メシアの原罪

宮下里緒

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1話 目覚めの時

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星蔵征大の葬儀は澄み渡る青空のもと行われた。
彼の遺体が眠る棺は島の男たちにより日ノ丘と呼ばれている天鳴島北区と南区の中間にある火葬場へと運ばれる。
日ノ丘火葬場は近代的な火葬場とは違い建物などはなく地面に掘った縦長の穴に棺を納め火葬するという原始的なものであった。
そこには最後まで見守ってあげたいという愛情と少しでも天に近い場所できれいに送ろうというこの島独自の宗教感から来ていた。
人が焼ける姿というのは身内だからこそ余計に生々しいものだがこの島ではこの弔い方は当たり前のものなので悲しみの感情はあれど嫌悪感を持つものなど誰もいない。

「本当、こんな天気のいい日に征大様をお送りすることができて良かった。梅雨時期なので天気が心配でしたが、この雲一つない空、征大様も迷うことなくヒル様に導いてもらえるわ。ねぇ、明理様」
涙をハンカチで拭いながらホッと安堵する明近佐織に星蔵明理は『はい』と返事をし微笑んで見せた。
「本当に。こんな日に父様を送れてよかった」
悲しみを一切見せないそのそぶりに佐織は感嘆する。
彼女はいつの間にか真に星蔵家、ひいてはこの天鳴島の主にふさわしい存在へとなったのだと。
「明理様、お困りのことがあったらなにとぞこの佐織おもおしつけを!精一杯助力する所存です!」
佐織のその言葉に明理は頭を下げお礼を言った。

式はその後滞りなく行われ、納骨も終えた明理は星蔵の屋敷へと戻った。
佐織が元気をつけるためにも何か食べたほうがいいと食欲がないことも考慮しておかゆを作ってくれたが、少し疲れたので後でいただくと断りを入れ自らの部屋へと戻った。
約十畳ほどある自室、彼女は部屋に戻るなり夜だというのに電気もつけずに喪服の帯ほとくとベッドへと倒れこんだ。
ひどい疲労感を感じた。
このまま目を閉じれば朝まで眠れそうだが、まだこのあと一番大事なようが残っているので寝るわけにはいかない。
しかし、そのことを考えるとより気分が重くなってしまう。
いやだ、いやだと明理は枕に顔をこすりつけ、はっと顔を上げる。
化粧をまだ落としていないのを忘れていたためだ。
普段では考えられない失態に溜息を吐きたくなった。
「父様、早くいきすぎだよ」
そして、漏れたのは今は亡き父への愚痴。
父の死そのものに対しての文句はない。
もちろん残念には思うが人は必ず死ぬものである以上、致し方がないことだ。
そう思えば悲しみも折り合いがつけれた。
家を継ぐことも、もの御心つく頃よりそう育てられてきたので疑問もなければ不満もないそれは当たり前の事であり彼女の義務であるのだから。
では、いったい何が彼女を不安にさせているのかというと、それはこの屋敷の地下にある開かずの間にあった。
この星蔵の屋敷の地下には当主だけが入る事を許されず開かずの間がある。
この屋敷は三階建ての木造建築なのだが、一階と二階をつなげる階段裏の壁には一族のものしか知らない隠し扉がある。
その扉の奥には地下へと続く螺旋階段はある。
そこを地下深く降りていくと開かずの間へと続く扉がその姿を現す。
扉の前までなら何度か行ったことはあったが、その中に何があるのかはいまだ知らずにいる。
本来なら、当主継承の際先代よりその内を知らされるものだが星蔵征大の急死によって彼女がその中を知らされることはついになかった。
しかし、当主の座を継いだからにはあの部屋の秘密も知らなければならない予備知識ゼロの状態で、それが何より明理を不安にさせるのだった。
(だとしても、このまま放置ってわけにもいかないか)
覚悟を決めると同時に喪服を脱ぎ去り、祭礼用の着物へとその身を包む。
純白に金で花の刺繍がされている着物だ。
着るのは今回が初めて、本当はもっと後に着るはずの予定だったにと明理は少し感傷に浸った。

「本当によろしいのですか?」
「はい。今日は佐織さんも疲れたでしょう?どうか、休んでください」
佐織から見ればそう言ってくれる明理の姿はまさに気丈に振るまっているように見えた。
まだ、十五歳。
いくら当主を継いだとはいえまだ子供の明理のその立ち振る舞いは嬉しくもあったが不安だった。
無理をしているのではないか?
そう思えてならない。
「やっぱり、今夜は私もお屋敷に泊まります」
「そんな、佐織さんお子さんもいるでしょ?だめですよ帰らないと」
その正論に佐織は何も言えなくなる。そう家にはまだ六歳の我が子が帰りを待っているのだ。
なんて考えなしの言葉だったのだろう、佐織は自身の馬鹿さ加減が恥ずかしくなった。
「そうね。ごめんなさい。馬鹿なこと言って」
そう、頭を下げようとする佐織を明理は止める。
「いえ、ありがとうございます。心配してくださったんですよね?とても嬉しいです。けれどやっぱりご家族を一番にしてください。ねぇ」
佐織はこくりこくりと何度も頷いた。
「わかりました。明日ちゃんときますから、今日はお言葉に甘えて帰ります」
「はい。お願いしますね」
「あの、ところでその恰好は?」
指摘されたのは明理の着物の変化。
気になるのは仕方がない話だ、先ほどまでは喪服だった少女がそれとは真逆の煌びやかな着物を着ているのだから。
「ああ、これは星蔵家の習わしなんです。当主を引き継いだものはその当日にこの礼装を着なければならないという。不審がらせて申し訳ありません」
嘘は言ってはいない。
事実としてそうなのだから。
多少不審なところがあったとしても家柄の事となれば納得せざる得ないだろう。
「そうだったんですね。変なこと聞いてすみません」
佐織は髪を掻きながら苦笑する。
苦笑になってしまったのは笑顔を見せようにも内心の焦りがそれを許してくれなかったからだ。
そう、それほどまでに彼女は心中慌てていた。

故意ではなかったにせよ他人が人の家の事柄に口を出してしまったのだ。
古くからのおきての多くを未だに守り続ける風習のあるこの天鳴島でそれは許されることではない。
ましてや、島の中でも最高権力の一つである星蔵家の当主に口をはさんでしまったのだ。
下手をすれば処罰ものである。
けれどそんな佐織の心配など無用のように明理は微笑んで挨拶をしてくれた。
「大丈夫ですよ。明日もお願いしますね」

一人になると本当に静かだ。
佐織の出て行った玄関を見つめながら明理は少しだけ感傷に浸っていた。
人が一人消えただけで世界はこんなに静かになるものなんだと父が死んで初めて知ったのだ。
鼻の奥がつーんとしびれてくるのを感じ、彼女はあわてて例の開かずの間へと移動した。
今さらこんなこと悲しんでは寂しがってはいけないと自分に言い聞かせながら。


階段裏の壁は回転扉になっており木目により隠された継ぎ目は直にさわりでもしない限り気づくことはできない。
仮に何らかの拍子で回転扉を開いたところで鉄の扉が侵入者の侵攻を妨げる。
中に入るには当主にのみ受け継がれる鍵が必要だ。
明理は首から下げた鍵を取り出した。
恐らく以前はこの扉と同じように鉛色をしていたと思われるが今は長い月日を感じさせるように酸化で茶色く変色していた。
その鍵を見ながら明理は思う、鍵の保管場所だけでも事前に知らせてもらっていて良かったと。
でなければ、ここに入る事さえ彼女はできずにいたのだから。
鍵を開け重い鉄扉を開く。
長い事開閉されていなかっただろう扉は体当たりするように体重をかけやっと開くことができた。
開けると同時に、夏とは思えないほど冷たい空気が頬を撫でた。
「電気・・」
声が震えていたのは冷気のせいではないだろう。
何か得体のしれない異様な雰囲気に明理は飲み込まれそうになっていた。

入り口付近にあった電気のスイッチは長い事使われてはいなかったがすんなりとついてくれた。
照らされる明かりによって暗闇に包まれていた部屋の全貌が姿を現した。
部屋は約三畳ほどの物置のような小部屋、窓一つない木板に囲まれた内装は木箱のようだった。
そしてその部屋の中心にぽっかりと落とし穴のように地下へと続く螺旋階段は以前彼女が入った時と変わらぬ姿のままそこにあった。
耳をすませば階段からはヒューという空気の流れが感じられた。
明理は事前に用意していた懐中電灯を階段へとむけた。
石段づくりの階段には手すりなどなく、足を踏み外せばそこまで落下は間違いない。
懐中電灯で底を照らそうにも見えるのは闇ばかりなのを考えると、深さも相応のものだろう。
つまり、落ちれば怪我、最悪の場合は死ぬかもしれないということ。
その事実に足がすくみそうになる。
できるだけ壁側に身を寄せ階段を下りてみると、明理はある事実に舌打ちをしそうになった。
「濡れてる」
まるで汗をかいたかのように湿気ている岩肌に石段。
ただでさえ足場が悪いというのに、まさに泣きっ面に蜂だ。
明理は着物が汚れることなど気にせず岩肌にしがみつくようにして一歩一歩底の見えない階段を下りていく。
深い闇を下りながら明理は以前、父から聞いた話を思い出していた。

この天鳴島は地下水が豊富に蓄えられているらしく、島のあちこちで湧水がわいている。
あいにく飲み水としては利用できないがその水によって森や作物がよく育つ自然と人が共存する島となっていた。
この、湿気もその影響かもしれないと明理は考えた。
けれど、この冷気の中湿気た壁を触るのはなかなかの苦痛だった。
滴る水は岩肌を氷のように冷やし彼女の手を凍てつかせる。
まるで、あらゆる事象が彼女を開かずの間にたどり着かせまいと妨害しているようだった。

(馬鹿々々しい)
失笑と共にそんな妄想を打ち消し明理は再度地下を目指した。
闇の底が姿を現したのは明理が階段を降り始めてから五分ほどしての事だった。
その場所は今まで降りてきた階段とは違いぽっかりと開けた空間になっていた。
全体像としてみればフラスコがイメージとして一番合っているだろう。
そしてそのフラスコの底には・・・。
「水?」
染み出た地下水が溜池のように波打っていた。
水深はちょうど膝あたりなのでなんとか入れないこともない。
明理は着物を腿までたくし上げ縛ると意を決して水の中へとその細い足を突っ込んだ。
「っん」
思わず苦悶の声が漏れてしまう。
この空間の冷気も鳥肌が立つ程のものだったが、水の冷たさはそれ以上だった。
冷たいというよりむしろ痛みすら感じるその感覚に明理は顔をゆがめる。
それと同時に途方に暮れた。
今までは階段という確かな道のりがあったからここまで来れたが、目的地である底まで来たら一体どうすればいいのかがわからない。
懐中電灯の心もとない明かりではこの空間の全体を照らすことはかなわず、周りに何があるのかわからないという恐怖が彼女の足を止めてしまった。
(一度、家の戻るべきだろうか?)
そう思案していると、一つの事に気づいた。
足に伝わるかすかな水の動きを。
水に流れがあるということはどこかに出口があるはず。
そう考えた明理はあたりをくまなく懐中電灯で照らしてみた。
照らし出されるのは湿った岩肌ばかり。
もしかして、小さな亀裂があるだけで人が入れるようなところはないのだろうか?
そう、あきらめかけた時妙なものが目に入った。
それは他と何も変わらない岩肌、けれどなぜかその場所だけ意味深げに石柱の鳥居が建っていた。
そのあまりに不自然な光景に明理の足は自然にそちらへと向かった。

鳥居は大きなものではなく身長160cmもない明理すらくぐれないほど小さなものだった。
とりあえずその鳥居を触ってはみるがひんやりとした医師の感触がするだけで別段変わったところはない。
何か仕掛けがあるのかもと、失礼だとは思いながらも押したり引っ張ったりもしてみるが変化はなし。
次に、鳥居の下を調べようと水の中にてを突っ込むがバシャバシャと水遊びのように水音を立てるのみで何も起こらない。
となると気になるのは鳥居の先にある岩肌。
けれど、見たところほかの岩肌と何も変わらない。
もしかして、隠し扉でもあるのかと岩肌を触ろうと手を差し伸べると信じられないことが起こった。
手が岩肌を突き抜けたのだ。
「なに、これ?」
明理の手は肘あたりまでが岩肌にめり込みその先が見えないでいる。
それはとても不可思議な光景で彼女はしばらく手を突き出したまま立ちすくんでしまう。
自分の手がなくなったのか?
そんな恐怖心が襲い、急いで手を引き戻すとそこには傷一つない自らの腕があり彼女は安堵した。
けれど、今目の前で起こったこの不可思議な現象が解けたわけではない。
一体何が起こったのか、明理は好奇心から再び腕を前に突き出した。
ゆっくりと壁の中へと埋まる自身の腕。
視覚では確かに岩肌があるのに彼女の触角はそれをとらえられない。
まるで何もない空間に腕を突き出してるかのようだ。
これは幻覚なのだろうか?
意を決して体ごと岩肌の中へと飛び込んでみる。
岩肌に侵入する時恐怖心から目をつぶってしまう。
岩の中に閉じ込められここから出られない、そんな嫌な想像が沸き立ってしまったからだ。
守るように縮ませた体を徐々に動かし動ける事実にほっとする。
次に目を開けてみる。
そこは通路だった。
先ほどと同じように周囲を岩で形成された通路、洞窟といった方がしっくりくるかもしれない。
足元は相変わらず水が流れている。
そしてその水の流れの先に何やら緑色に光るものが目に映った。
何なのかは距離的に把握できないが少なくとも懐中電灯の光の反射などではないことが
わかった。
先に進もう。
抑えきれない好奇心が彼女の足を緑の光へと導く。
その様はまるで蛍光灯に群がる虫。
危険だと理性が語りかけようと抗えない本能が彼女の体を動かすようだった。
いつの間にか足の冷たさは気にならなくなっていた。
感覚がマヒしたのかそれとも意識がほかの事に向いているせいだろうか明理にはわからない。
そして、そうこうするうちに細い通路は終わり再び広い空間が現れた。
その場所は、この自然豊かな島とはあまりにも不釣り合いなほど人工的でSFチックな場所だった。
壁という壁にはまるでツタのようにケーブルやよくわからない機械が埋め込まれ、鼓動するかのようにピカピカと赤色や青色の光が灯っていた。
水が浸る足場にはこれまたよくわからない大小さまざまな四角い物体が何台も置いてありこれもまた機械的な光を灯している。
そんな光景を見て明理が思ったのは機械って水に触れても大丈夫なのかなという現実逃避にも似た疑問だった。
いやそれぐらいしか考えられなかったのだろう、それほどまでにこの場所の光景は彼女の許容を超えていたのだから。
そしてこの機会に浸食された空間の中心には例の緑色の発光体の正体があった。
それは。
「女の子?」
謎の緑色の液体に身を沈めた一糸まとわぬ少女の姿だった。

(死体?)

明理の脳裏に真っ先によぎったのはそれだった。
恐らく彼女が浸かる液体の入れ物が棺桶に見えて父の死と重なってしまったから。
生きているのだろうか?
ほぼ無意識で少女の方へと手を近づける明理、すると今まで緑色液体だと思っていた発光するなにかはスライムのような半液体で彼女が触ると同時にズブリとその指に絡みついてきた。
冷たいといよりは生暖かいそれはまるで生き物に触っているようで不快感がより増す。
その予期せぬ感触に驚き反射的に手を引くと勢いあまり棺を倒してしまい中にいた少女が飛び出してしまった。
しまったと思い少女へと駆け寄ると今まで閉じていた少女の目が開きこちらへと視線を向けた。
恐怖のあまり腰を抜かす明理、その場に座り込み身動き一つできないでいる。
けれどそれが逆に少女の姿を長く観察する機会を彼女に与えた。
少女の姿はまさに異質だった。
体が髪の毛一本から足の先まで異様なほど白く、それはまるで全身に白色のペンキを塗りたくったかのような異常さだった。
それでいて、こちらを見つめる瞳はまるでルビーのように赤く輝いていて瞳の中に歩脳が灯っているように見えた。
その姿に明理は絶句する。
なぜならその容姿は長く語り継がれてきたこの島の神であるヒルと同一のものだったのだから。

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