光の果てに至るまで

松原塩

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序章

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「今日までよく頑張ってくれました。さあ、傷を癒しましょう」
 神は勇者のことが好きだった。
 自分が選んだ勇者だ。
 数多の人間の中から自分で選んだ、いちばん強くて、いちばん優しくて、いちばん素晴らしい人間だ。人のために己を顧みず戦える強さがあって、人のために心を痛める優しさがあった。
 自分が創った世界を破壊せんとする魔王が生まれて、人間が苦しめられていることが、神はとても悲しかった。だから人間を救うために、いちばん素晴らしい人間を選んだのだ。
 神は地上に降りることはできないから、天の園から勇者の活躍を見守った。
 頼もしい仲間が増えた時には喜び、魔物の軍勢に囲まれる危機には心を乱され、ままならない苦境に陥っても手を貸すことすらできない不甲斐なさに悔しくて涙した。
 全てを乗り越えて勇者たちが力を合わせて魔王を斃した時、神は天の園で飛び上がって喜んだ。
 全ての魔物が滅んで平和になった世界で、これから勇者は英雄と崇められ輝かしい道を歩むに違いない!
 旅を終えた勇者を天の園に招いて、その傷だらけの体を癒してやろうとした。
 けれど勇者は首を振った。
「いいえ神様、恐れながら、俺の傷は治さないでください」
 何を言っているのかわからなかった。
 魔王が死の際に付けた傷は、勇者の魂までも深く刻まれ、癒せるのは神だけだった。放っておいても体が腐敗し死に向かうのを待つだけだ。
「そのままでは辛いでしょう。さあ、早くこちらへ」
 再度促すが、勇者は首を縦には振らなかった。
「俺は魔物を殺し尽くし、人類を守ったことを後悔していません。魔物は人間を無差別に殺戮する。人類のために滅ぼすべきでした。ですが魔物から見たら人類だって同じでしょう。どちらも間違っていなかった。俺は人間として人間の味方をした、それだけです。けれど、数えきれないほどの魔物を殺した俺が、このままのうのうと生きていて良いとは思えない。俺はこのまま人類の罪を背負って死んでいきたいのです」
 神は愕然として、哀れなほどに狼狽えた。
「そんな、勇者、あなたは讃えられるべきなんです、命懸けで戦って救った人々から称賛を浴びて、栄誉を手に入れて、いずれは素敵な女性と結ばれて子を成し、幸せに生を全うするべきで、そんな」
「そんなもの求めてはいません」
 きっぱりと言い切る勇者の目が、まっすぐ自分を見ていることに神は怯えた。
 どうして? 誰より傷付き、険しい道のりを越えて幸せになるはずだったのに? 人々の未来を守っておきながら、どうして自分の未来を捨てようとしているのか?
「許されるなら神よ、どうか」
 毅然としていた勇者の声に切望が混じる。
「どうか褒めて下さいませんか。あなたの信徒はよくやったと……」
 そんなことを望むのか。いくらでも褒めるのに。自分のそんなちっぽけな言葉に、彼の未来と引き換えにするほどの価値なんかないのに。
 神は勇者のことが好きだった。
 仲間と旅をする彼のことを天の園から見守り、決して手が届かない彼に恋をしていた。
 自分が選んだ勇者だ。
 自分が選んだせいで、勇者になる道を選ばせてしまった。
 そうして使命だけを果たして、生まれ持った優しさで最後に己を殺そうとしている。
 神は、悲しいのに、彼を引き留めることができなかった。
「あなたはよくやりました。心優しく勇敢で、最も強く、最も素晴らしい私の信徒……」
 勇者が神の左手をとり、その甲に恭しく口付ける。満足げに笑うその顔に、笑顔を返せたかどうか、わからない。
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