26 / 40
第二十六話 すれ違う心、忍び寄る影
しおりを挟む
第二十六話 すれ違う心、忍び寄る影
夕餉の席には、夫人と将軍が静かに向かい合っていた。
「今日のお料理は、草盈たちと工夫してみました。将軍のお好み、まだ勉強中ですが……」
夫人はいつもより少しだけ明るく振る舞っていた。ほんの少しでも、何か距離を縮めたかった。あの第一皇女の言葉を胸に、「名前を呼ぶ」機会を探していた。
だが。
「……無理はしなくていい」
将軍は目を合わせずに、短く言った。
「貴女が私に気を使うのは……本意ではない」
箸を置き、立ち上がる。
「夕餉、ごちそうだった。だが、今夜は休ませてくれ」
微かに頭を下げ、将軍は静かに部屋を去った。
夫人の手が、器の上で止まった。
どうして、何かして差し上げようとすると裏目に出るのかしら
何もしない時は近寄って来られるのに
将軍の目には媚びる女となって見えるのかしら
ならば、何もしない?
いいえ。それでは駄目よ
言えなかった……名前、呼べなかった。
ただの一言が、こんなにも遠い。
胸の奥に、また一つ寂しさが積もっていった。
---
その夜。将軍の寝所。
第六王子がそっと戸を開けると、机に向かって書物を積み上げた将軍の姿が見えた。
「……また何か調べてるの?」
「……ああ」
将軍は顔を上げずに返事をした。
王子はため息をつき、そばに腰を下ろす。
「なにかあったんだろう? あの嫁っ子ちゃん、目がうるうるしてたよ」
しばらく沈黙が流れたあと、将軍はぽつりと呟いた。
「……私は彼女を、苦しめているのではないかと思い始めた」
「えっ?」
「将軍という立場。王家に仕える重責。私と関わることで、彼女が“個”として生きられなくなっているのではないかと……」
「それって……」
「…………………」
「ちょっと!何?急に見つめて~
気持ち悪いっ」
大げさに両肩を抱いておどける
「………………顔、取り替えないか?」
「はぁ?」盛大に声を出して王子が珍しく眉間にシワを寄せる
「歩けば竹林が揺れるように涼やかで凛としていると言われ
座れば霧に霞む山河の如きと褒め称えられる将軍が?
馬鹿にしてる?」
「…………すまない。忘れてくれ…」
軽く頭をふり馬鹿な事を言ったと
少し遠くを見る
「何だよ~。お前のそれ!悪い癖!!
直ぐ言葉を飲み込むから、嫁っ子ちゃんも誤解するんだよ~」
「………誤解…」ふーーっと息を吐きながら将軍が続ける
「お前の顔立ちが晨と似てる気がして」
「え?……」一瞬王子の瞳が揺れる
「晨の顔立ち、そして立ち居振る舞い。もし、王家と密な関係があったとすれば……」
「まさか……王族の血筋か何かってこと……?」
将軍は小さく首を横に振った。
「まだ何も断定はできない。ただ……あまりにも近すぎる。だから今は、確かめたい。彼女を巻き込まずに」
王子はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「……わかった。俺もなんとなく思ってた。けど、それを言葉にすると重くなるから……胸にしまっておくよ」
「……すまない」
---
その間、夫人は庭をひとりで歩いていた。
外の空気を吸えば、少しは気が晴れるかと思った。
――だけど。
「まぁまぁ、なんて健気に徘徊してるのかしら、将軍の寝所を締め出された将軍夫人が」
その声に振り向くと、そこには冷たい笑みを浮かべた第二皇女の姿があった。
「……ご用でしょうか」
「用なんてないわよ。ただ、憐れねって思っただけ。愛されてない余計物って、どんな気分?」
刺すような言葉に、夫人の心がざわめく。
「あなたの存在、将軍にとって重荷じゃないの? そうじゃなければ、寝所から締め出すなんてしないでしょ?」
心の奥に隠していた痛みに、鋭い杭を打ち込まれるようだった。
ぐらり、と視界が揺れる。
その時。
「――おやめ下さい!」
強い声が割り込んだ。
晨だった。
無言で第二皇女をにらみつけ、夫人をそっとその後ろにかばうように立った。
「この方に対する侮辱は、私が許しません」
「……家令風情が、威勢のいいことね?」
「身分ではありません。信義です」
その一言に、第二皇女が舌打ちをして去っていく。
夫人の膝が崩れ落ちそうになったところを、晨が支えた。
「……もう大丈夫です。ここは危険です、奥様。第六王子殿下のところへ。すぐにご案内します」
「でも……」
「将軍のためにも、今は……お側を離れた方が良い時です」
そう言われてしまえば、反論の言葉は出なかった。
晨の手に引かれ、夫人は夜の庭を後にした。
風が冷たいのか、それとも涙のせいなのか。頬に触れた温度がやけに冷たく感じた。
夕餉の席には、夫人と将軍が静かに向かい合っていた。
「今日のお料理は、草盈たちと工夫してみました。将軍のお好み、まだ勉強中ですが……」
夫人はいつもより少しだけ明るく振る舞っていた。ほんの少しでも、何か距離を縮めたかった。あの第一皇女の言葉を胸に、「名前を呼ぶ」機会を探していた。
だが。
「……無理はしなくていい」
将軍は目を合わせずに、短く言った。
「貴女が私に気を使うのは……本意ではない」
箸を置き、立ち上がる。
「夕餉、ごちそうだった。だが、今夜は休ませてくれ」
微かに頭を下げ、将軍は静かに部屋を去った。
夫人の手が、器の上で止まった。
どうして、何かして差し上げようとすると裏目に出るのかしら
何もしない時は近寄って来られるのに
将軍の目には媚びる女となって見えるのかしら
ならば、何もしない?
いいえ。それでは駄目よ
言えなかった……名前、呼べなかった。
ただの一言が、こんなにも遠い。
胸の奥に、また一つ寂しさが積もっていった。
---
その夜。将軍の寝所。
第六王子がそっと戸を開けると、机に向かって書物を積み上げた将軍の姿が見えた。
「……また何か調べてるの?」
「……ああ」
将軍は顔を上げずに返事をした。
王子はため息をつき、そばに腰を下ろす。
「なにかあったんだろう? あの嫁っ子ちゃん、目がうるうるしてたよ」
しばらく沈黙が流れたあと、将軍はぽつりと呟いた。
「……私は彼女を、苦しめているのではないかと思い始めた」
「えっ?」
「将軍という立場。王家に仕える重責。私と関わることで、彼女が“個”として生きられなくなっているのではないかと……」
「それって……」
「…………………」
「ちょっと!何?急に見つめて~
気持ち悪いっ」
大げさに両肩を抱いておどける
「………………顔、取り替えないか?」
「はぁ?」盛大に声を出して王子が珍しく眉間にシワを寄せる
「歩けば竹林が揺れるように涼やかで凛としていると言われ
座れば霧に霞む山河の如きと褒め称えられる将軍が?
馬鹿にしてる?」
「…………すまない。忘れてくれ…」
軽く頭をふり馬鹿な事を言ったと
少し遠くを見る
「何だよ~。お前のそれ!悪い癖!!
直ぐ言葉を飲み込むから、嫁っ子ちゃんも誤解するんだよ~」
「………誤解…」ふーーっと息を吐きながら将軍が続ける
「お前の顔立ちが晨と似てる気がして」
「え?……」一瞬王子の瞳が揺れる
「晨の顔立ち、そして立ち居振る舞い。もし、王家と密な関係があったとすれば……」
「まさか……王族の血筋か何かってこと……?」
将軍は小さく首を横に振った。
「まだ何も断定はできない。ただ……あまりにも近すぎる。だから今は、確かめたい。彼女を巻き込まずに」
王子はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「……わかった。俺もなんとなく思ってた。けど、それを言葉にすると重くなるから……胸にしまっておくよ」
「……すまない」
---
その間、夫人は庭をひとりで歩いていた。
外の空気を吸えば、少しは気が晴れるかと思った。
――だけど。
「まぁまぁ、なんて健気に徘徊してるのかしら、将軍の寝所を締め出された将軍夫人が」
その声に振り向くと、そこには冷たい笑みを浮かべた第二皇女の姿があった。
「……ご用でしょうか」
「用なんてないわよ。ただ、憐れねって思っただけ。愛されてない余計物って、どんな気分?」
刺すような言葉に、夫人の心がざわめく。
「あなたの存在、将軍にとって重荷じゃないの? そうじゃなければ、寝所から締め出すなんてしないでしょ?」
心の奥に隠していた痛みに、鋭い杭を打ち込まれるようだった。
ぐらり、と視界が揺れる。
その時。
「――おやめ下さい!」
強い声が割り込んだ。
晨だった。
無言で第二皇女をにらみつけ、夫人をそっとその後ろにかばうように立った。
「この方に対する侮辱は、私が許しません」
「……家令風情が、威勢のいいことね?」
「身分ではありません。信義です」
その一言に、第二皇女が舌打ちをして去っていく。
夫人の膝が崩れ落ちそうになったところを、晨が支えた。
「……もう大丈夫です。ここは危険です、奥様。第六王子殿下のところへ。すぐにご案内します」
「でも……」
「将軍のためにも、今は……お側を離れた方が良い時です」
そう言われてしまえば、反論の言葉は出なかった。
晨の手に引かれ、夫人は夜の庭を後にした。
風が冷たいのか、それとも涙のせいなのか。頬に触れた温度がやけに冷たく感じた。
1
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
課長と私のほのぼの婚
藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。
舘林陽一35歳。
仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。
ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。
※他サイトにも投稿。
※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。
番など、今さら不要である
池家乃あひる
恋愛
前作「番など、御免こうむる」の後日談です。
任務を終え、無事に国に戻ってきたセリカ。愛しいダーリンと再会し、屋敷でお茶をしている平和な一時。
その和やかな光景を壊したのは、他でもないセリカ自身であった。
「そういえば、私の番に会ったぞ」
※バカップルならぬバカ夫婦が、ただイチャイチャしているだけの話になります。
※前回は恋愛要素が低かったのでヒューマンドラマで設定いたしましたが、今回はイチャついているだけなので恋愛ジャンルで登録しております。
最後にして最幸の転生を満喫していたらある日突然人質に出されました
織本紗綾(おりもとさや)
恋愛
─作者より─
定番かもしれませんが、裏切りとざまぁを書いてみようと思いました。妹のローズ、エランに第四皇子とリリーの周りはくせ者だらけ。幸せとは何か、傷つきながら答えを探していく物語。一話を1000字前後にして短時間で読みやすくを心掛けています。
─あらすじ─
美しいと有名なロレンス大公爵家の令嬢リリーに転生、豪華で何不自由ない暮らしに将来有望でイケメンな婚約者のランスがいて、通う学園では羨望の眼差しが。
前世で苦労した分、今世は幸せでもいいよね……ずっと夢に見てきた穏やかで幸せな人生がやっと手に入る。
そう思っていたのに──待っていたのは他国で人質として生きる日々だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる