 
「狼男」という単語を聞いた相手の男は、ビールジョッキを片手に頬杖をつきながら話を聞いていた。

「そろそろ転職を考えるべきだな。幻覚が見え始めてる」
「バカ、俺は正気だ! こんなこと、真顔で言うはずないだろが」
「真顔で言うからヤベーんだよ。やっぱお国の仕事なんぞするもんじゃねえって」
「……それはそうだな。俺も、今になってそう思う」
「それで? まあ一応は聞いてやる。狼男がどうしたってんだよ」

 この東京で、それも、今このタイミングにおいて、「狼男が暴れた」などという話題は中原意外にありえないだろう。

 やはり一般人に見られていたのだろうか。 
 だが、あの場には、中原が変化へんげしている間、誰もいなかったはずだ。

「あの爆発事件の日、俺の知り合いの警備員が監視カメラ映像を確認していたんだ。そいつは警備の管理室で見ていたらしいんだが……そこに、狼男が映っていた」
「はあ。なーんだ、じゃあお前が見たんじゃないのかよ?」
「ちゃんと見たよ。そいつは、スマホのカメラでその映像を反射的に撮っていたんだ。まあ、その行為の是非はともかくとして……問題は、その後、もう一度確認したらその監視カメラ映像が綺麗さっぱり消えていたっていうことだ」

 ノア……。てめ、全知全能のくせに失敗してんじゃねえか!
「防犯カメラ」の映像しか消さなかったな!

 ノアはプイッ! と向こうを向く。俺は、ノアを問い詰めてやった。

「おい。こいつらから『敵』に漏れたんじゃねえのかよ?」
「……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

 可愛くねえな。認めろ、失敗を!

 とノアに愚痴る俺。男たちは話を続ける。

「……誰かが?」
「そう。それからそいつは、慌てて俺にスマホの動画を見せに来た。俺も驚いたさ。着ぐるみなんかじゃない。絶対に違うと言い切れる。動きが、人間にできる範疇を超えてるんだ」
「なら、その映像、今、見せてみろよ」
「……もらわなかった」
「あ~あ、それじゃあ信じらんねえなぁ。今からでも、もらってこいって。そしたら信じてやるから」
「死んだ」
「はあ?」
「そいつは、その後すぐ、焼死体になって発見された。お前も見ただろ? ニュースでは、その現場状況から、生きたまま火炎放射器で焼き殺されたとしか思えない、って」
「…………」

 トン、とグラスを机に置く音。

「たぶん……俺もまずい」
「お前さ、国家公務員だろが。なんか情報ねえのかよ」
「そんなもの、関係のない部署の人間が知ってるわけないだろ。どこが主導している案件かわからないが……どうやら、見てはいけないものだったらしいんだ」
「あのさ。それって、話を共有した俺も既にやばいってことにならない?」
「死んでたまるか」
「話、聞いてる? 俺のことなんだけど」
「俺は、逆にその狼男を探してやる」
「ふう。……そんなことして、何になるんだっての」
「消される前に、おおやけにしてやる。その狼男の写真を撮って、さらすんだ。お前も手伝え」
「あのな。俺はその映像さえ見てねえんだぜ?」
「この会話も、聞かれているかもしれない」

 俺はドキッとした。ノアに「大丈夫か?」と問いかける。

「僕たちの会話が聞かれることはない。お前がゼウスへ命令したろ。だけど……」
「だけど? なんだよ」
「奴らの会話は、僕ら以外の誰かが聞いている」
「なんだって?」

 何かが動き出している。
 人生初のデートを明日に控えた俺の胸に、一抹の不安がよぎった。
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