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第九章 番外編 シオルとステラ
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Ⅰ
翌日のこと、フォイが珍しくシオルを残して外に出ることを提案した。
現在、洞穴に待機中である。というのも、これから足止めを食らうことを推測したフォイが、待機することを決めたからだった。
シオルとステラにはその理由が分からず、首を傾げたり、疑問を口にしたりした。
フォイはそれを聞いて短く答える、「そろそろ満月が近い」と。だからこそ、1度足を止めておいたほうが良いと判断したと言う。
シオルとステラはその言葉にも理解できずにいた。
二人が不思議そうな顔をしているからか、フォイは少しばかり顔を曇らせる。そして、言いにくそうに間を空けて告げた。
「……満月の時は、俺が動きにくくなる。獣人だからか、その時ばかりは俺が冷静でいられなくなる時だからな。それに、モンスターも動きが活発になる。しばらくはここに滞在して置いたほうが良いだろう」
「驚いた、獣人はどちらかと言えば満月の時に凶暴になるイメージがあったけど。動きが鈍くなるなんてね」
ステラの言葉に、フォイは顔を顰める。
「おそらく、月の引力なのだろう。凶暴になる、ということはないが、身体が重くてな。普段の動きがしにくくなる。それに、わざわざモンスターが活発になる中で動くこともないだろう。モンスターは凶暴化していると思っておけば良い」
フォイ曰く、獣人は基本的に満月に弱いらしい。月の満ち欠けに基本的に敏感だという。満月になる前日から、満月が欠けるまでの数日間は獣人は家に閉じ籠るのだという。それは、自分たちが本来の力を発揮できないことから、身を守るための習性だと言われているそうだ。逆に、モンスターは満月を見ると力が強くなるらしい。中にはそんなこともないらしいが、活発になるモンスターのほうが多いために、フォイは滞在を提案したのだという。
その話を聞いたステラが意外そうに口を開いた。
「ふーん……。でも、自分で弱点を教えてくれるなんて、私からしたら好都合。……その時に一発ぐらいお見舞いしてやろうかしら」
ステラがそう言ってニヤリと悪巧みをしていれば、その言葉が耳に届いたフォイが不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。そして、低く唸り声を発しながらも、ため息混じりに告げる。
「……自分の立場が分かっていないようだな。あれだけ痛い目を見ても、いまだに自分の実力すら把握できないとは」
「はあ!? あれは少し油断しただけよ!」
「いちいち大声を出すなと何度言えば分かる。貴様の頭はどうやら鶏よりも忘れやすいらしい」
「なんですってえ!?」
いまだに続く一触即発の空気。
シオルはそれを見守りながら、オロオロとしていた。何かとまだ言い合いをしていることが多い。だが、それが殺伐とした空気ではないことを、シオルもよく理解していた。
まだお互いが信用しきれていないところがあるのだろう。
それに、とシオルは思う。
以前のパーティに比べれば、この会話自体が楽しいものだ、と。
ほとんど暴言のようなものが飛び交っていたあの頃に比べれば、この会話は可愛いものだと強く思う。
シオルの目の前では、フォイが低く唸り声を上げ、ステラが今にも噛みつきそうな勢いで睨みつけている。「喧嘩するほど仲がいい」とは言うが、少し度が過ぎている言い合いにしか見えなかった。
シオルがそろそろ口を開こうかと迷っていれば、フォイが先に口を開いてため息をつく。その姿は、どちらかと言えば自分を落ち着かせようとしているものに見えた。そして、静かに口を開く。
「……動きにくくても力自体が下がることはない。多少、動きが遅いとなれば、おそらく人間のお前たちと同等と言ったところだろう。本来、人間よりも身体能力が獣人は優れているからな。つまり、だ」
「……何よ」
「つまり、貴様に負けることもないということだ」
「……っ、本っ当に腹立つわね、こいつ!」
フォイが当然のように言い放てば、ステラは怒りの表情で拳を握る。今にも殴り掛かりそうな雰囲気だが、フォイに隙がないと見て拳を握るだけに留めているらしい。
そんな中、フォイは気にすることなく「それに、」と続けた。
「それに、俺の動きが悪くなっていざという時にシオルを守れない可能性が高くなるのは避けたい。阻止できることなら尚更な」
「ふーん、私のことはどうでもいいってわけね」
「どうでもいいな。大体にして、貴様は自分でも戦えるだろう。俺がわざわざ前に出ることもない」
「はあ!? 女の子に対して自分で戦えってどんだけ酷い男よ! 最低っ!」
「貴様に言われる筋合いはない。大体にして、俺に一発やり返すなどと、寝言は寝て言え。返り討ちに遭うのが関の山だ。それと、何度も言っているが、その無駄にでかい声をやめろ。俺の耳を何度破壊しようとすれば気が済む」
フォイとステラの言い合いは終わらない。
シオルはおずおずと口を開いた。
「……え、えーっと……、そろそろ、やめませんか?」
このままではさらにヒートアップしそうで。シオルはとりあえず優しくストップをかけることにした。と言うよりも、これが自分の全力であった。
だが、その言い方が良くなかったのか、ステラが食ってかかる。
「あんたもハッキリと言いなさいよ!」
「おい、シオルに強く言うな」
どうやら、余計にヒートアップしてしまったらしい。
ステラが目じりを吊り上げ、フォイがそれを見て唸りながら止めようとする。
シオルはそれを見て、つい困った顔をしてしまった。少しばかり落ち込みそうになる。
それに瞬時に気がついたフォイが、一つ息をつく。再度自分を落ち着かせようとしているようで。やがて、シオルへと先ほどとは打って変わって落ち着いた声をかける。
「……すまない、シオル。不安にさせた」
「い、いえ……。けど、その、このままでは良くない気がして……」
「……そうだな。別にいがみ合いたいわけではない。ただ、どうしても調子が狂う」
フォイは髪をかきあげた。そのまま、前髪をぐしゃりと握りつぶす。自分に呆れているような、それでいてどこか困惑しているようなそんな顔をしていた。
シオルはその表情を初めて見た気がして。
何故か、ズキンと胸が痛んだ気がした――。
Ⅱ
フォイは周囲に異常がないか見守るために外に出ようとしていたらしい。動けるうちに外に出ようと考えていたようだ。
フォイはシオルをステラに任せると、颯爽と駆けて行った。
シオルはそれを見送ってから、洞穴に座り込んでふと考え込む。
自分の知らないフォイさんがいる。
それはシオルも頭のどこかで分かっていたことだった。自分と違う人が話していれば、フォイはそれによっていろんな表情を見せるだろう。
あの装備屋の前ですら、フォイはシオルに見せない表情をたくさん見せていた。それはどちらかと言えば、怒りの表情であったが。
今もステラとは怒りの表情が多い。だが、それ以上にたくさんの表情を見せられている気がして。
そして、自分じゃない誰かがその表情を引き出していることに、何故かまた胸が痛みを訴えて。
なぜ……?
シオルにはその答えが分からない。初めての感情な気がする。でも、本当にこの感情が初めてなのかも確信を得ることはできなかった。
フォイに聞きたい気もした。だが、この感情については聞いてはいけない気がして。何か根拠があるわけではなかったが、どうにもそんな気がして仕方がなかった。それに、そのフォイは今外に出ている。
なんだろう……、ステラさんが来てから、自分が変な感じ……。
ステラが嫌なわけではない。それは自分がよく分かっていること。
ステラに出会って、ステラを仲間にしようとフォイに提案した時、シオルが言った言葉は本心だった。
女性の仲間が欲しい。
同性の友達が欲しい。
その思いから、フォイにお願いした。
今までも、傍に女性はいた。以前、属していたパーティ、勇者パーティには確かに女性がいたから。
だが、それはただの形上としか言えないものであった。自分とは彼女たちは何も話さず、話したとしても扱き使われていたり、卑下されていたりとそんな扱いばかりだった。きっと、仲間としての認識すらなかったのだろう。
シオルの記憶にも、彼女たちとろくな会話をした覚えがなかった。
記憶にあるとしたら、自分がとにかく怯えていたこと。
自分を強く押し止め、自分自身を我慢させていたこと。
自分を閉じ込めることに徹していたこと。
会話は特に自分に向けての暴言が多かった。時には、痛みを伴うこともあった。
それでも、逆らったら自分がさらに辛くなることが分かっていたから、諦めていた。
ただ、耐えることしかできなかったのだ。
そんな中、偶然にもフォイに出会った。そして、その地獄のような日々から助け出してくれた。
パーティから抜け出させてくれて、しかも今までの自分を縛り付けていた鎖すらも引きちぎってくれた。
自分の意思を尊重してくれて、気を遣ってくれて、優しさや温もりを取り戻してくれた。
久々にそれらに触れたと、本当に思ったのである。
そして、旅をし始めて、初めて遭遇した女性。フォイが倒した女性を、仲間にできないかと自分の意見を告げた。
初めてできた、本当の女性の仲間、ステラ。形上だけじゃなくて、今度こそちゃんと仲間に、友達になりたかった。
今も、まだステラは強く言い返してくるし、自分のことも「あんた」呼びだが、それでも一応普通に接してくれている唯一の同性の仲間である。
だが、自分とステラは性格が違うためか、フォイがステラに見せる表情は普段と違う。自分と接している時以外に見せる表情を目の前で見せつけられて。
ああ、なんか嫌だな……。
そう思ってしまった。そして、そう思ってしまった自分が、酷く嫌な人間のように思えた。
悶々と考えているシオルは、だんだんと背中が丸くなって。顔を俯かせて。
それはフォイと出会う前の、自分に戻ったように錯覚させるものだった。
そんな中、シオルに向かって声が飛んでくる。それは、フォイとは違い、自信で満ち溢れて、そしてどこか強い口調の中に心配の色を潜ませているようなものであった。
「何? どうしたのよ、急に黙って考え込んで。そんなに気分が悪いわけ?」
Ⅲ
シオルはその言葉に顔を上げた。現実に急に引き戻され、少しばかり頭が追いついていない。
視界にステラを捉えて、シオルはそうだったと理解する。外に出て行ったのはフォイだけで、自分と一緒にステラもこの場所で彼の帰りを待っているんだった、と。
シオルはステラの言葉を聞いて、ゆっくりと頭の中で処理して。だが、うーんと首を傾げた。
「その、自分でもよく分からなくて……。なんというか、その、初めての感情を抱いたと言いますか……」
「ふーん……。あっそ」
ステラはそれだけ言って、そっぽを向く。そして、さらに不服そうに告げた。
「もし、その理由が私がここに残っていることで嫌な顔をしている、とかだったら一発蹴ってやろうかと思っていたけど」
「ち、違いますよっ! そんなことっ、ないですからっ!」
ステラの言葉を、シオルは慌てて否定する。
ステラはそれを聞いて一度チラリと見てきたが、ふんとまたそっぽを向いてしまった。
どうやら、ステラは好戦的な性格らしい。自分とはどうやら性格が正反対のようである。
そういえば、フォイさんも少し好戦的なところがあったような……。
自分を以前のパーティから助けてくれた時も、どこか好戦的で、笑っていたような気がした。ただ、戦いを楽しんでいる、といった様子ではなかった気もするが。
そこまで考えて、シオルの心がまた小さく痛む。よく分からない現象はいまだに収まってはくれないらしい。答えの出ない感情に、シオルはさらにモヤモヤしていく。病気とかではないと思いつつも、なんだか落ち着かない自分に戸惑いしかなかった。
ステラはそんなシオルを見て、そして深くため息をついた。
「あんたねえ……、その顔、あいつに見せるんじゃないわよ」
「え……?」
どこか呆れたように言うステラに、シオルは言葉を零す。何を言われているのかよく分からなくて、首を傾げた。
すると、ステラは疲れた顔で告げる。
「そんな顔、絶対あいつに何か言われるのが目に見えているから。あいつ、あんたに関しては過保護すぎるのよ」
「そんな顔……?」
「どうしようもなく困ってます、って顔よ」
シオルはステラの言葉を聞いて乾いた笑いを口にしてしまう。
確かに、フォイは自分の境遇を知ってか、どこか過保護なところがある。困っている姿を確実に放ってはおかないだろう。
ステラはそのことを言っているのだと理解する。
すると、ステラは何を思ったのか急に質問をしてきた。
「それで? 本っ当に、あいつとはそういう関係じゃないわけ?」
「? そういう、とはどういう……?」
ステラが何のことを言っているのか、シオルには分からない。聞き返してみれば、ステラはまたため息をついて問い直した。
「だから、あいつは恋人じゃないのって聞いてるのよ」
シオルはその言葉に思考を停止する。ゆっくりと頭の中で処理が開始され、三拍しっかり間を空けて――。
――内容を理解すると同時に、慌てて訂正した。
「……ち、違いますよっ! フォイさんはその……、えっと、恩人、といいますか……!」
「はあっ!? ただの恩人があそこまで肩入れする?」
ステラは納得がいかないと怪訝そうな顔をする。説明しなさいよ、と表情で催促されてしまい。
シオルはどこまで言おうか、まだ自分でも気軽に話せるようなものでもないと、少しばかり悩んで。簡単に説明するために、ゆっくりと口を開いた。
「その……、フォイさんは私を地獄のようなところから救い出してくれて……。私のことを気遣ってくれているだけで……。だから、恩人という言葉が正しい気がして……」
「ふーん……。あいつの過保護ぶりはそこからきているってことね……。一応、納得したわ」
ステラはあっさりと頷いてくれた。シオルの話したくないと思っている雰囲気を感じ取ってくれたのかもしれない。それ以上、その話に関しては首を突っ込んでくることはなかった。
だが、ステラの口はまだ開く。
「……けど、」
シオルは突如止まったステラの言葉に首を傾げる。
ステラはシオルに視線を向けて、真剣な表情で問いかける。
「あいつ、あんたにとって、本当にただの恩人なわけ?」
ステラのその言葉に、シオルは再度固まるのであった。
IV
「……何をしている」
いつの間にやら、フォイが戻ってきたらしい。どこか不機嫌そうに問いかける彼の視線は、ステラに向けられていて。険しそうな視線が彼女を鋭く指していた。
だが、ステラはその視線を受けてもまったく動じておらず。盛大にため息をついて、ついでとばかりに肩を落として見せた。
「先に言っておくけど、私は何もしていないわよ。その子が勝手に思い込んでいるだけ」
「……それを信用しろと」
「『仲間』だと言うのなら、少しぐらいは信用して欲しいところね」
ステラはハッキリと告げる。彼女の強気な性格は、フォイに対しても変わることがないらしい。怖いもの知らず、と言ったほうが正しいかもしれなかった。
だが、フォイはステラの言葉を聞いて沈黙した。どこか思うところがあったのかもしれない。だが、顔には「何を言っても無駄か」とバッチリ記載されていて。それでも、ステラにそれ以上何か言うことはなかった。
そして、ゆっくりとシオルへと歩み寄る。目の前まで来ると目線を合わせて、静かに問いかけた。
「シオル、大丈夫か」
「あ、はい」
「……シオル」
フォイが再度名前を呼ぶ。それは、どこか「ちゃんと言え」と催促されているようで。
シオルは慌てて言い直す。
「ほ、本当に、大丈夫です」
シオルがそう言えば、フォイはふむと頷いてから「そうか」と短く返すだけだった。
大丈夫なのは、本当……。けど、ステラさんの言葉、私にはよく分からなかったなあ……。
シオルがそう思っている中、知らぬ間に再開されたフォイとステラの言い合い。強く言い返す二人は、どうやら外の状況を共有しようとしたフォイへ、文句を言い始めたステラによって、火蓋が切って落とされたようだった。
シオルはその言い合いをぼんやりと眺める。
シオルがその答えに辿り着くまでには、まだ相当な時間がかかりそうなのであった。
翌日のこと、フォイが珍しくシオルを残して外に出ることを提案した。
現在、洞穴に待機中である。というのも、これから足止めを食らうことを推測したフォイが、待機することを決めたからだった。
シオルとステラにはその理由が分からず、首を傾げたり、疑問を口にしたりした。
フォイはそれを聞いて短く答える、「そろそろ満月が近い」と。だからこそ、1度足を止めておいたほうが良いと判断したと言う。
シオルとステラはその言葉にも理解できずにいた。
二人が不思議そうな顔をしているからか、フォイは少しばかり顔を曇らせる。そして、言いにくそうに間を空けて告げた。
「……満月の時は、俺が動きにくくなる。獣人だからか、その時ばかりは俺が冷静でいられなくなる時だからな。それに、モンスターも動きが活発になる。しばらくはここに滞在して置いたほうが良いだろう」
「驚いた、獣人はどちらかと言えば満月の時に凶暴になるイメージがあったけど。動きが鈍くなるなんてね」
ステラの言葉に、フォイは顔を顰める。
「おそらく、月の引力なのだろう。凶暴になる、ということはないが、身体が重くてな。普段の動きがしにくくなる。それに、わざわざモンスターが活発になる中で動くこともないだろう。モンスターは凶暴化していると思っておけば良い」
フォイ曰く、獣人は基本的に満月に弱いらしい。月の満ち欠けに基本的に敏感だという。満月になる前日から、満月が欠けるまでの数日間は獣人は家に閉じ籠るのだという。それは、自分たちが本来の力を発揮できないことから、身を守るための習性だと言われているそうだ。逆に、モンスターは満月を見ると力が強くなるらしい。中にはそんなこともないらしいが、活発になるモンスターのほうが多いために、フォイは滞在を提案したのだという。
その話を聞いたステラが意外そうに口を開いた。
「ふーん……。でも、自分で弱点を教えてくれるなんて、私からしたら好都合。……その時に一発ぐらいお見舞いしてやろうかしら」
ステラがそう言ってニヤリと悪巧みをしていれば、その言葉が耳に届いたフォイが不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。そして、低く唸り声を発しながらも、ため息混じりに告げる。
「……自分の立場が分かっていないようだな。あれだけ痛い目を見ても、いまだに自分の実力すら把握できないとは」
「はあ!? あれは少し油断しただけよ!」
「いちいち大声を出すなと何度言えば分かる。貴様の頭はどうやら鶏よりも忘れやすいらしい」
「なんですってえ!?」
いまだに続く一触即発の空気。
シオルはそれを見守りながら、オロオロとしていた。何かとまだ言い合いをしていることが多い。だが、それが殺伐とした空気ではないことを、シオルもよく理解していた。
まだお互いが信用しきれていないところがあるのだろう。
それに、とシオルは思う。
以前のパーティに比べれば、この会話自体が楽しいものだ、と。
ほとんど暴言のようなものが飛び交っていたあの頃に比べれば、この会話は可愛いものだと強く思う。
シオルの目の前では、フォイが低く唸り声を上げ、ステラが今にも噛みつきそうな勢いで睨みつけている。「喧嘩するほど仲がいい」とは言うが、少し度が過ぎている言い合いにしか見えなかった。
シオルがそろそろ口を開こうかと迷っていれば、フォイが先に口を開いてため息をつく。その姿は、どちらかと言えば自分を落ち着かせようとしているものに見えた。そして、静かに口を開く。
「……動きにくくても力自体が下がることはない。多少、動きが遅いとなれば、おそらく人間のお前たちと同等と言ったところだろう。本来、人間よりも身体能力が獣人は優れているからな。つまり、だ」
「……何よ」
「つまり、貴様に負けることもないということだ」
「……っ、本っ当に腹立つわね、こいつ!」
フォイが当然のように言い放てば、ステラは怒りの表情で拳を握る。今にも殴り掛かりそうな雰囲気だが、フォイに隙がないと見て拳を握るだけに留めているらしい。
そんな中、フォイは気にすることなく「それに、」と続けた。
「それに、俺の動きが悪くなっていざという時にシオルを守れない可能性が高くなるのは避けたい。阻止できることなら尚更な」
「ふーん、私のことはどうでもいいってわけね」
「どうでもいいな。大体にして、貴様は自分でも戦えるだろう。俺がわざわざ前に出ることもない」
「はあ!? 女の子に対して自分で戦えってどんだけ酷い男よ! 最低っ!」
「貴様に言われる筋合いはない。大体にして、俺に一発やり返すなどと、寝言は寝て言え。返り討ちに遭うのが関の山だ。それと、何度も言っているが、その無駄にでかい声をやめろ。俺の耳を何度破壊しようとすれば気が済む」
フォイとステラの言い合いは終わらない。
シオルはおずおずと口を開いた。
「……え、えーっと……、そろそろ、やめませんか?」
このままではさらにヒートアップしそうで。シオルはとりあえず優しくストップをかけることにした。と言うよりも、これが自分の全力であった。
だが、その言い方が良くなかったのか、ステラが食ってかかる。
「あんたもハッキリと言いなさいよ!」
「おい、シオルに強く言うな」
どうやら、余計にヒートアップしてしまったらしい。
ステラが目じりを吊り上げ、フォイがそれを見て唸りながら止めようとする。
シオルはそれを見て、つい困った顔をしてしまった。少しばかり落ち込みそうになる。
それに瞬時に気がついたフォイが、一つ息をつく。再度自分を落ち着かせようとしているようで。やがて、シオルへと先ほどとは打って変わって落ち着いた声をかける。
「……すまない、シオル。不安にさせた」
「い、いえ……。けど、その、このままでは良くない気がして……」
「……そうだな。別にいがみ合いたいわけではない。ただ、どうしても調子が狂う」
フォイは髪をかきあげた。そのまま、前髪をぐしゃりと握りつぶす。自分に呆れているような、それでいてどこか困惑しているようなそんな顔をしていた。
シオルはその表情を初めて見た気がして。
何故か、ズキンと胸が痛んだ気がした――。
Ⅱ
フォイは周囲に異常がないか見守るために外に出ようとしていたらしい。動けるうちに外に出ようと考えていたようだ。
フォイはシオルをステラに任せると、颯爽と駆けて行った。
シオルはそれを見送ってから、洞穴に座り込んでふと考え込む。
自分の知らないフォイさんがいる。
それはシオルも頭のどこかで分かっていたことだった。自分と違う人が話していれば、フォイはそれによっていろんな表情を見せるだろう。
あの装備屋の前ですら、フォイはシオルに見せない表情をたくさん見せていた。それはどちらかと言えば、怒りの表情であったが。
今もステラとは怒りの表情が多い。だが、それ以上にたくさんの表情を見せられている気がして。
そして、自分じゃない誰かがその表情を引き出していることに、何故かまた胸が痛みを訴えて。
なぜ……?
シオルにはその答えが分からない。初めての感情な気がする。でも、本当にこの感情が初めてなのかも確信を得ることはできなかった。
フォイに聞きたい気もした。だが、この感情については聞いてはいけない気がして。何か根拠があるわけではなかったが、どうにもそんな気がして仕方がなかった。それに、そのフォイは今外に出ている。
なんだろう……、ステラさんが来てから、自分が変な感じ……。
ステラが嫌なわけではない。それは自分がよく分かっていること。
ステラに出会って、ステラを仲間にしようとフォイに提案した時、シオルが言った言葉は本心だった。
女性の仲間が欲しい。
同性の友達が欲しい。
その思いから、フォイにお願いした。
今までも、傍に女性はいた。以前、属していたパーティ、勇者パーティには確かに女性がいたから。
だが、それはただの形上としか言えないものであった。自分とは彼女たちは何も話さず、話したとしても扱き使われていたり、卑下されていたりとそんな扱いばかりだった。きっと、仲間としての認識すらなかったのだろう。
シオルの記憶にも、彼女たちとろくな会話をした覚えがなかった。
記憶にあるとしたら、自分がとにかく怯えていたこと。
自分を強く押し止め、自分自身を我慢させていたこと。
自分を閉じ込めることに徹していたこと。
会話は特に自分に向けての暴言が多かった。時には、痛みを伴うこともあった。
それでも、逆らったら自分がさらに辛くなることが分かっていたから、諦めていた。
ただ、耐えることしかできなかったのだ。
そんな中、偶然にもフォイに出会った。そして、その地獄のような日々から助け出してくれた。
パーティから抜け出させてくれて、しかも今までの自分を縛り付けていた鎖すらも引きちぎってくれた。
自分の意思を尊重してくれて、気を遣ってくれて、優しさや温もりを取り戻してくれた。
久々にそれらに触れたと、本当に思ったのである。
そして、旅をし始めて、初めて遭遇した女性。フォイが倒した女性を、仲間にできないかと自分の意見を告げた。
初めてできた、本当の女性の仲間、ステラ。形上だけじゃなくて、今度こそちゃんと仲間に、友達になりたかった。
今も、まだステラは強く言い返してくるし、自分のことも「あんた」呼びだが、それでも一応普通に接してくれている唯一の同性の仲間である。
だが、自分とステラは性格が違うためか、フォイがステラに見せる表情は普段と違う。自分と接している時以外に見せる表情を目の前で見せつけられて。
ああ、なんか嫌だな……。
そう思ってしまった。そして、そう思ってしまった自分が、酷く嫌な人間のように思えた。
悶々と考えているシオルは、だんだんと背中が丸くなって。顔を俯かせて。
それはフォイと出会う前の、自分に戻ったように錯覚させるものだった。
そんな中、シオルに向かって声が飛んでくる。それは、フォイとは違い、自信で満ち溢れて、そしてどこか強い口調の中に心配の色を潜ませているようなものであった。
「何? どうしたのよ、急に黙って考え込んで。そんなに気分が悪いわけ?」
Ⅲ
シオルはその言葉に顔を上げた。現実に急に引き戻され、少しばかり頭が追いついていない。
視界にステラを捉えて、シオルはそうだったと理解する。外に出て行ったのはフォイだけで、自分と一緒にステラもこの場所で彼の帰りを待っているんだった、と。
シオルはステラの言葉を聞いて、ゆっくりと頭の中で処理して。だが、うーんと首を傾げた。
「その、自分でもよく分からなくて……。なんというか、その、初めての感情を抱いたと言いますか……」
「ふーん……。あっそ」
ステラはそれだけ言って、そっぽを向く。そして、さらに不服そうに告げた。
「もし、その理由が私がここに残っていることで嫌な顔をしている、とかだったら一発蹴ってやろうかと思っていたけど」
「ち、違いますよっ! そんなことっ、ないですからっ!」
ステラの言葉を、シオルは慌てて否定する。
ステラはそれを聞いて一度チラリと見てきたが、ふんとまたそっぽを向いてしまった。
どうやら、ステラは好戦的な性格らしい。自分とはどうやら性格が正反対のようである。
そういえば、フォイさんも少し好戦的なところがあったような……。
自分を以前のパーティから助けてくれた時も、どこか好戦的で、笑っていたような気がした。ただ、戦いを楽しんでいる、といった様子ではなかった気もするが。
そこまで考えて、シオルの心がまた小さく痛む。よく分からない現象はいまだに収まってはくれないらしい。答えの出ない感情に、シオルはさらにモヤモヤしていく。病気とかではないと思いつつも、なんだか落ち着かない自分に戸惑いしかなかった。
ステラはそんなシオルを見て、そして深くため息をついた。
「あんたねえ……、その顔、あいつに見せるんじゃないわよ」
「え……?」
どこか呆れたように言うステラに、シオルは言葉を零す。何を言われているのかよく分からなくて、首を傾げた。
すると、ステラは疲れた顔で告げる。
「そんな顔、絶対あいつに何か言われるのが目に見えているから。あいつ、あんたに関しては過保護すぎるのよ」
「そんな顔……?」
「どうしようもなく困ってます、って顔よ」
シオルはステラの言葉を聞いて乾いた笑いを口にしてしまう。
確かに、フォイは自分の境遇を知ってか、どこか過保護なところがある。困っている姿を確実に放ってはおかないだろう。
ステラはそのことを言っているのだと理解する。
すると、ステラは何を思ったのか急に質問をしてきた。
「それで? 本っ当に、あいつとはそういう関係じゃないわけ?」
「? そういう、とはどういう……?」
ステラが何のことを言っているのか、シオルには分からない。聞き返してみれば、ステラはまたため息をついて問い直した。
「だから、あいつは恋人じゃないのって聞いてるのよ」
シオルはその言葉に思考を停止する。ゆっくりと頭の中で処理が開始され、三拍しっかり間を空けて――。
――内容を理解すると同時に、慌てて訂正した。
「……ち、違いますよっ! フォイさんはその……、えっと、恩人、といいますか……!」
「はあっ!? ただの恩人があそこまで肩入れする?」
ステラは納得がいかないと怪訝そうな顔をする。説明しなさいよ、と表情で催促されてしまい。
シオルはどこまで言おうか、まだ自分でも気軽に話せるようなものでもないと、少しばかり悩んで。簡単に説明するために、ゆっくりと口を開いた。
「その……、フォイさんは私を地獄のようなところから救い出してくれて……。私のことを気遣ってくれているだけで……。だから、恩人という言葉が正しい気がして……」
「ふーん……。あいつの過保護ぶりはそこからきているってことね……。一応、納得したわ」
ステラはあっさりと頷いてくれた。シオルの話したくないと思っている雰囲気を感じ取ってくれたのかもしれない。それ以上、その話に関しては首を突っ込んでくることはなかった。
だが、ステラの口はまだ開く。
「……けど、」
シオルは突如止まったステラの言葉に首を傾げる。
ステラはシオルに視線を向けて、真剣な表情で問いかける。
「あいつ、あんたにとって、本当にただの恩人なわけ?」
ステラのその言葉に、シオルは再度固まるのであった。
IV
「……何をしている」
いつの間にやら、フォイが戻ってきたらしい。どこか不機嫌そうに問いかける彼の視線は、ステラに向けられていて。険しそうな視線が彼女を鋭く指していた。
だが、ステラはその視線を受けてもまったく動じておらず。盛大にため息をついて、ついでとばかりに肩を落として見せた。
「先に言っておくけど、私は何もしていないわよ。その子が勝手に思い込んでいるだけ」
「……それを信用しろと」
「『仲間』だと言うのなら、少しぐらいは信用して欲しいところね」
ステラはハッキリと告げる。彼女の強気な性格は、フォイに対しても変わることがないらしい。怖いもの知らず、と言ったほうが正しいかもしれなかった。
だが、フォイはステラの言葉を聞いて沈黙した。どこか思うところがあったのかもしれない。だが、顔には「何を言っても無駄か」とバッチリ記載されていて。それでも、ステラにそれ以上何か言うことはなかった。
そして、ゆっくりとシオルへと歩み寄る。目の前まで来ると目線を合わせて、静かに問いかけた。
「シオル、大丈夫か」
「あ、はい」
「……シオル」
フォイが再度名前を呼ぶ。それは、どこか「ちゃんと言え」と催促されているようで。
シオルは慌てて言い直す。
「ほ、本当に、大丈夫です」
シオルがそう言えば、フォイはふむと頷いてから「そうか」と短く返すだけだった。
大丈夫なのは、本当……。けど、ステラさんの言葉、私にはよく分からなかったなあ……。
シオルがそう思っている中、知らぬ間に再開されたフォイとステラの言い合い。強く言い返す二人は、どうやら外の状況を共有しようとしたフォイへ、文句を言い始めたステラによって、火蓋が切って落とされたようだった。
シオルはその言い合いをぼんやりと眺める。
シオルがその答えに辿り着くまでには、まだ相当な時間がかかりそうなのであった。
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