ヤンデレホイホイ貧乏苦学生物語

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第2章 バッドエンド回避RTA

23 舞踏会の秘密② ※微流血表現

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 埃と黴のじっとりとした匂いがこもった、湿度の高いいやに蒸し暑い部屋だった。
 閉じられたカーテンは厚く、日の光はちっとも差し込まない。
 真っ暗な部屋は夜を錯覚させた。

 暗闇に目が慣れた頃、鏡越しのカンネンと目が合った。
 焦点のあっていない、ぐるぐるとした目だ。
 ぼんやりとした少女たちの、自我のない目つきに似ていた。

「カンネン……?」
「石を割って逃げろ」

 能面のようにのっぺりとした顔。温度のない声。
 それは鏡の向こう側から響いたように聞こえた。

 平生の意志の強い真っ直ぐな目が、それが過ぎて歪むかのように、ぐにゃりと輪郭を崩して溶ける。
 カンネンの目は何かに耐えるようにきつく閉じられて、額に浮かぶ青い血管が意志を持った別の生き物のように痙攣するのが薄暗い鏡の世界の中で見えた。

「石って……? カンネン、頭が痛むんですか?」

 鏡から目を逸らし、鏡台の前に立つカンネンの背に近づいた。

 カンネンの背中に手を伸ばした瞬間、ボーン、ボーンと低く空気を震わせる大きな音がして、耳に教えられるまま目を向ければ、それが壁にかけられた時計によるものだと知った。

「消灯だ! 寝ろ!」

 頬が熱い、と思った瞬間にはすでに張り飛ばされて、身体が浮いていた。
 幸いにも受け身を取った先はベッドの上で、かたいシーツの上で背中を打ちつけただけだった。
 しかし頬を張られた音とベッドに打ちつけられた音はこの部屋の静寂を割くような不自然さがあった。

 ベッドにカンネンが乗り上げる。
 胸ぐらを掴んで目を合わせて、カンネンは「寝たか」と問う。
 こんなにも目が合っているのに寝たかどうか分からないだろうか。
 この状態で「寝ました」とか言ったらどうなるんだ。
 というか今は思いっきり昼間だが。

 僕たちは静寂に包まれた暗い部屋の中で見つめ合った。息を吸い込むたびに、黴臭い湿度が喉を、気道を、肺を犯すようだった。

 陽光の差さない閉じられた部屋で、カンネンの輪郭は朧に見えた。

「バタバタと喧しいことだ。何を騒いでいる」

 その時、扉が開いた。
 入室したその人はすぐに部屋の灯りをつけた。
 白く視界が光って暗い部屋が一瞬間反転するが、光は徐々に弱まり申し訳程度の灯りに落ち着いた。部屋はぼんやりとした橙色に包まれ薄暗い。

 神経質に歪められた眉。眉間に深く刻まれた皺。
 縦に高い体躯。生真面目そうな強い眼差し。皺ひとつないかっちりと着込まれた燕尾服。

 カンネンが二十年歳を取ったらこのような仕上がりになるのではなかろうか。
 ただし妙に青白い死人に近い顔色を除いて、だ。
 名家の当主ともなるとやはり激務なのだろうか。
 頬は窪み、痩せ気味の感がある。病気をしているかもしれない。

「貴様にそのような趣味はないと思っていたが」
「お見苦しいところを、失礼しました……父上」

 カンネンの、お父様……!

 ご挨拶を! と思ったが、カンネンにベッドに押し倒されたスケフリ女装(なお殴られている) 姿であることを思い出し、口をつぐんだ。
 この状態からどんな挨拶をされたところで印象良くなることってないよな?

「早く立て」

 カンネンのお父様の声はひどく冷たかった。
 家族に対する声音とは、僕は思えなかった。
 それとも金持ちの家庭の父親とは、こういう他人みたいな声で喋るものなのだろうか。

 カンネンは立ち上がり、軍隊みたいな気をつけの姿勢をとる。
 「それもだ」というお父様の低い声がすると、僕の二の腕を掴むと引っ張り上げ、隣に立たせた。

 金持ちの親子関係ってこんな感じなの? 
 僕はカンネンの真似をして黙って姿勢を正す。
 静かな緊張が部屋に張り詰めていた。
 
「商品に手を上げるのは感心しない。貴様らしくもない」
「申し訳ございません」

 カンネンは深く頭を下げた。無駄のない動きだった。謝罪に慣れた動き。淀みなく紡がれる言葉。

「しかし、第一高等魔界学園の生徒にしては凡庸な顔立ちだ。凡庸な……いや、頭の悪そうな顔をしている」

 カンネンのお父様の手が僕の頭に向かって伸びる。
 お父様、その訂正の仕方は失礼でしょうが。

「恐れながら父上。彼は僕の学友です。商品ではありません」

 その手はカンネンによって掴まれて、僕に触れることはなかった。

「学友にこんな服を着せて乱暴するのか、貴様は」

 その点に関しては僕も同意である。
 お父様、息子さんの性癖は問題がありますよ。童貞だから拗らせているんでしょうか。

 しかし言葉と裏腹にお父様の声は愉快気であった。面白がるような、暗い愉悦を含んでいる。

「く、はは。『洗脳』が緩んでいるのか? 学友? これが? どう見ても商品だろうが」

 カンネンのお父様は掴まれた腕を振り払い、カンネンの頭を掴んだ。
 僕に触れようとしたその手は防いでくれたのに、カンネンは自身の頭を乱暴に掴み上げる父親の手には何の抵抗も示さなかった。
 まるで従順で大人しい子どものようだった。

 バチバチと、カンネンのお父様の手に暗く青い魔力が集まって、小さく火花が散る。
 それは明らかに能力の行使だった。
 シモンズ家の能力は、『洗脳』……。
 自分の息子に、何を『洗脳』するのか?

「私の邪魔をしたな。謝罪しろ」
「申し訳ございませんでした」

 カンネンは床に膝をつけ、頭を擦った。

 家族に能力を行使して、『洗脳』を施して、させることが、土下座?

 僕には理解ができなかった。
 この家は歪だった。おかしい。ていうか商品って何。

「貴様も、怪しいな……政府の犬が紛れ込んだか?」

 僕も怪しまれている。まずい……!

「それにしても肉付きも悪い……?」

 カンネンのお父様はぐいと遠慮なしに僕の胸元を引っ張った。
 スケフリドレスの胸元は緩い。ガバリと開かれたそこには丸パンが二つおさまっている。
 
 しまった、金持ちにはパンを持ち歩く習性がない! 怪しまれる……!

「胸にパンを詰めて訳のわからん格好で平然としている……ちゃんと正気は失っているようだな。腕輪が機能している」

 パンのおかげで助かった。丸パン危機一髪。

「しかしパンは理解できない」
「うわー! 僕のパンですよ!」

 お父様にパンを取られ、思わず奪い返していた。

「は……? 『洗脳』がかかっていなかったのか? 貴様、やはり政府の犬……!」

 瞬間、首を掴まれていた。
 ぎち、と大きな手は僕の首を片手で悠々と掴んで締め上げる。
 頭上でバチバチと音がして、魔力の残滓がどろどろと溢れてくるが、『無効化』の僕に『洗脳』は通用しない。

 しかしこの、どろどろとして粘度の高い、生臭い嘔吐物のような魔力……! カンネンの魔力って親譲りに気持ち悪かったのか!

「なんだ? なぜ『洗脳』がかからない……? 貴様、『無効化』持ちか!」

 苛立ったお父様はシンプルに僕の頭を叩き始めた。

 やめてください! 能力は『無効化』できるけど物理は効くから!

 首を絞められながら頭を拳骨で数回叩かれただけで目が回った。
 もがいていた四肢から力が抜け、だらりと重力に従ってぶら下がる。

「父上、僕の友人から手を離してください……!」
「貴様ッ! 私の『洗脳』がかかりきっていないのか!? なぜ邪魔をする……!」

 カンネンがお父様の腕を掴み、僕は解放された。

 床にべしゃりと倒れ込む。フローリングが冷たい。そこに触れた身体は熱く痛んだ。
 自由になった気道から空気を必死に吸い込み呼吸をこなすが、目が回って視界がくらくらと覚束ない。

 カンネンは再びお父様に頭を掴まれて、そして抵抗しないのだった。
 再度お父様に施される『洗脳』は明らかに度を越していた。

 バチバチと激しく散る青黒い火花。
 カンネンの額にぼごりと浮かぶ青い血管はびくびくと痙攣し、いまにも破れてしまいそうに見えた。

 僕はへろへろの体を叱咤して立ち上がり、お父様の腕を止めるべくかじりついた。

「謀ったな……親の顔に泥を塗るような真似を」
「やめてください! なんで自分の子どもに、こんなこと……!」
「子は親の所有物だ。魔犬の方が賢かろう。家畜以下の存在を教育するのがおかしいか?」
「教育って……! 『洗脳』かけてないで話し合えばいいでしょうが!」
「話せば奴隷売買は認められるか? 私は理解されるか? 愛されるか? 適当抜かすなよ、商品風情が」
「わああ、もういいから止めてください! カンネンの頭が……!!」

 お父様を説得しようと叫ぶが逆効果だった。僕の言葉は彼の神経を逆撫でしたようで、一層バチバチと強く火花が散り、無抵抗のカンネンの腕が一度、釣り上げられた魚のようにビクンと大きく跳ねた。
 
 ブツブツと血管の切れるようなあの音がまたカンネンの頭の中から、耳の奥から聞こえたような気がして、カンネンを見上げた、瞬間。

 ブシッと暗い部屋に響く音とともに、カンネンの額で蠢ていた太く浮かび上がった血管が弾けた。
 鮮やかな赤が散り、僕の頬にもそれが降った。

「カンネン!!」

 カンネンは無抵抗だった。
 彼の態度は親に従うことしか知らない、従順で大人しい子どものそれだった。

 喉が引き攣れるほど叫んでも、彼の父はその手を緩めなかった。
 ぶつ、ぶつ、と子どもの耳の奥から、脳みそが切れるような不気味な、雑音混じりの音が断続的に続く。
 時折彼の額からは潮のように血液が噴出して、父の手を濡らし、僕の頬に散り、床に落ちた。

「止めてください! 止めて! カンネンが死ぬ……!!」

 父親は既に常軌を逸していた。
 薄く開いた唇はブツブツと蠢き何かを呟いているが、低く暗い呪詛のようなそれは意味を持った言葉として僕の耳に聞こえることはなかった。
 青白く生気を失ったような乾いた薄い唇の端がひび割れて血が滲んでいるのが目に映る。
 そうしてただ一言「不気味の存在になりたくない」と、それだけやけにはっきりと聞こえた気がした。

 頬にぬとりと広がる血潮のあたたかさが重なるのに、僕はこの状況を打破する術を持っていない。

 誰か、助けて……!
 







 



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