スキル【爪】だが最強なんだぜ、俺は

色彩和

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第一〇章 満月の近づく時

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 Ⅰ

「へー、こんなに影響が出るとはねー」
「……うるさい」
 ニヤニヤと笑いながら嬉しそうに語るのはステラだ。自分の目の前で力無く言い返す人物を見ながら、人の悪い笑みを浮かべている。それは今までの憂さ晴らしでもするかのような表情であった。
 そして、力無く言い返しているのは、珍しくもフォイである。声に覇気がなく、しかも返答することすら精一杯と言ったところか。
 対して、その二人を見守りながらもオロオロとしているのはシオルだ。そう長くもない旅で、ようやく三人になって。それすらもまだ短い期間で。
 そんな中で、シオルは今まで共にしてきた中で初めて青年の弱々しい姿を目の前にしている。いつもは前を向いて強く進んでいく姿を追っていくだけだったが、正反対な姿を見て、シオルも動揺しているのだ。それに加えてステラが楽しそうなのを見て余計に慌ててしまっている。
 だが、フォイはシオルのことすらフォローできないほどに今追い込まれていた。

 明日、もう明日なのだ。明日は――満月。

 そう、フォイが恐れていた日が、近いのである。
 毎月一度は必ずある、月が満ちる日。そんなことは常に理解していて、自分のことだからこそ余計に痛いほど重々承知していることだった。
 だが、頭では理解していても、どれだけシミュレーションをしていても、どうしようもなく抗えない身体のだるさ。違和感しかない身体の異変。今まで感じなかった重りでもつけられているような重さに、動きを制限されて多少なりとも苛立ってしまう。
 フォイは普段ではありえないほどにぐでんとだらけきっていた。スライムもびっくりなほどにだらけきっている姿であった。椅子がわりにしていた岩にも座れないほど、地べたに座って壁に寄りかかって倒れないことだけを意識していた。
 力が入らない……、何度味わってもどうしようもなくなる……。本当に厄介なものだな。
 たった一日、されど一日。
 だが、その一日だけではなく、満月に近い前後の夜もフォイたち獣人は力が入らなくなる。余計に厄介だと常々思っていた。
 これが本来一人なら生命の危機が大きくなる。
 だからこそ獣人は皆、この自分たちが危機に陥る可能性が高い時を嫌っていた。フォイがいた森でも、獣人たちは皆満月になる夜に近づいてくると閉じこもるようになっていた。それまでにすべての準備を終わらせて閉じこもっても大丈夫なようにしておくのである。
 獣人の最大にして最悪の弱点。
 おそらく、獣人は皆そうだろうが、フォイはそのどうしようもできない弱点をさらけ出すことを特に嫌っていた。他人に自ら弱点をさらけ出すなど、余計に生命の危機に晒されるだけだ。だから、自分の弱点をさらけ出すことがないように、満月が近づいてくるにつれて人目につかないように気をつけていた。
 だが、今はそう言っていられる状況ではない。
 誰かと一緒にいる以上、いつかはその弱点を明かす必要がある。しかも、誰かと行動を共にするうえで、隠しておくことは難しくもなってくること。
 それも、だ。
 ……シオルが気にするだろうからな、何も言わないわけにはいかないだろう。
 フォイはそれを痛いほど理解していた。
 まだ短い期間しか一緒に旅をしていないが、それでもシオルが些細なことですら気にする者だということを知っていた。特に、フォイのこととなれば、余計に気を遣うだろう。
 それに、元々度の同行者にまで隠すことは気が引けていたことだ。だから、誰かと行動を共にすることになれば、いつかは自分の口から話さなくてはいけないと、理解して決意していた。少し前に多少のことは話したが、それ以外話すタイミングを掴めずに結局ここまで来てしまった。
 それは自分が悪いことは、重々承知している。できれば、自分が動けなくなる前に話しておきたかった、それは本当のことだった。
 ただ――。
 ……こいつにだけは知られたくなかった、というのもあって話せなかったのもあるんだがな。
 フォイは苛立つ頭でそう考え、目の前で高笑いしている少女を睨みつける。
 最近仲間になった少女にも、いつかは話せなくてはいけないことである、ということは理解していた。理解していたが、この生意気な少女に話すのはなんだか癪に思えて。
 まったく信用していないわけではない。少しずつだが、シオルと話す回数が増えてきているのも知っている。だから、いつかは話すつもりだった。
 だが、目の前で自分を見下ろして高笑いしている少女を見ていると、フォイの中で怒りを通り越して殺気が立ってくる。
 少女からしたら、自分を負かした相手が弱っていることがどうしても嬉しいのだろう。
 そんなことは少し考えれば、推測できる。
 なんと言っても、今も目の前で高笑いをしているのだ。フォイの推測は正しいのだろう。だが、たとえ推測がついたとしても、腹が立つものは腹が立つのだ。
 ……さっさと満月が終われば、この状況は終わるが。期間が決まっているとはいえ、やはり苛立つな。
 フォイは少女を射殺すつもりで睨みつける。
 だが、動けない状態のフォイが必死に睨みつけている様を見て、ステラの高笑いがさらに大きくなっただけであった。



 Ⅱ

「フォイさん、大丈夫……では、ないですよね」
 シオルはステラの高笑いの中、フォイの目の前でしゃがみこんで声をかけてくる。
 フォイは疲れ切った身体を落ち着かせるように、ついでに苛立ちを取り除くように一つ息をついて、重たい口を開いた。
「……すまない、シオル。しばらくはまともに動けもしない。時間が過ぎるのを、待つしかないからな……」
 すると、ステラがフォイの言葉を聞きながら口を開く。いまだにニヤついた表情はそのままだが、意外と言わんばかりの声音だった。
「それにしても、凶暴になるものだと思っていたのだけれど、そうではないのねー」
「残念」と次いで肩を落としたステラの表情は本気で残念がっているものだった。珍しいものでも見たかったと言わんばかりである。
 見世物のように思われていることに、フォイはイラッとする。苛立ちをぶつけるかのように、ステラへと言葉をぶつけた。
「……貴様が勘違いしているだけだろうが」
「はあ?    何よ、勘違いって」
 ステラが眉を潜めて、怪訝そうな顔で問いかけてくる。
 フォイは深く息をつく。口を開くことですら体力を消耗するように感じてしまう。あまり会話をしたいわけではなかったが、それでもこの少女の勘違いを訂正しておきたかった。少しだけ身じろいで、壁にもたれかかったまま、再度口を開いた。
「……貴様が言っているのは、おそらく『ワーウルフ』のことだろう」
 フォイはそう言って少女を睨みつけた。
 フォイは確かに狼の獣人だ。だが、狼の獣人であって、「ワーウルフ」とはわけが違うのである。
 つまり、だ。
「……ワーウルフは、満月を見て凶暴化するが、獣人である俺たちは違う。まず、俺がたまたま狼であるだけで、ワーウルフとは別物だ。その違いだろう」
「へー、そういうこと。一緒だと思っていたわ」
「貴様が無知なだけだろうが」
「なんですってえ!?」
 フォイはステラの言葉を無視して、瞳をゆっくりと閉じる。眠るわけでも、眠たいわけでもなかった。
 ただ、これだけの会話で普段は感じないほどの疲れを感じてしまったのだ。耳にはいまだにステラが騒ぐ声が痛いほど突き刺さってくるし、ステラを止めようとシオルが何かを告げている声も届く。
 だが、それを聞いていても止めることすら億劫に感じてしまって。フォイはただ瞳を閉じて、少しでも疲れが早くに抜けきることを願う。

 フォイが言うように、ワーウルフと獣人では歴とした違いがあった。
 ワーウルフは満月を見ると狼の凶暴な姿に変化し、人や家畜を襲う獣になってしまうと言われている。
 対する獣人は、フォイの言うように狼だけにとどまらない。フォイのように狼の獣人もいれば、犬や猫など別の獣人も存在している。様々な獣人が存在している中で、フォイはたまたま狼の獣人だったというだけであった。ただ、珍しいことに、白銀の狼であったが。
 つまり、ステラが口にした話は、ワーウルフのことを指すもの。
 フォイたち獣人のこととは話が違ってくるのである。
 ワーウルフは、満月を見れば力が増す。理性を失うというのもあるから、凶暴化するというのが正しい。
 獣人であるフォイたちは、満月によって弱体化する。月の引力などによってなのだろうが、獣人は昔から満月に弱かった。
 そのため、フォイがステラの話を聞いて「勘違い」と言うのは仕方のない話なのである。

 まあ、はっきり言ってしまえば、こいつとの会話は常から疲れるのだが……。
 フォイはステラと馬が合わないと思っていた。何度言っても直されない大きな声も、誰にでも勝てると思っている妙な自信家のところも、毎回言い合いに発展するほどには納得のいかないところだ。
 フォイも多少は腕に自信がある。そう簡単に負けるつもりはないし、旅を続けてきたからこそ自信がついているというのもある。
 だが、少女のなんの根拠もない自信のあるところを見ていると、無性に腹が立ってくるのだ。
 今までがただ上手くいっていただけだろうと。
 本当の壁にもぶつかっていない奴が偉そうに口を開くなと。
 だからこそ余計に言い合いに発展するのだろうが、それにしても毎回同じようなことを言い合っている気もする。
 シオルに対してはそんなこともないのだが、フォイはステラに対して言い方が強くなってしまっていた。先に述べた理由もあるのだろうが、シオルに対して気を遣わせるわけにもいかない、そう思っていることも一つの要因なのだろう。
 それにしても、とフォイは思う。
 たったあれだけの会話で、これほど疲れるとは……。
 今まで満月の時は、基本。会話をすることもなく、ただじっと過ごして。動けなくなる前に準備だけを念入りにして、それ以外は気配を消してその場に置物のように居座るだけであった。
 だというのに、共に行動をする仲間ができたことによって、余計に自分の弱点がどれだけ危険性の高いものなのかを痛感させられる。
 まったく、良かったのか、悪かったのか……。どちらにせよ、気が重いだけだな。
 フォイは瞳を伏せたまま、耳に届く少女の騒ぐ声をうるさいと思うことしかできないのであった。



 Ⅲ

 フォイが目を閉じたからなのか、シオルはそれを見て慌てていた。フォイのすぐ近くであわあわとしているのが空気を通して伝わってくる。
 ただ、今のフォイに安心させてやれるほどの余裕はなかった。
 もう少し、考えておくべきだったな……。
 自分でも配慮が足りなかったと、反省する。動けなくなる前に周囲はしっかりと確認してきて、危険が及ばないようにだけ気を配ってきたが、仲間内のことまでは気が回っていなかった。
 今まで一人で過ごしていた満月の時。満月の手前や満月が過ぎた直後まで影響が出てしまうことは理解していたというのに。
 仲間と過ごす、というのがここまで迷惑のかかるものだとは思っていなかった。
 ……そういえば、も慌てていたか。
 脳裏に過ぎるのは、一度だけあいつと過ごした満月の時のこと。普段と様子が違うフォイを見て、動揺しまくっていた姿。いつもは笑顔だったのに、その時は泣きそうな顔をしていて。「どうしよう」とずっと呟いていたのは、記憶に新しい。そして、それを耳にしていたフォイが思わず笑みを零してしまって、あいつに怒られたのも大切な思い出だ。
 それを思い出して、フォイは思わず口元を緩めてしまった。肩の力を抜いて、息を吐き出して。
 すると、微かに、だがきちんと問いかけてきたシオルの言葉がフォイの耳に届いた。
「あ、あの、フォイさん……。私の、魔法でどうにかすることは、できないのでしょうか……?」
 シオルはおずおずと尋ねてくる。彼女なりに考えた結果なのだろう。どうにかしたいと、自分ができることをしようと、それをフォイに提案してきたに違いない。
 だが、フォイはそれを聞いて小さく頭を振った。それから、ゆっくりと目を開いて、絞り出すように声を出す。
「……無理、だな」
「……っ!」
 シオルが泣きそうな顔をする。表情を歪めて、顔を俯かせてしまった。一瞬見えた瞳には、「どうしよう」という言葉がしっかりと記載されていた。
 フォイは眉を寄せる。普段ならもっと言い方も考えただろうし、すぐにフォローもできただろう。だが、それすら叶わなくて。
 罪悪感を抱きながら、フォイは長く息をついた。落ち着かせるように、そして少しだけ自分の言葉を長く言えるように。体力はあるはずなのに、気力が欠けているからか、口を開くまでに時間がかかる。それでも、フォイはゆっくりと口を開いた。
「……シオルが悪いわけではない、だから気にするな。これは、怪我をしているわけでもないし、何かしらの魔法に当たったわけでもない。ただ……、ただ俺の――獣人の体質の問題だ。……魔法でどうにかできる問題ではない。もし……、シオルが魔法をいくらかけたところで、身体にはなんの変化もないはずだ。身体自体は、何もないからな。傷も、異変も……。簡単に言えば、疲労を回復する、もしくは傷を癒すのとはわけが違う、ということだ」
 フォイはところどころ詰まりながらも、話し終えた。そして、一つ深く息をつく。疲れを吐き出すかのように疲れた息は、長く長くいつまでも吐き出されていきそうだった。
 身体が重い。少し話せば疲労が溜まっていく感覚すらある。すべてが面倒に思えてしまうほど、自分の身体がだるくて重くて仕方がなかった。
 壁にもたれかけていることすら、億劫だ。本来ならば寝転がりたいところである。
 だが――。
 それでは、きっとシオルが気にするだろうから。
 今のフォイの言葉ですら、おそらく気にしているだろう。「気にするな」、そう言ったところで気にしてしまうのがシオルだ。しかも、今はなんのフォローもできないほどに、意識が自分の身体の重さへと向けられてしまっている。普段ならもう少しまともな言葉が出てきそうであるのに、それすらも考えられないほどに自分が追い込まれているのがよく分かった。
 ちなみに、フォイの頭の中にステラのことは一切なかった。
 ただ、頭の中にあるのはシオルのこと。気にしすぎる少女のことしか頭になかった。
 シオルは悪くない、気にするな、その言葉を伝えたところで、彼女の中では納得しないだろう。
 おそらく、今ですら自分は役に立たないのだと、何もできないのだと、ひたすらに自分のことを追い込んでいるに違いない。
 その性格を、変えてやりたいとは思えど。
 シオルが長年味わってきた苦痛を、すぐに取り除けるわけがない。だからこそ、フォイもずっと気にしてフォローしてきたつもりだった。
 こんな、自分の月に一回ある満月ごときに邪魔をされたくないと、フォイは強く思っていた。
 せっかく、シオルが自分の意見を言えるほどにまでなってきたというのに……。俺の身体のことで、シオルが前に進もうとしているところを邪魔したくはない……。
 フォイは瞳を伏せてそう考える。そして、またゆっくりと開いて、自身のオッドアイでシオルを捉えて。
 そして、口を開くのであった。



 IV

 少女の名前を呼ぶ。
 すると、シオルはゆっくりと顔を上げた。心配しているような、どこか自分を追い込んでいるようなそんな表情で。
 フォイはそれを見て、息を整えてから少女へと頼みごとをする。
「……頼みが、ある」
「……っ!」
 シオルは予想していなかったようで、息を呑む。そして、こくりと頷きフォイの次の言葉をじっと待っていた。
 フォイはそれを見て、また重たい口を開いた。
「……二、三日ゆっくりしていれば、俺のこの状態は回復する」
「は、はい……?」
「――だから、俺のそばにいてくれ」
「……え」
 フォイの言葉に、シオルは目を瞬く。そして、言われたことをゆっくりと噛み砕いて理解して。
 言葉が零れたことすら気にすることなく、シオルは目を丸くした。
 フォイはさらに続ける。息が荒くなるのは疲れているからだ。それでも、ただ目の前の少女が自分を追い込まなくて良いようにと、言葉を紡いだ。
「……シオルに、何かあったら俺が困る。目の届くところにいてくれ。それが、シオルにして欲しいことだ」
「……それだけ、ですか?」
「……ああ」
「それは、その……」
 シオルが言い淀む。何を言おうとしているのかは分からなかった。
 だが、フォイは断言した。
「……それは、シオルにしかできないことだ。それに、シオルがそばにいるのなら、俺が安心できる。……頼まれて、くれるか」
 フォイがそう言えば、シオルは戸惑いながらも頷いた。

 それを見ていたステラが吐き捨てる。
「……ほんっと、嫌になるわー、この鈍感ども」
 だが、その言葉は誰の耳にも届くことなく、掻き消されるだけで終わってしまったのであった。
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