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17 ご主人様と少年従者
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郊外で馬車を降り、ひと気のない小路を歩く。
頭上では赤みを帯びた月が燦々と輝いていた。
「……今夜は満月ね」
私はそう呟いて、ルーファスの方を見上げる。
「人狼としては、やっぱりいつもと感覚が違ったりするのかしら」
「確かに、血が騒ぐような感覚はある。でも、自制できないわけじゃない。強いて言えば、能力が底上げされるような気がする、という程度のものだよ」
そういうものなのね。
私が持っている知識はあくまでも母が遺したもので、こうして本人から聞く情報には敵わない。
共闘するために、お互いにもう少し情報交換しておいた方が良さそうだ。
幸い時間はある。
馬車を降りてしばらく歩いたが、目的の修道院まではまだかかりそうだった。
「ちなみに――」
歩みを止めないまま、私は問いかける。
「魔女と魔物の『契約』について聞いておいてもいいかしら。今のところ積極的に契約を交わしたいわけではないのだけど、今夜窮地に陥ることはないとも言い切れないから」
「…………そうだな」
言葉を選ぶような間の後、ルーファスは唇を開いた。
「契約は、魔女と魔物の体液の交換で成立する」
「何か卑猥なことを言われた気がするわ」
一拍の間を置いて、ルーファスが目に見えて狼狽えた。
「違う! 断じて変な意味じゃないからな。魔物と約束を交わす時は血の盟約を交わすのが基本だ。でもそれは互いの情報を交換するためでもある。体液には魔力が宿るからな」
「なるほど。血液ではなくても良いということね。覚えておくわ」
ルーファスはなおも何か言いたげにしていたけれど、やがて諦めたようにため息をついた。
「答えを聞くのが怖いんだが、君は僕のことを全く男として見てくれていないのか?」
「どうして?」
「いや……いい。やっぱり答えないでくれ」
契約というと、私はどうしてもあのおとぎ話を思い出してしまう。
もし私が失敗すれば、行き着く先は周囲を巻き込んだ惨事になるのかもしれない。
何があってもそれは避けたい。
けれど……。
レッドキャップと対峙した時、私の今までのやり方では全く通用しなかった。
レッドキャップが吸収していた魔力の持ち主がオリー本人だった場合、私はやはり歯が立たないだろう。
あの時のことを思い出して、ぞくりと寒気を感じる。
どちらにせよ、私はやれることをやるだけだ。
この10年間、ずっとそうしてきた。
命の危険を感じたことも何度かある。
だから、今夜だって私にとっては日常の延長線上にあるものだ。
いつ命の終わりが来ても仕方がない。
両親の最期を思えば当たり前のことで、私はその諦念と共に人生を歩んできた。
――それなのに。
今夜は、なぜか妙な胸騒ぎがした。
「大丈夫か?」
「え……?」
唐突に聞かれて、私は思わず間の抜けた声を返してしまった。
不安を表情に出してしまったのだと気づき、ばつの悪いような気持ちになる。
しっかりしなくては。
今まで、私は一人でも平気だった。
この件に関しても、契約などせずとも済むはず。
「大丈夫よ。行きましょう」
◆
やがてたどり着いた修道院は、遠くから見ると崩れかけた廃墟だった。
建物の片側は壁を這うツタに呑み込まれかけている。
けれど近づくにつれて蝋燭の明かりが見えてくる。
ルーファスと私はすんなり修道院の入り口まで来ることができた。
受付などはない。
周囲に建物はなく、こんな場所までわざわざやってくるのはこのクラブの集会が目当ての人間だけだろう。
入り口のあたりに身を潜め、私たちは中を伺った。
開け放たれた大きな扉から、回廊が真っ直ぐ続いている。
その奥にある広間は礼拝堂らしい。
椅子が取り払われ、中央に大きな台のようなものがあるようだが、ここからはよく見えない。
代わりに、参加者たちがワインを片手にお喋りしているのが見えた。
修道院は壁や柱に傷が目立ち、老朽化が目立つ。
だがカーペットやカーテンは新品で、優美な装飾が施された燭台には火が灯され、荘厳な雰囲気を漂わせていた。
清浄な雰囲気のその一方で、肌がひりつくほどの違和感があった。
優雅にワイングラスを傾けたり、談笑したりしている参加者の全員が、揃って顔を隠している。
動物を模したマスクを付けた者や、薄布を顔の前に垂らした者もいた。
まるで人でありながら異形のものになりたがっているように見える。
ルーファス曰く、参加者たちの素性をなるべく隠そうとするのは、こういった怪しい社交クラブの常なのだそうだ。
以前誘われたオカルトマニアの集いもそうだったらしい。
かくいう私たちも、念のため目元を隠す簡素な仮面を被ってきている。
耳を澄ませると、入り口の近くにいた参加者たちの会話が聞こえてきた。
「彼はまだ来ないのか? 早く新作が見たい」
「今は最後の仕上げ中らしい。オリーが素晴らしい作品を仕上げるよう、我々もここで祈ろうではないか」
どうやらオリー本人はまだ来ていないらしい。
「ベラ、ここから何かわかるか? 実体化していない魔物については、僕より君の方が見えるだろう」
小声で促されて、目をつむる。
すると感覚が鋭くなって、目を開けている時よりも魔力をはっきりと見ることができた。
しばらく周囲を探ってから、また目を開く。
「……ここには何もいないわ。魔力の痕跡もない」
けれど、なんだろう。
何か違和感がある。
足元から、寒気がぞくぞくと這い上がっていくような。
「当てが外れたか。だが、オリーのことについて詳しく調べられるかもしれない」
その時、すぐ後ろから足音が聞こえてきた。
「ん? なんだ、見ない顔だな」
「……!」
おそらくこのクラブの常連なのだろう。
後ろ姿だけでルーファスのことが新参者だとわかるくらいには、この場のことをよく知っているらしい。
内心の動揺を押し隠し、ルーファスはマスクから出ている口元を緩くほころばせた。
「最近誘われたんですよ。以前コーヒーハウスでオリー氏と意気投合してね。もっとも、彼は酔っていたので僕のことを覚えているかわかりませんが」
「……そうだったのか。新しい参加者が増えることはいいことだ」
思っていたよりもあっさりと相手の警戒が解けたのは、ルーファスの堂々とした態度につられてのことだろう。
貴族らしい相手の男は、ルーファスの身なりや喋り方からだいたいの地位を察したのかもしれない。
「早くオリー氏にお目にかかりたいものです。彼の絵画は素晴らしい。ここ数日は眠れないほど、今夜のことを楽しみにしていたんですよ」
ルーファスが笑みを浮かべてすらすらと並べた言葉に、私は内心目を丸くした。
……ルーファスは嘘が下手な人だと思っていた。
おそらくそれは事実だ。
けれどそれでは伯爵の地位は務まらない。
彼はたぶん、必要があれば社交界でそつなく振る舞うこともできるのだろう。
私の前でそうしないのは、取り繕う必要がないと思っているから?
――いけない。
そこまで考えて、ふと我に返った。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
私は目の前の男へと注意を戻した。
「彼は今作品の仕上げに取りかかっているよ。あとで私たちに完成したばかりの作品を披露してくれる予定だ。さあ、君はこちらで私たちと芸術について話そうではないか。儀式の時間までもう少しある」
儀式、ということは、なんらかのオカルト的な集まりであることに違いないようだ。
ルーファスと一緒についていこうとすると、こちらを振り返った男に止められた。
「悪いが、使用人は連れて入れない。外で待たせてくれ。特に子供などを入れたら、中に飾ってある絵画に傷をつけられかねんからな」
厳めしい顔で言われた。子供というのは私のことらしい。
扱いに不満はあるけれど、従者見習いの少年の格好では反論もできない。
私は黙って礼をし、一歩後ろに下がった。
ちらりとこちらを見たルーファスに、私は大丈夫だという意味を込めて頷く。
考えようによっては私たちにとって都合のいい展開だった。
『主人を待って退屈している従者の少年』といったていで周辺をうろつけるのであれば、私も外から修道院を探ることができる。
なおも心配そうな視線でこちらを見つめるルーファスに、男がニヤリと妙な笑みを浮かべた。
「なるほど。君はこの従者の少年を寵愛しているということか」
「ち、寵愛!?」
ルーファスが裏返った声で聞き返す。
あらぬ誤解を受けてしまった。
「いえ、そういうわけでは……いや、そう、なのでしょうか?」
ルーファスの目が泳ぎまくっている。
さっきまでの余裕のあるそぶりが嘘のようだった。
男は笑ってルーファスの肩を叩く。
「いや隠すことはないよ。すべての不道徳には美が潜んでいる。この少年も、仮面から覗くかんばせはあどけない顔をしているようだが――」
今度は私の方へと手が伸ばされる。
ルーファスが何かを言う前に、私はとっさに身を引いてその手を避けた。
「申し訳ございません。自分以外に触れることを許すなと、主から言いつけられております」
「なっ……!」
礼儀正しくお辞儀をすれば、一瞬むっとした顔をしていた男も口調を和らげた。
「はは、これはよく躾けられているな」
「……申し訳ありません」
ルーファスの声音には、私に対する呆れと安堵が含まれている。
仮に私が身を引かなかったとしたら、きっともっとややこしいことになっていたと思うのだけど……。
ルーファスは一瞬、男の手を掴んで止めるような動きを見せた。
少なくともルーファスについては問題なく中に招き入れてもらえそうな今、彼が友好的な態度を崩すわけにはいかない。
「では、こちらへ来るといい。新入りを案内しようじゃないか」
「ぜひお願いします」
ルーファスは気を取り直したように頷いてから、私を見下ろした。
「……僕を待つあいだ、あまり悪戯はしないように」
自分が帰って来るまで無理はするな、ということだろう。
「はい。良い子で待っています、ご主人様」
しれっとそう答えた私に苦い顔をしてから、ルーファスは今度こそ男と一緒に修道院の中に入っていった。
……さて。
一人になった私は周囲を見回した。
この修道院は、ロンドンの郊外――ちょっとした林を抜けた先にあり、あたりに他の建物や人の気配はない。
修道院について近所の住民に聞いてみる、などということもできなさそうだ。
念のため、建物の周囲を探ってみることにした。
何かの痕跡が見つかるかもしれない。
建物をぐるりとまわると、やがて修道院の裏口らしき場所にたどり着いた。
傍らには地下へと続く階段がある。
構造からいって、教会関係者の控室として使われていた場所だろうか。
そこを通り過ぎようとしたその時――
「あ……」
私は階段に仄かに光る魔力の痕跡を見つけた。
目を閉じてもっとよく見ようと試みてみる。
まぶたの裏に、赤く禍々しい魔力の痕跡が見えた。あの男が纏っていたものと似ている。
――ここに何かがある。
ルーファスが戻ってくるのを待つべきだろうか。
私はしばし考えた。
さっきの男が言っていたことが本当なら、今オリーはここではなくアトリエにいるはずだ。
なら、今を逃せばこのドアの先を探るチャンスはなくなるのかもしれない。
周囲を警戒しながら階段を下り、ドアの前に立つ。
少しだけこの向こうの様子を探ってみよう。
せめて、中から何か聞こえないかだけでも……。
目を瞑って感覚を研ぎ澄ます。
ドアの向こうに続く魔力を辿ることに集中していると――
「あれぇ? アトリエには近づくなって言ったよな」
声は突然後ろから聞こえた。
薬草酒の甘ったるい香りが鼻先を掠める。
――この声は、どこかで。
振り向く前に後頭部に衝撃が走った。
「参加者が何もわからない使用人を連れてきちゃったのかなぁ。気分転換にちょっと外に出たらこれだ」
ぐらぐらとする視界の中、私は集中しすぎたことを悔いた。
目を閉じて、目に見えない世界のことを追いすぎると、現実が遠くなる。
気が急いていたせいで初歩的なミスをしてしまった。
「でも、ちょうどいい。グレイスのやつ、すっかり怖じ気づいてたからな。この際、お前でいいか」
私の目元を覆っていた仮面が乱暴に剥ぎ取られる。
見覚えのある男が私の顔を覗き込み、ふっと笑った。
「男だってのは気に食わないけど。あいつが好みそうな顔をしてる」
視界が暗くなる。
意識が途切れる寸前、蔑むようにこちらを見下ろすオリーの冷たい瞳を見た。
頭上では赤みを帯びた月が燦々と輝いていた。
「……今夜は満月ね」
私はそう呟いて、ルーファスの方を見上げる。
「人狼としては、やっぱりいつもと感覚が違ったりするのかしら」
「確かに、血が騒ぐような感覚はある。でも、自制できないわけじゃない。強いて言えば、能力が底上げされるような気がする、という程度のものだよ」
そういうものなのね。
私が持っている知識はあくまでも母が遺したもので、こうして本人から聞く情報には敵わない。
共闘するために、お互いにもう少し情報交換しておいた方が良さそうだ。
幸い時間はある。
馬車を降りてしばらく歩いたが、目的の修道院まではまだかかりそうだった。
「ちなみに――」
歩みを止めないまま、私は問いかける。
「魔女と魔物の『契約』について聞いておいてもいいかしら。今のところ積極的に契約を交わしたいわけではないのだけど、今夜窮地に陥ることはないとも言い切れないから」
「…………そうだな」
言葉を選ぶような間の後、ルーファスは唇を開いた。
「契約は、魔女と魔物の体液の交換で成立する」
「何か卑猥なことを言われた気がするわ」
一拍の間を置いて、ルーファスが目に見えて狼狽えた。
「違う! 断じて変な意味じゃないからな。魔物と約束を交わす時は血の盟約を交わすのが基本だ。でもそれは互いの情報を交換するためでもある。体液には魔力が宿るからな」
「なるほど。血液ではなくても良いということね。覚えておくわ」
ルーファスはなおも何か言いたげにしていたけれど、やがて諦めたようにため息をついた。
「答えを聞くのが怖いんだが、君は僕のことを全く男として見てくれていないのか?」
「どうして?」
「いや……いい。やっぱり答えないでくれ」
契約というと、私はどうしてもあのおとぎ話を思い出してしまう。
もし私が失敗すれば、行き着く先は周囲を巻き込んだ惨事になるのかもしれない。
何があってもそれは避けたい。
けれど……。
レッドキャップと対峙した時、私の今までのやり方では全く通用しなかった。
レッドキャップが吸収していた魔力の持ち主がオリー本人だった場合、私はやはり歯が立たないだろう。
あの時のことを思い出して、ぞくりと寒気を感じる。
どちらにせよ、私はやれることをやるだけだ。
この10年間、ずっとそうしてきた。
命の危険を感じたことも何度かある。
だから、今夜だって私にとっては日常の延長線上にあるものだ。
いつ命の終わりが来ても仕方がない。
両親の最期を思えば当たり前のことで、私はその諦念と共に人生を歩んできた。
――それなのに。
今夜は、なぜか妙な胸騒ぎがした。
「大丈夫か?」
「え……?」
唐突に聞かれて、私は思わず間の抜けた声を返してしまった。
不安を表情に出してしまったのだと気づき、ばつの悪いような気持ちになる。
しっかりしなくては。
今まで、私は一人でも平気だった。
この件に関しても、契約などせずとも済むはず。
「大丈夫よ。行きましょう」
◆
やがてたどり着いた修道院は、遠くから見ると崩れかけた廃墟だった。
建物の片側は壁を這うツタに呑み込まれかけている。
けれど近づくにつれて蝋燭の明かりが見えてくる。
ルーファスと私はすんなり修道院の入り口まで来ることができた。
受付などはない。
周囲に建物はなく、こんな場所までわざわざやってくるのはこのクラブの集会が目当ての人間だけだろう。
入り口のあたりに身を潜め、私たちは中を伺った。
開け放たれた大きな扉から、回廊が真っ直ぐ続いている。
その奥にある広間は礼拝堂らしい。
椅子が取り払われ、中央に大きな台のようなものがあるようだが、ここからはよく見えない。
代わりに、参加者たちがワインを片手にお喋りしているのが見えた。
修道院は壁や柱に傷が目立ち、老朽化が目立つ。
だがカーペットやカーテンは新品で、優美な装飾が施された燭台には火が灯され、荘厳な雰囲気を漂わせていた。
清浄な雰囲気のその一方で、肌がひりつくほどの違和感があった。
優雅にワイングラスを傾けたり、談笑したりしている参加者の全員が、揃って顔を隠している。
動物を模したマスクを付けた者や、薄布を顔の前に垂らした者もいた。
まるで人でありながら異形のものになりたがっているように見える。
ルーファス曰く、参加者たちの素性をなるべく隠そうとするのは、こういった怪しい社交クラブの常なのだそうだ。
以前誘われたオカルトマニアの集いもそうだったらしい。
かくいう私たちも、念のため目元を隠す簡素な仮面を被ってきている。
耳を澄ませると、入り口の近くにいた参加者たちの会話が聞こえてきた。
「彼はまだ来ないのか? 早く新作が見たい」
「今は最後の仕上げ中らしい。オリーが素晴らしい作品を仕上げるよう、我々もここで祈ろうではないか」
どうやらオリー本人はまだ来ていないらしい。
「ベラ、ここから何かわかるか? 実体化していない魔物については、僕より君の方が見えるだろう」
小声で促されて、目をつむる。
すると感覚が鋭くなって、目を開けている時よりも魔力をはっきりと見ることができた。
しばらく周囲を探ってから、また目を開く。
「……ここには何もいないわ。魔力の痕跡もない」
けれど、なんだろう。
何か違和感がある。
足元から、寒気がぞくぞくと這い上がっていくような。
「当てが外れたか。だが、オリーのことについて詳しく調べられるかもしれない」
その時、すぐ後ろから足音が聞こえてきた。
「ん? なんだ、見ない顔だな」
「……!」
おそらくこのクラブの常連なのだろう。
後ろ姿だけでルーファスのことが新参者だとわかるくらいには、この場のことをよく知っているらしい。
内心の動揺を押し隠し、ルーファスはマスクから出ている口元を緩くほころばせた。
「最近誘われたんですよ。以前コーヒーハウスでオリー氏と意気投合してね。もっとも、彼は酔っていたので僕のことを覚えているかわかりませんが」
「……そうだったのか。新しい参加者が増えることはいいことだ」
思っていたよりもあっさりと相手の警戒が解けたのは、ルーファスの堂々とした態度につられてのことだろう。
貴族らしい相手の男は、ルーファスの身なりや喋り方からだいたいの地位を察したのかもしれない。
「早くオリー氏にお目にかかりたいものです。彼の絵画は素晴らしい。ここ数日は眠れないほど、今夜のことを楽しみにしていたんですよ」
ルーファスが笑みを浮かべてすらすらと並べた言葉に、私は内心目を丸くした。
……ルーファスは嘘が下手な人だと思っていた。
おそらくそれは事実だ。
けれどそれでは伯爵の地位は務まらない。
彼はたぶん、必要があれば社交界でそつなく振る舞うこともできるのだろう。
私の前でそうしないのは、取り繕う必要がないと思っているから?
――いけない。
そこまで考えて、ふと我に返った。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
私は目の前の男へと注意を戻した。
「彼は今作品の仕上げに取りかかっているよ。あとで私たちに完成したばかりの作品を披露してくれる予定だ。さあ、君はこちらで私たちと芸術について話そうではないか。儀式の時間までもう少しある」
儀式、ということは、なんらかのオカルト的な集まりであることに違いないようだ。
ルーファスと一緒についていこうとすると、こちらを振り返った男に止められた。
「悪いが、使用人は連れて入れない。外で待たせてくれ。特に子供などを入れたら、中に飾ってある絵画に傷をつけられかねんからな」
厳めしい顔で言われた。子供というのは私のことらしい。
扱いに不満はあるけれど、従者見習いの少年の格好では反論もできない。
私は黙って礼をし、一歩後ろに下がった。
ちらりとこちらを見たルーファスに、私は大丈夫だという意味を込めて頷く。
考えようによっては私たちにとって都合のいい展開だった。
『主人を待って退屈している従者の少年』といったていで周辺をうろつけるのであれば、私も外から修道院を探ることができる。
なおも心配そうな視線でこちらを見つめるルーファスに、男がニヤリと妙な笑みを浮かべた。
「なるほど。君はこの従者の少年を寵愛しているということか」
「ち、寵愛!?」
ルーファスが裏返った声で聞き返す。
あらぬ誤解を受けてしまった。
「いえ、そういうわけでは……いや、そう、なのでしょうか?」
ルーファスの目が泳ぎまくっている。
さっきまでの余裕のあるそぶりが嘘のようだった。
男は笑ってルーファスの肩を叩く。
「いや隠すことはないよ。すべての不道徳には美が潜んでいる。この少年も、仮面から覗くかんばせはあどけない顔をしているようだが――」
今度は私の方へと手が伸ばされる。
ルーファスが何かを言う前に、私はとっさに身を引いてその手を避けた。
「申し訳ございません。自分以外に触れることを許すなと、主から言いつけられております」
「なっ……!」
礼儀正しくお辞儀をすれば、一瞬むっとした顔をしていた男も口調を和らげた。
「はは、これはよく躾けられているな」
「……申し訳ありません」
ルーファスの声音には、私に対する呆れと安堵が含まれている。
仮に私が身を引かなかったとしたら、きっともっとややこしいことになっていたと思うのだけど……。
ルーファスは一瞬、男の手を掴んで止めるような動きを見せた。
少なくともルーファスについては問題なく中に招き入れてもらえそうな今、彼が友好的な態度を崩すわけにはいかない。
「では、こちらへ来るといい。新入りを案内しようじゃないか」
「ぜひお願いします」
ルーファスは気を取り直したように頷いてから、私を見下ろした。
「……僕を待つあいだ、あまり悪戯はしないように」
自分が帰って来るまで無理はするな、ということだろう。
「はい。良い子で待っています、ご主人様」
しれっとそう答えた私に苦い顔をしてから、ルーファスは今度こそ男と一緒に修道院の中に入っていった。
……さて。
一人になった私は周囲を見回した。
この修道院は、ロンドンの郊外――ちょっとした林を抜けた先にあり、あたりに他の建物や人の気配はない。
修道院について近所の住民に聞いてみる、などということもできなさそうだ。
念のため、建物の周囲を探ってみることにした。
何かの痕跡が見つかるかもしれない。
建物をぐるりとまわると、やがて修道院の裏口らしき場所にたどり着いた。
傍らには地下へと続く階段がある。
構造からいって、教会関係者の控室として使われていた場所だろうか。
そこを通り過ぎようとしたその時――
「あ……」
私は階段に仄かに光る魔力の痕跡を見つけた。
目を閉じてもっとよく見ようと試みてみる。
まぶたの裏に、赤く禍々しい魔力の痕跡が見えた。あの男が纏っていたものと似ている。
――ここに何かがある。
ルーファスが戻ってくるのを待つべきだろうか。
私はしばし考えた。
さっきの男が言っていたことが本当なら、今オリーはここではなくアトリエにいるはずだ。
なら、今を逃せばこのドアの先を探るチャンスはなくなるのかもしれない。
周囲を警戒しながら階段を下り、ドアの前に立つ。
少しだけこの向こうの様子を探ってみよう。
せめて、中から何か聞こえないかだけでも……。
目を瞑って感覚を研ぎ澄ます。
ドアの向こうに続く魔力を辿ることに集中していると――
「あれぇ? アトリエには近づくなって言ったよな」
声は突然後ろから聞こえた。
薬草酒の甘ったるい香りが鼻先を掠める。
――この声は、どこかで。
振り向く前に後頭部に衝撃が走った。
「参加者が何もわからない使用人を連れてきちゃったのかなぁ。気分転換にちょっと外に出たらこれだ」
ぐらぐらとする視界の中、私は集中しすぎたことを悔いた。
目を閉じて、目に見えない世界のことを追いすぎると、現実が遠くなる。
気が急いていたせいで初歩的なミスをしてしまった。
「でも、ちょうどいい。グレイスのやつ、すっかり怖じ気づいてたからな。この際、お前でいいか」
私の目元を覆っていた仮面が乱暴に剥ぎ取られる。
見覚えのある男が私の顔を覗き込み、ふっと笑った。
「男だってのは気に食わないけど。あいつが好みそうな顔をしてる」
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真木
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