屁理屈娘と三十路母

小川 梓

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先生

先生 02

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『先生』
 朝から深田先生についての考察をしていたからだろうか、頭の中では『先生』という漢字にすれば二文字、音にすれば四音の文字に支配されかけていた。
そう、『先生』という文字は不思議だ。
学校に通っていると必ず口にする単語であるし、そこに何のためらいもないが、ふと文字にすると、なぜ? と首を傾けたくなってしまう人もいるのではないだろうか。「どうして先生なの?」と。
傾いた自分の首を元に戻そうとするほど考えが深くなっていく。
この二つの漢字に送り仮名を付けるとするならば『先に生まれた』ということになる。
私は普段、先生という時にはある程度の敬意を込めて呼んでいるつもりだ。様々な勉強を教えてもらっているし、何か問題が起きれば解決しようと努力してくれる。私の通うこの中学校には信頼と尊敬の持てる人しかこの学校にはいないからこそ、ためらいなく、呼べているのかもしれない。
だとしても、『先に生まれた』だけでは何の敬意も示せないのではないだろうか。と思ってしまわないだろうか。
現在私は、14歳。少子高齢化社会、いや既に少子高齢社会の日本に生きている私にとっては、年上の多い世界で生きている。でもこの先、歳を重ねていくにつれて先生と呼ばれ、その名称に引け目を取らない生き方をしているのかと言われれば自信は皆無だ。教える立場でもない人間が先生なんて、と言うことでもあるが、年を取ったから、先に生まれたからという理由だけでは先生とは呼ばれないだろう。先生と言う名を使えるのは小中高大といった学校の先生、幼稚園や保育園の先生もそうだろう。あとはお医者さんや政界の人間、はたまた作家に対しても先生というものを使っている。字面を見なければ先生と言うものには尊敬の意味が含まれていることが明らかだろう。学校の先生は身近な正しい大人。お医者さんは医学知識を持ち病と正々堂々真っ向から戦うことのできる大人。国の代表として、日本を素晴らしい方向へと導こうと努力する大人。文章という、一文字では非力でしかないのに集合体として組み合わさることで読む人の様々な感情を引き出す大きな力を持っている大人。
こう考えれば先生という名前に引け目は取らないのではないかと思う。 
そこで浮き彫りになるのは、この素晴らしい社会的位置に座れる条件が先に生まれたということだけなのか、という問題である。なぜ先生という字にしたのか、理解は追いついていない。
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