夢守りのメリィ

どら。

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102.池の底

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黒い木々の森を抜けた先、ぽっかりと開けた平地にひっそりと佇む村があった。
地図にも載っていないような小さな集落――名をヴァレノ村という。

曇天の下、畑の端に立つ農夫の老人が、籠いっぱいの野菜を並べていた。
一行が通りかかると、最初は訝しむような目を向けたが、穏やかな言葉を交わすうち、ぽつりぽつりと口を開き始める。

「……ああ、その沼のことかい。ここから少し北に外れた森の奥さ。昔は静かで、水も綺麗だったんだがねぇ」

畑の脇に腰を下ろした老人は、過去を思い返すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「むかし、この村に”ラセル”という娘がいた。村でも随一の美人で、心根の優しい娘だったよ。病人の世話をしたり、孤児の面倒を見たりしてね。誰からも好かれていた」

――そんなある日、森の近くで倒れていた青年を助けたんだと、と老人は続ける。

「青年は身なりのよい旅人だったそうだが、実はどこかの貴族の御曹司だったらしい。ふたりは互いに惹かれ、恋に落ちた。だが貴族と村娘とじゃ、身分が違いすぎたんだな。
当然、青年の家はその仲を許すはずもなく、ラセルのもとへ使いをやってきた。」

「貴族らしいな」とネロが言う。
頷いた老人は話を続けた。

「ある夜、青年は彼女と駆け落ちしようとしたらしい。だが、待ち合わせの場所に現れたのは……彼の家の執事たちだった」

その顔に、初めて恐怖が浮かんだ。老人は唾を飲み込みながら続ける。

「ラセルは『青年が呼んでいる』と、そう言われて……何も疑わずについて行ったらしい。だが、向かったのは森の沼。――そしてそのまま、沈められたんだと」

空気が重くなる。風が、畑を撫でた。

「優しかったあの娘が、世界を呪いながら沈んでいったと、そんな噂が立った。……その話を聞いた青年は、『せめて自分の手で弔いたいんだ』と叫びながら、沼へ飛び込んだそうだよ」

だが、彼の姿が再び沼から現れることはなかった。

「それからしばらく、沼には誰も近づかなくなった。……だが、ある時からなんだ。あの沼に“惹かれる”者が現れ始めたのは」

老人の手が、籠に並んだ野菜の上で止まる。しわの刻まれた手が小さく震えていた。

「夜中にふらふらと家を出て、そのまま帰ってこない子ども。突然、沼へ向かって走り出す大人……まるで呼ばれているようなんだ。今では、誰も口に出さなくなったがね」

老人はそこでふと顔を上げる。

「……お前さん達、まさか行くつもりかい?」

メリィが静かに頷く。

「その人の夢、まだ終わってないかもしれないから」

その声に、老人は目を伏せ、重く息を吐いた。


ーーー


「それでは皆サン、念のために……」

森へ入る直前、タカチホが袖の中から取り出したのは、細いガラス管に詰められた薄青色の液体だった。光を受けると微かに揺らめくように光り、水面のようにきらめいている。

「一定時間、水中でも呼吸が可能になる薬ですヨ。水に入るかもしれない状況になるかもしれませんので、飲んでおいてくださいネ」

「本当にあったんだな」
ネロが目を丸くする。

「わあ、きれいな色です!」
「でもちょっとまずそうです!」
と双子が顔をしかめながらも素直に口へ運び、残りの面々も次々と薬を喉へ流し込んだ。

そのまましばらく森を歩くと、木々の合間に不自然なほど静かな一角が現れる。
そこに、ぽっかりと空いた水面――伝えられていた“沼”があった。

一行はそこで足を止めた。誰もが黙って、ただ水面を見つめる。

音がない。
風も鳥の声も届かない。
静寂が、まるで世界ごと飲み込んでいるようだった。

「……ネロ?」

不意に、ネロが一歩、また一歩と池に近づいた。
その目は虚ろで、水面の奥に何かを見ているようだった。

「探さなくちゃ……」

低く呟いた声は、誰にも届いていないようだった。
そのまま水の中へ、迷いもなく進んでいく。

「ネロ!?」

メリィがその腕を掴む。しかし、彼は振り返らない。
まるで夢の中に囚われたように、静かに沈んでいく。

「待って、ネロ!!」

メリィもそのまま彼の手を握ったまま、水の中へと飲み込まれた。

「シーダは小生が預かりまショウ。皆サン!」

タカチホが声を上げると、双子が素早く身を翻して池へ駆け出す。

「ネロさまを助けるです!」
「メリィ姉さまもです!」

「……チッ、騒がしいこった」

ワノツキが腕まくりしながら飛び込み、
ズメウも静かに、しかし躊躇うことなく黒銀の鱗を水に沈めた。

池の中は、まるで現実とは違う世界だった。
仄暗く、視界は揺れ、音も遮断されている。
中にいたネロは瞳を細め、まるで何かを探すように水中を彷徨っていた。

「ネロさま!!」

マヌルが叫ぶが、泡に紛れて届かない。

ネロの目が、不意に鋭く細められる。
腕にしがみついていたメリィは振り解かれ、
そして――その手が剣の形を取り、水を裂いて向かってくる。

「ネロ!?あいつ完全に……操られてるのか!?」

ワノツキが盾のように前に立つが、水中での戦いはあまりに不利だった。
打撃は重く、身軽なネロの動きに誰も追いつけない。

「ど、どうするのですか!?」
「ネロさま相手に手出しなんてできないですー!!」

そんな中、双子のひとりが下を指差す。

「底の方、見てください!」

そこにあったのは、濁った泥の底に埋まった、赤黒く染まった結晶――悪夢の核。

ズメウの目がそれを捉えた。

「――皆はネロを抑えろ。我がアレを砕く」

ズメウは金色の瞳を細める。
巨大な尾で水をかきわけ、結晶の前へと移動する。

黒銀の腕が一閃。
水中とは思えぬ速さと重みで、結晶が――

パキン――!

高く、硬質な音を鳴らして砕け散った。

ネロの動きが止まる。
意識が遠のくように、静かにその場で目を閉じる。

「ネロさま!!」

マヌルとメルルが慌てて駆け寄り、メリィもその身体を抱えながら、池から浮上する。

水面へと出た、その瞬間
池の水が――まるで呪いが解けたかのように、澄みわたっていく。

黒かった泥が沈み、青みを帯びた水が、木漏れ日を反射してきらきらと輝いた。

『……ありがとう』

微かに、風のような声が耳元を撫でる。

「え……?」

メリィが振り返るが、そこには誰の姿もなかった。
あるのは、ただ透明な水面だけだった。

岸辺まで戻った一行。
ネロはメリィの膝に頭を預けたまま、ゆっくりと目を開く。

「……なんだ、皆……なんでずぶ濡れに……?」

「誰のせいだと思ってやがる!!」

ワノツキが容赦なくネロの頭をわしわしと撫でまわす。

「ネロさま、悪夢に操られていたのですよー!」

「びっくりしたです、ね?」

「……悪夢……」

ネロは眉をしかめ、地面に片肘をついて起き上がる。

「……強く想う者がいる事、貴族…
ネロサン、ジョアンヌサンに貴族かと言った時の表情を見るに、関わりがお有りでしょウ?
話にお聞きした青年とアナタは、波長が似ていたのかもしれませんねェ」

「……そうかもな」

ネロは短く呟き、空を見上げる。

メリィは、水面を振り返って言う。

「最初は……沈められた人が悪夢になったのかと思った。でも、違ったんだね」

「絶望が、悪夢と化すほど……想っていたのだろう」

ズメウが低く、静かに言った。

優しかった娘。
彼女を想い続けた青年。

その想いが、負の形でこの沼に残り、長い間誰かを呼び続けていた。

だが今、ようやく――その夢は、終わりを告げたのだった。



夜。
野営地の火が、パチパチと静かに音を立てていた。

双子は並んで腰を下ろし、楽しげに手紙を書いていたようだった。
丁寧に封をして、そっと手を掲げると、どこからともなく一羽の梟が枝へ舞い降りる。

「ジョアンヌに、よろしく伝えてくださいね」

ホウ、とひとつ鳴いて、梟は夜の森へ羽ばたいていく。
月明かりを背に受け、静かに消えていくその姿を見送って、マヌルがぽつりと呟いた。

「ジョアンヌ、悲恋って好きですかね」

「恋に関わるお話ですから、きっと……好きです!」

メルルがそう言って笑うと、マヌルも「ですよね」と頷いた。

焚き火の傍では、ネロがじっと炎を見つめていた。
炎の揺らぎが、黒い瞳に映っている。

「……ネロ?」

心配になって近寄ったメリィが、そっと名前を呼ぶ。

ネロは小さく笑って首を振った。

「いや、今日の話を思い出しててな。あの青年のこと。――もし、オレが同じ立場だったら……同じように夢は濁って、悪夢になったんじゃないかって、そんなふうに思ってた」

「……」

「……大事な人を想うってのは、素敵なことだけどさ。時に弱さにもなるんだなって。ちょっと複雑な気分だ」

メリィは静かに頷き、ネロの隣に座った。
焚き火の温もりが、二人の間にほんのりと流れていく。

「……でもね、わたしは、弱さがあるってことは、それだけ誰かを本当に大切に思ってるってことだと思う。ネロがそうなら、わたしは……嬉しいよ」

ネロは何も言わなかったが、ふっと顔を上げて、火を見つめる。

森の向こうでは虫の声が鳴き始めていた。
夏の終わりを告げるように、涼しい風が木々を揺らしていく。

夜の帳の向こうで、季節はゆっくりと――秋へと傾き始めていた。
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