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第二十四話 すれ違いの裏側
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第二十四話 すれ違いの裏側
「もぉ~~~っ、やめろってば!」
ついに堪えきれず、第六王子が声を上げた。
「そのため息! やめてくれ~~! こっちまで気が滅入る!」
将軍は、ふぅ…とお茶をひと口すすっては、深くため息をつく。そのたびに王子の眉間の皺は深まっていく。
部屋には今、繍慧(シュウフェイ)と王子、それに将軍の三人しかいない。
他の侍女――明蘭と草盈(ツァオイン)は、第一皇女と共に夫人の私室へと同行していた。
繍慧は、夫人の指示で将軍の身の回りの世話をしていた。
菓子の盛り直しや、部屋の軽い整頓をしながら、ふと思い出したように独りごちる。
「そういえば……新しい衣服と靴を縫って差し上げたはずなのに、まだお召しになっていないわね……」
すると、鼻の利く第六王子が素早く嗅ぎつけたように近づいてきた。
「なに、なに~? 将軍! 墨霖寅! 夫人が衣服と靴、縫ってくれたって? 着てないの? え、もったいない~! それ、初めての贈り物じゃない?」
「初めてではないが……私だけにくれたものだ」
将軍は少しだけ顔を赤らめながら、しまってある、と答えた。
「そうだったよね~。屋敷に帰れなかったとき、わざわざ届けてくれてたよね~」
子どものように、菓子をもらえないと拗ねた自分を思い出し、将軍は心の中で密かに恥じた。
だが、それでもほんの少しだけ胸が温かくなっていた――その瞬間までは。
「気に入っていただけて、よかったです。お作りした甲斐がありました」
繍慧が笑顔でそう言ったその瞬間――
パリンッ!
将軍の手から、茶器が滑り落ち、床に砕け散った。
「だ、大丈夫!? 火傷は!?」
王子が将軍の手を取り、確認する。
繍慧も慌てて駆け寄り、破片を片付けはじめた。
「びっくりした……将軍の心でも割れたのかと思ったよ……(小声)」
将軍の顔には、感情の揺れは見えない。だがその一言が妙に胸に響いた。
「……これは……夫人の手縫いではないのか?」
将軍の問いに、繍慧は静かに首を縦に振る。
「奥様は、子どもの頃から刺繍や裁縫が苦手でした。勉学が好きで、兄君や弟君、幼馴染の沈家の若様とよく学び合っておられましたので、裁縫は私の役目です」
だが、と彼女は目を輝かせて続ける。
「生地選びから採寸、将軍様のお好みや肌触りに至るまで、奥様が一つひとつ細かく指示を下さいました。それは……将軍様のことを、何より大切に思っておられる証です」
「……そうか」
声は静かだったが、その響きにはほんの少し、柔らかさが戻っていた。
王子も続けて笑いかける。
「ね? 誰が縫ったかなんて問題じゃないよ。相手の好みに気を配ってくれる――それが大事だよ~。地位が高くなるほど、直に手を動かさなくなるものさ」
「……そうか」
将軍は、またお茶をひと口すすった。だが先ほどのようなため息は出なかった。
(……ああ、嫁っ子ちゃん。俺に感謝してよ? 菓子ひとつでいいからね)
と、王子は心の中でこっそり呟く。
その時、晨が静かに現れた。
「失礼いたします」
一瞬で部屋の空気が変わる。将軍のまわりだけが、ピンと張りつめたようだった。
周囲が固唾をのんで見守る中、晨は丁寧に一礼し、伏し目がちに口を開いた。
「将軍。お食事は夫人とご一緒にされますか? どちらにお運びいたしましょうか」
礼に則った、隙のない所作。将軍はその姿に、少しだけ感心する。
「……ああ。だが、夫人は……」
ちらりと王子を見る。
「ああ、そうだね~。聞いてから決めようか」
王子はすぐさま宮女を呼び、第一皇女の私室へと使いを出させた。
晨が退こうとしたとき、将軍は彼を呼び止めた。
「……少し話を聞かせてくれ」
「はっ」
「お前は、いつから仕えている?」
「八歳の頃よりでございます」
顔を上げず、礼も崩さぬまま、静かに答える。
「……長いのだな」
将軍の目が細くなる。
「……夫人の好みは、分かるか?」
「……はい」
「教えてくれ」
晨はわずかに呼吸を整えると、淡々と話し始めた。
「食事については特にこだわりがございません。どんなものでも召し上がりますが、贅沢すぎる品や、量が多すぎると喜ばれません」
「衣類も同様で、飾りや装飾を避けられます。上等な絹は、冷たく滑るからとあまりお好みではありません。必要な時でなければ、お召しになりません」
「……そうか……」
ため息にも似た低い吐息が、将軍の口から漏れた。
繍慧も王子も、言葉を挟むことはなかった。
ただ、将軍の胸に去来する想いを、そっと見守っていた。
「もぉ~~~っ、やめろってば!」
ついに堪えきれず、第六王子が声を上げた。
「そのため息! やめてくれ~~! こっちまで気が滅入る!」
将軍は、ふぅ…とお茶をひと口すすっては、深くため息をつく。そのたびに王子の眉間の皺は深まっていく。
部屋には今、繍慧(シュウフェイ)と王子、それに将軍の三人しかいない。
他の侍女――明蘭と草盈(ツァオイン)は、第一皇女と共に夫人の私室へと同行していた。
繍慧は、夫人の指示で将軍の身の回りの世話をしていた。
菓子の盛り直しや、部屋の軽い整頓をしながら、ふと思い出したように独りごちる。
「そういえば……新しい衣服と靴を縫って差し上げたはずなのに、まだお召しになっていないわね……」
すると、鼻の利く第六王子が素早く嗅ぎつけたように近づいてきた。
「なに、なに~? 将軍! 墨霖寅! 夫人が衣服と靴、縫ってくれたって? 着てないの? え、もったいない~! それ、初めての贈り物じゃない?」
「初めてではないが……私だけにくれたものだ」
将軍は少しだけ顔を赤らめながら、しまってある、と答えた。
「そうだったよね~。屋敷に帰れなかったとき、わざわざ届けてくれてたよね~」
子どものように、菓子をもらえないと拗ねた自分を思い出し、将軍は心の中で密かに恥じた。
だが、それでもほんの少しだけ胸が温かくなっていた――その瞬間までは。
「気に入っていただけて、よかったです。お作りした甲斐がありました」
繍慧が笑顔でそう言ったその瞬間――
パリンッ!
将軍の手から、茶器が滑り落ち、床に砕け散った。
「だ、大丈夫!? 火傷は!?」
王子が将軍の手を取り、確認する。
繍慧も慌てて駆け寄り、破片を片付けはじめた。
「びっくりした……将軍の心でも割れたのかと思ったよ……(小声)」
将軍の顔には、感情の揺れは見えない。だがその一言が妙に胸に響いた。
「……これは……夫人の手縫いではないのか?」
将軍の問いに、繍慧は静かに首を縦に振る。
「奥様は、子どもの頃から刺繍や裁縫が苦手でした。勉学が好きで、兄君や弟君、幼馴染の沈家の若様とよく学び合っておられましたので、裁縫は私の役目です」
だが、と彼女は目を輝かせて続ける。
「生地選びから採寸、将軍様のお好みや肌触りに至るまで、奥様が一つひとつ細かく指示を下さいました。それは……将軍様のことを、何より大切に思っておられる証です」
「……そうか」
声は静かだったが、その響きにはほんの少し、柔らかさが戻っていた。
王子も続けて笑いかける。
「ね? 誰が縫ったかなんて問題じゃないよ。相手の好みに気を配ってくれる――それが大事だよ~。地位が高くなるほど、直に手を動かさなくなるものさ」
「……そうか」
将軍は、またお茶をひと口すすった。だが先ほどのようなため息は出なかった。
(……ああ、嫁っ子ちゃん。俺に感謝してよ? 菓子ひとつでいいからね)
と、王子は心の中でこっそり呟く。
その時、晨が静かに現れた。
「失礼いたします」
一瞬で部屋の空気が変わる。将軍のまわりだけが、ピンと張りつめたようだった。
周囲が固唾をのんで見守る中、晨は丁寧に一礼し、伏し目がちに口を開いた。
「将軍。お食事は夫人とご一緒にされますか? どちらにお運びいたしましょうか」
礼に則った、隙のない所作。将軍はその姿に、少しだけ感心する。
「……ああ。だが、夫人は……」
ちらりと王子を見る。
「ああ、そうだね~。聞いてから決めようか」
王子はすぐさま宮女を呼び、第一皇女の私室へと使いを出させた。
晨が退こうとしたとき、将軍は彼を呼び止めた。
「……少し話を聞かせてくれ」
「はっ」
「お前は、いつから仕えている?」
「八歳の頃よりでございます」
顔を上げず、礼も崩さぬまま、静かに答える。
「……長いのだな」
将軍の目が細くなる。
「……夫人の好みは、分かるか?」
「……はい」
「教えてくれ」
晨はわずかに呼吸を整えると、淡々と話し始めた。
「食事については特にこだわりがございません。どんなものでも召し上がりますが、贅沢すぎる品や、量が多すぎると喜ばれません」
「衣類も同様で、飾りや装飾を避けられます。上等な絹は、冷たく滑るからとあまりお好みではありません。必要な時でなければ、お召しになりません」
「……そうか……」
ため息にも似た低い吐息が、将軍の口から漏れた。
繍慧も王子も、言葉を挟むことはなかった。
ただ、将軍の胸に去来する想いを、そっと見守っていた。
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