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番外編 戸部京子の帰還

2、正面突破

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 大阪へ出かけた私は、その帰りの電車の中で天井から吊るされた週刊誌の広告にくぎ付けになった。

 (回転寿司チェーンを乗っ取った女子大生社長 その背後にうごめく男の影)

 これは戸部社長のことではないか。「現代ジャーナル」といえばゴシップ誌とはいえ全国誌だ。
 私は電車を降りたところで、戸部社長のお兄さん、貴志君に電話をした。
 貴志君は既に現代ジャーナル買ってきて読んだと言う。
 私たちは西陣の事務所で落ち合うことにした。

 すまん、貴志君、私の責任だ。戸部社長に広報の仕事をお願いしたのは私だ。これは私のミスだ。
 「いやいや、京子に講演会を進めたのは、この僕ですわ。お互い責任はあります。」
 しかし、いったい誰がこんな記事を書いたんだ?
 「ネタ元はネットのジャーナリズムみたいですわ。」
 ネットの書き込みか?
 「書き込み程度やったら、マスコミはもっと慎重になります。けどネットのジャーナリズムちゅうとこが厄介なんです。書いとんのは元新聞記者とか元雑誌記者です。既存のマスコミが書かへんような政治関係のスキャンダルも書く代わりに、えーかんげんな推測で書いたりもするんです。僕も盗作疑惑をかけられたことがあります。」
 仮にもジャーナリストが、何の根拠も取材もなしにこんな事を書いたりするのかね?
 「ネット・ジャーナリズムの記者はピン・キリですからね。ゴロツキみたいなんもいっぱいおるんですわ。」
 さすがに貴志君は小説家だけあって、出版業界に詳しい。
 しかし、現代ジャーナルといえば名の通った雑誌だぞ。
 「現代ジャーナルは今では三流誌です。ひと昔前とは違います。記者も編集者も三流。ネタに困ってネットから情報を拾ったというところでしょう。京都限定とはいえ、京子は時の人になりつつあります。会社を救った女子大生社長で、社員の給料をアップさせて売上をどんどん伸ばしとる。経営者のなかには反感を持っとる奴もいるはずです。」
 マスコミは持ちあげておいて、後で落とすというやつか。
 ワイドショー・ネタになったら、おいそれとは止められない。
 会社の事はいい。地道に頑張って売上を維持すればいい。社員もみんな戸部社長の味方だ。
 ただ、戸部社長が心配だ。彼女は頑張りすぎると折れてしまう弱いところがある。
 「それですわ。同じ妹でも典子やったらほっとくんですが、京子はそうはいきませんからね。」
 対策は何かあるかね?
 「正面突破!」
 貴志君の答えは一言だった。
 正面突破とはどういうことだ?
 「こっちから記者会見開いて、真実を話すんですわ。京都日報には知り合いがいっぱいいますから。こっちもマスコミの力で反攻するんです。」
 記者会見を、戸部社長がやるのか?
 戸部社長は大丈夫なのか?
 「講演会も見事にやってのけた京子ですわ。京子はね、まだほんとうの力を発揮しとらんのです。荒療治にはなりますが、あいつなら土壇場で乗り切るはずです。」
 貴志君の言葉に、私は不安になった。だが、貴志君が影になり日向になって戸部社長を支えてきたことも事実なのだ。


 記者会見は烏丸三条にある京都日報本社ビルで開かれることになった。
 貴志君は戸部社長に事前にレクチャーしておいたと言っていたが、戸部社長はお兄さんから「黙ってオレの任せろ」とだけ言われたという。
 何でも勝手に仕切ってしまう貴志君には困ったものだが、ここは兄と妹の絆のかけるしかない。

 本社ビルの会見の間にはたくさんのマスコミが集まってきていて、カメラを設置している。テレビカメラも来ている。
 記者席は満員だ。戸部社長の記事は、これが本当なら、いや、たとえ嘘であっても面白いネタになる。これだけのジャーナリズムがそう見ている証拠だ。
 「ゴロツキ記者度どもめ」と、私は心の中で呟いた。

 会見の時間だ。
 戸部京子君は紺のスーツに身を包み、会見場に姿を現した。
 カメラのフラッシュが一斉に激しい光を戸部社長に浴びせかけた。
 戸部社長が着席すると、会場に沈黙の時間が流れた。
 戸部社長の顔が紅潮してている。だいぶ緊張しているみたいだ。

 「あたしは・・・、会社を守りたかっただけなのだ。焦土作戦は、確かに奇策なのだ。でも、それしかなかったのだ。」
 戸部社長が発した声を遮るように、いちばん前にいた四十がらみの男性記者が質問した。腕章に現代ジャーナルとある。こいつか、あの記事を書いた奴は。
 「戸部京子さん、あなたは今お幾つですか。二十歳そこそこですよね。そんなお嬢さんが焦土作戦なんて思いつくのはおかしいと思いませんか。誰かに操られていたんですね。正直に言わないと、とんでもないことになりますよ。」
 「とんでもないことって、どういうことなのだ。それは脅しなのか? 焦土作戦はナポレオンを撤退させたロシアの戦法なのだよ。高校の世界史で習ったのだ。記者さんは高校で勉強しなかったのか?」
 会場からくすくすと笑いが漏れている。
 「僕は日本史を選択しましたから、世界史は履修してません。」
 現代ジャーナルの記者の反論に、戸部社長は余裕で切り返した。
 「歴史は日本史も世界史も両方勉強しないと歴史そのものが分からなくなるって、お姉ちゃんは言っていたのだ。」
 会場から笑いが起こった。
 現代ジャーナルの記者は恥をかかされたことに怒り心頭である。
 「男がいますよね。戸部京子さん、あなたに入れ知恵した男が回転寿司チェーンを乗っ取って、いまも株式会社アゴラを支配しているはずですよね。」
 「誰も支配なんかしてないのだ。会社はみんなのものなのだ。あたしは大学で忙しくて支配してる暇がないのだ。」
 今度は会場が割れんばかりの大爆笑になった。
 現代ジャーナル以外の記者たちは静観を決め込んだようだ。現代ジャーナルの報道が虚偽だった場合、他の記者たちは現代ジャーナルを血祭りにすればいいのだ。それに、戸部京子というキャラクターが記者たちを圧倒している。
 現代ジャーナルの記者は苛立っている。だが、彼は切り札を持っていたのだ。
 「戸部京子さん、株式会社アゴラの開業資金はどこから調達したんですか?」
 これはまずい。三好水産の骨とう品を売却して開業資金に充てたことが分ったら横領になる。
 しかし、戸部社長はさらりと答えたのだ。
 「あたしの貯金三百二十万円と、足りない分はお兄ちゃんに貸してもらったのだ。」
 これは嘘だ。けれど通してしまえば嘘だとばれない嘘だ。
 現代ジャーナルの記者が悔しそうにしながら、戸部社長に詰め寄るように質問した。
 「あなたは社長として、高額な報酬をもらってますよね。」
 「あたしのお給料の二十五万円は高額なのか?」
 会場は大爆笑だ。記者たちのなかには拍手している者もいる。

 これで、疑惑は晴れたとは思うのだが、戸部社長の落ち着きぶりは、いったいどうしたというのだろう。



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