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「っ!だから!言ってるでしょ!システムエラーが起きて、出したかったプレゼン資料も出せなくて!大事な商談がうまく行かなかったのよ!!」
「…そう言われたんで、昨日のその時間遡ってみても、システムエラーなんて起きてないんすけど」
「そんなこと言われても!開かなかったんだから!!どう償ってくれるのよ!!!」
「だーかーらー、本当にシステム障害なんて起きてないから、償いもなにもないんすけど」

あのラスボス事件からしばらく経ったある日、出社してシステム開発課のフロアへ行くと、入口から女性の金切り声が聞こえた。蒼汰くんが対応しているが、女性の声はどんどんヒートアップしていく。

「外部ディスクを挿入しない代わりに、サーバー内にデータを入れておけば出先でも見れるって、あんたたちが言ったんでしょ!ウイルスだのなんだの知らないけど、こんなことが起きるなら手持ちのディスクを挿れることくらい許容しなさいよ!!」
「サーバー保護の観点からも安易に容認できないんすよね」
「頭硬いわねぇ!なら今回逃した取引の責任、あんたがとってくれるんでしょうね!!」
「なんであんたの失敗まで尻拭いしなきゃいけないわけ」

女性のあまりの剣幕に蒼汰くんの口調もどんどん悪くなっていくので、仕方がないなぁとデスクのPCを起動させる。

「あんたみたいな奴、話にならないわ!責任者出しなさいよ!トップはどこ!」
「まずさぁ、その金切り声なんとかしてくんない?うるさいんだけど」
「はぁ?!あんたこそ!年下のくせに生意気な!」

後半はただの言い合いになっていく二人の様子に内心溜息を吐きながら、PCからタブレットに持ち替えて近づいていく。

「…お話中失礼します」
「!先輩、いいっすよこんなやつ」
「っあんた誰よ!何の用!」
「社内システム及びサーバーの開発者、山色です。お話を聞く限り、この度はご迷惑をおかけしたようで」
「ほんとよ!どうなってるの!欠陥品出してんじゃないわよ!」

私たちはエンジニアだ。自分たちの手掛けたものには責任がある。故に生半可なものは作っていないし、欠陥品を運用しているつもりはない。だからこそ、問題点をきっちり上げて、解決策を見出して、同じバグが起きないようにするのが、私たちの仕事だ。

「こちらをご覧ください。お話のあった時間のサーバー及びシステム内部のデータです。ご覧の通り特に問題なく作動していたようですので、こちらに異常はありません」
「っ!はあぁ?!そんな話が聞きたいんじゃっ」
「次に、それぞれがお持ちの個人IDを検索にかけてログを確認しましたところ、同時刻より2時間ほど前に社内でデータを開いた形跡があります。企画開発部の金本美鈴さん、あなたのお名前で間違いありませんか?」
「……っえぇ、そうよ。取引先に向かう前に一度開いて中を確認したわ。その時きちんと、上書き保存して…」
「僭越ながらファイルを開かせていただいたところ、上書き保存された形跡も残っておりました。ただ、その時に何かしらの形でデータが破損されたらしく…」
「っ!なにそれ、どういうことよ!!」

データ破損もシステムエラーも起きるときは起きてしまう。システムだって生きているんだから。でも生き物と違うところは、作り手の思いや技術に必ず答えてくれるところだ。問題がわかれば修復することもできる。

「念の為、他のファイルを確認しましたところ、全て開くことができましたので、このデータのみの破損ということになります」
「は、はあ?何が言いたいのよ!」
「なので今修復を試みましたところ、無事ファイルを開くことができましたので、別に保存させていただきました」
「え…」
「データの破損はたまにあることですが、サーバー及びシステムに異常は見られません。恐らくは最後に保存した際に何らかのトラブルがあったのかも」
「そ、そんな!あたし、何もしてないわよ!!」

この人はきっと、すごく真面目に仕事をこなす人なのだと思う。前日に作り上げてサーバーにアップしていたファイルの中身を確認しようと開くほどには、この取引に力を入れて取り組んでいたのだろう。その仕事がどうなったかはわからないし、もし今回のことでうまくいかなかったというのならば、憤りを感じてしまうのも無理はない。ただどこにも責任なんてのは転がっていないのも事実だし、謂れのない疑いをかけられる義理もこちらにはないのだ。

「我々は特に責任問題を追求しているつもりはありません。データやサーバーを守り、より良く業務が進むよう最善を尽くすのが我々の役目ですので」
「…な、なによそれ……」
「他のファイルに問題がなかったことから、このファイル限定のトラブルか、もしくは金本さんのPC本体に異常がある可能性も否めませんので、一度預からせていただいて、こちらでクリーンアップを…」
「っ!結構よ!!」

ヒールの音を大きく鳴らして出て行く彼女は声をかける間もなく行ってしまった。これではなんの解決にもならないのに、と少し落ち込む。私の言い方に問題があったのかもしれないが、あんなにも激昂している人の宥め方を私は知らない。

「……PCに問題があるかもしれないのになぁ…」
「いいっすよ、あんな奴ほっとけば」

不貞腐れた顔で呟く蒼汰くんに苦笑する。しかしここは先輩としてちゃんと伝えるべきことは伝えないといけない。

「あのね、例えどんな言われ方したって、感情論で言い返すのは間違ってるよ。向こうは困って訴えてきてるんだから。それに万が一PCに問題があって、本機サーバーに接続して飛び火でもしたら困るのは私たちでしょう。仕事にほっとけることなんて何もないんだよ」
「…でも俺、間違ったこと言ってないです」
「そうね。蒼汰くんは正しいことしか言ってない。私も正しいことしか伝えてない。けど相手の受け取り方は違ったと思う」

私の伝え方が正しかったとは思わない。ただ目の前のトラブルを冷静に対処できなければ、取り返しのつかないミスに繋がることも大いにあることを彼も分かっているのだ。普段は冷静に行動できる彼だって、あのように朝から怒鳴られたら言い返してしまうその気持ちもよく分かる。

「…まぁなかなか朝から頭に響く声だったからね。一人で大変だったでしょう?遅くなってごめんね。対応してくれてありがとう」
「…っ先輩、俺…!」


「…いやぁ~なんかさっきエレベーターですれ違った子、めちゃめちゃ怒ってたけど、何かあった?」

顔を上げた蒼汰くんが口を開いたとき、困惑した山崎課長がやってきた。私たちの様子を見た課長は、ふっと力を抜いて「…とりあえず、お茶でも入れる?」と柔らかく笑った。その後すぐに、楓先輩が二日酔いのどんよりした声で入ってきたので、思わず蒼汰くんと目を合わせて吹き出してしまった。





「…なるほどねぇ。そんなことがあったんだね」

課長が入れてくれたお茶はじんわり暖かくて変に強張っていた身体が優しく解されていく気がした。始業時間はとっくに過ぎているが、今はこうして4人でゆっくりお茶を飲みながら落ち着くのも大事だと判断した課長は、「今日みんなで食べようと思って」と言って、朝から並んで買ってきてくれたらしいドーナツの箱をあけてくれた。駅前にできたドーナツ屋はパリから満を持して日本へと進出してきた有名なお店ということもあり、ふわふわの生地を噛めば甘さがじゅわぁっと広がるなんとも幸せになれる味で、思わずため息が出た。

「…ただ改めて振り返ってみても、彼女の蒼汰くんに対する言動は許容の範囲を超えていたかと思いますよ。個人的には人事部にかけあってもいい話かと」
「僕としては横山くんの意見を尊重したいな。人事部部長とは長い付き合いだから、すぐにトップまで持っていけるけど…」

こんなに美味しいものを食べているときにするような話ではないが、それでも先程の事件は放っておける問題ではないと私は思っている。明らかにエンジニアを下に見た発言の数々は、仕事をしていく同じ社内の人間としてやはり許していてはいけないと思うからだ。特に蒼汰くんは、彼女のいる企画開発部と合同案件の話が持ち上がっているのだから、落ち着いて仕事ができる環境へと送り出してあげたいというのが先輩としての願いだ。

「俺、大丈夫です。特に傷ついたわけでもないし。ヒステリックだなとは思いますけど、助長させるような言い方した俺も悪いですし」
「…蒼汰くん」
「先輩も言ってましたよね?俺、言われてすぐ駄目だったなって反省したんです。先輩みたいに、例え青筋立てながらでも、冷静に話さなきゃいけなかったなって」
「……ん?え、青筋立ってた?」
「バリバリ。顔めっちゃ怖かったっすよ」
「ええええ…やだ、とめてよ」

思わず顔を抑えてそう言うと蒼汰くんがふふっと笑った。よかった、少しは元気が出たみたいだ。その顔を見て、課長もほっとした顔をした。

「なんにせよ、またこんなことがあったらちゃんと処理するからね。みんなも抱え込まないで相談してね」
「「はーい」」

仲良く返事をする私と蒼汰くんを見て、「じゃー僕は先に業務に戻るね」と席を立った課長に倣って机の上を片付け始めると、今まで黙って話を聞いていた楓先輩が口を開いた。

「にしても、蒼汰も最難だったわね。他部署に来ていきなり怒鳴り散らすなんてネジ一本飛んでなきゃできない所業よね。さすが冬木の"お気に入り"」
「……え?」
「金本でしょ?冬木ってさ、特定の恋人は作んないのよね。ただのお気に入り。今はあの子だってもっぱらの噂よ。この前の飲み会でも企画開発部の子たちが、あの子だけ贔屓されて可愛がられてる~って言ってたし。あんなどクズのどこがいいのか神経を疑うけど、ある意味お似合いかもね。今ごろ穂たちにいじめられた~なんて冬木に泣きついてたりして」

「あ~言葉にしただけでサブイボたったわ」なんて言いながらデスクに戻る楓先輩に続いて蒼汰くんも歩き出した。それに少し遅れを取って私もみんなのコップがのったお盆を持って立ち上がる。何故だか少し動機がして、空いている手で胸を抑えた。








午後、楓先輩と蒼汰くんと一緒にランチから帰ってくると、フロアには課長の他に冬木部長がいた。合同案件の話だと思うが、今朝のこともあり少し3人の間に気まずさが走る。時刻は12:45。

「…あ、噂をすればだね。3人ともおかえり」
「どうも、お邪魔してるよ」

その爽やかな笑顔に内心どきりとしてしまう。
…………ん?どきり?

「ッチ…出たな悪魔。あんたどんな顔してここの敷居跨げたわけ?」
「ははは。このフロアに敷居なんてあったかな」
「冗談こいてんじゃないわよ。うちのかわいい後輩にあんたんとこの毒牙を浴びせるなっつってんの」
「そのことも謝りたくて来たんだよ。横山くん、だったよね。今朝はうちの部のものがここで君に失礼を働いたと聞いてね。直接僕から指導して、本人も反省はしているんだが…今山崎さんから伺ったよ。君の尊厳を傷つけるような発言をしたと。本当に申し訳なかった。再度僕から話をさせてもらうね」
「…いえ。俺の対応も良いものではなかったと穂先輩から指導を受けました。お互いこれ以上のことがないよう、仕事が進められればと思います」
「君はしっかりしてるね。そのとおりだ。同じことが起きぬよう徹底することを約束するよ」

案外真摯な態度で謝る人なのだなと思った。楓先輩には軽口で返しているのを聞いていたので、軽薄な人だと思っていた先入観が少しずつ上書きされていく。

「…あんたねぇ、自分の女の躾くらいちゃんとしときなさいよ。あんなヒステリーこれからも起こされたらたまったもんじゃないわ」

あたかも今朝その場にいたかのように話す先輩を、蒼汰くんがじとりと見つめる。確かに今回彼女の出番はなかったもんなぁと、その蒼汰くんの視線に思わず笑みがこぼれてしまう。

「ん?なんだ、冬木くん、彼女とそういう関係だったの?」
「んー、深山が何を勘違いしてるのか分かりませんけど、自分の女と言われる存在は僕にはいませんよ」
「あーあーそうねー"お気に入り"でしたねー!まぁ名前の違いだけでやってることは一緒なんだろーなーあー!きっと!」

「下品ですよ」なんて蒼汰くんが宥めている。恋人とお気に入りの区別は、本人たちにしか分からない領域なのだろう。ただ今まで爽やかに笑っていた冬木部長の顔は、楓先輩の言葉を聞いて少し険しいものになっていた。

「前から思ってたけど、"お気に入り"って何?自分の部下を可愛がるのは当たり前でしょ?」
「それの度が超えてるって言ってんの!何人泣かせてきたのよ!」
「確かに変に勘違いさせてしまったことは度々あったけど、僕一途な人だから。丁重にお断りしてきた結果だよ」
「ひえぇぇぇぇ!やめろ!あんたの口から一途なんて言葉がでてきたことが恐ろしい!穂見て!サブイボ!!」

そう言って腕を差し出す先輩に苦笑しながら背中をとんとんと叩いた。

「論点がズレてますよ。仕事の話をしましょう」
「…はぁーそうね。こいつと話してると頭の中腐っちゃう」

眉間に手を当てて目を瞑る先輩から顔を上げて、ちらりと冬木部長を見ると、引き結ばれた口と、切れ長の目には力を込めていて、彼は真剣な表情でこちらをじっと見ていたので、思わず私も見つめ返してしまった。

「ちょっとまって。大事な話だよ」
「はぁ?なにが…」
「このまま勘違いされるのはいくら僕だって困るよ。僕はもう穂ちゃんに3年も片思いしてるんだから」

……え?

「え?」
「は?」
「あぁ?」
「あれ、いつの間に穂ちゃんって呼んでるの?」

「課長、そこじゃないです」と突っ込む蒼汰くんの声も右から左へと抜けていった。何故か楓先輩に加えて蒼汰くんまで青筋を立てているのが分かったが、それを気にするだけの余裕が私にはなかった。

「だから特別な女なんて作ったこともないし、そもそも穂ちゃん以外なんて考えただけで反吐が出るし…ていうかさぁ…」

冬木部長は腰に手を当てて一度大きなため息をついた。流し目で一瞥したかと思うと一度目を伏せて、また顔を上げて言い放った。


「そもそも、僕、童貞だから」


その言葉のあまりの衝撃に、楓先輩は頭を抱えた。その時ちょうど鳴り響いた電話を気を失いそうな顔で取りに行く。蒼汰くんは一つ大きなため息をついてから「コーヒー入れまーす」なんて給湯室へ行ってしまった。課長は「青春だね~」なんて笑ってデスクに戻って、残された私はどんな反応をすればいいのか分からないまま立ち尽くした。みんな行かないで。

楓先輩と蒼汰くんの叫び声が響くまで、後3秒。

「あー!もー!また!またまたまたぁ!!無言電話あああ!!!」
「だー!!俺のプリンがないーー!!!」

時刻は12:54。






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