光の果てに至るまで

松原塩

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3 生まれ変わり

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 海でダンジョンの魔物と戦った数日後にパドストートンを発ち、ジェイスたち一行は鉱山の町ブレニアを訪れていた。
 ブレニアのダンジョンは中級になる。ジェイスがこれまでに中級ダンジョンに挑んだことは二度ほどしかないし、それも欠員を埋めるために雇われて行ったものだったから、戦闘員が二人だけというのは初めてだった。
 しかも危なくなれば手助けはしてもらえるものの、基本的にはジェイスが一人で考えて動かなければならない。自分がへましたらレイやアメアにまで被害が及ぶかもしれないと思うとプレッシャーを感じたが、心配しても仕方ないとすぐに切り替えた。やるしかないのだ。
 ダンジョンの下調べをする前に、まず鍛冶屋に行こうとはレイの提案だった。ジェイスはレイが強化してくれた黒い剣を気に入っているが、レイは良い剣を見ればきっと欲しくなると言って譲らなかった。
「こっちだ」
 先導して歩くレイは機嫌が良さそうだ。
 レンガの敷かれた道の両側に、所狭しと様々な店が並んでいる。食べ物や衣料品もあるが、道具屋と武器屋が圧倒的に多かった。鍋などの調理器具が多く目につくのは、金属全般の生産が盛んだからだろう。宝飾品の露店も見られる。
 レイの後をついて行くと、どんどん人気が少ない山の方へ向かって行った。次第に店舗も民家もなくなり、気付けば山の中を歩いている。
「レイ、本当にこっちなのか!?」
「こっちだ。間違いない」
 レイは振り向きもせずどんどん進んで行く。振り返ると、アメアが小走りで着いて来ていた。長身のレイが早足で進むペースに合わせると、小柄なアメアは小走りになるしかないのだ。しかも整備されておらず、一応踏み固められた土が道になってはいるものの石や木の根がそこかしこにあって足場が悪い。文句も言わずに着いて来ているアメアが気の毒になった。
「レイ、もうちょっとゆっくり行こう」
 そこでやっとレイは振り向いて、ジェイスの向こうで息を切らしているアメアに気付く。
「わかった」
 それからはレイもペースを落とし、一時間ほど登ったところで、金属を打つような音が聞こえてきた。緑の向こうに建物の屋根が見える。
 やがて木々が途切れ、煙突の突き出た古びた建物が露わになった。
 本当にあった。感心した気持ちになりつつ、ドアの外から声を掛ける。
「すみません」
 返事は無い。金属を打つ音に被って聞こえなかったかともう一度大きな声を出す。
「すみませーん」
「今手ェ離せないからちょっと待っててくれ!」
 中から男性の低い声で返事があって、もう忘れられたのかと思うほど待った頃、ようやく扉が開いた。
 出て来たのは熊のような壮年の男だった。顔もエプロンも煤で汚れている。
「何の……」
 言いかけて、レイの美貌を見て硬直した。
「……あんたみたいな人がこんなところに何の用だ? 場所間違えちゃいねえか?」
「ハキームに会いに来た」
「じいさん? じいさんならもうとっくに死んだぜ」
 怪訝そうな声。レイは軽く目を見開いた後、そうか、と睫毛を伏せた。
「ああ、もしかしてあんたら、勇者と同じ剣が欲しいってクチか? じいさんが勇者の剣を打ったからって、昔はそういう奴らが多かったって聞いたが、今時珍しいな」
 その言葉を聞くや否や、悄然としていたレイの目つきが鋭くなった。明らかに何か不穏な気配を感じて、ジェイスは慌ててレイの腕を掴んで引き寄せる。
「そうか、邪魔して悪い、仕事頑張ってくれ」
 男に適当に挨拶をして、レイを誘導するように来た道を引き返す。アメアも男に会釈してから後に続いた。
 鍛冶屋が見えなくなるまで歩いてから、ようやくレイの腕を離した。
「どうした?」
 先ほどの男の言葉は別段気に障るようなものでもなかったはずだが、レイの赤い目は冷然と細められ、薄い唇は引き結ばれている。美しい彼がそうしていると、声を掛けるのもはばかられるような迫力があった。
「べつに。こんなところにもう用はない。次の街へ行こう」
「え!? ダンジョンは!? なんか嫌だったか?」
「べつに……」
 レイはつんとして、取り付く島もない。
 山を下りている間にだんだん陽が落ちてきて、辺りが薄暗くなってくる。
「とりあえずメシ食ってから考えよう。外で食べるより何か買って部屋で食べるか」
「ああ……」
 小さく頷いたことにひとまずほっとする。レイが怒気を放っていたせいで、二人の後ろでアメアがずっと青い顔をしていた。

 苛立っている時に人ごみの中で食事をするのは億劫だろうと、レイを宿に送り届けてから、ジェイスは手近な店で串焼きの肉に岩塩を振ったものを買った。肉を食べれば元気になるだろうという発想だったが、レイは肉より甘いものの方が好きだったかもしれないと途中で気付き、甘い香りのするマフィンのようなものも買い、ついでに少し高い酒も手に入れて戻った。
 ジェイスとレイの部屋にアメアも入れて、三人でテーブルを囲む。
 腹が減っていると人はろくなことを考えないから、おいしいものを食べるのが一番だ。ジェイスの考えは功を奏して、食べ終わる頃にはレイの機嫌も直っていた。
「すまなかった。下調べをして、ダンジョンには向かう。今度は中級ダンジョンだから、今までより危険になる。充分注意して臨んでくれ」
 片付けたテーブルの上にダンジョンの地図を広げ、三人で覗き込む。
 ダンジョンは判明している分で地下に三階層あったが、未踏破の部分も多いようだ。
「一日じゃ終わらないな」
「えぇ」
 アメアが嫌そうな声を出した。
「野宿したことあるか?」
「ないですよそんなの。ダンジョンで寝るんですか?」
「お前たちが寝ている間は私が見張りをしてやる。私は数日くらい眠らずとも平気だから」
 平然と言うレイは、確かに毎日は寝なくても平気なのだろうし、大抵の魔物は一人で対処可能だろう。だが、先日のように突然限界が訪れて倒れられても困る。なにより彼一人に負担を押し付ける真似なんてできなかった。
「いや、見張りは俺とレイで交代にしよう。俺だけじゃ対処できない事態になったらすぐにレイに声を掛けるから」
「私は平気だ」
「レイだって疲れるだろ。休む時間は確保すべきだ」
 なぜかレイは不服そうな顔をしていたが、渋々頷いた。

 ブレニアのダンジョンの地図に空白が多いのは、ダンジョンが広い上に細かく枝分かれしているせいだ。それこそ迷路のように複雑に入り組んだ無数の道の中、下の階層へ降りる道は一か所しかない。道のりが困難なら地図に残すのも困難だ。
 比較的力の弱い魔物が出現する第一階層はほぼ踏破されており、地下の第二階層への階段までは容易に辿り着けた。そこからは、第一階層と比べて半分ほどの範囲の地図しかない、未知の領域となる。
「もしかしたら、第二階層は入る度に道が変わるタイプのダンジョンかもしれないな」
「そんなものがあるんですか?」
「聞いたことある」
 喋りながら、薄暗い第二階層を進んで行く。明かりはレイが手にしている、魔力で光が灯るランプのみだ。ジェイスは、暗がりの中から飛び出してくる第一階層より手ごわい魔物を、気配で察知して対処していた。
 進めば進むほど慣れてきたのか、はたまた疲労で神経が張り詰めているのか、感覚が鋭敏になっている。
「今日はこの辺にしよう」
 外の光が入らないダンジョン内では時間の感覚が薄くなるが、アメアの持っている懐中時計によるともう夜が訪れていた。レイの号令で、ダンジョンの壁が少し窪んだ場所で休息をとることに決めた。
「あの、魔物が寄って来ないおまじないしてもいいですか」
「好きにしろ」
 レイの許可を得たアメアが、聞き取れないほどの小声で何かを唱える。それからしゃがんで地面を指差すと同時に空気が揺らぎ、黒い光が走って魔法陣を描いた後、一瞬でふっと消えた。とたっと遠くで獣の足音が聞こえた気がして振り向くが、何の姿も見えない。気のせいだったろうか。
 それにしても、そんなおまじないがあることをジェイスは初めて知ったし、魔法でもなくおまじないというのが不思議だったが、実際レイと交代で見張りをしている間中、魔物は現れなかった。
「おまじないって俺でもできる?」
 翌朝訊ねると、アメアは渋い顔になった。
「いや……特殊なやつなんで」
「そっか」
 便利そうだと思ったが、どうもそう簡単なものではないらしい。確かに簡単なものなら冒険者たちの間で重宝されていただろう。ジェイスは納得して頷いた。
 それから一行は第二階層を探索した。
 黒い獣型の魔物たちを斬っていくうちに、ジェイスは手が勝手に剣を振っているような感覚に陥った。
 考えるより先に身体が動く。剣の意思に従って地を蹴り、腕を振るわされているような気さえした。体が軽いようでいて、剣が求めるより動きが鈍く感じる。本当はもっと動けることを知っている。もっと速く、正確に、剣の意思を体現できる――。
 ひとしきり魔物を倒して肩で息をしながら、奇妙な高揚感に恐れを感じた。
「なんか俺、ちょっと変かも」
「怪我をしたのか」
 すぐにレイが駆け寄ってくる。
「いや、大丈夫だけど……なんかめちゃめちゃ体が勝手に動く」
「ちょっと怖いくらい強かったですよ」
 アメアの声は言葉通りに若干引きつっていて、ジェイスは苦笑した。
「そう? いいや、早く進もう」
 抑えることを忘れた体が無制限に暴れるせいで、後からどっと疲れが押し寄せる。こんな戦い方をしていたら長くもたない。勢いでさっさと踏破してしまうべきだと思った。
 レイはジェイスの顔色を見て何かを察したのか、下がっていろ、と言った。
「床を破壊して下に降りる」
「えぇ。危ないだろ」
「下に人間の気配はない」
 そこまで分かるのかと感心するより先に、レイが下に向かって手を翳す。ジェイスが咄嗟にアメアの腕を引いて後ろへ下がると同時に、石床が轟音を立てて崩壊し、レイの目の前に大穴が開いた。
 レイがどこまで強いのか知らないが、ダンジョンの分厚い石床に平然と大穴を開けるところを見ると、寒気さえ感じた。
「行くぞ」
 ジェイスとアメアは大穴の縁まで歩き、下を覗き込んだ。
「オレ無理ですよこんなの!」
 アメアが声を上げる。確かに、破壊された分厚い石床の向こう、第三階層の床はかなり遠くに見える。ジェイスでも無事着地できるか自信はなかった。建物の三階から飛び降りるほどの距離がある。
 二人の横で、レイが長い銀髪とマントを翻し、身軽に飛び降りた。
「レイ!」
 焦って声を上げるが、彼は重力を感じさせない動きで石床へと降り立った。
「受け止めてやる。降りて来い」
 下からレイの声が反響する。たとえ魔法で受け止めてくれるとしても、恐怖を感じる高さだ。アメアは膝をついて階下を覗き込み、完全に怖気づいている。
「行けそうか?」
「無理です」
「俺が担いでってやるから」
 時間を掛けても恐怖心が増すだけだろう。ジェイスは返事も待たずアメアを肩に担ぎ上げて、大穴へと身を躍らせた。
「ああああ」
 肩の後ろでアメアが悲鳴を上げる。落下していく体は、石床に着く前にふわっと風に浮くように減速して、問題なく着地した。
「大丈夫か?」
 赤い髪が乱れ、ひどい顔色のアメアを下ろしながら訊ねる。
「はあ、まあ」
 力技で押し進もうとするレイに気苦労を掛けられっぱなしのアメアが哀れだった。
「あちらだな」
 辺りを見回し、進むべき道が分かっているかのようにレイが歩き出すので、ジェイスとアメアも後に続いた。
 第三階層は奇妙なほどに静かだった。石壁にはレイの持つランプの灯りに照らされた三人の影が揺れ、三人分の足音だけが響いている。
 幾らも歩かないうちに、開けた場所に出た。ダンジョン内に存在するこういった場所がどういうものかよく理解しているジェイスは、剣を片手に神経を研ぎ澄ませた。
 ズン、と地響きのような音がして、石床が揺れる。奥から現れたのは、石材を積み上げたかのような体で二足歩行する、巨人の姿だった。頭が天井すれすれまである。
「アメア、入り口まで下がっ……」
 言いながら、大きく振るわれた腕を避けるが、あまりの風圧に転んでしまった。一回転して素早く体勢を立て直すが、その重量感にぞっとする。かすっただけでも、人間の体など弾け飛んでしまいそうだ。
 走って逃げたアメアはかなり距離をとれている。涼しい顔をしているレイも心配なさそうだ。
 二人の様子を横目に確認してから、ジェイスは石の巨人へと突っ込んで行った。
 攻撃を避けながら手足を斬る。黒い剣は相変わらずの切れ味で石をも斬ったが、斬ったそばから石が集まって、再び接合してしまう。
 この石の巨体にも、どこかに核が埋まっているはずだ。それを破壊するしかないが、攻撃を避けながら巨体のどこにあるとも知れない核を探すのは苦労しそうだった。
 ジェイスが避けた巨人の腕が石床を殴り、足元がぐらつく。好機とばかりにそこへ再び腕が振り回されて、ジェイスは飛び退って何とか避けた。巨人の拳が壁を殴り、そこからびきびきと天井に向かってひびが走る。
「げっ」
 思わず声が出た。次の攻撃を避けて、またその拳が壁に当たって、ついに天井が崩落する。岩石と土煙で視界は最悪で、レイとアメアの無事を確認する余裕もない。
 降ってくる岩石は何とか避けたものの、ふっと風を感じた次の瞬間、土煙を切り裂いて巨人の腕が現れる。間に合わない。冷や汗が噴き出る。
「ジェイス!」
 銀色のものが視界に飛び込んできて、間近で石が破壊される爆音に鼓膜が震える。ジェイスの体は石床に叩き付けられた。
「レイ!?」
 声の主はジェイスに覆いかぶさって、一緒に倒れている。額から血を流して、艶やかな銀髪が赤く濡れているのにぞっとした。
「レイ!」
「アメア! 何をしている! 早く治せ!」
 勢いよく上体を起こしたレイが、アメアを振り向いて怒鳴る。慌てたアメアが治癒魔法のためレイへ両手を翳したのを見て、レイは更に声を荒らげた。
「私じゃない! ジェイスだ! 早くしろ!」
「あんたが先だろ」
 この男は一体何を言い出すのかと、思わずジェイスも大声を上げる。レイに庇われたジェイスは精々擦り傷くらいのもので、どう見てもレイの方が重傷だ。
「私なんかどうでもいい、ジェイスが」
「アメア、レイを頼む」
「ジェイス」
 レイの声はほとんど悲鳴じみていた。アメアにレイを押し付けたジェイスは、再び石の巨人と相対する。
 レイによって破壊されたらしい両腕は戻っておらず、爆散し砂礫と化している。
「ある程度細切れにすれば戻らないのか?」
 とは言え、さすがに剣で巨人をみじん切りにするのは無理がある。
 踏みつぶそうとしてくる足を避け、頭に足にと隙あらば剣を振るっているうちに、治りが早い箇所と遅い箇所があることに気付いた。治りが早い箇所に核があるのだとあたりをつけて、それこそみじん切りにでもするかのごとく剣を走らせる。やがてキンと澄んだ音がして、斬った巨人の体は崩壊してただの石くずと化し、石床に崩れ落ちた。
 崩壊に巻き込まれないよう素早く飛び退ったジェイスは、しばらく様子を見て復活する気配がないことを確認してから、レイとアメアへ振り向いた。
「ジェイス! 怪我は」
 心配げに駆け寄ってくるレイの、額の傷が塞がっていることにほっとする。しかし髪に血が染みているのが痛々しかった。
「平気だよ。レイは? もう痛くないか?」
「私なんかどうでもいい。アメア、ジェイスを治してくれ。私はダンジョンの核を破壊する」
 どうでもいいと先ほども言っていた気がする。ジェイスは憮然として、歩いて行くレイの背中を目で追った。
 アメアがかけてくれる治癒魔法のほんのりとした熱を感じる。視線の先では立ち止まったレイの目の前で石床が爆ぜていた。爆風に長い銀髪が舞い上がる。飛散する瓦礫の中に一瞬黒いものが光って見えて、レイの眼光に捉えられるとそれも砕け散った。
 その惨状を見届けることすらなく、レイが振り向いてこちらへと歩いて来る。
「帰ろう」
 レイの目が気遣わしげにジェイスを見ている。声に出さずとも、まだジェイスの体を案じているのが分かった。

 ダンジョンの核を破壊したおかげで、このブレニアのダンジョンには新たに魔物が湧きだすことはない。すでにうろついている魔物を始末したらそれで終わる。帰路は往路より魔物が少なく、一泊したものの半分ほどの時間で地上に戻ることができた。
 陽が沈む前に宿に帰り着き、疲れた体をベッドに仰向けに投げ出したところで、レイが心配げにジェイスの顔を覗き込んでくる。長い白銀の髪が顔の横に垂れた。
「ジェイス。具合が悪いのか」
「いや、疲れただけだよ」
「顔が火照っている」
「んー?」
 手袋を外したレイのひんやりとした指先がジェイスの頬に触れて初めて、確かになんだか頭がくらくらすると気付いた。レイが手袋を外すところを始めて見たなと、どうでもいい思考が顔を覗かせる。
「あれ、なんか、なんだ? ちょっと暑いな。ごめん、休んでいい?」
 長丁場を終えて気が抜けた途端に体調を崩したのだろうか。体がだるく、少し眠りたくなったジェイスに、レイが血相を変えて部屋を飛び出した。恐らくアメアを呼びに行ったのだろう。
 ダンジョンで、剣に導かれるようにして戦った記憶がよみがえる。肉体の制限を忘れたような動きをしたせいで、体が悲鳴を上げているのかもしれない。
 しかし例えば身動ぎするのも苦痛なほど体に負担がかかっているでもなし、そんなに大げさに心配するほどのことではない。そう思いながらもどんどん瞼は重くなってきて、レイが帰ってくるのを待つこともできず眠りに落ちた。

 次に意識が浮上した時、すぐ傍らに人が居ることに気付いた。
 レイが座っている。ベッドサイドに椅子を持ってきたらしい。薄暗い部屋の中でも、ジェイスを見下ろす目が赤く潤んでいるのが見て取れた。
「え、俺生死の境を彷徨ったりしてた?」
「三時間くらい寝てただけですよ」
 予想外の声が飛んでくる。見れば少し離れたテーブルの前にアメアが座って、呆れたような顔をしていた。
「怪我は治っているし毒も受けていない。疲れだと思いますよ。今日は休んでてください」
「ああ、ありがと」
 言うだけ言ってアメアは自分の部屋へと戻って行った。
 レイは未だに陰鬱な顔をしている。
「レイ。どうした? 俺は大したことないよ」
 黙って睫毛を伏せる。その悲壮感漂う様子に、ジェイスは体を起こし、俯いた頭を宥めるように撫でた。髪の手触りがあまりになめらかで、一瞬たじろぐ。その髪に血の汚れがまだ残っていて、きっと彼はシャワーを浴びる心の余裕すらなく、ずっとそこに座っていたのだ。
「泣くなよ、あんたに泣かれるとなんか困るんだよ俺」
「泣いていない」
 呟くような小さな声が返ってくる。
 レイに悲し気な顔をされると、どうしてか胸がひどくざわめいて、無性に耐え難い気持ちになる。
「こんなのすぐ元気になるって。大丈夫」
「ああ」
 納得したように頷くくせして、その声には力がない。ジェイスは参ってしまった。
「明日になったらさ、なんかうまいもんでも食いに行こうよ。酒でも飲みながらさ。レイだって疲れただろ、俺は大丈夫だから今日はもうゆっくりしてなよ」
 返事がない。動こうとする気配もない。もしかしてジェイスが元気になるまで不眠不休でそこに座っているつもりなのだろうか。彼ならありえないとは言えない。ジェイスはにわかに焦った。
「レイ? レイももう寝た方がいいんじゃないか? 寝るの怖いなら手握っててやろうか」
「私のことは気にしなくていい」
「するよ……」
 依然として泣いてしまいそうな様子のレイを横目に眠れるほど薄情ではない。ジェイスは溜息と共に吐き出した。
「怖い思いさせてごめんな」
「お前は悪くない!」
 つい今しがた悄然としていたのが嘘のような勢いで、レイが顔を上げる。
「何も、お前は何も悪くない、謝らないでくれ」
「そうかわかった、俺は悪くないし死にそうでもない。あんたは反省も心配もしなくていい」
 起きて喋っていると元々朦朧としていた頭がさらにどんどん働かなくなって、面倒になる。ジェイスは考えることをやめて、レイの頭を胸に引き寄せ、そのまま目を瞑ってベッドに倒れ込んだ。
「寝よ」
「あ、あ、ジェイス」
 困惑に満ちた小さな声が聞こえる。もぞもぞと動くレイが体を起こそうとしているのがわかったが、ジェイスは手を離さなかった。
「ジェイス……はなしてくれ……」
 真っ赤になって恥ずかしがっているのが、瞼を閉じていても見えるようだった。彼が悲しい顔をしていないのならもう何でもいい。
 再び眠りに落ちたジェイスの腕から這い出したレイが、乱れた髪もそのままに腰を抜かして床にへたりこんでいたことを、ジェイスは知らない。



 ジェイスとレイの部屋の隣が、アメアの部屋だ。
 アメアは窓の前に備え付けられたテーブルの前に座り、軽食をつまんでいた。ベッドの前から動こうとしないレイの分も買ってきて渡してはあるが、おそらく食べてはいないだろう。
 ジェイスに関しては心配いらないはずだ。疲れが出ただけのようで、健康で体力がある成人男性なのだから問題なく回復するだろう。ジェイスが急に熱を出したと血相を変えて飛び込んできたレイが大げさなのだ。
 レイはいったい何なのだろう。本人に聞く勇気はないが、明らかに彼はおかしい。
 ダンジョンでジェイスを庇って怪我をしたときだってそうだった。

「アメア、レイを頼む」
 背を押してレイをアメアに任せて、ジェイスは石の巨人へと臆することなく立ち向かっていく。レイが悲鳴のような声で、彼の名を呼んでいた。
「こちらへ。傷を治します」
 半ば強引にレイの腕を引いて、巨人から距離をとる。レイの額へ両手を翳し、慣れた呪文を唱えた。
「〈清晄顕現〉」
 本当なら魔法陣を描くはずだった燐光がバチッと弾かれる。アメアは目を丸くした。
 アメアは仮にも国家資格を持つ最上位の治療術師だ。基本的な治癒魔法を失敗することなどまずありえない。
「……治癒魔法が効くのは生物だけです。効かないのは、例えばアンデッドなど……」
 終始ジェイスの方を気にしていたレイが、ようやくアメアのことを見る。どこか皮肉気な笑みを浮かべていた。
「アンデッドではないが……生物とは違うし、そういうこともあるだろう」
 不穏なことを言う。
 レイが普通の人間と違うことは、初めて見た時からわかっていた。アメアがわかっていることを、レイも知っているのだ。
 だからアメアは二人と道を共にすることを嫌がったし、それでも結局受け入れたのはジェイスのことが心配だったからだ。こんなに得体の知れない怪物と共に過ごす彼が、お人好しでそれゆえ不幸を被った兄と重なって見えて、放っておけなかった。
「……〈結修刻〉〈器は縒りて合せよ〉」
 試しにと別の呪文を唱える。手のひらの前に黒く光る魔法陣が現れ、今度は弾かれることなく、レイの額の傷は消え去った。
 治癒魔法ではない。修復魔法だ。
 ふ、とレイが笑う。
「見事なものだ、これは治療術師の使う魔法ではないな」
 アメアがレイは普通の人間ではないと気付いているのと同じように、レイもアメアがただの治療術師でないことに気付いただろうか。
 アメアは自嘲的な笑みを浮かべた。
「オレの正体なんて、あなたの真性に比べたら大したことないですよ」
「違いない」
 レイの笑う顔は不穏を孕んでいながらも美しい。
 この美しい怪物は、傍から見てもわかるほど、ジェイスに強く執着している。
 旅の終着点が平穏なものであることを、祈るしかなかった。



 翌日、まだ少し熱っぽいような気もしたが、ジェイスは元々体が丈夫なほうで、生まれてこの方二日以上寝込んだことなどない。もうすっかり元気なつもりで出かけようとして、アメアにまだ休んでいろと怒られた。ずっと寝ているとかえって疲れるような気がする。ジェイスは早く体を動かしたくてたまらなかった。
 三日目にようやく、ジェイスは外にレイと飲みに出掛けることができた。もうすっかり体が軽い。なまった身体を慣らすように昼間は軽く走ってみたが、まったく問題なかった。
 これまでに訪れたハルクスやパドストートンでは街を見て回りたがったレイだが、ここブレニアでは観光に興味がないようだ。思い返せば初日に鍛冶屋のところでなにやら憤慨していたから、街に対する興味が失せてしまったのかもしれない。
 ともあれ、出掛けることを拒絶することはなかったので、陽が落ちてから二人は酒場に来ていた。
 鉱山の町ということもあってか、働き盛りの男たちで賑わっている。光を放つような美しさのレイは明らかに浮いていた。土地柄、あまりきれいな店が見つからなかったのだ。
 注文した肉料理を頬張り、酒を一杯飲んだところで、あまり長居しない方がいいなと察し始める。
 酒で血流がよくなって白い肌がほんのり桃色に染まっているレイを、こんな酔っ払いだらけの酒場に置いておくのは危険だと思ったのだ。現に、近くの男たちからちらちらと視線を感じる。レイ本人は気付いていないのが幸いだった。
 早々に酒場を出て、酒を一本買い、宿に戻った。
 グラスに入った酒を煽りながら、レイは上機嫌だった。
「いい気分だ! お前が居て! お酒がおいしい!」
「そりゃよかった」
 酔いで高揚してにこにこしているレイの顔をつまみにジェイスも酒を口に運ぶ。レイが楽しそうだとジェイスもなんとなく明るい気分になる。彼がこんなに喜んでくれるのなら、おちおち怪我もしていられないなと思った。
「お酒好き?」
「好きだ。よく飲んでいた」
 レイの過去が窺えるような発言は初めてだった。
「どんなの飲んでたんだ?」
「果実の味がするものだ。私はあそこでは果実と花の蜜くらいしか口にしなかったから」
 妖精かなんか? 以前にも似たような感想を抱いたことを思い出す。
 酔っ払いの言葉だし、彼は飲み物の話をしているのであって、さすがに食事をしていなかったという話ではないだろう。そう冷静に考えるものの、何を食べてもまるで初めてのような驚きを見せていたレイの姿を思うと、本当に果実と花の蜜以外口にしたことがなかったような気もした。
 彼はいったい何者で、何が目的で邪神を斃す旅なんか始めたのだろう。気が緩んでいる今なら聞いたら答えてくれるだろうか。
「あのさ、レイはなんで俺に邪神を斃して欲しいんだ?」
「お前は英雄にならなければいけないから」
 レイはグラスに唇を付けて、酔いに重たくなったとろんとした眼でジェイスを見てくる。色っぽい目にどきっとして、なぜか後ろめたいような心持ちになった。
「俺に英雄になって嫁もらってほしいんだっけ?」
「そうだ」
「どうして?」
「お前を愛しているからだ」
 そう言われるのは初めてではないのに、妙に恥ずかしくなって顔に血が集まる。心臓がそわそわする。
「俺たちどこかで会ったことあったっけ?」
 さすがに一目ぼれで済ませられるような入れ込み方ではない。ジェイスが覚えていないだけで、彼にとってそう思うに値するだけの何か重要な出来事があったのかもしれない。
 それまで機嫌が良さそうだったレイは一転して冷めた顔になり、グラスをテーブルに置いた。
「お前に関係ないだろう」
「関係ないことはないだろ。俺のことなんだから」
「お前が私を覚えていないことを、思い出せないことを、どうだっていいって言ってやっているんだ!」
「言ってくれれば思い出すかもしれないだろ」
 やはりどこかで関わりがあったのか。語気が荒くなるレイに怯みながらも言い返すと、不意にレイの目が潤み、ジェイスから視線を逸らした。
「どうせ思い出さないのに? やっぱりわからない、ごめんと言われる私の気持ちは? 私はお前が幸せになってくれさえすればそれでいいが、……傷付かないわけじゃない」
 口元は笑っているのに、赤い目は泣きそうだ。決して華奢なわけではないのに、触れたら壊れてしまいそうな儚さを感じて、それ以上の言及は諦めざるを得なかった。
「わかった、じゃあ今のあんたのことを教えてよ」
 宥めるように穏やかに伝えると、俯き気味のレイが視線だけでジェイスを見て、拗ねる子供のような口調で言った。
「今の私なんて、お前を愛していること以外何もない……」
 ジェイスはまた頬が熱くなるのを感じて、くすぐったいような気持ちで口元が笑いそうになるのをなんとか堪えた。照れ隠しでがしがしと乱暴に頭を掻く。
「あのさ、俺さっきから告白されてる?」
「していないが」
 レイは急に鼻白んだような顔になる。
「マジであんた何なんだよ」
 溜息を吐き、グラスを煽って残っていた酒を一気に飲み干した。
 彼は本当に、ジェイスに想いを伝えているつもりはなく、ただただ事実として口にしているだけなのだ。ジェイスを愛しているという純然たる事実だけがそこにあって、それ以上何を望むでもない。出逢った当初から彼の態度は一貫していて、酔って理性が緩んでなお変わらないのだから、心の底からの本心なのだろう。
 どう受け取ったらいいのか分からず、ジェイスはグラスをテーブルに置いて立ち上がり、伸びをした。
「はー、寝よ寝よ。レイももう眠いんじゃないか」
「べつに……」
 レイは未だに、ジェイスから促さないと眠りたがらないところがある。寝間着に着替えさせてベッドに押し込んでやれば、すぐにうとうとと瞼が下がっていった。相変わらずつけたままの黒手袋を外してやろうとすると鈍い動きながら抵抗されたので、そのままにしておいた。
「……レイは俺のどこが好きなんだ?」
 悪戯心のようなものが湧き上がって、返事も期待せず問いかける。半分夢を見ているようなレイの目が、ジェイスに向けられる。眠気でたどたどしくなった声が答えた。
「お前がいちばん優しくていちばん強い……」
「俺より強いやつなんかいくらでも居るだろ」
「そんなことはない、アシュリンデレグ川で魔物に囲まれたときはもうだめかと思ったが、お前は仲間たちと力を合わせて窮地を脱しただろう。私はほんとうに感動して……」
「は?」
 怪訝そうに問い返す声は思いのほか大きかったが、瞼を閉じたレイにはもう届いていないようだった。穏やかな寝息だけが聞こえる。
 アシュリンナントカなんて、ジェイスは行ったこともなければ聞いたことすらない。
 誰と勘違いしているんだ?
 一瞬で頭が冷えて、酔いが醒めるようだった。

 翌日、ジェイスは書き置きを残して早朝から一人で出かけた。なんとなくレイと顔を合わせる気になれなかった。
 道具屋を覗いて歩き、地図を置いている店を見付けるといくつか手に取って開いてみた。
「何かお探しかい?」
 恰幅のいい店主が話しかけてくる。
「アシュリン川? みたいなとこってどこだかわかりますか?」
「ああ……アシュリンデレグ川かな? その地図ならこっちだ」
 棚に雑多に差し込まれている地図をあさって見つけ出し、ジェイスに手渡してくれる。立ち読みで済ますのもなんだと、ジェイスは店主に硬貨を渡して地図を受け取った。
「有名なとこなんですか」
 名前を聞いてすぐにどこだかわかるというのなら、観光地のような目立つ場所なのだろうか。そう思って訊ねると、店主は待ってましたとばかりに笑顔になった。
「知らないかい? 百年前に勇者が戦った場所だよ! 魔物の大群と戦った伝説の地だ! 私は勇者の冒険譚が好きでね、やっぱりロマンがあるじゃないか。最近の若者は興味ないのかな? このブレニアにも勇者は立ち寄ったんだよ。勇者の剣を造った鍛冶屋があるんだ!」
 頭の中で何かが繋がったような気がする。
 ジェイスは内心を表に出さないよう、愛想よく笑った。
「そりゃすごいですね。勇者の旅のルートとかも覚えてるんですか?」
「もちろんだ! ハルクスから始まって、港町パドストートン、我がブレニア、信仰の街パガネム、それから……」
 迷いなく行き先を決めていたレイ。
 なるほどなあ。
 誇らしげに語る店主の声を聞きながら、対照的にジェイスの心は冷えていった。

 宿に戻ると、レイがジェイスを見てほっとしたような顔をした。なぜか苛立ちを覚えた。
「おかえり。どこへ行っていたんだ」
「どこでもいいだろ」
 乱暴に突き放すような言い方になってしまう。明らかに冷たい物言いに、レイが動揺したのが分かった。
「何かあったのか」
「もしかして次の目的地ってパガネム?」
「そうだ。よく分かったな」
 レイの問いかけは無視して問い返すと、彼が頷く。はは、と乾いた笑みを浮かべた。
「あのさあ、あんたが好きなのって俺じゃないだろ。誰と勘違いしてんの」
「間違えるはずないだろう、私が愛しているのはお前だけだ!」
 心外だと怒ってみせるレイを見る目が、自然と睨むようなものになってしまう。レイがたじろいだ。
「ハルクス、パドストートン、ブレニア、パガネム……勇者が立ち寄った町なんだって? なんで同じ道順辿ってるんだ? 勇者の面影でも追ってんの?」
 急に怒られてわけがわからないといった風情で眉を下げてびくつくレイの姿が哀れだった。けれど止まらない。
「昨日の夜覚えてる? あんた、俺の好きなとこ、強いとこって言ったんだよ。俺がアシュリンデレグ川で戦ったところ感動したって。俺じゃないだろ、なあ、誰のことだよ」
 レイは蒼白になって身を縮こまらせ、あからさまに狼狽える。
「お、お前のことだ……」
「は? 俺アシュリンデレグ川なんて行ったことないけど」
「ちがう、お前のことで、うそじゃない、誰とも間違えてない、私が愛しているのはお前なんだ、どうしてそんなに怒るんだ……」
「あんたのことが好きだからだよ!」
 思わず怒鳴って、レイが瞠目するのを見て、ジェイス自身も驚いてしまった。
 俺レイのことが好きなのか。
 だからこんなに、自分でもわけがわからないほど苛立っていたのか。
 レイがずっと愛していると言っていた相手が、あれほど熱烈な感情を向けている相手が、本当は自分じゃなかったかもしれないと思ったから。
 ジェイスはベッドに腰を下ろし、俯いて目元を片手で覆った。落ち着こうと長く息を吐き出す。
「悪い。ちょっと感情的になった」
 しかも最悪の告白をした。急に自分が情けなくなってくる。
 好きな相手を問い詰めて怯えさせて怒鳴って告白なんて、こんなに最低なことがあるだろうか。
 返事がないので恐る恐る顔を上げる。レイは真っ赤になって硬直していた。
「レイ」
 呼びかけると、びくりと肩を揺らして、ジェイスを見る。
「怖がらせてごめん。でも俺、レイが好きだよ。レイが俺じゃない奴見てるのかもしれないって思ったらむかついた。ごめん」
 動揺するレイの視線があちらこちらへ泳ぐ。困惑しきっていた。
「お前は素敵な嫁を貰って、幸せにならなければいけないのに……」
「そういうのいらないってずっと言ってるよな? 俺はレイがいい」
「私みたいな頭がおかしいやつと結ばれて幸せになれるわけないだろう!」
 猛然と言われて、思わず呆れと驚きがないまぜになった声が出た。
「自覚あったんだ!?」
「お前だってわかっているなら好きになるな、私なんか!」
「しょうがないだろ、あんたがいくらおかしくてももう好きになってんだよこっちは!」
 ひとしきり大声の応酬をして、はたとジェイスは我に返り、当初一体何に怒っていたのかを思い出した。
「いや待て、だからあんたは誰を見てるんだ」
 レイは気まずそうな顔で目を逸らした。ちらりとジェイスの顔色を窺って、答えがあるまで引く気がない様子に、観念したように呟く。
「……お前は勇者テオバルドの魂を持っている」
 怪訝そうな顔で押し黙るジェイスの前に立ったレイが、胸のあたりを指差してくる。
「百年前、光の神に選ばれ魔王を斃した勇者の魂だ。……信じなくても構わない」
「……いや、……えー……」
 さすがに予想外で言葉に詰まった。
「生まれ変わりってこと?」
 人の魂は死したのち天に昇り、また天より降りて人となる――生まれ変わりは教会で広く謳われていると聞いたことはあるが、信仰心が薄いジェイスは考えたこともなかった。
 レイは冗談を言っている顔ではなかったし、そもそも彼が冗談を口にするところなど見たことがない。
「私はずっと」
 頷いて喋り始めたレイだったが、急に真っ赤になって一呼吸置いた。
「テオバルドのことが好きだった……」
 恥ずかしそうだった。これまでジェイスに平然と愛していると告げていたレイが、あまりにも、本当に、本当に恥じらって言うものだから、ジェイスの情緒は千々に乱れた。
 なんだその顔は。俺を愛してるって言ってる時にそんな顔したことあったか?
 一瞬で嫉妬めいたものが燃え上がる。だが彼の言うことが正しいのならば勇者もジェイスも同じ魂を持つ人間なのだ。誰に嫉妬すればいいのか。感情のやり場がない。
「勇者は魔王に付けられた傷がもとで死んでしまった。魔王を斃して、これから幸せになるはずだったのに。だからお前には、今度こそちゃんと、幸せになってもらいたい」
「言ってることはわかった。わかったけど、俺に勇者の記憶は無いし、別の人間だし、勇者が得るはずだった幸せを代わりに受け取る気はないよ」
 不安げな顔になるレイの髪に手を伸ばす。指ですくうと滑らかに手の上を流れる。ジェイスは金色の瞳で真っ直ぐにレイを見た。
「俺が欲しいのはあんただって言ってるんだけど。わかる?」
 レイは眉を下げて、赤くなった顔で散々うろたえて、泣きそうな声で小さく答えた。
「わからない……」
 ジェイスは憮然としたが、これ以上追い詰めるのも可哀想で口を噤むしかなかった。
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