藤堂海来探偵社

蜉蝣

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第十三話 坂東和夫と三上佳代子

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 また今日も昨晩に引き続き朝から大学。つっても、昨日の武蔵川女子大学とは全く違うところにある、中央文理学院大学。昨晩、三島は例の、港西警察署での渡辺二瓶と香西雪愛の会話が分かったと言ったが、その先生に早速御礼の電話をしたら、それは単なる例を説明しただけであり、精度は保証できないと説明された。

 三島のやつー、早合点したな、ったくもう……、とその大学教授の春日井かすがい先生と話をしていたら、教え子が助教授をしている別の大学に、読唇術の天才がいると教えてくれた。その人はそれが日本語であって、映像がはっきりしているのであれば、百%会話が読み取れるのだという。ならば、と早速その助教授先生を紹介していただいてその大学を訪れたわけである。私はその文学部社会心理学研究室の坂東和夫ばんどうかずお助教授の部屋をノックした。

「はじめまして、藤堂海来探偵社の藤堂海来と申します」
「こちらこそはじめまして、坂東です。春日井先生から連絡頂いてますので、どうぞこちらへ」

 三十代半ばの如何にも無精髭ほったらかしみたいな口ひげを生やした頭ボサボサの、清潔感なさそうな白衣姿の坂東先生。通された部屋も、資料や本が特に整理もされずに雑然と大量に置かれている。先生の机にはよく見ると、白い粉……フケが落ちている……。臭くはないが。

「ちらっと、春日井先生から耳にしましたけど、何か大事件なんですか? 私、ミステリー大好きなんですよ。東野圭吾なんか半分くらい持ってるんじゃないかなぁ? どうぞ、これコーヒーです。ちょっと冷めてますが、あ、ミルク、砂糖はなしですので」

 なんか早口な先生だな。

「いえいえ、その大事件っていうのは、昨日の通り魔殺人事件のことなんですけど、それとは関係ありません」

 渡されたマグカップを少し確認する……うん、これはきれいだ。冷めてるというほどではないが、……と一口飲むと、むむむ? これは美味い。香りもいい。

「そのコーヒー、美味いでしょ? ブラック・アイボリーっつって、超高級品ですよ」

 へー、そうなんだ。そんな高級なコーヒー飲んだことないけど、これは美味い。

「なんでも、象のフンから集めたそうですよ」

 ブッ! ……と思わず吹き出しそになったが堪えた。なぬー? 象のフン?

「なかなか、取れないらしいですからね。インドネシアのジャコウネコのフン使ったコーヒーとかも希少ですけど、それの倍くらいします」
「へー、そうなんですか。これが……、えっ、お幾らくらいなんですか?」
「その一杯で1万円軽く超えます」
「えええええっ!? いちまんえん?」

 い、一杯で一万円超えって……、そんなバカクソ高いのをどうして、こんなちょっと尋ねてきた一見さんに飲ませるんだ? この先生って。

「ああ、気になさらないで下さい。一ヶ月ほど賞味期限過ぎてますからね、貰ったものですし、飲まないと勿体ないですから」

 賞味期限切れ……、コーヒー豆だから大丈夫か。ていうかこの先生何者? 変わってんなー。なんか付き合ってらんない感じ、さっさと本題行こう。

「それで、坂東先生、こっちに事務所から解析動画のファイル届いてますよね?」
「ええ、もうダウンロード済みですよ。あ、そうそう、佳代子ちゃん呼ばなきゃ。今ちょっと授業受けてるらしくて……、もう終わってるはずなんだけど、ちょっと呼びますね」

 そう言って、その佳代子ちゃんという学生さんを先生はスマホメッセージで呼び出した。五分ほどで、その佳代子ちゃんが入ってきた。背丈が私と同じくらいしかない、155センチくらいの小柄な人。

「藤堂さん、こちら、学生の三上佳代子みかみかよこです。……三上さん、こちらは探偵社の藤堂さんです」

 と坂東先生が互いを紹介。お互い軽くお辞儀して、先生のデスクの周りに三人が座った。そして坂東先生が続ける。

「藤堂さん、ちょっとなんでもいいから、三上さんと話してみて下さい」
「何でもいい?とは?」
「普通に、自己紹介からでもなんでもいいですよ、どうぞ」

 と、坂東先生はニコニコしていうので、とりあえず自己紹介から始めた。

「じゃああの、初めまして。藤堂海来探偵社の藤堂海来と申します。今日はよろしくおねがいします」
「はい、こちらこそよろしくおねがいします。三上佳代子と申します。三回生になります。藤堂さんは、探偵さんなんですか?」

 三上さんてば好印象だなぁ。全然物怖じしないっていうか、私の顔をまっすぐしっかり見て話してくれる。良い人っぽい感じだなぁ。

「ええ、八年くらいかな、ずっと探偵やってます。……」

 という具合に、数分、三上さんと話をしたが、その間、ちょうど真ん中あたりに位置する坂東先生は、パソコンで動画再生の用意などをしながら、なんだか余裕たっぷりの表情をしている気がするんだけど……。

「じゃぁ、会話はそこまでにしましょう。藤堂さん、分かりましたか?」

 えっ? 何の話? そりゃ彼女に今色々聞いたけど――。

「先生、それはどういう意味ですか?」

 すると、先生は、デスク対してに横に向いていたのを、私の方に向き直ってからこう言った。

「三上さん、耳が全く聞こえないんです」
「えっ? だって今、普通に……」

 私は驚いて三上さんの顔を見ると、私を見てニコニコしている。ていうか今、全く普通に私と喋ってたぞ? ……そっか、何の違和感もなかったが、この人が読唇術の天才なのか。えー! すごーい!

「びっくりしたでしょ?」
「はい……、全然分からなかったです。ほんとに全く耳が聞こえないの? 三上さん」

 三上さんはこっくりと頷いた……。

「三上佳代子さんは生まれつき耳が聞こえない、いわゆるです。ただ、ろう者の方だからといって、読唇術が出来るかというとそうでもありません。むしろ少ない方だと言われています。ほとんどのろう者は手話でコミュニケーションするのですが、三上さんはご自身で小さい頃から、健常者の会話に興味を持たれたらしく、自然と読唇術を身につけたそうです。その代わり、手話がほとんど出来ない珍しいろう者の人なのですが」

 坂東先生がそう言うと、三上さんは可愛く、舌を出した。

「最近は真面目に手話を勉強してるんですよ? でも全然分からなくて、えへへ」

 すげー! まじかよ、佳代子ちゃん。どう見たって普通に会話してる、普通の健常者と全く変わらんのだけど、いったいどうなってんだ? 言葉のイントネーションすらパーフェクトだぞ?

「ただですね、完璧に見えても、結構苦労されてます。要するに、人の口の動きを見ないと、全然わからないのですね。佳代子ちゃんは、例えばマスクをされたりするとコミニュケーションできなくなります。電話なども音が聞こえないですし、テレビも話者が写ってないと理解できません。まぁ、この子は度胸がありますからね、挫けずやってるみたいですけど」

 そっかー、そりゃそうだな。佳代子さんめちゃ明るいし、私この子気に入った。

「じゃぁ、さっそく、動画の方見ましょうか。佳代子ちゃんもうちょっと、デスクに近くに」

 そして、動画が再生され、三上佳代子さんの読唇術による解読が始まった……、と思ったらすぐ終わった。会話箇所は、ほんの一分にも満たないからなぁ。

「分かりました。じゃぁメモしたので読み上げますね」



 坂東教授の研究室を出て、キャンパス中央の広い道を歩く。空はどんよりしていて、午後からは雨になると言ってた。風がきつくて、私はダッフルコートのフードを立てて、マフラーをもうひと巻き多くした。仕事もあるし、さっさと帰りたかったが、正門直ぐ側にあるベンチに腰を下ろす。あたりを見渡すと、あの仲西麗華や京極菖蒲と変わらない年齢の男の子や女の子達が普通に歩いている。当たり前だ、大学なんだから。

 何がなんだかさっぱりわからなくなってきた。たったあれだけの渡辺二瓶と香西雪愛の、あの港西警察署での会話、しかも一分にも満たない会話が、意味がさっぱりわからない。――いや、というよりもどう理解すればいいのか全然わからない。一昨日初めて知った、仲西麗華を巡る事件の詳細はこうだ。

 渡辺二瓶に脅迫された仲西麗華。彼女は、家族に対する危害を加えるようなニュアンスで渡辺二瓶に単に脅迫を受けただけではなく、実際に、酷い嫌がらせを受けている。例えば、父親の務める会社に、今までなかったような父親の仕事に関するクレームが入ったり或いは契約が解除になったり、母親のパート先には母親が万引したという嘘の密告があったり、最悪なのは仲西麗華の8歳年下の妹さんが、一日だけ誘拐されている。特に危害は加えられず無事発見されているが、犯人は不明のままだ。

 そして、仲西麗華が従わなかったり、あるいは自殺でもするようなら、その妹の方を今度は狙うとまで脅迫されている。だから彼女は、逃げることはおろか自殺すら出来ず、渡辺二瓶に従う以外に道がないのだ。仲西麗華がやっているのは、指定された買い手に対しての売春行為である。この売春行為自体が酷いもので、買い手のニーズにどんな事があっても従わなければならない。ただセックスに応じればいいというわけではないらしかった。流石に、行為内容自体は彼女も私には話さなかったが、その代わりに報酬額が普通の売春では考えられないほどの高額だった。

 その上、その報酬、おそらくは本当の売買春の金額の何割かではあろうけどそれでもかなりの高額になるその報酬は、彼女の口座に入金されるものの、ダミー会社を通じての入金になっていて、渡辺二瓶には足がつかないという巧妙な仕組みになっているらしかった。だから、たとえ、彼女が警察に被害等を申告したとしても、売春防止法違反容疑で疑われるのは彼女だけなのである。

 だから、最初、事務所で話を聞いた時は、頭の中で「これは聞かないほうが良かった」と、性犯罪に立ち向かいたいという意思を持って今の会社を始めた私ですらも、後悔を感じざるをえなかった。あまりに巧妙すぎるし、そこまでの巧妙なことを仲西麗華一人にやるわけがない。想像するに、もしかすると渡辺二瓶だけではなく、もっと大きな組織的背景すらあり得る。しかも――。

 私は、中央文理学院大学のそのキャンパス内、正門前のベンチに腰を掛けたまま、三島に電話した。

「はい、お電話ありがとうございます。藤堂海来探偵社の三島です」
「三島くん、この案件なぁ……、ヤバすぎるわ」
「え、あの会話でなにか分かったんですか?」
「うん、マジでわけがわからなくなってきた。やっぱ、この案件、無理だ」
「……無理、とは?」
「辞めるってこと」
「えっ?」
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