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136.獏の街バクスト⑥
しおりを挟む「あいつと、ケリをつけるのはオレだ」
その言葉と共に、パタン、と扉が閉じられ、内側から鍵がかけられた音がした。
「しんっっっじられない!!!」
メリィの怒声が廊下に響き渡る。頬を膨らませながら、彼女は迷いなく腰の大鉈に手をかける。
「人に心配だなんだって言っておいて…!!」
「ちょ、ちょちょちょっと待って下さい!メリィさん!!」
タカチホが慌てて肩を掴み、今にも扉を破壊しようとするメリィを必死に止めた。
「メリィさん、先程扉が開いた時、見ましたか?」
「何を?」
苛立ちの滲む口調で返すメリィに、タカチホは真剣な表情で続けた。
「扉の中、室内なのに赤い花畑が御座いましてネ…お気付きになりましたか?
ネロさんの話を聞いた際にも、赤い花が出て参りました。小生、あれこそが何かしらかの幻覚の類を見せている物ではないかと思っていまス。」
「じゃあ尚更、早くネロの所へ行かなきゃ!!」
振りかぶった大鉈が壁ごと扉を叩き壊す勢いで構えられるが、再度タカチホがそれを押し留める。
「その前に!!……こちらを飲んでください!!」
タカチホが差し出したのは、小さな小瓶。中には透明な液体が揺れていた。
「気付け薬です。飲んでおいて下さい」
その一言に、メリィの目に少し理性が戻る。
「ごめん、タカチホ。ありがとう……」
薬を受け取り、ぐいと一気に飲み干す。仲間たちにも同じ薬が手渡され、全員がそれを口に含んだのを確認すると、メリィは改めて大鉈を構え直す。
「……ネロ、置いてくなんて許さないんだから!!!!」
バカン!
凄まじい音を立てて、扉が吹き飛ぶ。中に踏み込んだメリィの目に映ったのは、予想とはまったく違う光景だった。
赤い花が絨毯のように敷き詰められた室内。淡い月明かりが天井から差し込み、その奥で対峙する二つの影。
「ネロ!!」
呼ぶ声に反応するより早く、ネロが動いた。
「貴様ァアア!!」
怒声と共に、短刀が振るわれる。メリィの大鉈が咄嗟にそれを受け止めた。
「っ…う!!」
重たい衝撃が腕から肩にかけて伝わる。ネロの一撃は、今までの訓練など比にならないほどに鋭く、殺気を孕んでいた。
さらに振るわれる短刀を、必死に弾き返す。けれど、次の瞬間にはまた切り込まれてくる。防ぎきれず、刃が体のあちらこちらを掠め、血がにじむ。
「ネロ……!わたしだよ!!」
叫んでも、届かない。ネロの目に映っているのは、明らかに“何か”違うものだった。
「どんだけ硬ぇんだよ、テメェは……ッ!」
息を荒らし、額に汗を浮かべるネロ自身も限界に近いのだと分かる。
だがそれでも、攻撃は止まらない。
とうとう、メリィの腕が痺れ、手元が揺らいだ瞬間。
斜め下からの鋭い斬り込み。——大鉈が打ち上げられる。
「メリィサン!!!」
タカチホの焦りが混じった叫びが響いた。
ネロの刃が迫る。
一瞬の間、メリィはぎゅっと目を瞑る。これで終わりかもしれない——そんな覚悟が脳裏をかすめた、そのときだった。
「……っ!」
ネロの息を呑む音が聞こえ、直後に水音。
パシャ。
気付け薬だった。タカチホが駆け寄り、ネロの顔にそれをかけていたのだ。
「ぐっ……!」
苦しげに薬を拭うネロが目を開いた瞬間——その瞳が、傷だらけになっているメリィを見て見開かれた。
「特性の気付け薬ですヨ。目は覚めましたか?」
タカチホの静かな問いかけに、ネロは震える手で握っていた刃を落とした。
カラン。
床に響く金属音が、やけに長く耳に残った。
「……メリィ……?」
「……オレは……ずっと、おまえを……?」
膝をつき、愕然とした顔で呟くネロに、メリィがそっと歩み寄り、その頬に指を添えた。
「幻を見ていたんだよ、ネロ。もう、大丈夫だから」
優しく、けれどどこか涙を堪えた声だった。
自らが負った傷は多く、立っているのもやっとなはずなのに、メリィはゆっくりと立ち上がる。
大鉈を再び構え直し、その視線を、静かにシュヴァルへと向けた。
「やってくれたね……シュヴァル」
震える手が、それでも握ることをやめない。
それは、怒りでも、哀しみでも、復讐でもなく——
大切なものを守るための、決意そのものだった。
「……ワノツキサンに助けられましたネ……」
静かな声が戦いの余韻に溶けるように響いた。
タカチホが床に落ちていた赤いリボンを拾い上げる。
埃まみれになったそれをそっと払いながら、どこか寂しげに微笑むと、ネロのもとへと歩み寄り、それを手渡した。
受け取ったネロは、手の中の布きれを見つめたまま、しばらく動けなかった。
それは大切な仲間の——兄のような存在だった彼の形見だった。
ふいに、部屋の奥で空気が変わる。
シュヴァルが、険しい表情でメリィを見つめていた。不機嫌そうな目つきに、押し殺したような怒気が滲む。
「キミの為に様々な絶望を用意して来たのに、どうして平気そうな顔をしてるんだい?」
「平気じゃないよ。平気じゃないけど、乗り越えて来た。支えてくれる人や仲間がいたから」
メリィは一歩も引かず、真っ直ぐにシュヴァルを見据える。
「シュヴァル、もうこんな事はやめよう。こんな事していても、幸せになれないよ…!」
その声は決して責めるものではなかった。ただ、痛みを分かち合おうとするような、静かで温かな想いがこもっていた。
だが——
「うるさいな!僕の幸せなんて、キミにはわからないよ!!」
怒声と共に、シュヴァルが踏み込み、細剣を振るってメリィへ斬りかかる。
メリィが反応する間もなく、鋭い刃が眼前に迫った——その一瞬。
バッと間に割って入った影が、シュヴァルの細剣を弾く。
「ズメウ!」
驚きの声を上げたメリィに、ズメウはちらりとだけ視線を向け、静かに頷いた。
すぐ後ろのメリィを庇うようにシュヴァルの前に立ち塞がるように立つ。
「……キミはいいよね、守ってくれる優しい仲間に囲まれて。僕にはそんなの無かった。だから作るしか無かった」
メリィ達を見据えるシュヴァルの声が震える。
「全てを持っていた、兄さんやキミが心底憎くて仕方がないよ」
「だからって人の夢を食べたり、悪夢を植え付けていいって話にはならない」
ネロがようやく立ち上がり、震える足で前へ進む。
額からは汗が滲み、まだ瞳の奥に迷いが残っている。それでもその声は、確かに届こうとしていた。
「シュヴァル、これから変わる事は出来ないかな…?もっと色んな人と関わって、世界を見て回って…きっと素敵な、自分がこうしたいって夢が見つかると思う!だから……」
そう言って、メリィはそっと一歩を踏み出し、手を差し出す。
「一緒に行こう。あなたのした事をすぐには許せない。でも、一緒に旅をして話をすれば、あなたの事ももっと知れると思うの」
しばしの沈黙。
その手を見つめたシュヴァルの表情が、ふっと緩んだ。
その顔には、今までに見せたことのないような、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「……旅か…うん、それもいいかもしれないね……」
歩み寄る。距離が縮まる。
差し出された手に、彼の指が触れようとした、その瞬間——
「でもそれは、最後にキミを食べてからだ」
一変した表情。
メリィの胸元へと伸びたその手が、眩い光を放つ。
「……っ!」
眩しさの中、浮かび上がるのは——白と黒、二色の結晶。
メリィの中から引き抜かれるようにして、それは姿を現した。
「本当にキミはお人好しだねメリィ!」
狂気を孕んだような笑みを浮かべながら、シュヴァルは高らかに笑った。
「僕はこの瞬間を待っていたんだよ!破壊と再生の力、これを使って世界を作り変える!!」
シュヴァルの手の中で、結晶が青白い光を放ち始める。
「クソッ!!やめろ!シュヴァル!!!!」
ネロの怒声が轟く。メリィの名を叫ぶような、それは悲鳴だった。
しかし——
「大丈夫だよ」
メリィは静かにそう言った。
その言葉と同時に。
パリン。
耳を裂くような、硝子の割れる音。
シュヴァルの手にあった結晶が、砕け散ったのだ。白と黒の光は霧のように漂い、やがて跡形もなく消えていく。
その様子を見つめるシュヴァルの目には、言葉にできない困惑が浮かんでいた——。
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