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犬も歩けばヨガフレイム
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「愛はコンビニでも買えるけれどもう少し探そうよ」
恋人が欲しいなら、その辺のコンビニ店員とLINE交換すればいい、でもそれは妥協だよって歌詞なのだろうか? それとも食べ物全般を『愛』と表情して、コンビニ弁当もいいけど、もう少し栄養のあるもの食べなさいと歌っているのだろうか? 後者ならとても素晴らしい曲だと思う。私は店内に流れるナツメロ有線を聞きながら、賞味期限1時間前の『愛』達を廃棄カゴに回収する。
窓の外を見ると道の反対側で、看板を立てる工事をしている。赤と緑でデカデカと店名、その横に矢印でUターンマーク、その下に300Mと書いてた。
先月、全国に展開している有名コンビニが、近所に出来た。店長が「お客さんが流れちゃうかもねぇ」と言っている間もなく、同じチェーンのコンビニがもう一つ、近くの国道沿いにも出来た。そっちは駐車場がうちのコンビニの3倍あり、大型トラックも止められる。地方あるあるでオチに使われるような地域密着型のマイナーなこのコンビニは、他店の急襲とも言える挟み撃ちにより、一瞬で閑古鳥が鳴いているような状況になっていた。
私がここで働き出したのは6年前だ。中学の担任に勧められるように女子校の商業科に進学し、卒業後はネジの会社に事務として就職した。でも23歳の時にその会社は倒産。とりあえずアルバイトでもしようと求人雑誌を見て、最初に面接を受けたのが、このコンビニだ。もう6年とりあえずしている。この仕事が好き、という訳でも愛着があるという訳でもない。かと言って不満があるわけでもない。そんな感じなのでこのコンビニの現状も、どこか他人事のように感じている。
「あんな嫌味な看板建てなくてもねぇ」
ドリンクコーナーの上の壁に『クリスマスケーキ予約受付中』を、一文字ずつ大きく書いた画用紙の『マ』の部分を貼りながら、店長が言った。
「そうですね」
遠目で見ると『リ』が少し斜めだな、と私は思いながら答える。
「ドミナント戦略って言うんだよ」
「ドミナント?」
「大手のやる経営戦略。店を集中させることで、その地域の宣伝効果を上げたり、配送費の節減になるんだって」
脚立に乗っている店長は、次の『ス』を貼りだしている。
「でも近い場所に同じ店があると、お客さんの取り合いになるんじゃ……?」
「そうそう、そのお客さんの取り合いに巻き込まれちゃって、うちも大変なんですよ」
そう言うとこちらを振り向いて、イタズラに笑って見せて脚立を下りた。
「まぁ最大の狙いはそれなんだよ。身内同士で競い合わせて、それに他所のライバル店も巻き込んで、消耗させる……あれ? 『リ』が曲がってるなぁ」
店長は少し離れた所で、配列を確認してから、もう一度脚立に上り、曲がった『リ』の手直しに取りかかった。
「このままお客さんが来ないと本当厳しいなぁ。まぁ犬山さんには関係の無い話か」
関係の無い話か、と言われ心を見透かされたようでドキッとした。
「だってもう長いよね彼氏と。そろそろ考えてるんでしょ?結婚」
ホッとしたと同時に結婚というワードにまた困惑した。今付き合ってる彼とは、25歳の時に出席した中学の同窓会で再会した。学生時代はそんなに喋った記憶は無かったけど、二次会で「中学の時誰が好きだったか?」という同窓会でありがちなテーマの時に、彼は「実は犬山さんが好きだった」と皆の前で言ってのけた。愛想笑いで応えていたけど、それが既成事実となったのか、皆に囃されて自然と付き合うことになった。
「そうですね、4年になります。結婚は……」
4年付き合って、三十路前なので結婚を意識していないと言えば、嘘になるだろう。でもちゃんと結婚の話をしたことは無い。理由は多分、照れくさいとか、きっかけが無いとか、そんなレベルだと思っている。
「確かバリバリの商社マンだったよね。出張が多いみたいだけど養って貰えるでしょ」
何がバリバリなのかは分からないが、家を空けることが多いので、お嫁さんには外に働きに出ないで家にいてほしい、と確かに彼は言っていた。この事を店長に話したことは無いけれど、出張の多い仕事をしている人の妻は、専業主婦ってイメージがどこかあるのかもしれない。
「犬山さんは真面目だから良い奥さんになるよ。ここが潰れても、たまには思い出してねっ」
そうおどけて言うと店長は、脚立を折りたたんでバックヤードに運んでいった。見上げると『クリスマスケーキ予約受付中』と綺麗に並んで、その横にサンタとトナカイのイラスト、トナカイのソリには、カラーコピーされた予約商品のクリスマスケーキの写真が貼ってあった。それらをぼんやり見ながら、私は結婚した自分を想像しようとしてみたが、どうしても出来なかった。
夕方になり、まばらに学生が来店し出す頃に、私のシフトは終わる。縦長に3畳ほどしかない事務所で着替えていると(とは言っても私服の上から着ている制服を脱ぐだけだが)、奥にあるデスクの前で、店長が発注端末を操作していた。
「宝くじでも当たらないかなぁ」
と独り言より大きい、誰に言っているわけでもないトーンで言っている。ほとんどこの人の口癖だ。
「駅前のスーパーにある売り場からこないだ6億円出たらしいよ。6億当たったらもうここにマンション建てちゃうなぁ」
これも毎回言うセリフだ。
「いいですね」
私はいつものように、愛想笑いをしながら、頭を下げ、コンビニを出た。
この日、バイトは休みだったけれど、私は朝から出掛ける支度をしていた。普段は夕方から会うことが多いのだが、今日は珍しく、彼と午前中から会う約束をしている。彼からの誘いだ。折りたたみ鏡をダイニングテーブルに置いて化粧をしていたら、外国人女性がウェディングドレスを着て、踊っているCMが目に入った。
「ブライダルフェア開催中」
彼に連れてこられたのは海沿いの結婚式場、の隣にあるホテルだった。最上階のレストランはとても有名で、彼はそこのランチを予約してくれているそうだ。
入口のウェイターにコートを預け、彼が歩き出すのを待って後ろについていった。店内には私たちの他に、カップルや子供連れの家族、老夫婦が座ってそれぞれ食事を楽しんでいる。『RESERVED』と書かれた札が置いてあるテーブルの前まで行くと、ウェイターが椅子を引いて、先に私をエスコートしてくれた。私はちょこちょこ歩幅を合わせて、引いてくれた椅子に座り、彼は自分で席につき、腕につけている時計を触りながら店内を見回した後、こっちを見て微笑んだ。
堤防がすぐ横にある遊歩道を歩きながら、私は海を眺めていた。午後の日差しを反射して、銀色に輝く海面に、大型フェリーが船跡を引いている。この日は風もなく、12月にしては暖かったので、コートを着ていたら背中が汗ばむほどだ。先週見た情報バラエティ番組で心理学者が
「女性に別れを告げるには、周りに人がいるレストランなどで、午前から午後にかける時間に伝えると良いんですよ」
と言っていた。人の目がある所なら、相手もパニックにならず、お昼どきの明るい時間帯は、夜より気分が落ち込みにくいそうだ。それを聞いて司会のお笑い芸人が「ホンマでっか!?」と言っていたが、どうやら、ホンマだったようだ。海沿いを1人で歩くなんて感傷に浸るには、格好のベタなシチュエーションだが、私の頬に涙のあとは無い。
デザートを食べ終わって食後のコーヒーが運ばれてくる前、ふいに別れを告げられた。「君といても2人の未来が想像出来ない」と。ショックというよりも、もしかしたらバレていないのかも? とずっと不安に思っていた所を、ついに突かれたという感覚だった。彼の最初の一撃で、私の心は早々に白旗を上げていた。そのあとも諭すように彼が何か語っていたが、私は、なるべく周りに聞こえないように「そっか」と連呼しているだけだった。店を出て駐車場で私が1人で帰ると言いだしたので、彼は車の中で言うつもりであったであろう『今までありがとう的なセリフ』を手短に話して、車に乗り込んで、そして去っていった。
私は、見事に心理学者が言っていた『上手く別れる方法』を実行されたのだ。昔から「自分で考えなさい」とか「将来どうしたいの?」や「自信を持ちなさい」そういう類の話が嫌いだった。人に言われるまま目の前の事をただこなし、結果としてそれを褒めて貰えるなら、そっちの方が楽だった。はたから見れば『自分がない』と言われるかもしれないが、そんな生き方を不満に思った事もないし、私には相応の人生だと思っている。彼はそれを嫌っていたようだ。ーーそうだ、所詮私は『コンビニでも買えるような人間』なのだ。私には失恋をきっかけに、インドまで1人旅をし、衝撃的にヨガと出会って、自分を変えるような意識高い系の行動力は無いが、それでも脳内の何かが麻痺していたらしく、その日は4時間かけて歩いて家に帰った。途中で「シャンプーの買い置きが切れてたな」とか思いながら。
駅前のスーパーで買物をすませて店を出る頃には、昼間の陽気が嘘だったかのように、普段の12月の寒さが戻ってきていた。流石にクタクタになった足を引きずって自動ドアを出ると、辺りがすっかり暗くなった駐車場の一角に、ライトアップされたプレハブ小屋がぽかんと浮かんでいる。近づくとだんだんクリスマスソングが聞こえてきて、立ち止まって見上げると『この売り場から6億円出ました!』と書かれた横断幕が下がっていた。
「いらっしゃいませ」
マイクを通してスピーカーから聞こえた声は、おそらく私に向けられている。一瞬声の主を探したが、すぐに宝くじ売り場の中に座っている年配の女性と目が合った。目の前で立ち止まっていたので客と思われたらしい。私は返答に困っていたが、彼女はもう私をお客さんと決めたらしく、アクリル板の透明な仕切り越しに、ニコニコしながら私が喋るのを待っていた。
「えっと、あ……6億円の宝くじってどれですか?」
私が仕方なくそう言うと、女性は待ってましたと言わんばかりに口を開く。
「それならこの自分で数字を選ぶやつですよ。でもキャリーオーバーで6億円でしたから今週の当選金は1等が2億円になりますね。あ、宝くじ買うのは初めて?」
スピーカーから大きな声で言うものだから恥ずかしくなり
「あっはい分かりましたっありがとうございます」
と彼女が指差したマークシートのようなものとエンピツを手に取って、売り場前のカウンターの隅に逃げた。身を乗り出すようにして彼女はこちらを覗き込んでいる。ここまで来たら買わないわけには行かない。壁に貼ってある宝くじ購入の説明書きを見て、1~43までの数字を6つ、マークシートを塗って自分で選ぶということは理解した。自分で選ぶ。ふと、クイックピックという欄が目に入り、説明書きを見ると、『クイックピックにマークするとコンピュータが自動で数字を選んでくれます』と書いていた。選んでくれる。
少し考えて――。
誕生日の数字を入れようと思ったけれど、6つには足りなかった。自分の電話番号も上手く合わなかった。住所も郵便番号も違った。自分に浮かぶ数字はそれくらいだ。やっぱりクイックピックにマークしようとした所で、手が止まる。
「犬山さんは真面目だから良い奥さんになるよ」
ふと気付く。
「君といても2人の未来が想像出来ない」
世界が歪む。
「所詮私はコンビニでも買えるような人間なのだ」
こんな私でも、自分に意味のある数字を、選ぼうとするんだ、と。
些細な発見だった。でも涙がこぼれた。ホンマでっか効果が切れていた。もう止まらなかった。隣の客が気付いてこっちを気にしていたが、肩を震わせて泣いた。ついには売り場の女性がマイクを通して「大丈夫ですか?」と言い、通りすがりの買物客も、自動販売機でジュースを買おうとしてた学生も、喫煙所でタバコを吸っていたサラリーマンも、皆一斉に気づいた。そして彼らの目線の先には、宝くじ売り場の前で、声を押し殺して、ただただ泣き続ける女が1人立っている。その姿は黄昏のガンジス川のほとりで、ヨガの立木ポーズをしながら、茜色の空を見て涙を流すそれとは全く違っていた。
シフトに入る前にいつも買うペットボトルのお茶をレジに置く。店長がそれのバーコードを打ちながら
「はい、128えんでーす」
と、ママゴトのような接客をする。小銭が無かったので、お札入れの方から千円札を引き抜いた時に、昨日買った宝くじが引っ張られて、カウンターの上に落ちた。
「お!? 意外だねぇ! 犬山さんも宝くじ買うの?」
変にはしゃいでる店長に千円札を渡して、私は急いで宝くじを財布にしまった。
「それ当たったら何に使うの? 興味あるなぁ犬山さんの使い道」
とレジを打ちながら店長は笑っている。私は大きく深呼吸をして、そして窓の外に見える例の看板を指差した。
「あれが立ってる土地を買って、ここの二号店を建てるんです。ドミナント戦略って言うんですよね?」
冗談なんて1度も言ったことない私に店長は
「え? ああ、うん。あははは……いや、え?」
と困って愛想笑いをしている。もちろんそれは、予想通りの反応だった。
恋人が欲しいなら、その辺のコンビニ店員とLINE交換すればいい、でもそれは妥協だよって歌詞なのだろうか? それとも食べ物全般を『愛』と表情して、コンビニ弁当もいいけど、もう少し栄養のあるもの食べなさいと歌っているのだろうか? 後者ならとても素晴らしい曲だと思う。私は店内に流れるナツメロ有線を聞きながら、賞味期限1時間前の『愛』達を廃棄カゴに回収する。
窓の外を見ると道の反対側で、看板を立てる工事をしている。赤と緑でデカデカと店名、その横に矢印でUターンマーク、その下に300Mと書いてた。
先月、全国に展開している有名コンビニが、近所に出来た。店長が「お客さんが流れちゃうかもねぇ」と言っている間もなく、同じチェーンのコンビニがもう一つ、近くの国道沿いにも出来た。そっちは駐車場がうちのコンビニの3倍あり、大型トラックも止められる。地方あるあるでオチに使われるような地域密着型のマイナーなこのコンビニは、他店の急襲とも言える挟み撃ちにより、一瞬で閑古鳥が鳴いているような状況になっていた。
私がここで働き出したのは6年前だ。中学の担任に勧められるように女子校の商業科に進学し、卒業後はネジの会社に事務として就職した。でも23歳の時にその会社は倒産。とりあえずアルバイトでもしようと求人雑誌を見て、最初に面接を受けたのが、このコンビニだ。もう6年とりあえずしている。この仕事が好き、という訳でも愛着があるという訳でもない。かと言って不満があるわけでもない。そんな感じなのでこのコンビニの現状も、どこか他人事のように感じている。
「あんな嫌味な看板建てなくてもねぇ」
ドリンクコーナーの上の壁に『クリスマスケーキ予約受付中』を、一文字ずつ大きく書いた画用紙の『マ』の部分を貼りながら、店長が言った。
「そうですね」
遠目で見ると『リ』が少し斜めだな、と私は思いながら答える。
「ドミナント戦略って言うんだよ」
「ドミナント?」
「大手のやる経営戦略。店を集中させることで、その地域の宣伝効果を上げたり、配送費の節減になるんだって」
脚立に乗っている店長は、次の『ス』を貼りだしている。
「でも近い場所に同じ店があると、お客さんの取り合いになるんじゃ……?」
「そうそう、そのお客さんの取り合いに巻き込まれちゃって、うちも大変なんですよ」
そう言うとこちらを振り向いて、イタズラに笑って見せて脚立を下りた。
「まぁ最大の狙いはそれなんだよ。身内同士で競い合わせて、それに他所のライバル店も巻き込んで、消耗させる……あれ? 『リ』が曲がってるなぁ」
店長は少し離れた所で、配列を確認してから、もう一度脚立に上り、曲がった『リ』の手直しに取りかかった。
「このままお客さんが来ないと本当厳しいなぁ。まぁ犬山さんには関係の無い話か」
関係の無い話か、と言われ心を見透かされたようでドキッとした。
「だってもう長いよね彼氏と。そろそろ考えてるんでしょ?結婚」
ホッとしたと同時に結婚というワードにまた困惑した。今付き合ってる彼とは、25歳の時に出席した中学の同窓会で再会した。学生時代はそんなに喋った記憶は無かったけど、二次会で「中学の時誰が好きだったか?」という同窓会でありがちなテーマの時に、彼は「実は犬山さんが好きだった」と皆の前で言ってのけた。愛想笑いで応えていたけど、それが既成事実となったのか、皆に囃されて自然と付き合うことになった。
「そうですね、4年になります。結婚は……」
4年付き合って、三十路前なので結婚を意識していないと言えば、嘘になるだろう。でもちゃんと結婚の話をしたことは無い。理由は多分、照れくさいとか、きっかけが無いとか、そんなレベルだと思っている。
「確かバリバリの商社マンだったよね。出張が多いみたいだけど養って貰えるでしょ」
何がバリバリなのかは分からないが、家を空けることが多いので、お嫁さんには外に働きに出ないで家にいてほしい、と確かに彼は言っていた。この事を店長に話したことは無いけれど、出張の多い仕事をしている人の妻は、専業主婦ってイメージがどこかあるのかもしれない。
「犬山さんは真面目だから良い奥さんになるよ。ここが潰れても、たまには思い出してねっ」
そうおどけて言うと店長は、脚立を折りたたんでバックヤードに運んでいった。見上げると『クリスマスケーキ予約受付中』と綺麗に並んで、その横にサンタとトナカイのイラスト、トナカイのソリには、カラーコピーされた予約商品のクリスマスケーキの写真が貼ってあった。それらをぼんやり見ながら、私は結婚した自分を想像しようとしてみたが、どうしても出来なかった。
夕方になり、まばらに学生が来店し出す頃に、私のシフトは終わる。縦長に3畳ほどしかない事務所で着替えていると(とは言っても私服の上から着ている制服を脱ぐだけだが)、奥にあるデスクの前で、店長が発注端末を操作していた。
「宝くじでも当たらないかなぁ」
と独り言より大きい、誰に言っているわけでもないトーンで言っている。ほとんどこの人の口癖だ。
「駅前のスーパーにある売り場からこないだ6億円出たらしいよ。6億当たったらもうここにマンション建てちゃうなぁ」
これも毎回言うセリフだ。
「いいですね」
私はいつものように、愛想笑いをしながら、頭を下げ、コンビニを出た。
この日、バイトは休みだったけれど、私は朝から出掛ける支度をしていた。普段は夕方から会うことが多いのだが、今日は珍しく、彼と午前中から会う約束をしている。彼からの誘いだ。折りたたみ鏡をダイニングテーブルに置いて化粧をしていたら、外国人女性がウェディングドレスを着て、踊っているCMが目に入った。
「ブライダルフェア開催中」
彼に連れてこられたのは海沿いの結婚式場、の隣にあるホテルだった。最上階のレストランはとても有名で、彼はそこのランチを予約してくれているそうだ。
入口のウェイターにコートを預け、彼が歩き出すのを待って後ろについていった。店内には私たちの他に、カップルや子供連れの家族、老夫婦が座ってそれぞれ食事を楽しんでいる。『RESERVED』と書かれた札が置いてあるテーブルの前まで行くと、ウェイターが椅子を引いて、先に私をエスコートしてくれた。私はちょこちょこ歩幅を合わせて、引いてくれた椅子に座り、彼は自分で席につき、腕につけている時計を触りながら店内を見回した後、こっちを見て微笑んだ。
堤防がすぐ横にある遊歩道を歩きながら、私は海を眺めていた。午後の日差しを反射して、銀色に輝く海面に、大型フェリーが船跡を引いている。この日は風もなく、12月にしては暖かったので、コートを着ていたら背中が汗ばむほどだ。先週見た情報バラエティ番組で心理学者が
「女性に別れを告げるには、周りに人がいるレストランなどで、午前から午後にかける時間に伝えると良いんですよ」
と言っていた。人の目がある所なら、相手もパニックにならず、お昼どきの明るい時間帯は、夜より気分が落ち込みにくいそうだ。それを聞いて司会のお笑い芸人が「ホンマでっか!?」と言っていたが、どうやら、ホンマだったようだ。海沿いを1人で歩くなんて感傷に浸るには、格好のベタなシチュエーションだが、私の頬に涙のあとは無い。
デザートを食べ終わって食後のコーヒーが運ばれてくる前、ふいに別れを告げられた。「君といても2人の未来が想像出来ない」と。ショックというよりも、もしかしたらバレていないのかも? とずっと不安に思っていた所を、ついに突かれたという感覚だった。彼の最初の一撃で、私の心は早々に白旗を上げていた。そのあとも諭すように彼が何か語っていたが、私は、なるべく周りに聞こえないように「そっか」と連呼しているだけだった。店を出て駐車場で私が1人で帰ると言いだしたので、彼は車の中で言うつもりであったであろう『今までありがとう的なセリフ』を手短に話して、車に乗り込んで、そして去っていった。
私は、見事に心理学者が言っていた『上手く別れる方法』を実行されたのだ。昔から「自分で考えなさい」とか「将来どうしたいの?」や「自信を持ちなさい」そういう類の話が嫌いだった。人に言われるまま目の前の事をただこなし、結果としてそれを褒めて貰えるなら、そっちの方が楽だった。はたから見れば『自分がない』と言われるかもしれないが、そんな生き方を不満に思った事もないし、私には相応の人生だと思っている。彼はそれを嫌っていたようだ。ーーそうだ、所詮私は『コンビニでも買えるような人間』なのだ。私には失恋をきっかけに、インドまで1人旅をし、衝撃的にヨガと出会って、自分を変えるような意識高い系の行動力は無いが、それでも脳内の何かが麻痺していたらしく、その日は4時間かけて歩いて家に帰った。途中で「シャンプーの買い置きが切れてたな」とか思いながら。
駅前のスーパーで買物をすませて店を出る頃には、昼間の陽気が嘘だったかのように、普段の12月の寒さが戻ってきていた。流石にクタクタになった足を引きずって自動ドアを出ると、辺りがすっかり暗くなった駐車場の一角に、ライトアップされたプレハブ小屋がぽかんと浮かんでいる。近づくとだんだんクリスマスソングが聞こえてきて、立ち止まって見上げると『この売り場から6億円出ました!』と書かれた横断幕が下がっていた。
「いらっしゃいませ」
マイクを通してスピーカーから聞こえた声は、おそらく私に向けられている。一瞬声の主を探したが、すぐに宝くじ売り場の中に座っている年配の女性と目が合った。目の前で立ち止まっていたので客と思われたらしい。私は返答に困っていたが、彼女はもう私をお客さんと決めたらしく、アクリル板の透明な仕切り越しに、ニコニコしながら私が喋るのを待っていた。
「えっと、あ……6億円の宝くじってどれですか?」
私が仕方なくそう言うと、女性は待ってましたと言わんばかりに口を開く。
「それならこの自分で数字を選ぶやつですよ。でもキャリーオーバーで6億円でしたから今週の当選金は1等が2億円になりますね。あ、宝くじ買うのは初めて?」
スピーカーから大きな声で言うものだから恥ずかしくなり
「あっはい分かりましたっありがとうございます」
と彼女が指差したマークシートのようなものとエンピツを手に取って、売り場前のカウンターの隅に逃げた。身を乗り出すようにして彼女はこちらを覗き込んでいる。ここまで来たら買わないわけには行かない。壁に貼ってある宝くじ購入の説明書きを見て、1~43までの数字を6つ、マークシートを塗って自分で選ぶということは理解した。自分で選ぶ。ふと、クイックピックという欄が目に入り、説明書きを見ると、『クイックピックにマークするとコンピュータが自動で数字を選んでくれます』と書いていた。選んでくれる。
少し考えて――。
誕生日の数字を入れようと思ったけれど、6つには足りなかった。自分の電話番号も上手く合わなかった。住所も郵便番号も違った。自分に浮かぶ数字はそれくらいだ。やっぱりクイックピックにマークしようとした所で、手が止まる。
「犬山さんは真面目だから良い奥さんになるよ」
ふと気付く。
「君といても2人の未来が想像出来ない」
世界が歪む。
「所詮私はコンビニでも買えるような人間なのだ」
こんな私でも、自分に意味のある数字を、選ぼうとするんだ、と。
些細な発見だった。でも涙がこぼれた。ホンマでっか効果が切れていた。もう止まらなかった。隣の客が気付いてこっちを気にしていたが、肩を震わせて泣いた。ついには売り場の女性がマイクを通して「大丈夫ですか?」と言い、通りすがりの買物客も、自動販売機でジュースを買おうとしてた学生も、喫煙所でタバコを吸っていたサラリーマンも、皆一斉に気づいた。そして彼らの目線の先には、宝くじ売り場の前で、声を押し殺して、ただただ泣き続ける女が1人立っている。その姿は黄昏のガンジス川のほとりで、ヨガの立木ポーズをしながら、茜色の空を見て涙を流すそれとは全く違っていた。
シフトに入る前にいつも買うペットボトルのお茶をレジに置く。店長がそれのバーコードを打ちながら
「はい、128えんでーす」
と、ママゴトのような接客をする。小銭が無かったので、お札入れの方から千円札を引き抜いた時に、昨日買った宝くじが引っ張られて、カウンターの上に落ちた。
「お!? 意外だねぇ! 犬山さんも宝くじ買うの?」
変にはしゃいでる店長に千円札を渡して、私は急いで宝くじを財布にしまった。
「それ当たったら何に使うの? 興味あるなぁ犬山さんの使い道」
とレジを打ちながら店長は笑っている。私は大きく深呼吸をして、そして窓の外に見える例の看板を指差した。
「あれが立ってる土地を買って、ここの二号店を建てるんです。ドミナント戦略って言うんですよね?」
冗談なんて1度も言ったことない私に店長は
「え? ああ、うん。あははは……いや、え?」
と困って愛想笑いをしている。もちろんそれは、予想通りの反応だった。
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