ヤンデレホイホイ貧乏苦学生物語

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第1章 ヤンデレホイホイRTA

12 煙草屋の秘密②

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 ごわごわとかたい感触が頬に触れていた。質の悪いそれは繊維が粗く、ドラッグ特有の酷い酸味と炭に似た苦い臭いが染み付いている。

 ざり、と頬を擦り付けた。

 第一高等魔界学園の清潔で柔らかいシーツよりもよほど馴染み深く、安心できる感触だった。

「起きた? 身体はきつくない?」
「ぁ……?」

 柔らかな深い声がして重い瞼を上げる。
 梅鼠色のまだらな火傷痕が、暗がりの中仄かに浮かび上がっていた。

 覚醒しない頭のまま、近づいてくる生白い腕は思いの外太く逞しかった。頬に触れる指先はゴツゴツとしてかたく、乾燥している。
 頬を包むてのひらが暖かだったので、されるがままだった。

「ほっぺが赤くなっちゃったね。痛くない?」

 ほとんどそれは、痛くなあい、という発音だった。奇妙に間延びした、子どもにするような声掛けでいて、そうして発話者自身が幼い子どものような、どこかちぐはぐな。

 暗闇から伸びた手の先には腕があり、肩があり、脇があって、鎖骨、胸と続いている。
 そうして暗がりに浮かぶ青みのかかった肌に目を滑らせて、この男はどうやら身に何も纏っていないらしいことを知った。

 ぼんやりとした頭は思考をそのまま口から出した。

「何も着てない」

 男はその言葉に自らの身体を見下ろした。筋肉質の厚い胸板がふふ、という空気を多分に含んだ秘めやかな笑い声と一緒に上下する。

「僕は眼帯をつけているよ」
「ああ……」

 眼帯は衣服に含まれるのだろうか。
 しかし男の声音がごく自然で軽やかだったので、はいともいいえともつかない声を喉から返した。
 男の声は「それに」と続ける。

「君も僕と同じだよ」
「うん……?」

 男が頬を撫ででいた手は下降して、首筋を辿った。かさついた指先が薄い皮膚に引っかかるようでくすぐったい。
 鎖骨の窪みを押して、胸へとおりていく手首を咄嗟に掴んだ。

 薬のせいか、未だに頭がはっきりとしていない。

 薬。そうだ。僕は気絶する直前、煙草屋に何か妙な粉を吹き付けられた。

 揺らめく記憶をたぐり、ぎゅり、と煙草屋の手首を掴む手に力を込める。僕の二倍はあろうかという手首は大きくて指が回らなかったが、爪を思い切り立ててやった。

「何のつもりです?」
「ここは触られたくないんだね。ごめんね。もうしない」

 煙草屋がすんなりと腕を引いたので、その手首を掴んでいた僕はそのまま胸に引き込まれる。
 咄嗟に手を離したが、それを補うように煙草屋の腕は僕の背に回り込んで押したので、結局その胸に閉じ込められる形になった。

 頬に押し付けられた厚い胸板は思いの外柔らかだった。

「何の真似……」
「君の嫌がることはしないよ。お詫びに僕の胸はいくらでも触っていいからね」
「いらねえですよ」

 肌がくっつく。しっとりしていた。あたたかだった。
 悪意がなく、兄弟にするような気やすさで背中にまわされた腕は大きく、ぽんぽんと宥めるようなてのひらがぬるい。

 調子が狂う。

 この男は僕に奇妙な粉を吹きかけて気絶させたはずだ。
 その割に触れるてのひらに敵意がなく、声に悪意が感じられず(むしろ懐かしさにも似た親しみがこもっているようで)、そうしてこの大男は落ち着いているのに奇妙に幼い。

「君の胸の印は、とっても複雑な形に編み込まれているんだね。何かの信仰みたいに……呪いの域に達しているかもしれない」
「み、見ないでくださいよ勝手に!」
「だいじな印なんだね。すごくきれいだったから、君が眠っている間見惚れちゃったんだ。ごめんね、嫌ならもう見ない」

 ひどく素直に謝られると、怒る気も起きなかった。

 ジャノメさんが僕の胸にこの術印を刻んだのはうんと子どもの頃の時分で、記憶が曖昧だ。
 定期的にジャノメさんに魔力を流し込まれるそこは感覚が過敏になりがちで、見られるのも触れられるのも苦手なのだ。

「見ただけ? 触ってないですよね」
「御空に誓って触れていないよ」
「ミソラ?」
「僕たちの村の信仰だよ。君の胸の印は、村の精霊縫いに少し似ている」
「どこの村ですか」
「僕たちの村は東にあるんだ」
「東に……」

 ミソラだのセイレイヌイだのという言葉が何を指すのか分からなかった。東の村というものが、どれくらい遠い東にあるのかも。

 しかし煙草屋はこれ以上説明する気はないようだった。
 その言葉はごく自然な文脈であると言わんばかりの落ち着き払った顔つき。
 
 しかしまあ、ともかく、ミソラに誓って触っていないのならば一安心である。
 この胸の印を他人に触らせたらジャノメさんが怒りそうだ。

 「それで」と言葉を続けた。
 煙草屋は「うん?」と僕の背をあやすように撫で、目を微かに細めて続きを促した。

「何で僕たちは裸なんですか」
「ああ。交わおうと思って」

 まぐわおうとおもって?

 意味がわからず、ただ音が音だけを残して耳の中を跳ねた。

「でも勃起しなかったんだ」
「ぼっ……つまりセックスしようとしてたってことですか」
「俗世ではそう言うのかな。でも僕たちがしようとしたのはもっと神聖な儀式だよ」
「僕たちって、僕はしようとしてないでしょうが」
「ううん。僕たちはしようとした」

 ゾクセ、ギシキ。聞き慣れない言葉に耳が戸惑う。難しい言葉を使われると話についていけない。

 煙草屋はしごく真面目な顔をしている。まっすぐな目だった。
 薄紫をした眼球は色素が薄く、暗がりの中で仄かに灯りがともっているかのようにぼんやりと浮かんでいた。

「よく考えたら、雨も降っていなかったし」
「雨が降ってなかったから何ですか」
「雨が降っていなかったから勃起できなかったのかもしれない」
「天候と勃起に何の関係があるんです?」
「御空がお喜びになる」

 頭が痛くなってきた。

 思わず額をおさえると、そのてのひらの上に顔が寄せられ、控えめに唇が触れた。手の甲に乾燥してかさついた感触が伝わる。

「何してんですか」
「……」

 煙草屋は顔を俯けた。長く伸びた睫毛は色素の薄い眼球に暗い影を落とした。
 その影の深さは一瞬間、ぞっとするほどのものを感じた。

 煙草屋の薄い唇の端がわななく。筋肉の強張りが見て取れた。
 何かに怯えるような緊張を浮かべた口元が逡巡の後、薄く開いた。

「……クモツ。ずっと君を待ってた」
「クモツって何……」
「君と……僕、のこと」

 思い切ったような、それでいて酷く慎重な声音だった。何かとても大切な、それでいて扱いきれない危険なものをてのひらにのせるような。そんな風に彼は、「クモツ」とその音を口にした。

 しかし、いよいよ話が通じなくなってきた。
 頭に過ぎるのは「激ヤバカルト村」の七文字である。

「今度は雨の日に来てくれる?」
「雨の日なら勃起するんですか」
「するかもしれないね」
「……」
「君が気になっているのはウチで扱ってる売らない葉巻のことだよね」

 その言葉に思わず顔を上げると、すうと細められた隻眼とかち合った。角度によって淡く光っているように見える、控えめな薄紫。

「君になら葉巻を売ってもいいよ、同胞」
「……言質取りましたからね」

 眉の下がった曖昧な微笑は、素直に嬉しそうだったので毒気を抜かれた。














 服を着て煙草屋を出るとすっかり辺りは暗闇に沈んでいた。
 時計を持たないので分からないが、おそらく夜中であるらしかった。夜が深まると少し肌寒い。

 先輩方の姿は既になかった。全く薄情なものである。

 入り組んだ路地裏を目を凝らしながら進む。
 ガンと音を立てて薄っぺらの靴が何かを蹴り倒した。
 ぶちまけられたそれを踏んで歩くとべちゃりと柔らかく湿ったものを潰し、次いでむわりと腐敗臭が立ち上った。

 べたりとした粘度が布切れといっても差し支えないような穴の空いた靴に染み込んで、土踏まずを濡らす。
 チクリとした痛みを足裏に感じた。おそらく石か何かで切れているのだと思う。

 ジャノメさんに気づかれたらまた血を飲まされそうだ。顔を合わせたらすぐバレるので、今日はお屋敷に寄らずそのまま家に帰ることにしよう。

 この辺りは街灯もなく閑静で、ただ土埃ばかり舞っている。
 生塵に塗れた両足は砂埃を吸ってすぐにぱりぱりと乾いた。

 ナナちゃんの家は蛍光ピンクに光る夜の街の下にある。ぐずぐずの生塵と砂を吸い込んだ塊が傷口からじわじわと入り込んで痛むのを、足を進めるたびにじくじくと感じた。

 ああ、ここが僕の町だ。












 帰りに簡易の占い屋台があったので外から「明日の天気は?」と声をかけると「酷い晴天だ。これから一週間は全くの好天気」と返事があった。

 ぽいと百ユドルを屋台の覗き穴に投げ込んでやる。

 「チップを乗せろ! 常識ってもんを知らねえのかクソ野郎!」と返ってきた罵声を無視して帰路を急ぐ。

 この町に常識も糞もないのだ。見ない屋台だったし、新参者だろうか。
 明日の天気を聞いたのに一週間先まで教えるなんて全く損である。商売下手。
 この町で上手く金を稼げない奴に価値はない。今に潰れるだろう。

 それにしても晴れ続きか。
 煙草屋に次に行けるのは雨の日だが、僕は第一高等魔界学園に明後日には戻らないといけない。

 寮から正式に休みが取れるのは月末だけで、その休みでなければ実家に帰るための交通費が出ない。

 次の月末に雨が降る確率はどのくらいなもんなのだろうか。
 占いは遠い未来のことを聞くほど値段が釣り上がる。
 馬鹿馬鹿しくて占う気にもならない。

 余裕綽々に振る舞うジャノメさんは案外せっかちで効率重視の成果主義だ。
 時間がかかるほど「お使い」の報酬が減るのは明らかである。

 できれば明日にでも煙草屋の葉巻を頂きたいところなのだが……。

 考えながら足を進めるうちに街灯が増えた。
 ピカピカと大袈裟に輝くチープなネオンの下にナナちゃんの家はある。

「ただいま」

 小さく呟きそうっとドアを閉める。電気を付けずに手探りで進み、足に伝わる感触からナナちゃんの出勤用の靴はないことを知る。

 ぼそぼそに汚れた靴で廊下に散乱したゴミ袋や荷物をできるだけ避けて音を立てないように進んだ。

 台所の前のマットで寝ようか、風呂場で足を洗おうか迷いながら足を埋まった荷物から抜くことに気を取られていると何かにぶつかった。

「ぉわ」
「ムク、おかえり」
「アオ。ごめん夜中に。弟たちはもう寝てる?」
「うん」
「そっか……っと」
「こっち」
「ん。久々で暗いと駄目だぁ」

 アオが急に現れて驚いたが、物音はしなかったように思う。しかしまさかずっとそこに立っていたわけではあるまい。
 いつも静かな弟のことだから、静かに歩くのが上手いのかもしれない。

 アオに手を引かれるがまま足を進めると、すんなりと歩けた。
 そうして連れて行かれた先が風呂場だったので、生ごみ臭かっただろうかと申し訳なく思う。

「やっぱり寝る前に足洗った方がいいと思う?」
「ん、洗ってあげる」
「やった。アオにしてもらうの好きなんだぁ」
「座って」
「はーい」

 浴槽に腰掛けると、アオがしゃがんで僕の左足を掴んだ。
 浴槽には使われていない家具やナナちゃんの脱いだままの服が積み重なっていて、生まれてこの方浴槽に湯が張ってある状態を見たことがない。

 洗面器に汲んである水にアオが手をかざすと次第に湯気が出る。

 ぱしゃりと足首からかけられた湯が温かかった。ため息が出る。

「なんかさ、生ごみ踏んじゃった。あと多分足の裏ちょっと切った」

 あらかたの汚れを落として、足首に巻き付いたアオの手が洗面器の中へ僕の足を引き込む。
 アオの魔力に満ちたそこにぬるく包まれて気持ちが良い。

「良い能力だよな。水を操作できるって……水……アオ、雨って降らせられる?」
「天気は操作できない」
「だよな~」
「雨を降らせてほしいの」
「まあ、そうだね」
「ムクがしてほしいなら、してあげる」
「できないのに?」
「できなくてもするよ」

 真面目な顔をして言うのでいじらしくて笑ってしまった。僕が笑ってもアオはじっと僕の目を黙って見ている。
 可愛いから胸の辺りにある頭を抱いてやった。髪を撫でる。手入れをしていない割にサラリとした癖のない髪だ。

「お兄ちゃんも、アオのしてほしいことは何でもしてやる」

 頭のてっぺんに口付けてやると、腕の中でアオが身じろいだ。
 閉じ込めていた腕から離してやると、すぐに目が合った。
 深い海のように昏く蒼い目は眠たげに細められていて光が入っていない。
 眠いのに夜中まで僕の帰りを待っていたのかもしれない。

「眠い?」
「うん」
「あくまぱん召し上がれ、寝る前に読もっか。アオ、好きだもんなあ」
「うん」

 言葉少なな可愛い弟の頭をもう一度わしゃわしゃと撫でてやり、僕たちは脱衣所のマットの上に横になった。
 やや黴臭く湿った薄いマットは二人で寝るには手狭だが、ぎゅうとアオの頭を胸に抱き寄せる。
 アオの腕が腰にまわり引かれて、狭苦しくくっつきあって目を閉じる。

 僕たち兄弟はずっとこうして、狭くて汚くて息苦しい家で、この町で引っ付き合って生活してきたのだ。

「本、鞄の中に入れたままだったな……覚えてるから空読みしてあげようか」
「してみて」
「あくまぱんめしあがれ、まんどらごらぱんめしあがれ、みずとかげぱんめしあがれ……」
「そんなパンない」
「んはは」

 















 
 


 
 
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