その女、こじらせること約10年

あまき

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中編

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「待て、楓」
「もう終わった関係よ、あたしに命令しないで」
「私が君以外を求めると思うのか」
「知らないわ、そんなの…勝手にすればいいじゃない」

その手で掴まれた肩は思った以上に熱かった。これまであたしを壊れ物のように扱ってきた彼が、今までにないほどの力を込めていることには気づかないふりをした。

「分かっているのかい?私はどう考えても君より先に逝くんだ」
「分かってるわよ。だからこれからは貴方の好きなようにしたら」

熱く茹だるような肩はその力に悲鳴を上げるけれど、あたしは何食わぬ顔で立ち続ける。宝石も愛も、これまで彼から与えられるものはなんだって受け入れてきた。この熱さだって…でも。


「その時、私は君の手を握って逝きたい」


その願いだけは、受け止められない。

「あの手紙を読んだのなら、知っているはずだ。私の思いを」
「やめて」
「私は…楓、君の笑った顔を見てから、目を瞑りたいんだ」
「っいい加減にして!」
「………楓」

やめてほしい。貴方にはきれいなあたしだけを覚えていてほしい。髪をなびかせて、美しく微笑むあたしだけを見ていてほしい。
だから、泣くのを堪えて奥歯を噛みしめる姿なんて、最期に見ないでほしい。なのに…

「あたしは…!そんなにも穏やかに…っあなたを見送れない!」

言うつもりはなかった。なのにもう言葉が止まらない、止めることができない。

「あたし…っ!きっと泣きわめくわ!あ、貴方の体を揺すって、逝かないでと叫ぶのよ!」
「…楓」
「目を覚ましてって…っその顔いっぱいにキスを贈るわ!手を握って穏やかになんて…っあたしでは叶えられない!!」
「…待ってくれ」
「貴方のいない世の中で、お金だけ残されたってなんになるの?何をどれだけ残されても、貴方の温もりを感じられない世界で…っあたしに!どう生きていけというの!」
「待ちなさい、楓」
「絶望と世界の終焉を感じながら、それでも笑って手を握れというの?………むりよ、あたしにはできな…、っ!」
「もう黙ってくれ」

力強い腕に抱きしめられて、その衝撃であたしの目から涙がこぼれた。片手で腰を抱かれ、もう片方の手はあたしの頭をきつく、彼の胸に擦り寄せる。解きたくても彼の腕は微塵も動かなくて、あたしは益々溢れる涙を止めることもできずに、結局彼にすがりつくように泣いた。










しばらく抱き合って、あたしの止まらない涙をそのままに、彼はあたしを片手で抱き上げた。もう片方の腕でスニーカーを脱がせて、そのまま部屋の奥へと戻っていく。

「っ…ね、ねぇ!…何して…」

何も言わない彼に不安になるが、抱き上げられる高さが思ったよりも高くて、大人しく身を寄せる。いきなり連れて行かれたベッドルームでも、彼はあたしを離さなかった。
彼がベッドサイドの引き出しからあの手紙を取り出す。あたしを抱き上げたままベッドに腰を下ろして、その手紙を開いた。

「…これを、読んだのか?」
「えぇ、読んだわ」
「なるほど、なぁ…」
「……勝手に読んだことは謝らないわよ」

拗ねた子どものように顔をそむけた。主のいない寝室に入って、許可なく人の手紙を読むだなんて非常識だと罵られても仕方がない。でも、こんな手紙を残す方だってひどいんだから、おあいこだ。

「君がこれを読んだことは想定外だったが、そんなことは謝らなくていい。ただ…」

ふと、彼が動かなくなって、未だ抱きしめられたままの腕の中から彼の顔を見上げる。

「っ…!」
「謝るべきは俺から離れようとしたことだ」

彼は酷く冷たい目であたしを見つめていた。そんな目があたしに向けられることなんて今までなかったから、背中がぶるりと震える。感じているのは恐怖か、不安か、自分でも分からない。

「君が俺に愛を囁かなくなったのは、そうか…この手紙を見てからのことか」
「な、なんで…」
「君がうちから荷物を減らしていることも、気がついていないとでも?」
「っ!そ…そんなこと」
「とぼけるな」

頬に触れる手は変わらずに優しいのに、威圧的な言葉に肩が跳ねる。指摘されたことにも反論できず、体も思考も固まってしまった。そうか、彼は気づいていたのか。

「そのことに、どれだけの不安を抱いていたか…君は知らないだろう」
「………え?」
「若く美しい君をいつまでも手元に置いておく罪悪感と、それでも手放せない執着心と独占欲と…いつもその狭間にいる俺を、君は知らないだろう」
「な、なに言って」
「君は俺から離れて平気なのか」

その言葉に目の前が真っ赤に染まった気がした。
この人はなんてことを言うんだろう。あたしがどんな覚悟で今日を迎えたと思っているのか、それこそこの人の知らない話だ。

「だって…っだって!貴方が!こんな手紙を残すから!」
「これは覚書のようなものだ。突然のことがあったとして、君が苦労しないように…誰の目に触れてもそう伝わるように書いた」
「そんなことっ」
「ここに君の名を残した意図を、賢い君なら理解しているはずだ」
「な、何を言うの…」
「俺には君しかいない。君しか愛していない。君と共にある未来しか、ない」

今更だ、と思った。彼がこんなにもはっきりと気持ちを言葉にしたのは初めてで、もう遅い。
なのにそれと同時に、枯れた泉が満たされるような、溢れ出んばかりの歓喜が身体を襲った。

「あ、貴方がこんな…いなくなってしまうような…」
「むしろ俺が先に逝くまで、君を逝かせるわけにはいかないんだよ」
「そんな、そんな話をしないで…!」
「大事なことだ」
「いやよ、いや!あたしはそんな不安を抱えながらなんて…終える準備をしている貴方の横になんて…!もう、いられない!」
「我儘なのは承知だ。それでも君に傍にいてほしい」
「…っずるい…!今までそんなこと、求めてなかったじゃない!」
「求めていたよ、ずっと……だからもう手放せない」
「……ほ、ほんとに…ずるいわ、」
「ずるくても卑怯でも、君を愛してる」

何が悲しくて泣いているのか自分でも分からなかった。
けれどもしかしたら…目を背けていたのはあたしの方だったのかもしれない。
彼の考えていることから、本当の思いに気づかないふりをしていたのは…

「…っ…10年よ」
「あぁ」
「10年も一緒にいたのよ…」
「これからも、だ」

これからも、というその先にある未来を想像するだけで喜びに満ちる体もを、彼が力強く抱きしめるから。
あたしは彼を見つめて寄り添う他ないのだ。

「…………お願い……ぜんぶ、愛して」
「最期の時まで」




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