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45.ラインハートとクロエ

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 人影は、その場に猟銃を放り投げてこちらに倒れこむように駆け寄ってきた。
 突然の動きに驚いて身体を固くしたクロエの身体から、毛皮がはぎとられた。

「っ、」
「クロエ!」

 ぎゅっと抱きしめられて、頭を胸に押し付けられて帽子が脱げた。
 モスグリーンの防寒着が視界いっぱいに広がって、顔を見るより前に誰だか分かった。ぎゅっと彼の防寒着の背中を握る。

 良かった、会えた。やっと会えた。

 会ったらいろいろ言いたいことがあったはずだった。謝りたかったし訊きたいこともあったし、でもそのすべてが胸に詰まったように何の言葉も出てこなかった。
 ラインハートは、ゆっくりとクロエから身体を離すと、両手でクロエの頬を挟んで瞳を覗き込んできた。ラインハートの青い目に自分の顔が映る。

「……怪我はない?」

 優しい穏やかな声に問われ、小さく頷いた。頬から彼の手のひらが離れてしまわないように、小さく。
 安心したように、もう一度そっとクロエを抱き寄せて、ラインハートは深く息をついた。

「どうしてこんなところに、……なんで熊の毛皮? あぁもうほんとに……ゴム弾だけど、当たらなくてよかった」

 クロエ、クロエ、と首筋に額を摺り寄せてくるラインハートの背中を撫でながら、クロエにもじわじわ実感がわいてきた。
 無事でよかった、元気そうでよかった。
 ――最後に会った時のような、寂しい顔でなくてよかった。
 安堵の涙が滲んできたクロエが少し鼻を鳴らすと、ラインハートは立ち上がってクロエの手を取った。

「テントに行こう、お茶ぐらい出せるから。……熊、持っていくの?」

 ラインハートに手を引かれ、逆の腕に毛皮を抱きしめて。
 一言も発しないまま、グリーンのテントにお邪魔することになった。


 中は、天幕を通った日の光で緑に染まっていた。
 小さなテーブルとクッションが数個、あとは黒い岩がゴロゴロしている。
 どうしてテントの中にまで岩が?

 「クロエ、ここ」

 自分の隣に一番大きなクッションを置いて、ラインハートは嬉しさを抑えられないような笑顔でクロエを呼んだ。
 促されるままに腰を下ろすと、クロエはようやく口を開いた。

「――あの、ラインハート様、わたし、」

 うまく言葉を続けることができないクロエを、ラインハートはじっと待ってくれた。
 優しく甘く細められた瞳を見つめて、一生懸命言葉を探す。
 けれど、どう言い繕っても言い訳がましくなることが分かり切っていたから、思いっきり頭を下げた。

「ごめんなさい!」

 びっくりしたように動かなくなったラインハートの気配を感じながら、頭を上げずにクロエは続けた。

「お見合いの時、わたし、すごく失礼な……あの、――あれ?」

 ドブスメイクについてをまず謝ろうと思って、ふと気付く。
 今はメイクをしていない状態なのに、クロエって呼んでいた? なぜ?

 顔を上げると、きょとんとした顔でラインハートが見つめてくる。
 その瞳の中のクロエも、同じようなきょとん顔をしていた。

「? クロエ?」
「ラインハート様、わたし、クロエ=ゴドルフィンなんですけど、」
「うん、知ってるよ。え、何?」

 クロエが何を言おうとしているのか全く分からない、といった顔のラインハート。
 
「あの、わたしがクロエって、どうして、」
「え、どうしてって、何? クロエはクロエでしょう?」

 何だか嚙み合っていない気がする。

「お見合いの時のクロエと、顔違いますよ?」
「同じだよ」
「え」
「ちょっと何を言われてるのかわからないけど、……いつもクロエはクロエだよ」

 頬を指の背でさらりと撫でて、ラインハートは目を細めた。

「いつも、楽しそうに若葉みたいな目をキラキラさせてるから、分かるよ」
 あぁ、と今やっと気づいたような顔でラインハートは笑った。
「女の子はお化粧が好きだなぁ、とは思ったけれど」

 それから、彼は歌うように優しい調子で話し始めiた。

 街でよく見る、いつも楽しそうな女の子に惹かれたこと。
 友達の付き添いでお邪魔した家に、その子がいて思わずプロポーズしてしまったこと。
 すぐに断られなくて、舞い上がったこと。

 その子を、絶対に幸せにしたいこと。

「で、そのためには貧乏貴族じゃ、……」

 そこで言葉を切り、一瞬耳を澄ました後、ラインハートはクロエの手を取った。
 突然の素早い動きについていけず、慌てて引かれるままに立ち上がる。

「続きは後。ついてきて」

 声を潜めたラインハートの真剣な様子に吞まれるようにクロエは頷いて、つないだ手に力を込めた。
 ラインハートが革のカバンを肩にかけるのを見て、クロエも小さな麻袋を掴み、持ってきた毛皮を被る。
 
 テントから静かに外に出ると、手をつないだままでラインハートが駆けだした。
 慌てて走り出したクロエの背後で、低い地響きが鳴り始めた。

 
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