メシアの原罪

宮下里緒

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15話 そして時は再び流れ

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「今日は子供たちにも会ってくれないか?」
はだけた胸を隠すように背を向けながら胸元のボタンを留めている透に那岐はその大柄な体格に会わない妙にやさしい声で聞いてきた。
見えずらい手元に悪戦苦闘しながら透は振り返る。
「満留君、いくつになるんだっけ?」
「今年で三つだ。いや、気づけば早いものだな」
仏頂面ではあるがどこか嬉しそうな那岐はなんだか親そのもので透は少しの違和感のような、むずがゆさを与える。
やはり、この男の冷徹な面を知っている身とすればその差異は大きく感じる。
「確かに前まではハイハイもできない赤ん坊だったからな。今もそのイメージが強い」
なんだか年より臭い事を言っている。
一応まだ十代だけど、幼い子がそばにいる影響だろうか?
そんなことを頭の片隅で透は考えた。

「よぉ、満留来たぞ~」
「透ちゃん!」
庭で母親とボール遊びをしていた満留を呼ぶと彼は笑顔で透へと駆け寄る。
その小さな足で無我夢中とでもいうような勢いは途中で転ばないか見ているこちらがハラハラするものだ。
そんな満留が透にたどり着く寸前に那岐が息子を抱き上げた。
「こら、透は足が悪いんだから。走っていったら危ないだろ」
息子をメモとまで抱き上げ注意する那岐の姿はまさに父親という感じだが、その無表情な叱咤は三歳児には少し厳しいのではないだろうかと子育て経験などない透は思う。
もちろん、いくら芝生の上とはいえ走り回るのが危ないことはわかるし人に突っ込むなんてもってのほかだ。
けれどそういった行為は子供の特権だとも考えてしまう。
もちろん自分の心配もあるのだということはわかっている。
透は右手に握られている杖に目を向ける。
金属でできた頑丈な棒、グリップと肘の少し下で腕を固定しているこの棒が今の透には必需品となっている。
この杖がなければ今は歩行どころかその場に数十秒立つこともつらい。
その歯がゆさに己の体を恨めしく思うこともある。
あの日、ナキと別れたあの日から透の体は見る見るうちに衰弱していった。
いや、正しくは本来の形になったというべきだろう。
人にあらざる存在に近づきすぎた代償を今ここで支払うこととなった。
最初に異常が出たのは目だった。
視力がただ低下しのとは違う。
突如として白い膜が張ったように視界が喪失した。
最初は目ヤニかと思い目をこすったが何度こすれども視界が回復することはなく結局今に至るまで左目はほとんどの景色を映すことはなく右目も少しずつだが視野が狭まってきている。
足はもはや走ることどころか歩くことさえきつくなってきている。
なぜかはわからないが膝や腰に力が入らなくなってきているのだ。
それに常に体に渦巻く疲労感に時折稲妻のように走る頭痛、あげ出せばきりがない。
咳をして口に血の味が広がった日はさすがに青ざめた。

ふいに、くいっとズボンを引っ張られる。
見ると満留が少し不安げにこちらを見ていた。
「怒ってるの?透ちゃん」
そう聞いてきた。
どうやら随分と気難しい顔をしていたらしい、透は頭の中を切り替えると笑顔で満留に答える。
「そんなことないさ。ただ走るのはダメだぞ、危ないからな」
子供の相手なんて柄ではない、そう思っていた透だがいざ遊んでみると気恥しさはあるもののとても穏やかな気持ちになれた。
不思議なものだと自分でも思う。
「こんにちは。ごめんなさい、透さん。落ち着きがなくて」
「いえ」
挨拶と謝罪を同時に行う満留の母である芙季子に透は会釈をする。
彼女、黒絵芙季子と那岐が結婚をしたのは4年前の事だ。
本土の大学で出会った彼らは三年間の交際の末結婚に至った。
透と同じく島の外からやってきた芙季子からすればこの島はさぞかし奇妙なものに見えただろうしなじめないものだっただろう。
島民たちもやはり彼女を歓迎することはなかった。
しかしそういった空気は全て那岐が握りつぶした。
陰湿な嫌がらせをする奴らもいたようだがそういった人間はいつの間にか島から消えていた。
それについて追及する者はいないそんなことをすれば次は自分たちがそうなる番だ。
それが分かっていたから。
彼女はその事実を知っているのだろうか?
透は、化粧気のなに女の素朴な顔を見つめる。
人懐っこいような子犬のような愛嬌なある彼女だが、一番そばにいて夫の所業を知らないはずがない。
つまりは自分お幸せの下に多くの犠牲があることを理解しながら無垢に笑うこの女を透はどうにも好きになれなかった。
だからだろう、四年も顔を合わせている仲だというのにどうしてもよそよそしい対応をしてしまう。
「お体の方は大丈夫ですか?」
よそよそしく聞いてくる芙季子に透はうなずき肯定する。
「ええ。変わらずっといった感じです」
「そうですか」
そこで会話は終わる。
ぎこちなくかたい空気で気まずくなりそうなのを透は満留と遊ぶことでごまかした。

結局その後は一時間ほど満留のままごとに付き合わされたが彼が眠そうなそぶりを見せだしたことでお開きになった。
満留はもっと遊ぶと無理に言っていたが、母の芙季子に背負われ屋敷の中へと引き換えしていった。
取り残された透に那岐はもう帰るかと尋ねると彼は首を振る。
「いや、まだあっていないだろ子供たちに。ちゃんと会わせてよ」
その言葉に那岐は一瞬険しい顔をし警戒するようなそぶりを見せるがしぶしぶと言ったように了承してくれる。
「いいだろう。だが合わせるのは二人だけだ。彼女に会うことはあきらめろ」
それに透も仕方がないと頷く。
「それでいいよ。仕方ない」


中世の城を模した黒絵の屋敷は先ほどまで透たちがいた中庭を起点として南館と北館に分けることができる。
この区分はもしかしたらこの天鳴島を参考にしたのかもしれない。
双子のように同じつくりである北館と南館は館の両端にある細い廊下でつながっており外へ出なくとも行き来することは可能である。
だが普段彼らが生活をしている北館を除き那岐は館への侵入を一切拒否している。
それは彼の家族も同じだ、芙季子も満留も南館へ入ったことはこれまで一度してない。
この館に入る事が許されているのは当主である黒絵那岐と飯屋透の二人のみ。
この館の秘密を知る二人のみ。
「おはようございます。お父さん、それに透」
南館への扉を開き待ち受けていたのはまるで指導の行き届いた執事のように二人を出迎えるのは、きれいな栗色の髪をした少年だった。
まるでこちらに二人が赴くことを予知していたかのように扉の前にたたずむ少年は、目を伏せこちらに頭を下げてきた。
まだほんの四つだというのに、幼い声とは裏腹のはっきりとした物言い、あどけなさのあるかわいらしい顔だというのにまるですべてを見透かしたかのようなまっすぐすぎる瞳、そしてなにより引き込まれるような存在感は父である那岐をも超えているだろう。
これが真のカリスマ性というものだろうか?
まだ自分の腿あたりの背丈しかない少年の精悍な顔立ちを見つめながら透は思う。
「ああ、おはよう凌真」
「おはよう、凌真。毎度律儀に出迎えなくてもいいだぞ」
那岐のあいさつに続き、そう漏らした透に凌真は首を振る。
「好きでしてるんで」
「そうか」
そう言われてしまえば透も納得するほかない。
普通に見れば親の帰りを待つ子供という心和む光景なのかもしれないけれど、透には彼らの関係がやはり親子のそれには見えずある種の支配関係があるようにも見える。
那岐の方も満留との触れ合いの時とは打って変わりその表情は厳しく隙を見せないようにしているようだ。
恐らくは、凌真に心を読ませないようにしているのだろう。

黒絵凌真、この少年は間違いなく那岐の息子であるが母親は彼の妻である芙季子ではない。
この少年の母親は星蔵家の地下で眠り続けていた神、透の半身であるナキその者である。
凌真は那岐がナキに産ませた最初の子供であり、那岐いわくこの世の救世主、人類の一人希望だという。
透は友人ながらに思う、ばかげた妄想だと。
大きすぎる力を手に入れてまるで自分が神にでもなったかのように考えている友人の姿は透の目には愚かを過ぎて哀れに思える。
そもそも透は彼の思惑がうまくいくなどとは思わなかった。
いくら人型で意志の疎通が可能だとはいえナキはあくまで異星から来た人外、人間との間に子を作るなど不可能だと考えていたのだ。
しかし、その思惑は見事に外れ現実として彼と彼女の間には幾人かの子が生まれた。
当時は正直あり得ないと思った透だがよくよく考えるといくら何でも那岐が同じことを考えないわけがない、つまり彼にもそれなりの確信があり行動に移したのだろう。
そういえば以前那岐がこの国の王族は神の血が流れているといっていた話を透は思い出した。
それに世界には神との間にできた半神の伝説も数多くあることを考えると、もしかして以前にもこのような事例があったのかもしれないと考察もできる。
半神、神との間に生まれた人間は超人的な力があると数多くの伝説に記されているように確かにナキの血を受け継いだ子供たちは普通の人間とは違った高い知性に子供には似つかわしくない成熟した精神、そして幼いながらにもかつての透を思わせる高い運動能力を有していた。
ポテンシャルだけでいうならば今後世間に影響を与える大物になりえるのかもしれない。
けれど、この現実はどうだろうか?
今彼らはこの南館より外に出ることは許されていない。
生まれてからこの屋敷と窓から見えるわずかな風景それが子供たちの世界でありこの屋敷を訪れる父と母己が兄妹そして透のみが自身とは違う他人であった。
あまりにも狭すぎるその空間は子供たちの母が閉じ込められていたあの穴蔵を思わせた。
あの時、あの穴蔵からナキを救い出した那岐は今では自らの子供に同じ境遇を敷いていた。
それが透にはとても悲しく思える。
なぜこのようなことになってしまったのかというと、それはひとえに那岐が自らの子を恐ろしく思ってしまったからに他ならない。
高い知性や身体能力、それらを自らの子に求めた那岐の願いは概ねかなった。
しかしすべてが彼の思惑通りに行ったわけではなかった。
誤算の一つとして挙げられるのは、子供たちが母であるナキの能力まで受け継いでしまったことだ。
母親のナキのように他人の体を操ることなどはできないが、いったい何を考えているのかその人がいったいどのような人物なのかを彼らは読み取ることができた。
故に、どのような隠し事も彼らの前では意味をなさない。
凌真が連絡もしていないのに毎回こうして出迎えに来るのもこの力のおかげだろう。
この力の継承は誤算ではあったが予想外というほどの事ではなかった。
母があれほどの力を持っているのだ、人間の血が混じっているとはいえある程度受け継いでいることはありえないことではない。
問題だったのはその力でおこった彼らの精神性だ。
心を読み取る地からそれはすなわち自信と他人の壁がなくなるということ、この力のおかげで透と契約をしたナキは自身が持っていなかった人間性を獲得し透たちとの間に確かな繋がりを持つことができたが、彼らは逆にその力により人はおろかで傲慢、たとえ肉親であれそれは他人であり自身とは異なる生物であるのだと認識させられた。
特に異種族の両親の間に生まれた彼らの孤独感はより一層強いものだろう、なんせ親でさえ真の意味で自身たちとは違う生物なのだから。
そんな経緯もあってか、彼らが誰かに心を開くことは無く訪れる那岐も己を見てくる我が子のこちらを見下すかのような冷ややかな視線に言葉は聞かなくとも彼らの内心を見抜き距離を置くようになり彼らをこの館に閉じ込めた。
まるでこれ以上の成長を妨げるかのように。
結局のところ人類のためと言いながら彼が望んだのは己のために動く力であり、そう動かないであろう子供たちはもはや那岐にとっては手に余る厄介者でしかなかった。
だからこそ透はこの友人を哀れに思う。
一族代々の悲願を達成したにもかかわらず、己では対処しきれない事柄を背負ってしまったこの男を。
今那岐にあるのはこの子供たちがこの先どう動くかという不安だけだろう。
自分は救世主どころか人類に敵意を持つ怪物を作り出した大罪人かもしれないという大きな不安だけだ。
そして何より哀れなのはこんな状況下に陥っている子供たちであろう。
彼らには何も罪などない。
愛情なくただ生まれることだけを望まれ造られた彼ら。

笑顔など一度足りと手見せない子供たちの行く末がどうしても気になり透はたびたび子供たちに会いに来ていた。
そこには少なからずの同情心があることをすでに凌真達は見抜いているだろうが透は構わないと思っていた。
恐らく彼らにはそれ以上の事がもう知られているのだろう。
それについて透は申し訳ないと心の内で謝る。

「生花は今は寝ています、会いたいなら連れてきますが、どうしましょうか?」
「いや、寝ているのにそれはかわいそうだ。またの機会にするよ」
どうやらタイミングが悪かったらしく彼の妹で昨年の暮れに生まれたばかりの末の娘、黒絵生花は凌真の話によると今母親と共に就寝中らしい。
彼女らがいるであろう南館ホールの奥にある扉に目を向けると那岐が行くなといわんばかりに首を振った。
「会わせることはできないぞ。干渉されてないとはいえ契約が切れたわけじゃないんだ。じかに会うとお前の症状にどんな影響が出るか俺にもわからんからな」
その言葉は真に透の事を心配して出たものなのかは透にはわかりかねた。
那岐は決してナキに情があるなんてことはなくましてや愛すなどなんてことはまずありえない。
そこら辺の線引きはきっちりとしている。
子供を幾人か作りはしたがそれも愛ゆえにではなくあくまで実験的なものでしかない。
そんな彼がナキをここにとどめる理由はある種の独占欲。
愛情からくるものではなく、神という誰も持っていない宝を手持ちに置いときたいというコレクター的な思いからくるものだった。
故にこうも透との接触を彼が阻むのはナキが心変わりをしてここから出ていくのを防ぐためではないだろうかと邪推をしてしまうのだった。
けれどそんなことを言えるはずもなく透はその指示に従うほかなかった。
「彼女たちは元気?」
「ああ、生花は問題なく育ってるし。ナキの方は俺に聞かなくてもわかるだろう?」
一生切れることのない契約つながる二人はお互いの身に何かあればすぐに感知できる間柄だ。
だから、ナキが問題なく過ごしているということは聞かずとも彼自身がよくわかることだ。
それでも黙って那岐を見ていると彼も何かを察したようにこくこくと頷いて見せた。
「あー、アレなら心配の必要はない。お前が気にかける必要もないことだ」
そしてそう言ったきり彼はこのことに関する事柄には口を閉ざすのだった。

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