藤堂海来探偵社

蜉蝣

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第二話 漆原麟太郎

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 その三ヶ月前――。

 たったの2日で、浮気なんか暴けるわけねーっつってたのに、あっさり証拠写真を撮れた、その二日目の午前。

「楽勝すぎて、逆に暇になってしまったな」
「そうっすね、 藤堂とうどうさん」
「藤堂さんじゃねぇよ、社長と呼べっつってんだろ!」

 と私はめったに履かないパンプスで左に立つ三島のスネを軽く蹴った。三島は同じ大学の出身で、ひとつ下の後輩になる。その時の癖がうちに来て2年経っても抜けないらしかった。

「いてっ! ったく藤堂さんてばすぐ暴力を……」
「暴力って言うほどのものじゃないでしょ。で、あんた事務所戻る?」
「えっ? いやそれは不味いんじゃ。料金分働かないと」

 そうなんだよなぁ。今回の客いちいち細かいんだよねぇ。延長料金は一切認めないし、調査に掛かった時間しか払わないと言うし、その証拠をきっちり写真や領収書で示せとかうるさいったらありゃしない。

「別に良いよあたし一人で何とかなるし。夕方に彼女の行動記録として写真一枚でも撮っておきゃばれないよ。証拠はもう撮っちゃったわけだしさ。仕事溜まってるでしょ?」
「じゃぁお言葉に甘えまして、 海来みくる先輩」
「なっ? てめぇ、調子乗って下の名前を……、うっ」

 睨みつけてやろうと思って、三島の顔を横から仰ぎ見ると、その爽やかな笑顔に白い歯がキラリと光った。こ、このイケメン野郎が――。

「どうかしましたか?」
「な、なんでもないわ。さっさと事務所に帰って。あとは私がなんとかする」
「では」

 三島は、立ち止まっていた交差点の信号が青に変わると、大通りを横切る方向へと軽やかに去ってゆく。その身長180センチほどの細身の背中はあっという間に雑踏の中に埋もれていった。私は晴れ渡る空を仰ぎ見て、その眩しい日差しに、サングラスをジャケットのポケットから取り出した。

「さぁて、どうするかな。時間は――」

 スマホで確認すると、11:00。ランチにはまだ少し早い。そう言えば最近、髪の毛カットしてなかったし、このあたりならそこそこ良さげな美容院たくさんありそうだからと、スマホで検索しつつ、大通り沿いを歩き始めて5分くらい経ったろうか。

「いてっ」

 ん? どっかで聞いた声。なんかさっき私に蹴られた三島みたいな。その声のした方向に振り返ると、一人の男性がしゃがみ込んでいた。別に私に関係ありそうでもなく、再び歩き始めると――。

「ちょ、あなた、ちょっと待ってよ」

 どうかしたんだろうか、えらくでかい声だが、私じゃないよな。あんな男知らんし。

「待ってって、そこのサングラスのあなた」

 更に大きな声。私は立ち止まり、周囲を見渡すと、サングラスを掛けた人はどうやら私しかいない。――って、私?

「そうそう、あなただよ。今俺の足踏んだでしょ?」

 はぁ? 知らないわよ。そりゃ、スマホをチラチラ見ながら歩いてたけど、他人の足を踏みつけといて気付かないほど馬鹿じゃねぇっつーの。何なんだ? 言いがかり? 私はその男に近づいた。

「ちょっと、なんか証拠でもあるわけ? 変な言いがかりつけないでよ」

 すると、その男はいかにも右足つま先を踏まれて痛むかのようにしてゆっくりと立ち上がる。色黒で、少しウェーブの掛かった茶髪の長髪に、紺色の長袖ポロシャツを肘までめくりあげて、そこそこガッチリした筋肉質、少し威圧感がある。

「言いがかりなんかつけるわけないだろ。酷いじゃないか、そのヒールの踵で踏みつけて知らんぷりなんてさ」
「そんなの知らないわよ」
「あのさぁ、あなたが踏んだんだって。踏まれた俺が言ってるんだから間違いないでしょ?」
「だから、知らないって言ってんの! どういうつもりか知らないけど、いい加減にしないと警察呼ぶわよ!」

 多分、当たり屋みたいなもんだなこいつ。最近はこんな詐欺流行ってんの?

「いーよ、警察呼んでも。証拠もあるし」

 えっ? しょ、証拠? そんなバカな?

「踏んでもいないのに、証拠なんてあるわけ――えっ?」

 その男は自分のその踏まれたという、自分の右足のつま先を指差した。その白いスニーカーにはくっきりとヒールの跡がついていた。……いや、しかし。

「その、ヒール跡が私のパンプスだっていう証拠はないわよね?」

 そんなわけはないのだ。だって絶対に踏んでいないんだから。ところがその男は、何故か私を疑いの目で見つめる。妙に自信ありげに見える。

「ならさぁ、あなたのそのパンプスとこの俺のスニーカーについた跡をここで照合しませんか? それではっきりするし」
「ふん、合うわけないでしょ。どーぞ、やってみてよ」

 と、わたしはその歩道上の上で、立った状態で片足のパンプスを脱いで、その男に手渡した。すると、男は早速、そのパンプスの踵をそのスニーカーについた跡と見比べ始めた。

「あっれー? おっかしいなぁ、ちょっと合ってないみたいだけど、そんなはずは――」

 ザマァ見ろ。私は踏んでないんだから、合うわけないでしょ。ったく、どういう言い掛かりなんだ? これは。

「……、分かりました! 俺の勘違いっす! 申し訳ありません! ほんとに全く申し訳――」

 と、いきなり路上でその男は私の足元で土下座、大声で何度も謝る。何なんだ? この男は?

「ちょ、ちょっと、止めってってば、恥ずかしいでしょ?」
「いや、俺が悪いんです! ほんとに一生の不覚!」
「だから良いってば、わ、分かったからさ、そのパンプス返して」

 すると、その男は土下座をやめてゆっくりと立ち上がると、両手をパンパン叩いたり、ジーンズを叩いたりして砂埃をはたいたかと思うと、手に持っていた私のパンプスをそのまま自分の背中に回して隠した。

「って、あ、あの、私のパンプスは?」

 そう言うと男は、私に向かって軽くお辞儀の姿勢を取った。

「ほんとに申し訳ありませんでした。お詫びにランチでもどうですか?」

 はっ。私はその言葉で一瞬で気がついた。こいつは――。

「手の混んだナンパだな」

 舐めんなよ、というつもりで睨みつけて言ってやったはずなのに、そんな私の態度に構いもせず、この男はニヤリとウインクしたかと思うとこう言ってのけた。

「さすが鋭い。俺が見込んだだけのことがありますね。あなた気に入った。じゃぁそういうことで、早速ランチ行きましょう、いい店知ってますので」

 と言って、パンプスを手に持ったままくるりと踵を返して、私に背中を向けて歩き出す。

「ちょ、おい待て、パンプスは?」

 男はピタッと立ち止まって振り向くと、ニコニコしながら言った。

「ああ、そうだそうだ、忘れてた。パンプスをきちんと履かないと、ランチのお店まで歩けませんよね、失礼しました」

 そういって私に近づくと、さっとしゃがみ込んで、私の足元にそのパンプスを置いた。そしてそれを履く私の方をじっと下から見上げている。ったく、これではホイホイこの男についていく女性も多いのかもしれない。この男のナンパ術っていうのも大したものだと思うが、私はそんな甘くはないぞ。私は、こういう男の見え透いた下心には反吐が出る人間なんだ。特にナンパ師など、絶対に相手にするものか――、と、いや待てよ。

「なかなかやるわね、ナンパ師さん。いいわ、私に珍しく、ランチに付き合ってあげる」
「やったね、そうこなくっちゃね」

 と、その男は立ち上がって私の右側に立つと、すっと肘を出した。組めっていうのか? 調子に乗るんじゃねぇよ。私はそれを無視して歩きだすと、男は小さく「チッ」と舌打ちしつつ、私の前に立って歩いていく――。


 広々とした南国風のその店内には、既に客が大勢ランチタイムに入っていたが、まだ12時前ということもあり、待つまでもなく、店の奥の方にある対面テーブルへと案内された。席につくとすぐに店員が注文を取りに来た。

「何にする? 何でも良いよ、お詫びだから俺奢るしさ」

 メニューにちらっと目を通すも、別に豪勢に食事したいわけでもない。

「いいわ、日替わりランチ下さい。それだけで」
「あ、じゃあ俺もそれで、あと食後のアイスコーヒーも2つ。いいよね?」
「え? あ、うん」

 店員がテーブルから離れると、私は店内を見渡した。高い天井には、数台の大きな四枚羽シーリングファンがゆっくり回っている。片側の壁際には十人掛け程のカウンターテーブルがあり、色取り取りのアルコール類などがぎっしり並んていて、夜にはバーになるのだろう。店内には観賞植物としてヤシ類などの鉢植えがあちこちに置いてあり、古いジュークボックスやゲーム機などがデザイン的に配置されていて、いかにもハワイのような雰囲気を醸し出している。

「ここさ、食後のアイスコーヒーが何故か結構美味いんだぜ」
「へー、そうなんだ」
「俺、 漆原麟太郎うるしばらりんたろう
「は? 何?」
「だから、俺の名前、漆原麟太郎っていうんだ」

 へー。どーせナンパだから偽名なんだろうけどさ。

「で、お姉さんは?」
「あ、あたし?」
「うん、お名前、言えない?」

 どうしよっかなぁ。別に言う必要もないけど――。

「小野寺杏樹《おのでらあんじゅ》」

 私が仕事で時々使う偽名の一つだ。問題なかろう。

「アンジュって、杏のアンに、樹木のジュ?」
「そうそう」
「なんかかっこいい名前だね。顔に似合わず」

 ムッ。くそっ、なんでこんなナンパ師までそんな事言われなきゃならないんだ。私の一番気にしていることをあっさり言いやがって。……いや待て、こいつに悟られるのも癪に障る。表情を変えないようにしよう。

「よく言われるんだよね、あたしって童顔でしょ?」
「そうだね、童顔っていうか、すっごく天真爛漫っぽい」
「て、て、天真爛漫? そんなの初めて言われたよ」
「そう、なんかパーッと明るくなるような、それでいて優しい感じかな」
「あ、あら、そ、そうなの?」

 なんだこいつは? そんなすぐに女性の顔を表現するとか、普通ありえねぇ。流石はナンパ師。なんだかちょっとドキドキするぞ――。

「えっと、う、漆原さん?」
「はい」
「漆原さんはあれだね、ちょっと野生っぽいけど、ギラついてるってほどでもない肉食系っぽいイケメンさんって感じかな?」

 自分で言ってて意味不明だ。

「あはは、よくそんな感じで言われますね。お仕事は何を?」
「お仕事? えーっと、普通の一般事務員……」

 ――ってちょっと待て待て、これでは完全にナンパ師に釣られてるぞ。違う違う、こいつの目的は分かってんだ。その上手を行ってやらなきゃ。私は、その会話を突然断ち切るようにして、右手の握り拳をテーブルの上に上げて漆原にこう言った。

「あなたの目的はこれだよね? いいよ。やらせてあげるから」

 その拳の人差指と中指の間から親指をニョキッと突き出して。
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