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104. 地下に降る星(中編)
しおりを挟む地下闘技場にたどり着いたワノツキは、重い扉を押し開けて中へと足を踏み入れる。
昼間のような熱気は、そこにはもうなかった。
代わりにあったのは、異様な静けさと――眠りに落ちた観客たち。
観客席を見渡せば、まるで糸が切れた人形のように首を垂れ、椅子にもたれかかる者たちが目に入る。
酒に酔い潰れた訳でもない、ただただ不自然に――全員が眠っている。
「チッ……気持ち悪ィ空気だ」
ワノツキは舌打ちし、金網の扉へと歩を進める。
ギギ――。
軋む音を立てて、闘技場の金網が開かれる。まるで彼の到着を待っていたかのように。
迷いなどない。
ワノツキは大槌を肩に担ぎ、無言でその中へと入っていく。
そして、金網は音もなく再び閉ざされた。
「よう、来てやったぜ。グレーシャ……」
呼ばれた名に、静かに反応があった。
薄暗い照明の下、スーツにコートを羽織った長身の男が、足音一つ立てずに闘技場の中央に立っていた。
淡灰色の髪が揺れ、冷たい瞳がワノツキを正面から見据える。
その手には、既に銀の銃――悪夢の力を帯びた兵器が握られていた。
「前みたいに油断はしねぇぞ」
ワノツキは大槌を構え、にやりと笑った。「今日こそ決着つけてやる……妹の無念も、全部な」
グレーシャの口元が僅かに動く。
「愚物が」
――パンッ。
引き金が引かれた瞬間、銃口から放たれた悪夢の弾丸が、黒い閃光となってワノツキに向かって放たれる。
だがワノツキは跳ねるように身を翻し、弾丸は虚しく闘技場の壁を穿った。
「当たれば怪物化だろうが……同じ手をなん度も喰らうかよッ!!」
反撃。
ワノツキの大槌が振り下ろされる。だが、グレーシャの姿は一瞬で横へと躱れていた。
彼の動きは無駄がなく、まるで重力の存在しない場所で戦っているかのように軽やかで冷たい。
「なら、これはどうだ……!」
振りかぶった大槌が空中で変形し、鋼鉄製の熊手へと変わる。
鋭い爪が空気を切り裂き、グレーシャのコートの裾を引き裂いた。
「……ふむ」
コートの裂け目を気にする様子もなく、グレーシャが片足を振り上げる。
長く、しなやかな足――狼族の血を引く彼の得意とする蹴撃だ。
その鋭さは、刃にすら劣らない。
「……チッ」
間一髪でワノツキは顎を逸らし、掠めるように蹴りを避ける。
皮膚の表面が震えるほどの圧。わずかでも遅れていれば、顎ごと持っていかれていた。
「強ぇな……こっちも本気出さねぇとヤバいってことか……!」
* * *
その頃――
メリィたちはようやく地下闘技場の前にたどり着いていた。
足元に漂う空気が重く、まるで水の底に沈むような感覚に、誰もが息を潜める。
「もう始まってる……!」
ネロが目を細めて叫ぶ。
鉄格子の向こう、戦いの音が聞こえる。ワノツキと、グレーシャ。
「急ぎましょう!」
双子が駆け出し、後に続いて皆が金網に向かう。
けれど――その時だった。
場の空気が、またしても変わる。
グレーシャは銃口をワノツキから、ゆっくりと外した。
「……少し、趣向を変えようか」
「……おい、何を――」
嫌な予感が脊髄を走る。ワノツキの顔色が変わった。
「やめろ!!!!」
――パンッ。
グレーシャの銃が、場外――観客席で眠る群衆へと向けて撃たれた。
いくつも放たれた悪夢の弾丸が、観客に命中する。
刹那、男の体がぶくりと膨れ、皮膚の下から黒い瘴気が吹き出し――
「グギイイイイイ!!」
変異。
人だった者が、醜悪な怪物へと成り果てた。
連鎖するように、撃たれた観客たちが次々と化け物と化していく。
一体でも脅威のはずの怪物が、複数体、闘技場の金網の外でメリィたちに迫ってくる。
「くそッ……!!」
ワノツキは大槌を背負い直し、金網を突き破ろうとする。
その時だった。
「どこを見ている」
冷たく抑揚のない声。
その声と同時に、ワノツキのすぐ背後に、グレーシャの姿があった。
――パンッ。
至近距離から、銃声が響いた。
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