離婚しようとしたら将軍が責任とれ?

エイプリル

文字の大きさ
25 / 40

第二十五話 名前を呼ぶということ

しおりを挟む
第二十五話 名前を呼ぶということ

将軍は、晨が出ていった方をじっと見つめ、ふぅと浅くため息をついた。

「またそれ~! ため息ついたら幸せが逃げるって言うでしょ?」

第六王子が大げさに言いながら手を広げる。

「……女性を喜ばせるには、何を贈ればいいのだ?」

将軍が問いかけるように呟いた。

「装飾も食事も好まないとなると……何を渡せば喜ぶんだ?」

「さあ~、なんだろうね~?」
王子は首を傾げながら少し笑う。

「普通、将軍の顔を見れば、誰だってメロメロになるのにね? どうして彼女は平然としてるんだろ。繍慧、なんか心当たりある?」

問いを振られた繍慧は、慎重に言葉を選びながら答えた。

「……直言をお許し頂けますか?」

将軍がうなずくのを確認してから、静かに続ける。

「私たちが知る奥様は、いつも朗らかで、人の困りごとを見過ごせない方です。どんな時も、何かしら楽しそうにしておられました」

「ですので、奥様を“特別に喜ばせよう”と考えたことはなかったのです。奥様の後をついていけば、何も間違わないし、常に楽しい――そう信じてまいりました」

「……けれど将軍府に来てからは、“将軍夫人”として、周囲に指を差されないようにと、非常に慎重に過ごしておられます。もしかすると、それが負担なのかもしれません。最近は、お部屋からあまり出てこられなくなりました」

「……将軍夫人であることが、負担……」

将軍は目を伏せ、深く椅子にもたれた。

「……そんなつもりは、なかったのだがな……」

その言葉が静かに落ちた部屋には、やるせない沈黙が漂った。


---

一方その頃――

「それでね? あの時は――」

明るく話し続ける第一皇女に、夫人は自然と笑みを浮かべていた。心を許すというのは、こういう時間なのだろう。

「あなたの家令、晨(シェン)っていうのよね? きれいな顔してるわね~。でも旦那様も美丈夫じゃない? 何が嫌なの?」

「……嫌なわけじゃないんです」

夫人は目を伏せ、少しだけ息を吐いた。

「私は……ただ、自分の思うように生きていけると思っていたんです。それが、気づけば“旦那様のために生きる”ように言われて……。その中で、自分がどうあるべきか……生き方を探しているだけです」

「生き方、ねぇ」
皇女は肩をすくめて笑った。

「そんなに畏まらなくてもいいんじゃない? 人生なんて、そう堅苦しく考えすぎると、疲れるわよ」

「でも……世間は、あの将軍の“嫁”って目で私を見ます。“私”ではなく、“将軍の嫁”としてしか……。そこに、“私”は存在していないんです」

その言葉に、第一皇女の目がふと優しくなった。

「――あのね。彼が最初から偉大な将軍だったわけじゃないのよ?」

「……?」

「小さい頃にご両親を亡くして、彼に残されたのは、位牌だけだったの。陛下が引き取らなければ、きっと今、生きてはいなかったと思うわ」

「引き取られた直後は、毎晩悪夢にうなされて泣いていて……それで、私の母――今の皇后が預かったの」

「私はその時から彼に懐かれて、夜も一緒に寝ていたの。だんだんと悪夢を見ることも少なくなって……その健気さが忘れられないのよ。今でも“かわいい”と思うくらい」

「……おかしいでしょ? あんなに大きくなったのにね」

皇女はくすくすと笑った。夫人もつられて小さく笑い、うなずいた。

「……わかります」

「晨も可愛かったんです。私が勉強していると、そっと覗きに来て……。気まぐれに教えてみたら、驚くほど飲み込みが早くて。どんどん教えるのが楽しくなって……」

「だから……彼には家令なんてやらせたくなかった。試験を受ければ、間違いなく合格できたはず。あんなに頭が良いのに、彼の人生を私が止めてしまった気がして……」

その言葉に、皇女はきっぱりと笑って言った。

「まぁ! そんなことないわよ~!」

「人の人生なんて、わからないものよ。誰かのために生きることが、必ずしも不幸じゃない。むしろ、自分のためだけに生きている人より、ずっと充実していることもある」

「それにね、将軍はあなたの“道”を奪ってるわけじゃないのよ?」

皇女はそっと夫人の手に触れた。

「自分らしく生きていいの。将軍の立場を気にしているってことは、もう彼を受け入れているってことじゃない?」

「……え?」

「一度、名前で呼んでみたら? 名前で呼ぶだけで、ぐっと距離が近づくものよ」

そう言って、皇女は片目をウインクしてみせた。

夫人は、しばらく黙ったあと――小さく頷いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

最後にして最幸の転生を満喫していたらある日突然人質に出されました

織本紗綾(おりもとさや)
恋愛
─作者より─  定番かもしれませんが、裏切りとざまぁを書いてみようと思いました。妹のローズ、エランに第四皇子とリリーの周りはくせ者だらけ。幸せとは何か、傷つきながら答えを探していく物語。一話を1000字前後にして短時間で読みやすくを心掛けています。 ─あらすじ─  美しいと有名なロレンス大公爵家の令嬢リリーに転生、豪華で何不自由ない暮らしに将来有望でイケメンな婚約者のランスがいて、通う学園では羨望の眼差しが。  前世で苦労した分、今世は幸せでもいいよね……ずっと夢に見てきた穏やかで幸せな人生がやっと手に入る。  そう思っていたのに──待っていたのは他国で人質として生きる日々だった。

番など、今さら不要である

池家乃あひる
恋愛
前作「番など、御免こうむる」の後日談です。 任務を終え、無事に国に戻ってきたセリカ。愛しいダーリンと再会し、屋敷でお茶をしている平和な一時。 その和やかな光景を壊したのは、他でもないセリカ自身であった。 「そういえば、私の番に会ったぞ」 ※バカップルならぬバカ夫婦が、ただイチャイチャしているだけの話になります。 ※前回は恋愛要素が低かったのでヒューマンドラマで設定いたしましたが、今回はイチャついているだけなので恋愛ジャンルで登録しております。

処理中です...