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第四章
第十一話
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表面上どのように接してこようが、軍の内部において私が気を許す事は出来ない。一人になって漸く張り詰めていた空気を緩ませ、溜息を吐く。
今日は少し早く帰りますか。
やる事は山積みだが、根を詰めて行った所で長期間に及ぶ仕事においては非効率だ。
参謀本部前に止められた迎えの馬車に乗り込めば、一族のニールが私を出迎えた。
「お疲れ様です」
「ええ」
馬の声と共に馬車が進む。軍人の姿が全く見えなくなった所で、ニールが口を開いた。
「今日は随分責められましたね」
「バリエ少佐ですね。聞いていたのですか?」
「はい。まあ」
人間であれば侵入不可能な場所も、天来衆が本気を出せば潜り込む事が出来る。ニールであれば、そう危険な橋を渡っていないだろうと長年の付き合いから考え、黙認した。
「しかし、彼は面倒そうですね。なんでオールポート大将も彼を連れて来たんだか」
「仕方ないでしょう。我々を知る事の出来る貴族階級で、軍の要職であり、才覚のありそうな人間は限られる。他に選択肢が無かったとも言えます」
「厄介、厄介。これだから人間は。まともな人間が来たと思ったら、直ぐに次が来る」
彼の言わんとしている事も分かるので、苦笑するに留めた。人間というものは、余りに早く入れ替わる。
ふとニールが真面目な顔をして言った。
「長。我々は、長さえ号令をかければいつでも身を隠しますよ。何なら、獣のように暮らしたっていいんです。人間は、いつだって勝手だ。長が割を食わなければならない謂れはない」
実際、それはそう難しい事ではないだろう。現に今でさえ人間に紛れて暮らしているのだから。
私が一言言えば、嬉々として動くのでしょうね。
それが想像できてしまい、少し笑う。ニールは冗談に受け止められたと思ったらしく、不満げに口を尖らせた。
「すみません。ニールの気持ちは理解しているつもりです。同じように思っている他の者もいるでしょう。しかし、それでも人間に協力しておいた方が良いと思っています」
「そうでしょうか?」
「我々が此処に来た時と比べて、今の人間達の発展ぶりはどうですか。海では帆船しかなかったあの頃など忘れたかのように、蒸気船に大砲を積んで浮かべている。陸では鉄道を敷設し、空には偵察機が飛ぶ。我々と人間の時間は余りに違う」
それは生き急ぐ事のない一族にとって、目まぐるしい程の変化である。しかし、この地において異物は我々の方なのだから仕方ない。
「いつか庶民ですら、我々の存在に気付く時が来るでしょう。その時までに態勢を整えておかねば」
それこそ、獣のように狩られるだけだろう。
ニールは過去を思い出したのか顔色を悪くし、小さく首を横に振った。
「失礼しました。私の浅慮でした」
彼が黙ってしまったので、今度は私が口を開く。
「彼女の様子はどうですか?」
「クラリスさんは、新しく彼女についたザラと相性がいいみたいですよ」
「そうですか」
問われた事に答えながら、ニールは私の様子を注意深く窺う。
心配されているのは分かっているが、この件に関しては折れるつもりは無かった。自分の不注意が原因の一端であると、そう思っているからだ。
私が足繁くあの喫茶店に通わなければ。いや彼女が私に気付くと分かった時に直ぐに対応していれば。一族の不安を煽らずに済んだのではないか。
私が彼女を守ろうと思ったのは、そんな罪悪感がきっかけだったのは間違いない。
しかし、クラリスが本当の意味で傍にいようと思っていたのを知り、どうにも『あの方』の面影が過るようになってしまっていた。
今にして思えば、喫茶店に通っていた時もその片鱗を感じ取っていたように思う。
彼女の素朴な優しさを、我々と向き合う姿勢を、目の当たりにする度に思い出す。人間とはこういう生き物であったと。
これでは、皆の不安を杞憂だと笑ってやる事は出来ませんね。
しかしだからどうだと言うのだ。我々は人間の中で暮らしているのだから。人間と共に暮らすのをいくら防ごうとしても、限界というものがあるのを理解していた。
「ニール。アレンビー菓子店へ。土産を買って帰ります」
「……はい」
不承不承の声に気付かないふりをする。
甘いケーキでも持って帰れば、きっと彼女は頬を子供の様に赤らめて目を輝かせるに違いない。それがありありと想像出来てしまい、自然と口元が緩んでいく。
私が彼女に仕事を任せたからか、少しずつではあるが家の者と距離を縮めてきているようだった。
特に庭師のコリンは彼女に一方的に慕われたらしく、何かと新しい植物を強請られているらしい。
最近では倉庫から埃の被った花瓶を見つけたようで、毎日クラリスが見繕った花々が家の中を飾るのを見るのが密かな楽しみとなっていた。
彼女は変化だった。
我々が長く生きてきた中で失った、好奇心や驚きといった感情をそのままに体現する。
クラリスを通して、生の鮮やかさが蘇っていく気がした。
ポーラの件は随分申し訳のない事をしたと思う。人間の女性について一番詳しい者を選んだつもりだったが、完全に裏目に出てしまった。
私を思うあまり虚偽の報告をし、クラリスの手紙を全て破棄していたようだ。
しかしこの件で最も責められるべきは私だろう。一言自らの口でクラリスと話していれば、長い間寂しい思いをさせる事も無かったのだから。
埋め合わせのつもりで彼女に土産を買って帰るようにしていたのが、あまりに喜ぶものだからすっかり習慣になってしまっていた。
やはり私は、人間が嫌いにはなれません。
機嫌がいい私とは対照的に、ニールは物憂げな瞳をこちらに向けている。
彼の心配を知りつつも、私は彼女が最後を迎えるその時まで庇護者であるのを辞めるつもりはなかった。
『今度』は必ず守り抜く。同じ轍を二度は踏まない。
静かな決意を胸に、浮かび上がった過去の忌まわしい記憶を拭おうと、私はそっと瞼を閉じるのだった。
今日は少し早く帰りますか。
やる事は山積みだが、根を詰めて行った所で長期間に及ぶ仕事においては非効率だ。
参謀本部前に止められた迎えの馬車に乗り込めば、一族のニールが私を出迎えた。
「お疲れ様です」
「ええ」
馬の声と共に馬車が進む。軍人の姿が全く見えなくなった所で、ニールが口を開いた。
「今日は随分責められましたね」
「バリエ少佐ですね。聞いていたのですか?」
「はい。まあ」
人間であれば侵入不可能な場所も、天来衆が本気を出せば潜り込む事が出来る。ニールであれば、そう危険な橋を渡っていないだろうと長年の付き合いから考え、黙認した。
「しかし、彼は面倒そうですね。なんでオールポート大将も彼を連れて来たんだか」
「仕方ないでしょう。我々を知る事の出来る貴族階級で、軍の要職であり、才覚のありそうな人間は限られる。他に選択肢が無かったとも言えます」
「厄介、厄介。これだから人間は。まともな人間が来たと思ったら、直ぐに次が来る」
彼の言わんとしている事も分かるので、苦笑するに留めた。人間というものは、余りに早く入れ替わる。
ふとニールが真面目な顔をして言った。
「長。我々は、長さえ号令をかければいつでも身を隠しますよ。何なら、獣のように暮らしたっていいんです。人間は、いつだって勝手だ。長が割を食わなければならない謂れはない」
実際、それはそう難しい事ではないだろう。現に今でさえ人間に紛れて暮らしているのだから。
私が一言言えば、嬉々として動くのでしょうね。
それが想像できてしまい、少し笑う。ニールは冗談に受け止められたと思ったらしく、不満げに口を尖らせた。
「すみません。ニールの気持ちは理解しているつもりです。同じように思っている他の者もいるでしょう。しかし、それでも人間に協力しておいた方が良いと思っています」
「そうでしょうか?」
「我々が此処に来た時と比べて、今の人間達の発展ぶりはどうですか。海では帆船しかなかったあの頃など忘れたかのように、蒸気船に大砲を積んで浮かべている。陸では鉄道を敷設し、空には偵察機が飛ぶ。我々と人間の時間は余りに違う」
それは生き急ぐ事のない一族にとって、目まぐるしい程の変化である。しかし、この地において異物は我々の方なのだから仕方ない。
「いつか庶民ですら、我々の存在に気付く時が来るでしょう。その時までに態勢を整えておかねば」
それこそ、獣のように狩られるだけだろう。
ニールは過去を思い出したのか顔色を悪くし、小さく首を横に振った。
「失礼しました。私の浅慮でした」
彼が黙ってしまったので、今度は私が口を開く。
「彼女の様子はどうですか?」
「クラリスさんは、新しく彼女についたザラと相性がいいみたいですよ」
「そうですか」
問われた事に答えながら、ニールは私の様子を注意深く窺う。
心配されているのは分かっているが、この件に関しては折れるつもりは無かった。自分の不注意が原因の一端であると、そう思っているからだ。
私が足繁くあの喫茶店に通わなければ。いや彼女が私に気付くと分かった時に直ぐに対応していれば。一族の不安を煽らずに済んだのではないか。
私が彼女を守ろうと思ったのは、そんな罪悪感がきっかけだったのは間違いない。
しかし、クラリスが本当の意味で傍にいようと思っていたのを知り、どうにも『あの方』の面影が過るようになってしまっていた。
今にして思えば、喫茶店に通っていた時もその片鱗を感じ取っていたように思う。
彼女の素朴な優しさを、我々と向き合う姿勢を、目の当たりにする度に思い出す。人間とはこういう生き物であったと。
これでは、皆の不安を杞憂だと笑ってやる事は出来ませんね。
しかしだからどうだと言うのだ。我々は人間の中で暮らしているのだから。人間と共に暮らすのをいくら防ごうとしても、限界というものがあるのを理解していた。
「ニール。アレンビー菓子店へ。土産を買って帰ります」
「……はい」
不承不承の声に気付かないふりをする。
甘いケーキでも持って帰れば、きっと彼女は頬を子供の様に赤らめて目を輝かせるに違いない。それがありありと想像出来てしまい、自然と口元が緩んでいく。
私が彼女に仕事を任せたからか、少しずつではあるが家の者と距離を縮めてきているようだった。
特に庭師のコリンは彼女に一方的に慕われたらしく、何かと新しい植物を強請られているらしい。
最近では倉庫から埃の被った花瓶を見つけたようで、毎日クラリスが見繕った花々が家の中を飾るのを見るのが密かな楽しみとなっていた。
彼女は変化だった。
我々が長く生きてきた中で失った、好奇心や驚きといった感情をそのままに体現する。
クラリスを通して、生の鮮やかさが蘇っていく気がした。
ポーラの件は随分申し訳のない事をしたと思う。人間の女性について一番詳しい者を選んだつもりだったが、完全に裏目に出てしまった。
私を思うあまり虚偽の報告をし、クラリスの手紙を全て破棄していたようだ。
しかしこの件で最も責められるべきは私だろう。一言自らの口でクラリスと話していれば、長い間寂しい思いをさせる事も無かったのだから。
埋め合わせのつもりで彼女に土産を買って帰るようにしていたのが、あまりに喜ぶものだからすっかり習慣になってしまっていた。
やはり私は、人間が嫌いにはなれません。
機嫌がいい私とは対照的に、ニールは物憂げな瞳をこちらに向けている。
彼の心配を知りつつも、私は彼女が最後を迎えるその時まで庇護者であるのを辞めるつもりはなかった。
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