KreuzFeuers Zwielicht(クロイツフォイエル・ツヴィーリヒト)

比良沼

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第一章

Report.006:皇帝陛下と母上

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 広さにして三十畳ほどの広さがある部屋に、一人の男が立っている。
 床にはい草の香りがする真新しい畳が敷き詰められており、壁には一面、和箪笥が並んでいる。反対側の壁には一面、高価な甲冑や木像などが所狭しと並んで置かれているが、その配置には少し首を傾げたくなるほどセンスがなく、ただ並べてあるだけ、といった雰囲気がする。
 その左右、廊下に面している壁には、全て障子でできた引き戸が備え付けられており、片側からは陽光が差し込み、部屋全体を明るく照らしていた。
「うん、こんなもんかな」
 その男は、部屋の片隅に置いてある姿鏡を覗き、服装をチェックしながら、大して面白くもなさそうに、そう言った。
「よくお似合いです、陛下」
 脇に傅いているひとりの女性は、男に対して恭しく答える。
 陛下と呼ばれたその男性は、その言葉に軽く首を縦に振った。
 年の頃は十六。身長は百七十センチ前後と目立って高くもなく、体格も中肉中背。やや優男風の美形という面持ちを除けば、別段これといって特徴の無い、ただの若者である。勿論、普通の「ヒト」だ。
 但し、先ほどの呼称の通り、この男は、この大天鷹帝国の最高権力者にして第百五十八代皇帝「嵯峨座頭鳳嶺(さがのざずのほうれい)」その人である。
 六年前、国土統一戦争の末期に前皇帝が急逝し、その後に起こった僅か半月の権力争いに勝利して、第六子ながら皇帝の座にまで登りつめた人物だ。その内紛は苛烈を極めたと云われているが、当の本人にその様は覇気は微塵も感じられない。
「今日の予定はどうなってるかな……?」
 鳳嶺が手を脇へ出すと、仕えていた女性が、すぐさまタブレット端末を差し出した。
「うーんと、十時から御前会議、十一時四十五分から国営放送で明日の放送の録画、十二時三十五分から連合の国務長官と昼食会、それから……確認はもういいかな……」
 予定表をスワイプして確認していたが、途中で諦めた。これから夜中まで分単位で予定が組まれているため、全体に軽く目を通しておいて、後は周りの人間に任せたほうが、効率的だと判断したからだ。
 タブレット端末の端に表示されている時間に目を送ると、午前九時三八分と表示されている。そろそろ、各大臣が御前会議出席のため、集結しているところだろう。
「それじゃ、そろそろ出るよ」
 鳳嶺がそう言って、タブレット端末を脇に抱えたまま部屋を出ようとしたその時、障子の外から慌ただしい足音が飛び込んできた。次いで、人影が映り、その場で傅く。
「申し上げます。内務省治安維持局より、火急の知らせが入りました」
 この声にはしっかりと覚えがある。侍従長の佐渡森保(さわたりもりやす)だ。彼自らが来たということは、かなりの急場なのだろう。こういう場は偶に会うが、性格からなのか、どうも慣れることが出来ない。
 鳳嶺は一瞬、戸惑った顔を浮かべるが、その動揺をすぐに飲み込むと、その場に立ったまま声を上げた。
「どうした、騒々しい。入って」
 その声と同時に障子が音を立てずに開き、想像通り、そこに森保が片膝を落として傅いていた。

「これは……どういうこと? 何か意味が……?」
 鳳嶺は森保の持ってきた紙片に目を通すと、不思議そうな顔をして尋ねた。
「私どもでは判断の致しかねることでありますが……緊急事態であることは、内容から考えますに、その通りの文面かと……」
 森保はいつもの口調だが、息の上がった声で、そう答えた。森保も今年で齢七十を超える。ここまで走ってきたため、体力が持たなかったのだろう。
「僕では分かりかねるな……母上に相談しようか」
 自分自身では内容に意味が見出せない。鳳嶺はそのように判断すると、ズボンのポケットからスマホを取り出した。こういう時のために、強いプロテクトが掛かった通話アプリを開発しておいたのだ。
 情報というものは、それを読み取る人間がいて、初めて意味を成す。いくら良い情報でも、それの真意を汲み取れなければ、ただのデータに成り下がってしまう。鳳嶺は、いつもそう教えられて育ってきたため、瞬時にそのことが判断できた。頼るべきは、その情報の真意が把握できる人物であり、鳳嶺の母はその人物そのものなのだ。
 スマホをタップして数秒。
『ジャンジャカジャーン! ジャンジャカジャーン!』
 突然、外の廊下からハードメタルの音楽が鳴り響いた。
「あ、母上!」
 鳳嶺はその音を聞くやいなや、突然廊下に飛び出した。この曲は聞き覚えがある。鳳嶺が「母上」と呼ぶ相手が好んで聞いていたバンドの曲だったからだ。
「……ん? 何だ? 朝から五月蝿いな」
 その声に対し、廊下から女性の声が答える。
 鳳嶺が飛び出した廊下には、ひとりの女性、白エルフの姿があった。身長は百六十センチ程だろうか。背中まで伸びたプラチナブロンドの髪に、そこから生える細長い耳。大きな深青の瞳、透き通るような白い肌に華奢な身体。服装は平凡なビジネススーツ。
 第一印象で言えば、大人しそうな雰囲気なのだが、態度と口調がそれとは真逆を表していた。皇帝陛下の御前だというのに、実に尊大だ。
「母上、この紙なのですが、読んでいただけますか?」
 その女性の名は、別朱居玲音(べっしゅいれいね)。内務大臣にして現皇帝陛下である鳳嶺の養母である。
 基本的にエルフなどの精霊とヒトとの間に、子は成されない。ヒトとエルフとは別個の種であり、たとえ仮に交わったとしても、その間に子が生まれたといった報告は、今のところなされていない。
 何故、このような回りくどい表現になるかと云えば、生理的には他生命体の一種であるエルフとヒトとの間には科学的に子が出来るはずがないのだが、そこは双方ともに知的生命体である。禁断の恋だの隠し子だのといった御伽話やドラマが昔から散見される上に、ヒト以外の精霊もヒト社会に溶け込んでいる。そこで敢えてその事を否定しようと云った意見は「人権侵害だ」とみなされ、社会的に否定されてしまうのだ。
 よって、居玲音と鳳嶺の間に血の繋がりは無く、居玲音は鳳嶺の養母であることに、間違いはない。しかし、鳳嶺にとって、居玲音は生まれた時から側にいる女性であり、親子の関係はもう十数年になる。さらに言えば、鳳嶺の実母は既にこの世に存在しない。鳳嶺にとって、居玲音は間違いなく「母」なのだ。
「僕では、意味が分からないのです。母上ならお分かりになられるかと思って」
 鳳嶺の差し出した紙片を居玲音は面倒くさそうに引っ手繰ると、軽く一瞥した。
「ふん、そんなことも分からんか。口に出して読んでみろ」
 居玲音はじろりと鳳嶺を目で舐め回すと、吐き捨てるように言う。
「は、はい……えっと「駐帝神聖貴竜王国大使公邸に人影無し」です……」
 その言葉に少し押された風で、鳳嶺は答えた。
 そんな様子を少しだけ下目遣いに見た居玲音は、軽く溜息をつくと、胸の内側のポケットからスマホを取り出した。
「よく考えて結論を出せ……と言いたいが、今回は特別だ。答えは「至急、大使を指名手配する」だ。皇帝の了承が必要だな。くれ」
 やや早口に、そう告げる。
 他国の大使を指名手配するとなると、帝国議会できちんと議論をして、その国とも根回しを行った上でなければ、国際問題になってしまう。大使という立場は、その国の主権そのものを表しているため、それを他国が踏みにじってはならないのだ。
 この場合、内務大臣の立場である居玲音から皇帝へ進言があり、それに皇帝が答えた、と云う形を取る。そのため、皇帝の絶対的な命令である「勅令」とは異なる性質のものだ。
 勅令とは、あらゆる法律の上位に立つ命令であり、あまりにも強力な権限であるため乱用は出来ないが、臣下からの進言に応じると言う形であれば勅令とは云えず、その様な問題も発生しない。
「母上がそう仰られるのでしたら許可しますが……何故ですか?」
 居玲音は、不思議そうな顔をする鳳嶺の問いには答えず、手にしているスマホをタップしながら、ひとりごとのように呟いた。
「大使が逃げた、ということだ。王国とは軋轢があるからな。何か悪い予感がする。早急に捕まえて、本国へ何を打診したのか聞き出さないとならん。捨て駒を使うぞ。陸軍副大臣を収賄の容疑で逮捕する。これも許可が必要だな。くれ」
 最後の一言で、ようやっと居玲音は鳳嶺へ顔を向けた。
 そして、一瞬だけ、時間が流れる。
「……おい、そんな情けない顔をするな。私はお前をそんなふうに育てた覚えはないぞ。もう十六だろ、成人まで後四年だが、それまでずっとこの母の判断を仰ぐつもりか?」
 少し溜息をついて、鳳嶺を見た。
「母上……僕も勉学に励んではおりますが、まだ母上のように経験を積んでおりません。もっと、色々と教えて下さい。あ、さっきの許可ですが、それは出します」
 その目線に、頼りなさそうな声で応じる鳳嶺。
 居玲音の政治手腕は、時に強引に、時に柔和に、様々な変化を遂げる。経験から裏打ちされた隙のないその手法に、過去の政治家たちは、皆、屈服させられてきた。ここ最近はあまり大きな動きはしないが、彼女が動けば国が動くとさえも言われている。
 それもそのはず、別朱居玲音の名は、帝国開闢以来、六百年以上に渡って、途切れることなく続いているのだ。
 見た目の「幼さの残る大人しそうな白エルフ女」に騙された人間は数知れず。歴史の闇に飲まれていき、その存在は居玲音の頭の中にだけに残っている。そんな政治家や英雄も少なくはない。だが、実際のところは記録が残っていないため、彼等の存在は居玲音のみぞ知る、である。
「許可はもらったぞ。講義は後だ」
 居玲音はそう言うと、スマホを数度タップしてから、画面を穂長耳のつけ根に当てた。
「……ああ、私だ。局員を直ぐに動かして欲しい。王国の大使館員全員を逮捕しろ。大使も含めて、だ。皇帝の許可はさっき取った……何? 罪状? ……そうだな、「陸軍副大臣への贈賄の容疑」これで行う。マスコミにはそう発表しておけ。奴らは変化の魔法を使うが、質量までは変えられん。ヒトに化けてもそこで見分けがつく。対処に当たる局員にはそう伝えておけ。国から出る前に必ず抑えろ。では、任せたぞ」
 鳳嶺に背を向けながら、電話先へそう言うと、一方的に通話を切ってしまった。
「あの、母上。どちらへ電話を?」
「内務省情報局、私の直接の部下へだ。大使へは警察を動かせないからな。情報局員を使うことにした。収賄になる副大臣については知ってるな? 不測に事態に備えての捨て駒だ。決められた経路を逃走し、決められた方法で逮捕され、決められた時間だけ裁判を長引かせ、決められた牢屋に、決められた時間だけ入ってもらう。それが奴らの仕事だ。他にも何人もいるから、心配するな。当人らも了承済みだ。丁重に扱うことになっている」
 居玲音はやや早口で、鳳嶺の問いに応えるついでに、少しだけ解説をつける。
 鳳嶺はぽかんとした表情で、それを聞いた。皇帝の地位にいてはいるが、まだ政治経験は十年ほど。しかも、重要な政治決定の場では、いつも居玲音を頼ってしまっている。解説を付けてもらわなければ、概要の理解すら出来ないのだ。
「それで、母上。この後どうなるのですか?」
「それだがな。ひょっとすると、大事になるやもしれん」
 居玲音は、小さな顎に手を当てて、少し考えを巡らせた。
「第七七から百一予備役へ招集をかけた方が良いな。準備が整い次第、陸海空の正規軍へ編入しよう。陸軍の第六から二二師団へ全日の準戦闘態勢。それと空軍と海軍の訓練回数を増やすべきか……」
 軍を動かすと云う言葉に、鳳嶺は戦慄した。幼少の頃の戦争体験が、どうしても恐怖を思い起こさせてしまう。
「ん? ああ、そんな心配そうな顔をするな。戦争が起こるのでは、と思ったのだろう? 軍を動かして戦争を起こさせない。それも政治のやり方だ。……矛盾しているように感じるか?」
 居玲音のほうが少し背が小さいため、鳳嶺を見上げるような形になる。
「お前は、いちいち感情が顔に出る。悪い癖だ。治すよう、努力しろ」
 少し微笑んだような、子を諭すような声色で、そう言った。
「取り敢えずは、御前会議を三十分、延期させろ。対策を考える。お前も一緒に考えるんだ」
 そう言うと、居玲音は鳳嶺の手を掴み、グイグイと引っ張っていった。
「ちょ、ちょっと母上、お待ち下さい! 引っ張らなくても行きますから! 森保、後はお願い!」
 ズルズルと引っ張って行かれる形になった鳳嶺は、侍従長の名を呼び、そう叫ぶ。
 そんな皇帝陛下に対し、森保は深々と一礼をした。
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