8 / 140
8.仮面の祝祭と翡翠の約束 (後編)
しおりを挟むこれ以上ないほどの惨劇を目の当たりにしたばかりだというのに、街の西にある劇場の方角から、重い崩落音と共に、乾いた悲鳴が突如として響き渡った。
「今の……劇場か!?」
「うそだろ……怪物はもう全部消えたんじゃなかったのか……!?」
「ママ……こわいよぉ……!」
ざわめき、怯え、身を寄せ合う人々。
だがメリィは迷わなかった。すぐさま駆け出す。
ネロも舌打ち混じりに後を追った。
「……どうしてこう、面倒ごとばかり起きやがる!」
胸騒ぎは的中していた。
劇場に辿り着くと、そこはすでに荒れ果てていた。観客席の一部が潰れ、瓦礫が散乱し、かすかに血の匂いが立ちこめている。
そして――ステージの上。
そこには一人の少女。
ドレス姿のまま、異形と化して、緩やかに、狂ったように踊り続けていた。
膨れ上がった獣のような両腕。
背には翼の代わりに黒い茨が無数に生え、獲物を探すかの様に蠢いている。
焦点の合わない虚ろな赤い目が、ギョロギョロと不気味に動き、胸元の結晶は淡く、弱々しい紫色の光を放っていた。
少女の足元には黒い霧――濁った悪夢の気配が広がり、場内に残っていた観客たちの心へと入り込んでいるようだった。怯え、逃げ惑う人々の目は虚ろに曇り、混乱と恐怖だけが増幅していく。
「…あの結晶の色……もしかしたら、完全に悪夢に飲まれていない…?」
「メリィ、ワノツキ。少しの間隙を作れるか?もしかしたら……間に合うかもしれない」
ネロの声に頷いたメリィは、即座に動いた。
「わかった!絶対に止めてみせる!」
少女が咆哮し、巨大な茨と化した腕が観客席へとうねり伸びる。
次々に引き裂かれる座席、飛び散る木屑――。
「やらせるもんかぁっ!!」
メリィが叫び、大鉈を構えて一直線に突っ込む。
大鉈の峰で茨の根元を打ち据え、バランスを崩す。
その隙にワノツキが駆け出し、後ろから少女の腕を強引に押さえ込んだ。
「ネロ!!今だ!!」
ネロは結晶へと手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
「……っ……クソ……思ったより……深ぇな……!」
沈みかけた少女の心。
黒く、重く、暗い淵。
それでも、ネロは引き剝がすために力を込める。
「悪いな……お前の全部を喰うわけじゃねえ。沈む前に――引き剝がしてやる!!!!」
暴れる茨がメリィを大鉈ごと弾き飛ばし、ネロの手に巻きつく。
血がにじみ、滴る。
苦痛に顔を歪める――が、彼は構わず悪夢を喰らい続けた。
――心の底、濁った願い、腐った夢。
ネロの瞳が赤く染まり、息が震える。
次の瞬間、パン!と乾いた破裂音と共に、結晶の光は消えてゆく。
「……やれるだけは、やった……なんとか、引き離せた……」
少女の体が崩れるように倒れ、異形化していた肉体もゆっくりと人間の姿に戻っていく――だが、その目は開かない。
「リリィ!!」
舞台袖から少年が駆け出してきた。翡翠色の小さな翼――少女の弟だろうか。
少年はぐったりとした少女の体を抱きしめた。
「姉さん……目を開けてよ!お願いだよ……!!」
ネロは静かに彼を見る。
「生きてる……けど、夢と体の繋がりを断ち切った。意識が戻るかどうかまでは……悪いが、保証できない」
「なんで……なんでだよ!!」
少年は泣きながらネロに詰め寄る。
拳が何度もネロの胸を打つ――だが、ネロはそのまま受け止めた。
「ほかに、方法はなかった。
放っとけば、そのまま怪物化して……身体も残さず塵になってた」
ワノツキは、自分の妹の事を思い出し、苦い顔をする。
淡々と、だが苦しそうに、ネロは言う。
それでも少年の怒りは収まらず、拳を震わせる。
そんな彼の肩に、ワノツキがそっと手を置いた。
「……怒っていい。苦しい時は、怒れ。
だけどな――ネロは、お前の姉ちゃんを助けたかった。それだけは、本当だ」
少年の瞳が揺れる。震える唇が何か言いかけて、止まった。
やがて少女を病院まで運び終えた後――少年はネロたちの前に立った。
その瞳には、迷いのない決意が宿っていた。
「なぁ……あんたら“夢守り”だろ?
姉さんを目覚めさせる方法がほかの街にあるかもしれないなら――僕も探したい。見つけるまで……一緒に行く!」
そのまま、そばにいたメリィの腕にしがみつく。まるで「連れて行くまでここを離さない」と言わんばかりに。
「ね、ネロ……」
困ったようにメリィがネロを見つめる。
ネロは深々とため息をついた。
「……好きにしろ。
一人増えるのも、二人増えんのも変わらない」
「よかったねぇ」と、メリィが少年の頭をそっと撫でた。
少年は、少し涙を浮かべたまま微笑んだ。
「お前、名前は?聞いてない」
ネロが問いかける。
「……フィズ。鳥族だよ。姉さんと二人で……ずっとここに住んでたんだ」
「フィズか。なら……フィズ、覚悟しろ。お前が考えている程、旅は簡単じゃない」
「うん、分かってる。……姉さんを目覚めさせる方法、絶対見つけるんだ!」
こうして、鳥族の少年・フィズは“旅の同行者”として加わることになった。
心に決意の火を灯し――その小さな背中は、もう恐れに震えてはいなかった。
0
あなたにおすすめの小説
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~
杵築しゅん
ファンタジー
戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。
3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。
家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。
そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。
こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。
身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?
来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。
そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった!
亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。
「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」
「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」
おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。
現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。
お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、
美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる