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第三章
第21話 揺らぐ瞬間
しおりを挟むその日、学院の授業は学院外で行われた。
実地訓練として、王都の北にある森の調査区域へ――
最上級生のリクたちは数名ずつ班を組み、
生態観察と簡単な魔物回避訓練を行うことになっていた。
空は穏やかに晴れ、森を渡る風は心地よい。
いつもの訓練よりも緊張が和らいでいた。
「ルーア、資料は持った?」
「うん! リオルが前の班だって。出発しよう」
笑い合いながら歩き出す二人を、
少し離れた場所から灰の瞳が追っていた。
――シリウス。
彼は学院の護衛任務として同行していた。
リクが参加する行事では、いつも彼が陰から警護をしている。
いつも通り、何も起こらないはずだった。
そのときまでは。
森の奥で、低い唸り声が響いた。
鳥たちが一斉に飛び立ち、空気がざわめく。
リオルが素早く剣を抜いた。
「リク、下がれ!」
視界の奥で、木々をなぎ倒して何かが現れた。
それは大きな熊のような獣人――
理性を失い、目が血走っている。
「暴走個体だ!」
教師の叫びが響くが、間に合わなかった。
リクの班が一番近くにいた。
反応するより早く、巨体が突進してくる。
足がすくみ、体が動かない。
――その瞬間、銀の影が飛び込んだ。
「リク様!」
シリウスの声が響く。
強い衝撃と共に体が地面に倒れ込む。
覆いかぶさるように抱きしめられたリクの上で、
鈍い音がした。
熱い何かが頬に落ちる。
見上げると、シリウスの左腕から血が流れていた。
「シリウスっ……! 腕が……!」
「問題ありません」
「問題ないわけないだろっ!」
初めて、声が裏返った。
手を伸ばしても、その体は微動だにしない。
鋭い目が暴走獣を見据えたまま、
彼は片腕で剣を構えた。
他の騎士と教官たちが駆けつけ、
獣はすぐに鎮静された。
森が再び静けさを取り戻したとき、
リクの心だけが、まだ騒いでいた。
「動かないで! 傷、深いよ!」
「王子が無事なら、それで充分です」
「そんなの……そんなの、いやだ!」
泣きそうな声が漏れた。
自分でも驚くほど、胸が痛かった。
――怖かった。
自分が襲われたことじゃない。
シリウスが傷ついたことが、
どうしようもなく、怖かった。
その夜、リクはシリウスの寝ている医務室を訪れた。
月明かりの中、包帯を巻かれた腕が淡く照らされている。
寝息は穏やかだ。
リクは椅子に座り、静かに呟いた。
「……なんであんな無茶するんだよ」
答えは返ってこない。
でも、心の中で知っていた。
“護る”って言葉の奥にある彼の想いを。
そして今、リクはようやく気づいた。
シリウスがいない世界を、
想像するだけで息が詰まるほど怖い――
それが何を意味するのかを。
「……シリウスのことが、好きなんだ」
声に出して初めて、胸の奥が静かになった。
誰にも聞かれない夜の中、
リクの恋は、静かに息を吹き始めた。
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